第11話 天使は悪魔
ピーンポーン。
十時になろうとしている時計の見て、こんな時間に何かしら。と玄関へ行く。さすがに「はい」と返事をするのも物騒な気がしてドアの覗き穴からそっと覗く。そこにはエルが立っていた。
ガチャッと開けるとエルは申し訳なさそうな顔をしてうつむいて口を開く。最初にアパートに来た時のことを思い出すような、そんな姿だった。
「あの…。天使の仕事をさぼっていてすみませんでした。ちゃんと仕事をするので…。その…。」
フッと笑うと「とにかく話だけは聞くから入ったら。」と部屋へ招き入れた。
「その…。ちゃんとしないといけないことがあって…。」
言いにくそうにうつむくエルは、杏を見るとつらそうな顔をした。それでも頬をバシバシっとたたいて凛々しい顔をする。そして覚悟を決めたように口を開いた。
「圭祐さんとのことをきちんと忘れられなければ運命の人と結ばれることはありません。例え出会えていたとしても運命の人とは気付かずに離れて行ってしまいます。」
何を言い出すのかと思ったら!
圭祐…。そんな人のことは別れて以来、今日のお昼にちらっと会ったけれど、それ以外は忘れていたのに。
「圭佑のことなんて、もうなんとも思ってないわ。」
エルの話に取り合わない素振りを見せて、一人ソファに座る。それを追いかけるようにエルが隣に座った。逃がさない。そんな雰囲気を感じて誤魔化してしまいたい気持ちになる。でもエルはそれを許さないだろうというのが態度にみえていた。
「では、なぜ「運命の人に会えるのが三十歳なの。どうせなら二十三歳にする。」とおっしゃられていたのですか?なぜヒールの低い靴を捨てずにいるのですか?」
いつもの底抜けに優しくて無邪気で甘えん坊なエルはどこにもいなかった。冷たく仕事を進める…天使なのだろうか、今のエルが杏には悪魔に見えた。
「それは…。」
「言いにくいようでしたら、わたくしが代わりに。二十三歳の時に、圭祐さんと出会い、そのまま片思いをされていて、昨年、二十九歳で晴れてお付き合いをすることに。その時の言葉が…。」
「やめて。どうして今さらそんなことを。」
杏は首を振って拒否をする。それでもエルは話すのをやめない。
「必要なことなのです。その時の言葉が「杏が二十三歳の頃にも一度会っているよね?これは運命だね。」そう言われて感激して付き合い始めましたね。」
淡々と話すエルに杏は反抗するようににらむ。
「だからなんだって言うのよ。」
「困るんですよ。こういう運命詐欺。」
運命詐欺。結果的にはそうなってしまったかもしれない。でも、その時は本当にそうだと思った。その時はその言葉に幸せで…。
「杏さんは本当の運命の人に出会いたくないのですか?そんな嘘の運命の言葉で満足ですか?」
「嘘、嘘、言わないで。その時の私の気持ちは本物だったの。」
「ですが、圭祐さんは違ったようです。杏さんのお友達から二十三歳の時に見かけて以来気になっているらしいとの話を聞いてそう言っただけ。ご本人はこれっぽっちも覚えておられなかったようです。」
「うそ…。」
「そう嘘です。もちろん杏さんがずっと思っておられた二十三歳から二十九歳。はたまたお付き合いされてからも複数の女性がいたようですね。」
エルはにこりともせず、フォローすることも、慰めることもしなかった。ただ淡々と話し続けた。
「二股かけられてたってこと?」
「同時進行とまではいかなかったようですが、いつでも代わりになる女性がいて、より可愛らしいお付き合いできそうな方に変更されていたようです。今回の杏さんから結菜さんへ変更なさったように。」
変更って…。人の真剣な気持ちをあたかも簡単なことのように…。
エルの変貌ぶりに愕然とする。
「それに彼と並んでも釣り合うようにとヒールの低い靴ばかり履いていましたね。それでも圭佑さんとの身長差が1センチあることを気にしてわざと並んで歩かないようにしたり…。」
1センチ。私の方が高いその差が私にとってどれほど大きいものだったか…。こいつに分かるはずない。
「杏さんは圭祐さんの表面しか見ていなかった。どこが良かったのでしょうか。何が運命の人だったのでしょう。」
頬をたたこうと振り上げた腕をエルがつかむ。
「わたくしをたたいて、何か変わりますか?変わるのならいくらでもたたいていただいて構いません。」
力を緩めたエルの手から杏の腕が力なくソファの上に落ちた。
「知らなくても良かったことじゃない。どうしてそんなこと…。」
「知らなくて杏さんは思い出の中で暮らしていくのですか?圭祐さんにいいように作り上げられた幻想の世界で。圭佑さんとのことにちゃんと向き合わないといけません。目を背けないでください。そしてちゃんと知らなくてはいけません。杏さんの運命の人は他にいると。」
ポロポロと涙を流す杏をエルはたまらず抱きしめた。
「…何よ。もう悪魔は終わりなの?」
「僕は杏さんのためになら天使にも悪魔にもなります。だからちゃんと吐き出してください。」
頭をなでるエルの優しい手に涙がとめどもなく溢れる。さんざんひどい言われようだった杏はポツリポツリと自分の口から思いを吐き出す。
「本当に好きだったの。」
でもいくらヒールの低い靴を履こうと、いくら離れて歩こうと、圭佑に相応しい彼女になれている気がしなかった。少し離れて歩く惨めさ。そして離れている距離以上に感じる心の距離。
「本当は並んで歩きたかった。なんで離れてるんだよ。こっちこいよ。って言って欲しかった。」
唇をかみしめると続ける。
「嘘だったかもしれないけど、私は運命だって言われて嬉しかった。」
涙でかすれて声は途切れ途切れだ。それでもエルは頭を撫で続ける。
「でも分かってた。本当は可愛らしい子が好きなことも、二十三歳の頃のことを覚えてないかもしれないことも。それでも良かったの。幸せだと思いたかったの。」
「うん。うん。」とエルは優しく言いながら、むせび泣く杏の背中をさする。
「だって私には付き合っている時に可愛いなんて一度も…。うぅ。」
エルはぎゅーっと抱きしめると「杏は可愛いよ。」と何度も何度もつぶやいた。
杏はエルの腕の中で泣き疲れて寝てしまった。そんな杏を抱き上げてベッドに運ぶ。
眠ったままの杏のおでこに優しくキスをすると「僕の姿が消えてしまう前に杏を幸せにしてみせる。」そう言って部屋を出ていった。
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