第9話 ドロボウ猫

 朝、目が覚めるとエルの姿は無かった。

 どうしたんだろう…。元気になったから出て行ったのかしら。挨拶も何もなくいなくなるなんて。まぁその程度ってことよね…。

 そんな思いも隣の部屋の方から聞こえてくる、に"ゃぁ"〜ふぅーと猫が怒っている鳴き声と、こら!痛いだろ!やめろよ。というエルの声にかき消される。

 隣の部屋に行っても誰も何もいない。どうやら声はベランダからしているようだった。

 ベランダの窓を開けるとエルと格闘していたらしい猫が飛び跳ねて逃げていく姿が見えた。

「どうしたのよ。エル。」

 手足を猫にひっかかれたのだろう。ひっかき傷がそこらじゅうにある。

 この子、犬かと思っていたけど、猫と縄張り争いでもしてたのかしら…。やっぱりおかしな子。でも顔には傷がないようで、良かった…。きれいな顔なのに…とホッとしてエルを見るとエルが持っている何かに気づく。

「な、何それ…。」

「あぁあの野良猫が杏さんの下着を…。」

 バチンッ!

「いたぁい…。」

 さっきより痛そうなエルの声が響いた。そして無傷だった頬に赤い手形がつくことになった。

 部屋の中に入れると正座をさせて、どうしてそうなったのかを問いただした。エルは涙目で赤い手形がついた頬を押さえている。

 どうやら干そうとしていた杏の下着を落としたところに、ちょうど猫がいて、その猫がそのまま逃げようとしたから格闘していた。ということらしい。

「だって仕方ないじゃないですか、杏さんのブラジ…。」

 言わせるものかとエルの口をふさぐ。

もごもごしているエルに杏は冷たく言った。

「とにかく忘れなさい。何もかも忘れなさい。いい?女の人の洗濯物は勝手に洗っちゃダメなの。」

 もごもごしたまま、首が壊れるんじゃないかと思うほどに首を縦に振る。仕方なく手を放すと「だってあの猫、杏さんの可愛いブ…。」また口を思いっきり押さえることになった。

 まだ言うか!まったく、この子の頭の中をのぞいてみたいわ。どこまで別次元で生きてるのよ。

 何度かのやり取りの後で、女性の洗濯物は勝手に洗らわないことと、その他もろもろを別次元の男に教え込んだ。

「なんでお風呂も一緒に入っちゃダメなんですか?」と言うエルに「左頬にも手形をつけたいの?」と言うと怯えた顔をして首を横に振って静かになった。

 昨日はおとなしく一人でお風呂に入ってたくせに、一緒に入りたいと思ってたのか…。末恐ろしい子だわ。

 少しの沈黙のあとにエルが申し訳なさそうに口を開いた。

「だって…居候させてもらってるから何かしなきゃと思って…。」

 目を潤ませてそう言うエルに、可愛いんだから…と怒ってるっているのが馬鹿らしくなった。

「別に何かして欲しくて居候させてるわけじゃないのよ。」

 杏の言葉に黙り込んだエルを見て、また変なことを言いそうだとヒヤヒヤする。

「じゃもう少しだけ、ここにいてもいいんですか?」

 可愛く上目遣いで言うエルに、この顔に弱いんだよね…と目をそらしながら、少しの間ね。とだけ言った。

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