第一章 10 僕だけじゃない

「……でも、確かに、あたしたちもおかしいと思ったわ」

「え?」

「あたしたちも、悪鬼を追おうと思ったら、いつの間にか悪鬼がいなくなっていたの」

「そうなのデス! 目を離したら、一瞬でいなくなっていたのデスよ!」

「いつの間にか悪鬼はいなくなってるし、しかもあなたが倒したって言うし、いや、倒したのは別にいいとして、その時間が、倒すのがあまりにも早すぎるなって思ってたの」

「じゃあ二人も、何か変だと思ってたんですね」

「ええ、そう」

 謎は未だ謎のままだが、それがただの僕の思い込みということではなく、そこにはっきりとした謎があるということは分かった。

 それだけでも大きな収穫、大きな前進と言えるかもしれない。

 僕が安堵というか、気持ちに折り合いをつけていると、突然どこかから大きな声がした。

「ニメせんぱーいっ!! サディせんぱーいッ!! どこですかー!?」

 ニメとサディを呼ぶ、若い男の人の声。誰だろうか。

「ああ、リュウね。あたしたちの仕事仲間」

「リュウ! 上デス! 屋上デスよー!」

 ニメが僕に説明し、サディがその人――リュウに居場所を伝える。

「おお、サディ先輩の声が!! なるほど、上ですね!! とうッ!!」

 威勢のよい掛け声とともに、その人物リュウが僕たちのいる屋上に上がってきた。そしてもはや、人が屋上まで飛び上がってくることに、僕も何の違和感も持っていないことに気がついた。ああ、毒されてしまった。穢されてしまったよ、僕も。

「先輩たち、こんなところにいたんですね! 捜しましたよ!」

 リュウと呼ばれる人が、声を上げながらこちらに近寄ってくる。

 リュウは、ニメと同じでイラストチックなアニメの人だった。茶色の短髪に、人の良い顔をした爽やかそうな男の人である。僕よりもやや背が高く、服装はパーカーにチノパンという、とても動きやすい格好をしていた。

「ごめんねリュウ。ちょっとこの人と話をしていたの」

「そうですか!」

 リュウは僕の方に向き直ると、自分から自己紹介を始めた。

「おれはリュウと言います。ニメ先輩とサディ先輩とともに仕事をさせてもらっています。おれのことは、気軽にリュウと呼んでください」

「リュウはあたしたちの後輩で、今のところは悪鬼が出た時に、人々の避難誘導を主にしてもらっているの。あたしたちが戦っている裏でね」

「リュウ、いつもつまらない仕事でごめんなさいデス」

「つまらないなんてそんな! 大事な仕事ですし、それにおれは戦いが苦手ですから」

 リュウは謙遜してそんなことを言う。悪い人ではなく、むしろ好感が持てるとても良い人だった。結構モテそうな、はきはきとした感じの人である。

「それでニメ先輩、こちらの人は?」

「彼は、詳細は省くけど、さっきの悪鬼をあたしたちの代わりに倒した人よ」

「悪鬼を倒したんですか! それはすごいですね!」

「まあ、あたしたちがある程度、ダメージを与えていたっていうのはあるけど、それでも倒したことに変わりはないわ。名前は――」

 そこまで言って、ニメの口が止まる。あれ、そういえば自己紹介というか、名前言ってなかったっけ? あ、そういえばまだ言ってなかったかも。

「――って、そうだ、まだ知らなかったわね。じゃあ、あなたも自己紹介ね」

「僕は、――……あ」

 つい流れ的に自己紹介を始めてしまったが、Gカップ級の、最大の問題を忘れていた。

 ――思い出せないということを。

 ――僕は、僕自身に関する記憶がなくて、今名前すらも思い出せないということを。

 今まですっかり忘れていたが、そうだ、そうだった。

 名前が、思い出せない。名前が、ない。

「……あの、僕――」

「あ、もしかして、まだ名前ないの?」

 まるで僕の言葉を先読みするかのように、ニメがそう言った。

「えっ? 何でそれを……?」

「だってこの世界に来た人は、みんな自分に関する記憶がなくて、みんな自分の名前すら覚えていないもの。そう、誰一人としてね」

 ……………………。

 誰一人として。

 誰一人として、自分に関する記憶がない。

 僕と。

 僕と、まるっきり同じように。

 おかしいのは、僕だけじゃなかった。

 僕だけじゃ、ないんだ。

 ……………………。ああ。

「僕だけじゃないんですね……。記憶がないのは……」

「そうよ。あたしもないわ」

「私もデース!」

「おれもです」

 それは、この世界から見れば、とてつもないほど大きな謎だけど。

 それは、僕から見れば、涙が出るくらい大きな安心感だった。

「あたしも最初は不安だったけどね。今はもう何とも思ってないけど」

「私も最初は、それはそれは恐ろしかったデスよー」

「おれもそのことを知るまで、すごい焦っていました」

 記憶がなくても、こうして過ごしていける。生きていける。暮らしていける。

 それが今、分かった。

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