夢の跡を残して

鉄塔

 

 お前、明日暇?

 ……暇だけど。

 じゃあお前も明日の夜、良明の家な。

 勝手に決めてんじゃねえよ。

 だって暇だろ?

 ……ああ。

 何だよ、来ねえの?

 ……行くわ。

 よっしゃ。


 そんな感じの会話だった、クリスマス前々日の午後。十二月の空っ風が心を吹き抜け、今日も八津干潟はくすんだ色をしていた。


 高校一年で付き合いはじめた女と数ヶ月前に別れ、それ以来、次の相手が見つからぬままやってきた高校二年のクリスマスだった。

 別れた原因はいろいろあった。どちらもそれなりに忙しくて、何となく疎遠になっていたし、趣味も合わなかった。今思えば、お互いに相手をステータスとしてしか見ていなかったのかもしれない。

 浮かれていた一年前の自分が脳裏に浮かぶ。——それでも、楽しかったんだよなあ、なんて。


 自転車を走らせる。冷たい空気が顔にぶつかって目が痛い。手が悴んで、ハンドルを握る指が真っ赤になる。

 船橋競馬場を尻目に成田街道を突っ走り、こんな日でも人が並んでいるラーメンかいざんの手前で路地に入る。すっかり慣れ親しんだ道を進んでゆくと、良明の家の灯りが見える。

 周囲の家々と比べて、少しばかりボロい彼の家は、元々は彼の祖父母が暮らしていた一軒家だった。祖父母が彼の両親と一緒に津田沼駅前のマンションに住むようになってから、この家は良明の一人暮らしに使われていた。俺たちはここを溜まり場にして、一年前の夏から、こうやって集まっていた。

 玄関前に自転車が並んでいるのを見るに、既に皆、到着しているらしい。俺も自転車を停める。玄関のドアノブをチャイムも鳴らさずに開けた。鍵はいつも通り掛かっていない。

 玄関先に靴が散乱している。郵便受けから溢れたチラシが床に舞い散っている。ゴミ袋が三つ、玄関前の廊下で置物と化している。基本的にこの家にゴミ箱というものはなかった。全部ゴミ袋に突っ込んで、まとめてポイだ。

 奥の居間から笑い声とマリオカートwiiの音楽が聞こえる。腕時計を見ると、午後八時だった。靴を脱ぎ捨て、ずかずかと廊下を歩き、居間の扉を開けた。

「うっす」

 おせえ、と忠がテレビ画面のほうを向きながら言う。彰は何も言わず、レースに集中している。黄金チキン一個食っていいよー、と悠矢がこっちを見ずに言った。テーブルを見ると、冷めた黄金チキンがふたつ残っている。俺はそれをひとつレンジに突っ込む。プラグが刺さっていなかったので、コンセントの場所を探りながら、そういや良明どこいんの? と聞いた。まだバイト、と忠が言った。


 良明が帰ってきた時には、もう十時を回っていた。良明は、俺たちが床で大富豪をやっているのを一瞥して、おう来てたんかい連絡くらいしろよ、と、鞄を投げ捨てて、風呂場に向かっていった。

「……あいつに何も言ってなかったのかよ」

「いつものことだしな」忠は悪びれる様子もなかった。


 良明がスウェットで帰ってきた。やっと全員そろったな、と悠矢が言った。「さて、あれ開けるか」

「あれって何だよ」

「ケーキ」

 悠矢は冷蔵庫から白い紙箱を出す。サイズからしてホールケーキだった。男だけでケーキかよ、と俺が言うと、俺らは去年もこうだったぞ、と彰が言う。お前は去年、彼女とだったしな。

「そうだそうだ、彼女持ちはいいよなー、あれ? 彼女とはどうなったんだっけ?」

 忠はあえて俺を困らせるように言った。胸に、黒い何かがのし掛かる。その話はやめてくれ、と言おうとして、やめた。うるせえっ、と忠の頭を叩いたら、皆、笑った。これでいいと思った。

 それから全員でゲームをして、喋って、腹へったなと忠が言いだしたから、焼きうどんを作った。焼きうどんはケーキより俺たちに似合っていた。

 良明がトランプを持ってきて、賭けやろうぜ、と言い出した。ブラックジャックか? いや、つまんないだろ、大富豪でいいよ。それじゃあ雰囲気でねーじゃん。

 …………………… 

 十円玉をチップにしてしばらく遊んでいたが、良明が眠くなったらしく、布団にもぐりこんでしまってから、何だか賭け金もあやふやになって、自然と終了した。

 皆、いつの間にか眠ってしまった。良明以外は床に雑魚寝だった。


 目が覚めたときは、まだ外は暗かった。男たちが床に散らかっている。踏まないようにしながら、ジャンパーを着て、家の外に出た。

 刺さるような寒さが街を覆っている。家々は未だ眠っている。俺は、ふと、今、世界中がこうなんじゃないかと想像した。静寂が俺のすぐそばにいる気がした。

 けーちゃん、どうしたの? 不意に声がして、振り向く。悠矢だった。悠矢は寝癖でトサカのようになった髪を手でとかしながら、いつもの穏やかな目で俺を見る。

「別に、ちょっと外にでたくなっただけ」

「けーちゃんはさ——」悠矢は、聞こえるか聞こえないかくらいの声で言う。「けーちゃんはさ、大学行くんだよね」

 ああ、と俺は答える。

「取り敢えず行くつもりだけど」

「俺さ、公務員試験、受けようと思うんだ」

「……そうか、いいんじゃねえか、お母さんも賛成してくれてるんだろ?」

「母さんは俺の好きなようにしなって言ってくれてるんだけど。家の事考えると、それが一番だと思うから」

 悠矢には父親がいなかった。母と妹と、三人で生活している。高校を出たら就職するんだと以前から俺たちは聞いていたから、彼が公務員試験を受けるのは驚くことではなかった。

「悠矢は、将来のこと、よく考えてるよな」

 俺は呟くように言った。そんなことないよ、と悠矢は笑った。

「考える暇なんてなかったから、今出来ることを必死にやってるだけ」

 それが考えてるってことじゃないか、と思ったが、口には出せなかった。

 酷く自分が置いていかれている気がした。

「それじゃあ、今日は予定あるから帰るね」

 悠矢は自転車に足を掛けた。もう片方の足で地面を蹴り、加速させ、飛び乗った。

 じゃあな! 悠矢は手を振って、そして帰っていった。


 彼が去った後の道路を眺めていると、自分が今どこにいるのか、わからなくなりそうだった。寒い、冬の日、今日はクリスマス。

 こうやって、このメンバーで集まるのも、あと何回だろう。良明は公務員試験、俺や他の奴らは受験勉強、もしかしたらこれっきりかもしれない。自分の心の中を覗いたら、空っぽだったらどうしよう、考えると恐ろしくなった。

 一度、良明の家に戻ろうとしたが、何となく気乗りがしなかったから、このまま帰ることにした。


 帰りの道を、自転車を走らせていたとき、置いていった十円玉のことを思い出した。多分、誰もあの金には手をつけないだろうと思った。何十年も、何百年も、あのままで床に転がっている気がした。

 いつか、あの十円を口実にして、また集まろう。そう思った。

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