ヒツジ
春眠不覺曉
處處聞啼鳥
夜来風雨聲
花落知多少
検索してみたら、二つの解釈が出てきた。「春の睡眠は心地がよく夜明けに気づかない」ってのと、「春になると夜明けが早くて気づかない」っての。今でも暗誦はできる。テストがあったから覚えた。暗誦はいい。覚えるだけで点がもらえる。暗誦万歳。
孟浩然は幸せだ。夜明けに気づかないくらいぐっすり眠れる。それなのに、俺は――
「おい、起きろ。朝だ」
スヌーズ機能が不憫なほど、恭平は起きない。仕方がないから俺が止めてやる。布団をひっぺがして枕を取っ払うと、恭平はぐずぐず言いながら起きた。
「寒いよう……眠いよう……」
まあ、まだ四月の頭だしな。昼間あったかくても朝晩寒い。恭平は俺が放り投げた布団と枕を拾ってぐしゃぐしゃ丸めてベッドに置いた。畳めよ。
筋トレしても眠かったから、コーヒーを淹れた。寝てない朝はこれがないと始まらない。パンは恭平が焼く。ベーコンも恭平が焼く。目玉焼きは俺が気が向いたときに焼く。恭平は卵を割れない。不器用すぎる。
「いっちゃん、ベーコン何枚?」
「三枚」
「はーい」
くそっ。清々しい顔しやがって。腹立つな。ねみぃ。春だから余計にねみぃ。もし孟浩然がここにいたらぶっ飛ばす。絶対にぶっ飛ばす。
「パン焼けたよ!」
「おう」
「ジャムもうないね」
「おう」
「おれ、今日帰りに買ってくるね」
「おう」
ベーコン美味い。
恭平はりんごのジャムを買ってきた。多分、前のがイチゴだったからだ。りんごジャム甘すぎるんだよな。別に嫌いじゃねぇけど。ブルーベリーとかあんずとかよりはいいか。
それよりこれ、どこから突っ込もう。
「聞いたことあったけど、こんなに出てるとは思わなかった」
「兄妹で手分けして買ったんだって。おれが一人じゃ寝れない話したら、妹が貸してあげてって言ってくれたらしいよ。優しい子だね」
CD二十枚ってかさばるんだな。積み上げたらちょっとした高さになった。恭平が漫研の友だち――こいつの交友関係は驚くほど広い――から借りてきた。人気声優が羊を数えて安眠させてくれるらしい。
「友だちはこれがオススメだって言ってた」
「ふうん」
「こっちが妹の一押し」
「ふうん」
「いっちゃんどれにする?」
俺?
「今日一人で寝る日だからいらねぇ」
「明日の分は?」
そうだ。明日はいっしょに寝るんだ。こんなんで眠れるとは思えないけど、ものは試しに一枚ずつ少しだけ聞いてみることにした。
女性向けのイケメンボイス、男性向けのロリっぽい声、ショタ風、お姉さん風、執事風……すげぇ色々ある。羊数えて、ちょっとした台詞が入ってるだけだ。なんとなく恋人が囁いてるように聞こえるのもある。でも、それだけだ。それだけなのに、商品として成立してる。世の中にはそんなに羊を数えてもらいたい奴がたくさんいるのか。
特別編って書かれたやつは何かがおかしい。いくつかあるけど、どれもおかしい。サブタイが『俺は眠くない』ってどういうことなんだ? 眠らせるんじゃないのか? どういう意図なんだ?
「これ、眠れる気がしないね」
「まあ、眠くないって言い切ってるしな」
一番眠れそうなのは、年上のお姉さん風のだった。ニットのセーターで、膝丈のスカートで、微妙な長さの髪のお姉さんだと思う。胸はでかいに違いない。
「いっちゃんってホントむっつりだねぇ」
「うるせぇ」
そう言う恭平が選んだのは、男性のCDだった。物好きだな。寝るときに羊を数えてくれるなら、断然男より女がいい。ついでに膝枕をしてくれるといい。オプションで耳かきをしてくれるといい。そういう状態だったら、他に人がいても俺も眠れるかもしれない。
「今日はそれかけながら寝るのか?」
「うん。これなら寝られる気がする」
羊を数えるのはsheepとsleepをかけてるって聞いたことがある。日本語で羊を数えて効果があるのか? まあ、恭平はやる気だし、うれしそうだし、わざわざ言うことでもねぇな。
「じゃあ、おやすみ」
iPodにCDを落として、コンポにセット。完璧!
どうしようかな。一回じゃ寝られないかな。何度も再生ボタン押すの面倒だな。でも、寝られたら朝までずっと鳴ってるのもったいないな。いいや、エンドレスにしちゃえ。
いっちゃんが持ってったお姉さん風のCDもちょっといいなあと思った。おっぱいが大きくて、ニットのセーター着てて、膝丈のスカート履いてて、髪はセミロングで、膝枕とか耳かきとかしてくれそうな声だった。それもいいけど。すっごくいいけど。
『羊が一匹……羊が二匹……』
この人の声はちょっとだけいっちゃんに似ている。だから、眠れるんじゃないかと思った。いっちゃんが隣にいて、羊を数えてくれてると思えばきっと眠れる。
もしいっちゃんが羊を数えてくれたら、こんなにやさしい声じゃない。もっと早口で、そのうち「羊が」って言うのが面倒になって「一匹、二匹」になる。うーん、どうかな。時々変なとこ細かいから、ちゃんと「羊が」も全部つけてくれるかもしれない。でも、早口は絶対。たまに喉渇いたって言ってお茶飲んだりするんだ。そのときには、おれはもう寝ちゃってるかもしれない。どれくらいなら起きてられるかな。二百匹はがんばりたいな。三百匹は厳しい気がする。
『羊が九十九匹……羊が百匹……』
ちょっとうとうとしてきたかも。こっちのCDにしてよかった。
おっぱいがなくても、ニットのセーター着てなくても、膝丈のスカート履いてなくても、セミロングじゃなくても、膝枕とか耳かきとかしてくれなくても――
『羊が百二十三匹……羊が百二十四匹……』
――そんなのなくていいから、いっちゃんがいい。
聞けば聞くほど違う声になってく。だめだ。うとうとしてたのが逃げてく。せっかく眠れそうだったのに。
おれは布団を丸めて抱きしめた。すぐに寒くなって布団の中に戻る。そうやって何度も、ひとりぶんのスペースを確かめる。いっちゃんがいたらこの辺は埋まってて、布団をかけてたら暑いくらいなんだ。
「いっちゃぁん……」
CDなんかやだ。いっちゃんがいいよ。似てる声じゃだめだよ。いっちゃんがいいんだよ。いっちゃんじゃなきゃやだよう。
恭平にCDは効かなかったみたいだ。お姉さんのにしとかないからだと思う。明後日はお姉さんにするといい。
「やっぱりいっちゃんがいい」
「やっぱりってなんだよ。俺に羊数えろってか?」
「数えてくれるの?」
なんだその期待に満ちたまなざしは。やめろ。
「数えなくたっていっしょにいたら寝られるだろ」
「そうなんだけど。そうなんだけどさあ」
「けど、なんだよ? 録音して一人で寝るときかけるのか?」
それならプロの方がいい。上手いし、ちゃんとした機械で録音してるからノイズもない。明後日はお姉さんを聞くといい。きっと眠れる。昨日の夜は幸せだった。それはそれは優しい声で羊を数えてくれる。
「うーん、そうじゃなくて。なんか、うまく言えないんだけど」
恭平のうまく言えないは本当にうまく言えない。そんな断りがなくてもうまく言えないことも多い。
「いっちゃんがいないとね、ベッドが広くて、ここにいっちゃんがいたらなーって思って、いっちゃんじゃなきゃやだなーって思うんだ」
ベッドが広い? 最高じゃねぇか。何が不満なんだ? ベッドが狭けりゃいいのか? 広いと落ち着かないのか? 閉所恐怖症の逆バージョンか? 開所恐怖症なのか? そんな恐怖症、あるのか?
ベッドを狭くする方法はいくらでもある。クッションとか抱き枕とかぬいぐるみを置けばいい。けど、そんなのはとっくに試してる。
それに、俺じゃなきゃいけないはずはない。誰でもいい。とにかく人間が隣にいれば、恭平はどこでだって寝る。講義中の教室でも、バスでも、映画館でも寝る。
意味わかんねぇ。
「とりあえず、百匹くらいまでなら携帯に吹きこんでやるから、明後日はそれで寝ろよ」
「うん、ありがと。でもね、そうじゃないんだ」
そうじゃないのはわかった。けど、何がそうじゃなくて、何がそうなのか、お前説明できないじゃん。
「とにかく飯な。卵何個食べる?」
「そうじゃないんだけどなあ」
Fin.
安眠を求める大学生2人の日常 タウタ @tauta_y
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