第62話 希望と絶望


 薄暗い船室で一人、膝を抱えてからどれほどの時がたったのだろう………。

 頬を伝った涙の後も既に乾ききっていた。


「お腹がすいたな………」


 心はこんなにも辛く悲しいのにシャルロットの身体は正直に空腹を知らせる音をたてる。

 すると突然、彼女が座っている場所のすぐ横の壁、床すれすれの木の板が大きな音を立てて割れたではないか。

 

「きゃっ!! 何!?」


 何かがこの船室の外から突きこまれているようだがよく見るとそれは人の拳の形をしている………これはサファイアの拳だ。

 拳は二度三度突きこまれ、三十センチ程の幅の穴をあけた。

 そしてそこから皿に載った一切れのパンと一欠けのチーズが差し込まれたのだ。


『シャルロット様、どうぞお召し上がりください』


 淡々としたサファイアの声が聞こえる………どうやら彼女は壁越しにシャルロットのつぶやきと腹の虫の音を聞き取り、即座に給仕行動を起こしたとみられる。


「もう、サファイアったら………」


 呆れるシャルロット。

 しかし乱暴だが彼女なりに自分のことを気に掛けてくれている、魔導兵器のサファイアにまで心配をかけるなんて………そう思うとシャルロットはいじけて船室に閉じこもっている自身の行動が急に恥ずかしくなってきた。


「ねえサファイア、ハインツはそこに居るのかい?」


『いいえ、ハインツ殿はイオ殿とシオン殿、ツィッギー殿と一緒にマウイマウイの城へ向かいました………これ以上到着が遅れてはマウイマウイに疑念を抱かれるのではないかとのご判断です』


「そうか、って………ええっ? ちょっと待って、僕抜きで行っちゃったら却っておかしな事にならないかい?」


 自分が引きこもってからの顛末を知らないシャルロットが狼狽えるのも無理はない………名目上、見合いのためにこの地を訪れているというのに当事者であるシャルロットが出向かなくてはお話にならない。

 元々この縁談は断るつもりではあったが、従者だけを差し向けるという失礼があってはマウイマウイ王家の機嫌を損ね、神器の捜索に支障が出かねないのだ。


『その点はご心配なく、イオ殿が完璧にシャルロット様に変装なさっていますので、きっと上手く立ち回ってくれる事でしょう』


「イオったらそんな事を………でも大丈夫かしら、「ボクは今、姫様の代役なのだからハインツ殿はもっとボクとくっ付いてください」とか言い出してやりたい放題やってるんじゃ………」


 自分が不甲斐ないばかりにみんなに迷惑を掛けてしまったことを悔いる。

 しかしそれと同時に、以前イオがハインツに色目を使っていたことを思い出していた。

 さっきまでふさぎ込んでいたのが嘘のようにいつもの調子が戻ってきたシャルロット………しかしこれは彼女の持ち前の性格だけの事ではない。


 『未来の祝福』………。

 シャルロットが生まれてすぐモイライに授けられた三つの祝福の内の一つ、スクードによって授けられたものだ。

 これは明るい未来のために立ち止まらない強い意志をシャルロットに持たせるというもので、他の祝福と違って効果が目に見えづらい代物であった。

 だから本来、姉妹同然に育ったグロリアを眼前で亡くしてしまっては深い悲しみに囚われてすぐには立ち直れないはずなのであるが、それすらも無自覚に跳ねのけてしまうある意味無慈悲な効果を持っていた。


 不意に船室の扉が開く、そちらに向かいパンに噛り付いている人物に対してサファイアは深々と頭を下げた。


『お帰りなさいませ、シャルロット様』


「僕、行くよ………このままでは命がけで僕をここまで連れて来てくれたグロリアに顔向けできないからね」


 吹っ切れた笑顔をサファイアに向けるシャルロット………一瞬、彼女がほほ笑んだ気がしたがいつものポーカーフェイスであった。


『シャルロット様、何か来ます』


 突然、何かを感じ取りサファイアが何もない空間を見つめる。


「どうしたんだい?」


『膨大な魔力反応………誰かがここへ転移して来ます』


「何だって!?」


 腰に差したレイピアを抜刀し身構える。

 サファイアの言った通り、眼前の上空の空間がぐにゃりと渦巻く。

 そしてそこに現れたのは黒い衣を纏った人物が二人………アークライトとリサだった。


『おや? これはこれはシャルロット様………こんな所でお目にかかるとは奇遇ですね………海の藻屑と消えたのだとばかり思ってましたよ』


「やはりあなた方の差し金だったんだね………」


 シャルロットが歯を食いしばり怒りを露にし、アークライトを睨みつける。


『言いがかりはよしてくださいよ、あなた方を襲ったのは巨大な女王イカでしょう? 我々では無い』


「よくもそんな言い訳が出来るもんだ、僕らが巨大イカに襲われたのを知っている時点で語るに落ちてるだろう、今の僕は虫の居所がすこぶる悪いから覚悟するんだね!!」


『おお怖い怖い………お手柔らかにお願いしますよ』


 鞘から抜いたレイピアの切っ先をアークライトに向ける………しかし彼は全く動じず、リサと共に地面にふわりと着地した。


(ちょっと!! どうするのよこれ………これじゃあルビーの修理どころじゃないじゃない!!)


(私だってまさかシャルロット姫がここに居るなんて想定外ですよ………

 さて、どうしたものか………)


 リサとアークライトがシャルロットに聞こえないように声を抑える。

 これはアークライト達にとっても完全に誤算であった。

 既に周知のとおり、プリンセス・シャルロット号を沈める計画は彼らが立てたものであったが、指輪から追っていたグロリアの反応が消えた時点でシャルロット一行は海に沈んでしまったと判断したからだ。

 仮にそうでなくても、マウイマウイに到着した時点で王宮に向かっているはず………まさかこんな砂浜にシャルロットが居るなどとは考えもしていなかったのだ。


「まあいいわ、結局の所ここで姫様を討てばすべて解決、まどろっこしい作戦なんて必要なくなるもの………ね!!」


 リサは腰の後ろからナイフを抜刀すると急加速でシャルロットの懐へと滑り込んだ、その速さは常人では捉えられないものであった。


「何っ!?」


 甲高い金属音を響かせ、リサの一撃をレイピアで受け止めるシャルロット。

 完全に虚を突いてのリサ自慢の高速の一撃が、いとも簡単に防がれてしまった。


「言ったでしょう? 今の僕は機嫌が悪いんだよっ!!」


 今度はシャルロットから仕掛ける、超高速の突きが連続でリサを襲う。

 防戦一方のリサ………次第に後ろへと追いやられていく。

 

「くっ!! 何なのこれ!? シャルロット姫がこんなに強いなんて聞いてない!!」


 その速さは先ほどのリサのものとは比べられないほど速く、残像を帯びた剣撃は次第にリサを追い詰めていった。


「ああっ!!」


 リサの手からナイフが弾け飛ぶ、飛んだナイフは風車のように高速回転しながら海の中へと落下していった。


『これは旗色が悪いですね………『ファイアボール』!!』


 リサの援護のためにアークライトは突き出した手のひらから火球を放つ。

 しかしその軌道にサファイアが割って入り手のひらで受け止めてしまった。

 そしてそのまま握りつぶしてしまう。


『シャルロット様の邪魔はさせない』


『素晴らしい!! 少女形態でもそこまでの芸当が出来るのですね!! これは興味深い!!』


 自身の攻撃が防がれたにも拘らず感嘆の声を上げるアークライト。

 その感情には負け惜しみなどではなく本気で目の前に起きた事象を楽しんでいる節があった。


『あなたは以前、私と会ったことがありませんか? あなたの魔力波形………私のデータにある人物と酷似しています』


『へぇ、情報分析まで出来るなんて、ただのお人形さんではないようだ、でもそれ以上のおしゃべりはご遠慮願おう』


 アークライトの手先に魔力が集中していく………それはやがて漆黒の球形を成していく。


『『絶望の巨人』はあらゆる魔法に耐性があるんだったよね? じゃあこれは防げるかい?』


 まるで友達同士のボール遊びのノリでその漆黒の球を投げつけるアークライト。

 次の瞬間、彼は転移魔法を使ったのかその場から姿を消した。

 見る見る大きくなっていく漆黒の魔法球はそのままこちらへと突き進む。


『この魔法球は………シャルロット様、お逃げください』


 落ち着いた口調ながらサファイアがシャルロットの方へと駆け出す。

 そして消えていたアークライトはリサの側へと姿を現した。


「あんた、あれは何なの!?」


『話は後です、今は逃げますよ』


 アークライトはリサの肩に手を置くと、彼女共々再び姿を消した。


『ぐっ………この魔力球から感じる力は………』


 両手を前に突き出し魔力球を受け止めるサファイアは想定外の事態に動揺していた。

 アークライトが言った通り『絶望の巨人』は生半可な攻撃魔法など防御せずとも防いでしまう対魔法加工が全身に施されているのだ。

 当然、彼女自身もそれを自覚している。

 但しその魔法防御も完璧ではない、直接攻撃してくる魔法限定なのだ。

 そして今取り押さえている魔法球は『ブラックホール』………全てを飲み込む暗黒の穴だ。

 流石の対魔法加工も、こういった類の魔法には対抗する術がないのだ。


「サファイア!! 大丈夫!?」


『来てはなりませんシャルロット様、あなたまで巻き込まれます』


「でも君が!!」


『あなたに何かあっては私はハインツ殿に顔向けができません、どうか逃げてください!!』


 既に両腕がブラックホールに飲み込まれているサファイアが叫ぶ。

 今まで彼女は感情を示した事がなかったのだ、それだけこの事態は深刻だという事。


『無駄です、今からでは到底間に合わない』


 岩場の上に現れたアークライトが海岸を見下ろしながらつぶやく。

 傍らにはリサもいた。


 アークライトが言った通りブラックホールはさらに膨張し、サファイアはおろかシャルロットまでも簡単に飲み込み、悲鳴さえも吸い込んでやがてブラックホールは跡形もなく消えていった。

 当然そこには二人の姿はない。


「あんた、えげつない事するわね………」


『ここでシャルロット姫を片付けると最初に言ったのはリサ、あなたでしょう?

 シェイド様にはお叱りを受けるかもしれないでしょうが、まあ問題ないでしょう………計画が前倒しになるだけですから』


(アークライト………恐ろしい男だ)


 恐らく仮面の下でほくそ笑んでいるであろうアークライトを見ながら背筋に冷たいものを感じたリサであった。

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