第26話
いつまでにらみ合っていても同じか。
このデイジーは決して隙を見せないだろう。
危険を覚悟して攻めるしかないとスターチスは腹をくくる。
地を蹴ったのも下から斜め上へと切り上げたのも、一瞬のことだ。
蛇が獲物に飛びかかるような斬撃は、しかしデイジーの剣に防がれる。
反撃が来るよりも先にスターチスは、間合いの外へと逃れた。
一撃で勝負が決まるとは思っていない。
どのような剣士であろうと攻防の最中、永遠に隙を見せないのは不可能だ。
その隙を見出すためにスターチスは攻めなければならない。
まるで野犬のように態勢を低くしてゆっくりと周囲を回り、ぱっと飛びかかってはデイジーに防がれるという展開が繰り返される。
「まるで狼だな」
「そんないいものじゃない。犬ころだ」
人々やレブンは嘲笑したが、騎士たちの反応は違う。
デイジーは反撃する隙があるのにわざと反撃しないような男ではない。
彼に攻撃を防がれていても、一度も反撃を出させないというのは驚異的だ。
三十合、四十合と打ち合ってもいまだに勝負の秤は揺れ動いている。
騎士たちが固唾を飲み込んで見守る中、ついにデイジーが攻めに転じた。
スターチスが攻めてきたところへ、自分から前に出て彼より先に左肩を狙って斬りつけたのである。
彼はそれを剣の腹部で受け止めて、逆に胴体を狙った薙ぎ払いを繰り出す。
デイジーは華麗な体捌きと足運びで避けて距離を取った。
(当たらない……)
スターチスは舌打ちすると同時に、目の前の男の実力にうなる。
彼の攻撃がここまで当たらないのは初めての体験だ。
デイジーは再び攻撃に出て、彼の方が防御に回るが次第に劣勢になっていく。
これまではスターチスは受けに回っても反撃する機会があったのに、激しさを増すデイジーの攻撃が許さない。
とまどいながらも彼は五合耐えたが、それが限界だった。
ついにデイジーの剣が彼の左の肩と二の腕を斬り、さらに右手の甲も傷つける。
危険を感じたスターチスが強引に距離を取った時、デイジーは追撃しなかった。
「勝負ありではないかな?」
ただ憎たらしいほど落ち着いた態度で、スターチスに降参を勧めてくる。
肩で息をし始めたスターチスはそれに応じない。
代わりに疑問を口にする。
「どうして急に?」
答えが返ってくるとは思っていない。
ただの時間稼ぎである。
「何、慣れただけだ。貴公の動きに。三十合以上かかるとは思わなかったが」
意外なことにデイジーは隠す必要はないとばかりに教えてくれた。
たしかに言っても何にも影響が出ないような真相で、スターチスはまた舌打ちをしたくなる。
(どうすることもできない差だな)
彼の方はまだデイジーの動きを読むことができていない。
このまま戦っても、彼の傷が増えるだけということは手に取るように分かった。
「分かったら降伏してくれないか。貴公を死なせるのは惜しい」
デイジーの方は本気でスターチスのことを惜しみ、身を案じているらしい。
「私が応じると思って言ってます?」
彼が屈辱にはらわたが煮えそうになりながらも、乱暴な言葉使いにならなかったのはデイジーが敬意を払うに値する立派な騎士だと思ったからだ。
己の好意につけ込み利用し、仕える家の名誉に挑戦するかのようなふるまいをした男に対して、こうも寛大な態度を果たしてスターチスは取れるだろうか。
(俺にはとてもまねできない……)
本当にこのデイジーという男は素晴らしい。
このような男こそが領主一族に生まれてくれればいいのに、とスターチスはほとんど本気で思った。
だが、リナリアのためにもこの男は倒さなければならない。
(この命に代えても)
スターチスは怒りと悔しさで沸き立つ血を鎮めようと集中する。
彼が降伏しないのはデイジーも感じ取ったのだろう。
再びかまえをとる。
「そうだ、殺せ、殺せ、そいつは許すな!」
最も口汚くスターチスを罵倒しているのはレブンであった。
近くの者がたしなめているが、まるで意に介していない。
二人の男は再び剣を交えて、スターチスの傷が増える。
「もう降伏はすすめぬ。したくなったら手遅れにならないうちに言ってくれ」
「気持だけ受け取りましょう」
デイジーの申し出に答えた彼は、懸命に戦うがその攻撃は全て防がれ、かわされてしまう。
両者の実力差は歴然だった。
両腕に何筋もの傷を作って血を流し、誰の目にも明らかに疲れていても、なお戦いをやめようとしないスターチスの姿に、いつしか群衆は静まり返っている。
「嘘だろ? まだ戦う気なのか?」
「止めないと本当に死ぬんじゃない?」
「デイジー様は止めようとしていたじゃないか」
「そうだよ、諦めないあいつが悪いんだよ」
代わりにあちらこちらでささやき声が生まれていた。
「サルビア様も止めようとしないし」
「まだ決定的な状況になってないからだろ」
決定的な状況というのは、スターチスが死んだり、剣を失ったりすることである。
殺しもありという過激な決闘であるから、ただ単に一方的な展開になっているだけでは審判が止めないのは致し方ないことだ。
「諦めろとか言うなよ……」
誰かが小声で言う。
「そうだよ、勝ち目がないと分かっていても、主君の名誉のために戦うなんて、騎士の本道じゃないか」
少しずつスターチスに肩入れする者は出てきたらしい。
残念ながら本人は歯を食いしばって、懸命に抵抗しているため、群衆の変化に気付かなかった。
(くっ……)
一方のデイジーは少しずつ余裕がなくなってくる。
スターチスの獣さながらの動きは全て把握し、行動のリズムやパターンも覚えたはずだった。
ところが、ここにきて彼の動きが速くなり、リズムに変化が加わっている。
元々防御を得意とし、攻勢に出るのは敵の行動を理解してから、というのがデイジーの戦闘スタイルだった。
その前提がここにきて崩れてきたのである。
(こういう時こそ、最初に帰るのだ)
デイジーはまだ冷静さを失ってはおらず、もう一度専守防衛に戻った。
(一、二、一、二、そこだ)
スターチスの攻撃が終わる瞬間を狙っての反撃。
次は彼の腕を斬り落とし、今度こそ勝負を決めるつもりだった。
しかし、彼は待ってましたとばかりに、その剣閃をすり抜けてデイジーの剣を弾き飛ばす。
「あっ……」
と声を漏らした彼の鼻先にデイジーの剣が突きつけられる。
「そこまで、勝者スターチス!」
サルビアが右手を挙げて宣言した。
「私の動きを学習して、予想したんだな」
デイジーは己の敗因をそう分析する。
最後のスターチスの動きは、明らかに自分の戦法に似ていた。
「あ、ああ?」
だが、当のスターチスは茫然としていて、状況が飲み込めていないような顔である。
「スターチス? 私の声が聞こえるか?」
デイジーが呼びかけると、ようやく彼の目に光がともった。
「あ? 俺の負け?」
「いや、貴公の勝ちだ」
何が起こったのか理解できていない若者を見て、思わず彼は苦笑する。
(それだけ無我夢中だったのか……私の行動を読んだのも本能だったのか?)
いずれにせよ、デイジーは己の敗北を受け入れていた。
彼らの戦いをたたえる拍手が生まれる。
最初に手を叩いたのは何とロアノーク侯爵だった。
続いてサルビア、騎士団、それから群衆へと伝播していく。
「納得いかない! どう見てもデイジーが勝っていただろ! あいつが余計なことを考えたから、逆転されただけじゃないか!」
唯一、レブンだけは承服せずにわめいていた。
デイジーが情けをかけようとしなければ、彼が勝っていたと強硬に主張する。
ロアノーク侯爵が眉をぴくりと動かす。
レブンは立会人を務めていた中央貴族に話しかけた。
「いかがでございましょう? チューリップ公。あなた様も同感だったのではないでしょうか?」
チューリップ公という名にスターチスはぎょっとなる。
現国王の弟であり、王国の軍事面の最高責任者であるとムベから教わったことがあった。
どうしてこのような大物が大して護衛もつけずにと思うが、今言っても仕方ない。
問題なのはチューリップ公がレブンの意見を支持すれば、一気に結果が覆ってしまうことにある。
「王族に地方貴族や平民が逆らうな」
というのがこの国の風潮であり、さすがのロアノーク侯爵家であっても例外ではない。
それにロアノーク侯爵にしてみれば、王族の力で判定が覆る方が好ましいはずである。
……つまりスターチスに味方はいない。
「そうだな」
チューリップ公爵はまずそう言い、彼を絶望させた。
(またか。またしても上の権力で決まるのか)
理不尽さに打ちのめされ、そっと目を閉じる。
いくら何でも王族に彼が意見を言えるはずがなかった。
一歩でも誤れば「叛逆罪」が適用され、ハンプトン伯爵家ごと消滅させられてしまう。
「本気でそう言っているのであれば、レブンよ。貴様は貴族の資格がない愚か者よな」
続いてチューリップ公爵の口から出てきたのは、レブンに対する辛辣な意見だった。
これにレブンは真っ青になって硬直し、ロアノーク侯爵は天をあおぐ。
「騎士には騎士の礼節と誇りがあり、我々はそれを認めて許容しなければならない。彼らに誇りを与えるものまた我ら王族諸侯の役目である。それを理解せぬ輩は、騎士の上に立つ資格がない。ロアノーク侯よ、何か異見は?」
決闘が始まる前と言葉づかいや態度が違っているのは、公衆の面前でレブンが彼の正体を言ってしまったからだろうか。
「めっそうもございません、チューリップ公のご意見こそ、国是とすべきものでしょう。我が愚息が大変なお耳汚しをいたし、まことに申し訳ございません」
ロアノーク侯爵は恐縮し、チューリップ公に頭を下げた。
「全くだな。もっとも貴公の息子の評判は知っていた。それでも娘との縁組に反対しなかったのは、ロアノーク侯爵家と我らのつながりが深まれば、国益になると考えていたからだ」
チューリップ公は国内屈指の軍力を有する諸侯に対して、冷やかな態度を崩さない。
それを聞いていたスターチスはようやく合点がいく。
レブンは公爵の娘と縁組しようとし、そのためにリナリアが悪者にされたのだ。
ロアノーク侯爵家が黙認して貴族社会で味方がいなかったのは、相手が王族だったからだろう。
「だが、やっていいことと悪いことというものがある。たとえば貴族の誇りさえない者が、貴族の一員であるかのようにふるまっているということだ」
「な、何で」
レブンは口を開いて抗弁しようとしたが、父に怒鳴りつけられる。
「黙れ無礼者! 貴様はチューリップ公に何を言ったのか、分からんのか!」
「もうよい。縁組は取り消す。ロアノーク侯爵よ。息子に教育を施すのも、貴族の役目ぞ。でなければ貴様に与えている地位と権利、取り上げることも考えなければならん」
息子の教育に失敗するだけでロアノーク侯爵家ほどの強大な諸侯すら、取りつぶしになりうるのか。
スターチスは貴族社会の厳しさに、今さらながら戦慄する。
ロアノーク侯爵は身を縮こめて許しをこう。
そこにいるのは強大な権力者ではなく、無力な中年男性であった。
「挽回に努めよ。それを見てから判断する」
チューリップ公爵は言い捨てると、スターチスのところへやってくる。
慌てて跪いた彼に対して、王族は声をかけた。
「スターチスだったな。貴様が勝利に値したかはさておき、リナリア姫の名誉を回復するに値する戦いぶりを見せたことは、王族の名にかけて保障しよう」
「あ、ありがとうございます」
スターチスは感激する。
王族に名において告げられるということが、どれだけありがたいことか。
「何かあれば我が屋敷まで訪ねてこい。警備兵くらいの職は用意しよう」
この一言にはロアノーク侯爵家の騎士団からも、大きなざわめきが起こる。
スターチスは王族に認められたのだ。
「お、恐れ入りますが、私の剣はリナリア姫に捧げたものですので……」
彼は恐怖で舌が凍りつきそうになりそうな思いをしながらも、何とか断り文句を口にする。
これには群衆からも悲鳴に近い叫びが起こった。
王族の勧誘を断るとは、何という命知らずなのだろう、というのである。
スターチス自身、そう思うが譲れない一線だった。
「ふっ、それは承知している。ここまで来て、あのような戦い方を見せられた男なのだからな」
チューリップ公爵は怒ることもなく、苦笑に近い笑みを浮かべただけにとどまる。
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