第25話

 ロアノーク侯爵家の屋敷に滞在するスターチスの待遇は、本人が驚いたほどよかった。

 野菜と大きな鶏肉団子がたっぷり入ったアツアツのスープ、白くて柔らかい上等なパン、魚の揚げ物、厚切りベーコン、とろけるようなチーズ、さらによく冷えた麦酒やぶどう酒も提供されたのである。

 彼に食事を提供した執事が曰く。


「スターチス殿の行動により、ロアノーク侯爵家の武威には傷がつきました。いい食事を召し上がり、万全な状態で決闘に臨んで下さい。そのあなたをデイジー様が打ち破って初めて、侯爵家の名は回復するのです」


 と語られたスターチスは納得する。

 たしかに万全な状態の彼を破ってこそ、ロアノーク侯爵家の威光を周囲に喧伝できるだろう。

 卑怯な手は使わずに正々堂々と倒すという侯爵家の矜持を、スターチスは信じた。

 やがて決闘の朝が来ると、一人の若い騎士が彼を迎えに来る。


「デイジー様に恥をかかせやがって」


 険しい顔でぼそりと言ったその騎士は、ロアノーク本城が決闘の場だと告げた。

 その目に宿る怒りから、デイジーが若い騎士に慕われることを悟る。


「だが、今日もそれで終わりさ」


 騎士は怒りを殺しきれていない様子だったが、きちんと説明してくれた。


(たぶん、デイジーが俺を殺すと疑っていないんだろうな)


 スターチスは直感する。

 かつて手合わせをした時、彼は相当強かった上に本気を出していなかった。

 死ぬ気で戦って勝算は五割もないのではないか、と思う。

 弱くになっているわけではなく、冷静に己と相手の力量差を再分析している。

 スターチスに勝機があるとすれば、デイジーの方も自身の方が上だと思っている場合だ。


(もっとも、それで油断してくれるような人には見えなかったな)


 さらに言えば今回の決闘騒ぎで彼を利用したため、スターチスに対して当然怒りを抱いているだろう。

 油断したり手加減してくれるとは思えない。

 もっとも、怒りで本来の実力を発揮できない可能性も出てくるのだが、果たして期待していいのだろうか。


(いや、ダメだな)


 挑発などで相手の冷静さを奪って勝つと言うのは、殺し合いならばかまわないだろうが、これはリナリアの名誉を賭けた決闘だ。

 勝つにも勝ち方というものが要求される。

 後ろ指を刺されるような勝ち方では、リナリアの名誉が回復しない。

 暗黙の了解というやつだ。

 騎士の後をついて城まで行くと、そこには多数の群衆が来ている。

 騎士同士の決闘は庶民にとっても娯楽なのだろうが、嫌う必要はない。

 彼らは証人でもあるからだ。

 庭まで行くとロアノーク侯爵、レブン、デイジーらがすでに待機している。

 その周囲には侯爵騎士団と思われる面子がいるのまではスターチスも想定していたのだが、侯爵の近くには見覚えのない男性の顔があった。

 四十代くらいで侯爵に劣らず上等な絹服を着ていて、侯爵本人が丁寧な対応をしている。 

 ロアノーク侯爵が直々にとなると、謎の男性の正体は一気に絞られた。


(もしや中央貴族か?)


 諸侯同士の婚姻、破談、それに伴う決闘ともなれば、宮廷も無視できない案件ということだろうか。

 考えてみればありえない話ではないと分かったが、スターチスはすっかり失念していた。

 いかに自分が冷静でなかったのかと今さら自覚し、内心苦笑する。

 ただ、そのおかげで緊張が多少なりともほぐれたのもたしかだった。


「あれがスターチスとやらですか、侯爵」


「ええ。なかなか気骨ある若者だと言えましょう。主のために単身敵地へ乗り込んできて、命がけで戦おうというのですからな」


 意外なことにロアノーク侯爵は、スターチスのことを高く評価しているらしい。

 帝国との戦いを常に想定しなければならない土地柄を支配しているだけに、誰かのために命をかけるスターチスの姿は、称賛の対象となるのだろうか。

 対戦相手のデイジーはと言うと、いつも通りの鎧姿で気負っているようには見えない。

 決闘そのものは彼も初めてのはずだが、命がかかった戦闘は散々経験してきているからだろう。

 地力でも上、くぐった修羅場の数でもデイジーが上回っている。

 この差をスターチスは何をもって縮めればよいのだろう。


「来たな。よく眠れたか?」


 デイジーはまっすぐな瞳を彼に向けて穏やかに問いかける。


「ええ。侯爵家にはとてもよくしてもらいました。度量の器には感服いたします」


 スターチスの答えはまぎれもない本心であった。

 レブンの顔を見れば穏やかざる気持ちになるが、それを除けばロアノーク侯爵家はとても立派だと思う。

 むしろどうしてこの家からレブンのような輩が生まれ育つことになったのか、と疑問を抱いたほどだ。

 彼の発言を聞いた侯爵は泰然と受け止めたが、隣の中央貴族は感心したようである。


「ほう? 決闘を挑んだ相手のことを冷静に評価する余裕があるとは。本当に彼は平民なのですか?」


 これに答えたのは侯爵ではなく、今回の原因でもある息子の方だった。


「ええ。薄汚い野良犬ですよ。侯爵家には侯爵家の都合があることも分からず、勝てるはずがない相手に戦いを挑んできた、間抜けで身の程知らずな獣です」


 レブンは侮蔑のこもった目つきで、スターチスを嘲弄する。


「たしかにデイジー卿が敗れるとは考えられませんね。以前、帝国の将軍を一騎打ちで討ち取ったこともおありでしたな」


 スターチスにしてみれば今になって聞かされなくとも、という情報が突然出てきた。

 強国の将軍がどれだけ強いのか、そしてそれを一騎打ちで倒したデイジーの実力の底はいかに。


「ええ、自慢の騎士ですよ。サルビアと並んでロアノークの双璧と思っております」


 ロアノーク侯爵は若干頬をゆるめて誇らしげに話す。

 外野をよそに二人の騎士は庭の中央で対峙する。

 彼らの周囲には群衆の包囲網が城壁さながらに展開されていた。

 デイジーが左手を挙げると、騎士たちが規格が異なる長剣をいくつか持ってきてスターチスの前に差し出す。


「手に取ってみて、最も扱いやすそうなものを選ぶといい」


 スターチスはひと通り試してみて、ハンプトン伯爵家の騎士時代に帯剣していたものに一番近いものを選ぶ。

 騎士たちが離れていくと、それとは別に壮年の騎士が前に出てきた。


「これよりハンプトン伯爵家のリナリア姫の名を懸けた決闘を行う。挑みし者はスターチス。迎えし者はデイジー! 審判はこのサルビアである!」


 サルビアが高らかに宣言すると、群衆からは大きな喚声が起こる。


「デイジー様っ!」


「田舎者を殺して!」


「公開処刑! 公開処刑!」


 デイジーへの応援、あるいはスターチスへの罵声が全てで、スターチスを応援しようという者は一人もいない。

 この展開をあらかじめ覚悟していたため、彼は特に気にならなかった。

 むしろリナリアやハンプトン伯爵家がいないところで決闘する展開を、今になって奇妙に思ったくらいである。


「双方、剣をぬけっ!」


 サルビアの声によってデイジーは剣を抜いて中段にかまえ、対してスターチスは剣先を相手から隠すような脇構えを取った。


「……スターチス、それはロアノーク侯爵家が用意した剣だ。私は予想できるぞ」


 脇構えの利点とは武器の長さが相手に悟られないことにあるが、今回にかぎってそれは通用しないとデイジーは忠告する。


「一番戦いやすいのですよ、これが」


「ならば何も言うまい」


 デイジーの親切にスターチスと群衆は感心し、レブンは大きく舌打ちした。


「何をしている、デイジー! その者を殺せ!」


 その怒声をデイジーは聞き流す。

 スターチスの構えは一見すると隙がずいぶんと多いようだが、彼の見立ては違う。


(隙に見えるのは全て罠だな……隙を見せることで攻撃を誘導するのが彼の狙いだろう)


 隙を見せたら危険というのは素人考えにすぎず、敵の攻撃の幅を狭めることができる、というのがデイジーの考えだった。

 一方のスターチスにしても、デイジーの構えにはため息しか出ない。


(隙がまるでない……どこに斬りつけようとダメだろ、これ)


 自然と両者はにらみ合いになる。

 二人がこう着状態に陥った理由を正しく理解しているのは、審判のサルビアと他数名くらいだろう。


「なんで、なんでデイジー様は動かないんだっ!」


 じれったそうな声がいくつもあがる。

 彼らの目にはスターチスが剣術をろくに習ってそうにもない、弱そうな手合いに映っているのだ。

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