第23話

 スターチスは騎士団長であるムベに、自分が書いた辞職願を伯爵に渡してくれるように頼み込む。

 彼の現在の地位では、直接伯爵と会うのは難しいからだ。


「お前が……そうか、一人で戦うつもりか?」


 それなりの付き合いがあったせいか、ムベはスターチスが伯爵家から逃げ出すのではないと察する。

 彼は何も答えずに黙って団長の瞳を見返す。


「決闘の申し込みの仕方は知っているのか?」


「はい」


 他のことであれば沈黙を守っただろうが、こればかりは答えるべきだった。

 この国で貴族に決闘を申し込むのは単純で、決闘状を書いて送り付ければよい。

 受け取りを拒否すれば「決闘から逃げた」という風評が流れ、著しく名を傷つけることになる。

 こればかりはいくらロアノーク侯爵家が大貴族と言えども、どうにもならない。

 そこが狙い目と言うべきか、他に手はないと言うべきか。

 このような単純な仕組みであるのにも関わらずムベが問いかけたのは、書き方に作法があるからだ。

 作法を守っていない決闘状であれば無視してもかまわない。

 礼儀知らずが相手にされないのは当然である。

 スターチスは逃がさないと意気込むが、そもそもロアノーク侯爵家には「逃げる」という発送がないだろう。

 礼儀知らずのハエは無視し、身の程知らずのネズミは踏みつぶす、という方が大貴族の認識に近いはずだ。


「で、手紙配達人に頼むか?」


「いえ、自分で持っていきます」


 スターチスのこの発言にムベは目を丸くする。


「直接殴り込みに行くわけか……」


「体面を気にするロアノーク侯爵家には、その方が効果があるでしょう」


 一介の騎士に過ぎない輩が単身乗り込んできて、決闘状を叩き付けてきたとなると、ロアノーク侯爵家は黙っていられないだろう。


「しかし、ロアノーク侯爵一族の誰かに手渡す必要はあるだろう?」


「それについては秘策ありです」


 スターチスが自信ありげに微笑むと、ムベはそれ以上聞いてこなかった。


「そうか。ならば何も言うまい。……できれば横っ面に一撃、お見舞いしてやって欲しいものだ。これは独り言だぞ」


「心得ております」


 騎士団長の本音に、彼は少しだけ体が軽くなる気持ちになる。

 やはりと言うか、ロアノーク侯爵家の横暴な仕打ちに不満を持つ者はいるのだ。

 騎士団長の部屋を後にし、建物の外に出るとどうしてかリナリアがすごい形相で彼をにらみつけている。

 いつものように派手さはないが、上等な白い絹のドレスも今は痛々しく映えた。

 後ろにレベッカがすまし顔で控えているのは、もはや日常風景である。 


「聞いたわよ。お父様に辞職願を書いたそうね」


 一体どこから漏れたのか。

 スターチスはうめきそうになったが、彼女の情報源になりえるのは一人しかいない。

 何しろ彼は誰にも言わなかったからだ。


「あなたが、あなたが私のところから去っていくの?」


 リナリアの目からは光る粒がこぼれる。

 どれだけ侮辱され、名誉を毀損されても気丈にふるまっていた少女が、肩を震わせていた。


「何もわたくしは悪くないのに、信じてくれないの?」


 少女が怒っていればまだスターチスは反応できただろう。

 だが、このような少女に何を言えばよいのか。

 凍り付いた舌を懸命に彼は動かす。


「そうですね。あなたには愛想が尽きました」


「な、何ですって……」


 従来の彼女であれば目を吊り上げて、激しい炎のような視線を浴びせてくるだろう。

 ところが今の少女は蚊の鳴くような小さな声を出すのがやっとであった。

 レベッカはぴくりと眉を動かしたが、彼の様子から何かを勘付いたのか表情がまた変わる。

 スターチスは彼女に何か言われる前に去ろうと足を動かした。


「やめて。あなたまでいなくならないで」


 弱弱しい少女の声に聞こえないふりを決め込む。


(もし勝ったとしても、もう戻れないかもしれないな)


 傷つき弱った主人に対して、このような仕打ちをしたのだ。

 リナリアは許してくれたとしても、他の者は許してくれないだろう。

 では、一体何のために己は戦いに赴くか。

 もう一人の自分が内から問いかけてきたが、「愚問だ」と言い返す。


(主人を傷つけ泣かせた元凶を斬る。できないならば、主人の汚名をそそぐために戦う。それが騎士のはずだ)


 自分自身に言い聞かせているのは、騎士としての覚悟を固める以外にも理由はある。

 「リナリアを泣かせやがって」という、彼女の幼馴染としての感情を抑え込むためだ。

 強大な敵を相手に感情的になるのは愚の骨頂なのだから。

 ロアノーク侯爵家への道のりは遠い。

 辞職願を出したことによって馬も馬車も使えなくなってしまった今のスターチスでは、なおさら時間がかかってしまう。

 それでも理不尽な仕打ちを受けたリナリアのことを想えば、何ともなかった。

 距離は歩けば縮まるものだし、疲労は休めば回復する。

 だが、心に負った傷はどうすれば癒されるのだろうか。


(俺が一人で戦うのは彼女の名誉を回復する、それだけに過ぎないのだろうか?)


 己のために命を懸けて戦う騎士がいるというのは、貴族にとって立派なステータスだし、彼もその点は理解できるようになっていた。

 リナリアが普通の貴族の女性であれば、彼は自分の行動が正しいと信じ切れたに違いない。

 しかし、彼女は「普通の貴族の女性」とはやや考え方や価値観が異なっているようなきがしてならなかった。

 せめて、彼のこの行動が自分勝手なもので終わらないと思いたい。

 いくつもの街を通り過ぎ、夜空を見上げ、雨露をしのぎながらスターチスはようやくロアノーク侯爵領に入る。

 問題なのはここからであった。

 ムベが指摘したように、決闘状は一族の誰かに手渡すか、そうでなくとも決闘状が渡されたと耳に入るようにしなければならない。

 この点についてスターチスが秘策アリと言ったのは嘘ではないが、後ろめたさのようなものもある。

 今回の件について非があるとは思えぬ人物を巻き込みかねないからだ。

 それでもそうする以外、レブンに彼の決闘状が渡る可能性は低いため、やむを得ないと自分に言い聞かせる。



 スターチスはロアノーク侯爵領ならではの、岩塩をまぶした黒パンやロアノーク羊肉が入ったスープを飲みながら、領主一族の本城を目指す。

 他の貴族であればあるいは戦火に巻き込まれない地に本城を置いたかもしれないが、ロアノーク本城は全領土のうち最も東の州にある。

 帝国領に近いところに腰を下ろし、敵軍を迎え撃つ心がまえの表れだと称する声は多いという。

 本城を作ったのは初代ロアノーク侯爵であるが、移転しないところを見ると当代のロアノーク侯爵も剛毅な武人なのだろうか。

 息子のレブン、そしてリナリアとの縁談の件での対応を考えるかぎりでは、とてもそうは思えないのだが。

 やがて彼はロアノーク侯爵家の本城がある場所へとたどり着く。

 本城は深い堀と高い灰色のレンガの城壁に囲まれていて、籠城を想定して作られたのものだとスターチスもすぐわかる。

 城の大きさがハンプトン伯爵領の本城とほとんど変わらないのはやや意外だったが、防衛を考えるとあまりにも大きいとその分人員が必要となって好ましくないのかもしれない。

 スターチスははね橋を渡って門番に名乗り、デイジーへの取次ぎを依頼する。


「デイジー卿は私のことをご存じのはず」


 最初は不審そうな目を向けていた兵士たちも、堂々と背を伸ばして自信たっぷりに言う彼の姿を見て、「念のため」という気持ちになったようであった。


「分かった。お伝えするからここで待っていろ」


 兵士たちの態度が乱暴なのは、スターチスはハンプトン伯爵家の騎士を辞めてきたと告げたせいである。

 そしてデイジーに勧誘されたことがあり、頼ってきたとも。

 辞めたのはハンプトン伯爵家に迷惑をかけないだけではなく、この言い分に説得力を持たせる効果もあった。


(それにしてもロアノーク侯爵家では、ただの兵士でも鉄の武器を持っているのか)


 スターチスは応対してくれた兵士の装備を見て目を剥く。

 ハンプトン伯爵家ではたとえ本城勤めでも、騎士でなければ鉄以上の金属の武器を持てなかったものだ。

 両家の力の差が如実に表れていると言えるのではないだろうか。

 どれくらい待たされたのか、時計を持たないスターチスには分からない。

 だが、見覚えのある藍色の髪の騎士が息を切らせて駆けてくるのを見た。


「おお、たしかにスターチスだ」


「デイジー卿のお知り合いでしたか」


 デイジーが保証したことにより、兵士たちの態度も変わる。

 その騎士はスターチスに対して複雑そうな視線を向けた。


「よく来てくれたと言いたいところだが……貴公はリナリア様にお仕えしているのではなかったかな」


「辞めてきました。例の件でハンプトン伯爵家に失望しまして」


 兵士たちがぎょっとした顔をしているのは諸侯、それも自身の仕えた家に否定的な意見が飛び出したからであろう。

 スターチスだって本当は言いたくないが、デイジーに疑われてしまうと全てが水泡に帰してしまうのだ。


「その時、デイジー卿のお言葉を思い出したのです」


「たしかに貴公ならば歓迎だ。しかし、それは私個人の話であり、尽力することは約束するが、決定権は侯爵閣下にある。この点はあらかじめ承知しておいてもらいたい」


 デイジーは難しい顔で言う。

 この段階で手のひらを返したのか、とは思わない。

 あの時はリナリアとレブンが結婚することを誰も疑っていなかったのだから。

 侯爵の心証も息子の花嫁の騎士と、息子が縁を切った女に仕えていた騎士とでは大きく異なるに違いない。


「心得ております。侯爵閣下に紹介だけしていただけませんか」


「うむ。貴公に覚悟があるというなら、私はかまわぬ」


 スターチスの言葉にデイジーはうなずいた。


「侯爵閣下はちょうど今から外出なさる予定がある。その時に紹介だけして、審査は後日という形になるだろうな」 


「ありがとうございます」


 神妙に頭を下げる彼に対して、人の好い騎士は苦笑する。


「私にできるのはここまでだ。それに貴公を埋もれさせるのも惜しい。礼には及ばない」


 さわやかな笑顔にスターチスの胸がちくりと痛む。

 もう少し色々と勘ぐってくれれば、罪悪感を抱かずにすんだかもしれないのに……。

 彼の内面など知るはずもなく、デイジーは城内へ通してくれる。

 兵士たちがとがめなかったのは、いざとなってもデイジーが何とかすると思ったからだろう。

 ロアノーク侯爵家が有する騎士の中で一、二を争う実力者が同行している、というのはそれだけで効果がある。

 そのデイジーは親切にも城内について様々な説明をしてくれたのだが、スターチスの耳を素通りしていく。

 彼はとうてい説明を聞く余裕などなかったのだ。

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