第21話

デイジーは上段に、スターチスは中段にかまえる。

 デイジーのものは正当な王国東方の剣技で、スターチスの方は野獣さながらのものだ。

 かまえただけで両者はお互いのことを何となく察する。

 一体いつまでにらみ合っているつもりなのか。

 レブンがいら立って足でトントン地面を鳴らしはじめた時、スターチスがしかけた。

 上からの打ち込みをデイジーは事もなげに止め、がら空きになっている胴体を斬りつける。

 スターチスは反応できず、両膝を地面についた。


「ほら、やはり大したことなかったではないか」


 レブンがあっけない決着に嘲笑を浮かべたが、デイジーは首を横にふる。


「いえ、私の腕はまだしびれています。恐るべき剛剣でした」


 彼が差し出して見せた両腕は、よく見るとけいれんしていた。

 事もなげに受け止めたように見せかけることに成功しただけで、実のところ余裕はなかったのである。

 己の窮状を知らせない術を知っていたからこそできたことだ。


「いずれにせよ、お前の勝ちではないか」


 レブンはじれったそうに言う。

 スターチスを取るに足らない雑魚だと決めつけたいのに、デイジーは一向にそれらしきことを言おうとしない。

 そのことが腹立たしくてならないのだが、デイジーは父から借りたロアノーク侯爵家屈指の騎士である。

 レブンの一存でどうにかできる相手ではなかった。


(剣を受けて腕がしびれたのはいつ以来か……)


 デイジーは己の過去を振り返る。

 剛剣の使い手は少なからずおり、彼らと戦って勝つためにその剣を受け流す技術を磨いたのは、もう遠い日のことだ。

 剛剣を受け流せるようになり、柔の剣を読み切り、いつしかロアノーク侯爵家での地位を確立させた彼が、まさか受け流せない剣を体感する日が来るとは。


「ハンプトン伯爵家のスターチスだったな。貴公の名は覚えておこう。貴公のおかげで私はまだ未熟なのだと思い知ることができた」


 デイジーの発言を聞いて、ロアノーク侯爵家の者からはざわめきが起こる。

 まるでスターチスという若者がデイジーに対して、痛撃を与えたようではないか。


「こちらこそ。私の攻撃をまともに止められたのは、ずいぶんと久しぶりのことです」


 スターチスは胴部の痛みを堪えながら立ち上がり、デイジーを称える。

 これは嘘ではない。

 ムベもオトギも他のハンプトン伯爵家騎士も、誰も彼の剣を受け止めようとはしなくなっていた。

 二人は微笑みを交わし、健闘を称えあう握手をする。

 面白くないのは彼らの主人たちだった。

 自分の騎士の力を誇示しようとしたのにも関わらず不発に終わり、あまつさえさわやかに握手を交わすとは何事だろうか。

 だが、主人たちが己の激情を思うままぶつけるには、色々な要素が邪魔をする。

 レブンはとりつろうような笑みをリナリアへと向けた。


「わがリナリアよ、当初の予定通りに我が茶会に出てもらいたいのだが」


「ええ、そうですね。約束通り、スターチスは連れていけませんわ」


 白々しさすら感じる彼の言葉に対して、彼女は怒りを殺して返す。

 レブンのなれなれしいエスコートに不快感を覚えながら、リナリアは屋敷内に入る。

 彼女にとってスターチスこそが一番の騎士で、今まで疑ったことがない。

 それがああも簡単に負けてしまうとはどういうことなのだろう。


(それともデイジーって、そんなに強いの?)


 ようやくそのことに思い当たる。

 すると何やら腹立たしい気分になってきて、彼女は内心首をかしげた。

 何故、誰に対して腹を立てているのか、自分でもよく分からない。

 屋敷内に入っていく支配階級たちを見届けると、デイジーはスターチスに話しかける。


「リナリア様は貴公が負けるはずないと信じていらっしゃったようだな」


「そうなのでしょうか」


 だとすれば悪いことをしたな、とスターチスは思う。 

 初めはロアノーク侯爵家への遠慮からわざと負けた方がよいかと考えたのだが、それではハンプトン伯爵家の面目に関わると思いなおしたのだ。


「たしかに貴公は素晴らしかったぞ。レブン様とリナリア様の婚姻がすめば、貴公も来ないか?」


「えっ」


 露骨な勧誘にロアノーク侯爵家の面々がもう一度騒ぎ出す。


(いわゆる引き抜きというやつか)


 スターチスはデイジーの発言に目をみはる。

 このご時世、他領の優秀な人材を引き抜きはあまりないが、例外はあった。

 ロアノーク侯爵家のように歴史的敵国と領土が隣接している領地は、小競り合いが絶えないからである。


「さすがにハンプトン伯爵家から引き抜くのはまずいのだが、貴公はリナリア様の騎士だからな。リナリア様と一緒に来るのは慣例の範疇だ」


 他領に嫁いでいく貴族女性の護衛騎士は同性である場合が多いものの、男性騎士を連れて行ってはならないという法などない。

 むしろ他領で妻をめとって家を興し、主人の後ろ盾を新しく築いたという前例は存在している。

 デイジーはおそらくスターチスにも同じことをやらないか、と持ち掛けているのだろう。

 ロアノーク侯爵家が強盛であろうとも、同じ諸侯から人材を引き抜くのはさすがに難しい。

 しかし、今回は波風立てずに実現できる要因が整っている。


「考えさせていただたく存じます」


 スターチスとしてはそう答えるのが精いっぱいだった。

 リナリアに同行してロアノーク侯爵家の一因になる、というのは悪い選択肢ではない。

 ただ、彼女の新婚生活を目の前で見なければならないのか、と思えば目の前に夜のとばりが広がるような気分に陥ってしまう。

 そのような被虐的な趣味はないため、叶うならば遠慮したいところだ。

 しかし、それさえも許されないのが彼の立場である。

 今となってはスターチスの実力を疑う者は、ハンプトン伯爵家の中にはいないが、リナリアの引き立てのおかげだ。

 その主人の望みを拒絶するなど、恩知らずにもほどがある行為であり、騎士の風上にも置けぬという誹りを受けるだろう。

 さらにどうしてリナリアの嫁入りに同行しなかったのかと、勘繰られるかもしれない。


「こやつ、よもやリナリア様に対して身分違いの想いを抱いていたのではないか」


 とでも言われたら、破滅という名の崖の底へ転落してしまいそうだ。

 そこまで行くと彼一人の問題では済まされず、一家にも迷惑がかかるかもしれない。

 心を焼かれるような思いをする覚悟で、ついていくしかないだろう。


(悪いのは俺なのだ)


 スターチスは苦い思いを込めて己を叱る。

 リナリアへの気持ちを封じようとして、封じきれなかった未熟さが余計な雑念を生んだのだと。


「まあ、貴公ほどの実力者をハンプトン伯爵閣下が手放すはずがないか。次期の団長は貴公なのだろう?」


 一体デイジーはどれほど己のことを高く評価しているのか、と彼は目を剥きそうになる。

 スターチスが伯爵家の騎士団長になる未来など、とうていありえないだろう。

 ハンプトン伯爵家の騎士団長になれるのは、爵位持ちの家の出にかぎられるという暗黙の掟がある。


「いいえ、それはありえません」


 スターチスは困惑しつつ、はっきりと否定した。

 彼としてはそうしなければならないのだが、デイジーは目をみはる。


「何だと? ……もしかしてハンプトン伯爵家は実力以外にも要求されるのか?」


 勘がいいとは言えない。

 この国の貴族社会に身を置いていれば、想像するのは難しくないはずだ。

 出自をあまり気にしないロアノーク侯爵家、あるいはこのデイジーという男が少数派だと断言できる。


「はい」


 歯切れの悪いスターチスの答えを聞いたデイジーは、改めて彼を誘う。


「ならば余計に来るべきではないか? ロアノーク侯爵領内は実力が重視されるぞ。実力さえあれば、平民でも貴族と結婚できるどころか、領主一族の婿になった者もいる」


「平民から領主一族の婿に?」


 今度はスターチスが驚く番であった。

 平民と貴族が結婚する例はないわけではない。

 スターチスの兄が商人の娘をもらったように。

 だが、あくまでもそれは平民に近い貴族と金のある平民という関係がほとんど全てであるはずだ。


「そうだ。領主一族の皆様に服従するのであれば、皆平等だと言える。……なにしろ帝国領が近くにあるのだ。実力がある者ならば、いくらでも欲しいというのが実情だ」


 デイジーは少し声を低めて、ロアノーク侯爵家が置かれた状況を説明する。

 しばらくの間平穏が続いているが、帝国はいつ大軍を興して攻めてきても不思議ではない。

 中央に救援を求める使者を出しても、実際に援軍が到着するまでは独力で戦わなければならなかった。

 だからこそ実力がある者は歓迎されるし、領主たるロアノーク侯爵の下で貴族も平民も団結する。


「貴公であればさぞ閣下もお喜びになるであろう。あるいは子爵家の娘を嫁にもらえるかもしれぬぞ」


 デイジーはいかにスターチスを評価したのかを話してくれた。

 その厚意には感謝するしかなかったが、彼としては急に言われても返答に困ってしまう。

 正直にそれを告げると、デイジーは苦笑した。


「それもそうか。すまなかったな」


 ひとまず引き下がってくれたため、スターチスは安堵する。

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