第20話
リナリアを乗せた馬車がやってきたのは、ロアノーク侯爵領の西方フーヴァーという町だった。
ここの丘にロアノーク侯爵家の別宅があり、彼女を歓待するために使われるという。
ハンプトン伯爵家の家紋入りの大きな馬車が、馬に乗った騎士を十名従えて町に入った際、町民たちは跪いて一行を出迎えた。
「先ぶれでも出していたのかしら」
人々の様子を見たリナリアはつぶやいたが、かすかに嫌悪感がある。
彼女とレブンはたしかに婚約したし、結婚に向かって進むために今日やってきたのも本当だが、まだ彼の妻となったわけではない。
それなのにも関わらず人々の手を止めてこのような仰々しい出迎えをさせるとは、レブンは一体何を考えているのだろうか。
(大方、自分の民に対する影響力を見せたいというところかしら)
とリナリアは予想する。
全くもってつまらない男だ。
領主の一族に領民が服従するのは当たり前のことであり、大切なのはどれほど慕われているかではないか、というのが彼女の考え方である。
もっともこれはハンプトン伯爵家の中にも賛同者はいない、彼女個人の意見だったが。
ロアノーク侯爵家の別宅の白亜の壁の前では、使用人らしき男女が左右性別ごとに分かれて行列を作っていた。
一様に頭を下げてリナリアを迎え入れる。
彼女のレブンに対する評価はさらに下がったが、おそらく本人は全く意に介さないだろう。
リナリアが馬車から降りた時、屋敷の門が開いて赤い上等な服を着た、青い髪の若者が姿を見せた。
「おお、我がリナリアよ、よくぞ来てくれた」
若者はかん高い声を出しながら両腕を広げて、喜びを大仰に表現する。
この男こそがレブンなのだろう。
「レブン様、このたびはお招きにあずかりこの上ない栄誉に存じます」
内心とは裏腹にリナリアはスカートの裾をつまんで頭をたれ、淑女らしい礼儀を示す。
彼女がきちんとしないとハンプトン伯爵家の風評に関わるのだから、責任重大であった。
「他人行儀よな。私とそなたの仲ではないか」
レブンは緑色の瞳に不満そうな光を宿しながらこぼす。
諸侯の息子と娘という間柄なのだから、本人の意思とは関係なく家の名を背負うものなのだが、まさかこの男は自覚がないのか。
スターチスは無礼を承知で疑問を抱く。
彼の気持ちを見抜いたはずもないが、レブンはリナリアが連れてきた騎士たちに目を向ける。
「それにしてもさすがは我がリナリアの騎士たちよ。美しい花が多いな」
彼の声にも瞳にも好色な成分が多量に含まれていて、ハンプトン伯爵家関係者の不快感をあおった。
リナリアが妙齢の女性である以上、若い女性が周囲を固めるのは自然の摂理の範疇である。
それを揶揄するどころか、ただ女性としての評価を下すのは侮辱に近い。
誰も態度に出す愚は犯さなかったものの、スターチスはリナリアがレブンに対して手厳しい理由を嫌でも思い知る。
「この者たちは頼もしいのです。レブン様の妻となった際にも、連れて参りたいと存じます」
リナリアが怒りを殺して彼女たちへの信頼を口にすれば、レブンは鷹揚にうなずく。
「知らぬ土地へとやってくる際に、信頼できる者を連れてきたいという心理は当然だな。これほど見事な花たちを毎日見られると言うのならば、こちらから頼みたいくらいだ」
彼自身は気の利いた冗談のつもりであるらしく、愉快そうに笑う。
ハンプトン伯爵の姫君ご一行は、懸命な努力によって愛想笑いを彼に返す。
それに満足したレブンはリナリアの手をとる。
「さあ、我がリナリアよ。私の部屋にいらっしゃい」
平手打ちが出なかったのは、リナリアの短くはない人生において屈指の快挙だったかもしれない。
それほどまでに彼女はおぞましい思いをした。
「レブン様。まことに恐れ入りますが、わたくしも同行させていただきたく存じます」
レベッカが割って入るように声をかけると、レブンは怒りに近い形相になる。
しかし、発言者の美貌に気づいて柔和な笑顔になった。
「ふむ。臣としてはリナリアの側にいたいと思うのは、当然だな。さすがは我がリナリア、主思いの側近を持っている」
褒められたのにも関わらず、アリの触覚の半分ほどもうれしくなれないリナリアだったが、礼の言葉を述べなければならない。
「ありがとうございます。このレベッカは特にわたくしが信頼する者なのですよ」
「ほう。レベッカというのか。美しい名前だな」
ねっとりと絡みつくような声は、二人の女性の背中にはまたしても戦慄が走る。
リナリアは己の発言を激しく後悔したが、一度出た言葉は取り消せない。
「いいだろう。このレベッカとやらも連れてきたまえ。他の者はここで待て。水くらいはくれてやる」
傲然とした態度で告げるレブンに対して、リナリアは確認をする。
「あの、騎士を連れて行くのはダメでしょうか?」
「騎士? そこの美しい騎士たちを二人ほど連れてくるのはかまわぬが。強さで言えば我がロアノーク侯爵家の方がずっと頼りになるぞ?」
レブンは怪訝そうに言い、彼がハンプトン伯爵家の騎士たちには容姿以外の価値を見出していないことを明らかにした。
女性騎士たちは悔しそうに眉を少しだけ動かすものの、相手がいくら何でも悪すぎる。
それにレブン自身はともかく、ロアノーク侯爵家の騎士たちと争うつもりはない。
どこかすまなそうな顔をして様子を見ている彼らも、主の安全や己の名誉のためならば、東を守ると言われる武勇を存分に発揮するだろう。
「どうでしょうか? 一人くらい、そちらの騎士といい勝負できそうな者に心当たりがありますよ」
だからリナリアがこのようなことを言い出した時、ぎょっとした者は多かった。
レベッカがたしなめるような視線を向けたが、それはレブンの笑いにかき消される。
「そうか。そうだな、美しさという点では、我が騎士と同等の者もいるな。ハンプトン伯爵家、あなどりがたしと言ったところか」
彼は頭部の前方を右手で抑えながら、一本取られたと愉快そうに告げた。
おそらく彼は本気でそう思っているのだろう。
ゆえにハンプトン伯爵家側は余計に屈辱を感じるが、レブンがそう受け流してくれた方が嵐は起こらなくてすむ。
「ロアノーク侯爵家で一番強いのはどなたなのでしょう?」
リナリアが懲りずに言うと、レブンは笑いをひっこめた。
「一番は騎士団長のサルビアだろうが、あいにくとここにはいない。二番のデイジーであれば、今日ここに来ている。いないとは思うが我らがめでたい場に、下らぬ横槍を入れてくる者がいないとはかぎらぬということで、父上が貸してくれたのだ」
彼が左手を挙げると後ろに控えていた藍色の髪と赤い瞳を持ち、立派な銀の鎧を身に着けた三十歳くらいの男が前に出てくる。
「このデイジーは十五で騎士団に入り、十七で帝国との戦いで部将を討ち取るという手柄を立てた、我が領屈指の豪の騎士だ。サルビアとて実際のところ勝てるか分からぬ実力者だ」
レブンが得意そうに解説してもデイジーは顔色ひとつ変えず、リナリアに礼をしてからは周囲を警戒していた。
その隙がまるでないたたずまいはたしかに豪傑さながらであり、スターチスはごくりと生唾を飲み込む。
(強くなったからこそ、相手の力量が分かるって本当なんだな)
彼はかつてムベやオトギに言われたことを思い出している。
眼前に立つデイジーはたぶんムベやオトギより、そして彼自身よりも強い。
「こちらはスターチスを出しますわ。スターチス?」
それでもリナリアが望むのであれば応えなければならないのだろう。
彼が彼女の横に立つと、レブンは爆発的な笑い声を立てる。
「我がリナリアはずいぶんと冗談が上手だな。いや、見くびっていてすまなかった」
苦労知らずの侯爵家の次男坊は、ひと目見ただけでスターチスが大したことないと決めつけたのだ。
それに対してデイジーはじっと彼を観察して「いや」とつぶやく。
「私が見たところ、このスターチスという若者は相当なものですぞ。侯爵領騎士団に入っても、十指に入るかもしれませぬ」
「まさか」
デイジーの低くよく通る声での意見を、レブンは笑いを消して半信半疑という顔になった。
一方でリナリアは若干口元をゆるめる。
レブンが信頼を寄せる実力者にスターチスが評価されたことは、彼女にとって慶事であった。
そのため「十指に入る程度か」という不満も抑える。
気に入らないのはレブンであった。
格下であるはずのハンプトン伯爵家に、ロアノーク侯爵家にも通用する人材がいるなど認めたくはない。
自領の自慢と他領の貶めを執拗に繰り返してきたから、横っ面を張られたということを微塵も理解していなかった。
「ではデイジー。ちょっと腕を見てやれ」
「まさかここで? 今日はおめでたい日ですぞ」
さすがにデイジーは目を見張り、レブンを諫めようとする。
「なあに、余興だ。余興。我がリナリアはいかがかな? もしこのデイジーが遅れをとれば、その騎士の同行も認めようではないか?」
彼の高慢な挑戦にリナリアはすかさず乗った。
「いいでしょう。さあ、スターチス行きなさい」
困惑したのはスターチス本人である。
デイジーも似たような表情だ。
騎士たちを置き去りにして、主人同士が盛り上がってしまっている。
それでも彼らは逆らえなかった。
「木刀を持って来い」
デイジーは若手の騎士に命令し、それからスターチスを見る。
「貴公もそれでいいかな?」
彼のことを若輩者とあなどることも軽んじることもない。
そのようなデイジーにスターチスは好感を抱く。
「はい。真剣での戦いは止めておきましょう」
「何だつまらん」
レブンは露骨にがっかりしていたが、やめさせようとはしなかった。
ハンプトン伯爵家の鼻っ柱をへし折ればそれでいいのかもしれない。
こげ茶色の木刀を持って二人の騎士たちは、門をくぐって屋敷の庭へと移動する。
庭はハンプトン伯爵家のものよりもひと回り以上広く、白い石で舗装された道の向こう側には美しい花が咲き誇っていた。
彼らが対峙したのは道を挟んだ反対側の土の上である。
審判はいなかった。
デイジーであれば卑怯な真似はしないだろうとスターチスは信じたし、リナリアは彼のことを信じたのである。
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