第17話
スターチスの夜間警備をやりたいという願い出は、意外とあっさり受け入れられた。
「スターチスがわたくしが眠っている間を守ってくれるというのはいいわね」
というきわどい言い回しでリナリアは認めたのである。
少年は一瞬焦って周囲に視線をくばったが、彼女の言葉が聞こえる位置にいたのはレベッカだけだった。
そのレベッカも困ったものだと額に手を当てている。
彼らは屋敷の庭はでひなたぼっこをしているところであった。
数十歩離れた先には、騎士が何人か待機している。
リナリアが彼とレベッカだけを近くにいるように指示を出したのだ。
その上で先ほどの発言をしたのだから、計算ずくであろう。
現にお姫様はいたずらが成功したことを喜ぶ幼児のような笑顔で、彼ら二人を見ていた。
「まだ未熟者ですが、頑張ります」
スターチスは最も無難と思われる回答をしたが、リナリアはたちまち口をとがらせる。
「もー。わたくしにとってあなたは立派な騎士なのよ? 未熟だからだなんて言葉、聞きたくありません」
これには胸を打たれた。
ただのわがままのようでいて、正規の騎士となった以上は「未熟だから」と言ってはいけないという戒めではないだろうか。
自覚があるのかどうかまでは分からないが、やはりこのお姫様は支配階級の血が流れているのだ。
スターチスは勝手に納得し、一人で感心する。
「失礼いたしました。精いっぱい努めさせていただきます」
「よろしい。腰を下ろすことを許すわ、スターチス」
リナリアは満足そうに言い、己から少し離れた先にある芝生に青い宝石のような目を向けた。
そこに座れということだろう。
スターチスは礼を言ってから腰を下ろす。
「さあ、何か楽しい話をしてちょうだい」
「え、私がですか?」
姫君に言われたスターチスは目を丸くする。
突然そのようなことを言われても、彼は身分の高い女性との会話のタネなど持ち合わせていない。
彼が姫君の無茶ぶりに目を白黒していると、近くにいたレベッカが口を開く。
「リナリア様はきっとあなたがどのように過ごしてきたか、お知りになりたいのでしょうね」
「えっ? ……村での暮らしはもう全部話したような……」
ラバール高原にいる間、毎日のようにやってきてスターチスに話をせがんでいたのがリナリアではないか。
それはレベッカは当然全部知っているはずである。
助け舟とは思えない発言に彼が困惑していると、赤い紙を持った女性はその鈍さを指摘した。
「あなたが騎士団に入ってからの話。まだご存じではないはずでは?」
「あ……」
スターチスは己のうかつさに気づき、ちらりとリナリアの様子をうかがう。
するとそこには初めてラバール高原に来た時と同様、好奇心で目を輝かせている彼女の顔があった。
まだ半年も経っていないはずだが、ずいぶんと遠い日のことのようで懐かしく感じる。
「では、最初、私がいろんな人に怒られた話から」
スターチスは頬をゆるめて、自分の失敗談について語った。
何でもない話を面白おかしく聞かせる技術を身に着けていないが、それでもリナリアは鈴を転がすような声を立てて、コロコロと笑う。
「スターチスは失敗ばかりなのね」
「面目ありません」
ちょっと呆れたお姫様に、頭の後ろに手を当てて謝ると彼女の表情は不意に真剣なものになる。
「もー、あんまり失敗しすぎるとわたくしの恥になるのよ? それ、分かっているのかしら?」
「……はい。まことに申し訳ありません」
直接的な言葉に彼はうなだれてしまう。
面識のなかった領主一族やムベたちの反応から、彼の存在はリナリアを介して知られていることはよく理解できた。
リナリアはわがままであっても、人を悪く言うような性格ではない。
彼女なりにスターチスのよいところを話してくれたのだろう。
たしかにこれから挽回していかなければ、申し訳が立たないところだ。
「分かればいいのよ。騎士の失態を許すのも、主の務めですからね」
リナリアは偉ぶった口調で言う。
言葉遣いや態度にはスターチスが恐れ入るような品があった。
こうして時おり彼女は、自分が上に立つ者であることを証明するようなふるまいをする。
無自覚的のようだから、日ごろ受けている教育の成果であろう。
本人はいろいろと不満が多いらしく、少年も何回か愚痴を聞かされたことはあったが、順調に彼女の血肉となっているようだった。
「レベッカ、スターチスにもあげなさいな」
リナリアはレベッカの近くにあるバケットを見ながら指示を出す。
彼女がお茶を楽しむための食べ物が入っているはずで、これを与えられるのは騎士として名誉に値する。
それだけにレベッカは反対した。
「なりません、リナリア様。それは行き過ぎというものです」
「仕方ないわね……」
リナリアは困ったように眉を動かしたが、おつきの女性からの強いまなざしを浴びてあきらめる。
レベッカが相手では彼女もわがままを言いきれないようだが、スターチスにしてみれば滅多に見られない展開だ。
新鮮な気持ちでいると、じろりと青い宝石のような瞳でにらまれる。
「もう、変な顔しちゃって。失礼なことを考えていない?」
「いませんよ、そんなこと」
彼はリナリアの勘の鋭さに舌を巻きながら、慌てて否定した。
「本当かしら?」
リナリアはじとっとした視線を向けてくる。
この反応は気を許している特別な相手にしか見せない、貴重なものだ。
「本当ですよ」
それを知っている少数の一人、スターチスは苦笑しながら応対する。
彼とレベッカ以外に果たして何人いるのだろうか。
ここで「甘えん坊ですね」と言うと、一気に拗ねてしまうから要注意だ。
「ならいいけど」
リナリアはころりと機嫌を戻して自分の話をはじめたため、スターチスが相槌を打つ側に回る。
大体は習い事に関するもので、不満点が多い。
一言で言えば自由に遊ぶ時間がもっとほしいというものだ。
(避暑の時はずっと遊んでいたような印象だったけど……)
少年は率直な感想を抱いたが、賢明なことに声には出さずにしまう。
もっとも昼過ぎには別荘に帰っていたため、それからやらされていた可能性は高い。
「では、考え方を変えてみてはいかがでしょう? たくさん勉強を頑張れば、後で遊ぶ時間が増えると」
「……それほど簡単にいくかしら?」
スターチスの提案を聞いたリナリアは却下したりしなかったものの、懐疑的な反応を示す。
それから青い宝石のような瞳はちらりとレベッカに向けられる。
「学ばなければならないことを学び終われば、時間に余裕が生まれるのは事実にございます。他の予定が入る可能性は否定できませんが……」
赤い髪の女性は真面目な性格のとおり、できるだけ正確を期した答えを返す。
「むー、そこで新しい予定が入らないように、レベッカは頑張ってくれるの?」
「むろん、私の力ではどうにもならぬことでもないかぎり、手を尽くす所存にございます」
レベッカは信用を勝ち取っている女性だが、あくまでも領主一族の家臣に過ぎない。
領主の強い意向の前では無力であろう。
リナリアも何もそこまで望んでいるわけではなく、ただ彼女が自分の味方になってくれるのかを確認したかっただけだ。
「そうならいいのだけど」
ゆえに彼女ができるかぎり味方すると意思表示したことに満足する。
そして視線をスターチスに戻してから言う。
「当然、スターチスもよ? あなたはわたくしの騎士なのですからね」
異を唱えることなど許さないという高慢な口調だったが、その青い瞳には一抹の不安が見え隠れしている。
気づいたスターチスは主人を安心させようと笑顔を作ってうなずく。
「はい。微力でしょうが、精いっぱい励みます」
特に信頼する二人の答えに彼女は勇気を元気をもらい、笑顔に明るさと力が宿った。
「じゃあ、頑張ってみようかしら」
単純だと笑う者はいない。
彼女のような素直な性格は美点として数えるべきだからだ。
ただ、これはあくまでも従う者から見た基準であるから、血族から見た場合はまた違った意見が出るかもしれないが。
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