第16話

 会食が終わって屋敷に戻った後、リナリアは荒れた。


「もー、マリー姉さまもモクレン兄さまも失礼しちゃう!」


 彼女は自身の寝台の上に勢いよく腰を下ろすという、貴婦人にあるまじきふるまいをする。

 そのような主人をレベッカがなだめた。


「よく分からない者に対して手厳しいのは、貴族としては正しいふるまいですよ」


 彼女は心情的にはリナリアやスターチス寄りなのだが、立場上そうせざるを得ない。


「むー。レベッカはわたくしの味方だと思っていたのに」


 リナリアは青い宝石のような目でおつきの女性を見上げ、甘えるような声を出して口をとがらす。


「お嬢様のお味方だからこそ、こうして申し上げているのです」


 レベッカは冷静な意見とまなざしを送って主人を降参させる。


「……分かったわよ」


 リナリアはしぶしぶといった態で言う。

 彼女のこの言葉を聞いてレベッカは優しく慰めた。


「騎士たちのスターチスの評価は悪いものではないようです。これから期待が持てますよ」


「そうよね! わたくしのスターチスは特別だもの」


 たちまち姫君は機嫌がなおったが、対するレベッカの表情がくもる。


「お嬢様、その"私のスターチス"という表現もはしたないですよ」


「えー」


 不満そうな声をあげた少女の頬あたりに「口うるさい」とはっきり書いてあった。

 煙たがられることは百も承知で苦言を呈しなければならないのが、レベッカの立場である。


「マリーゴールド様やモクレン様に聞かれれば、スターチスの立場が悪くなってしまいますよ。お嬢様にとってそれは不本意でしょう?」


「……ええ、そうね」


 スターチスに迷惑がかかるかもしれないと言われたとたん、リナリアはしゅんとしてしまう。

 彼女はわがままだが、それ以上に友達想いであった。


「彼のことを信じるのも、最後まで信じぬくのもお嬢様の役目ではないでしょうか」


「……うん」


 レベッカの言葉はリナリアの心にするりと入り込む。

 素直な少女の反応を見て、彼女はこっそり胸をなで下ろす。

 姫君の性格を考えれば、一度納得すればもう大丈夫だろう。

 一方、リナリアとレベッカのやりとりなど露知らぬスターチスは、これからのことをオトギから聞かされていた。

 彼らはオトギの私室の椅子に向かい合って腰を下ろしている。

 リナリアの筆頭騎士という立場だからか、オトギの私室はスターチスのものと比べて寝台ふたつ分くらいは広かった。

 家具や調度品も心持ち華やかである。


「リナリア様のご意思を確認しなければならないが、おそらくあの方は君を手元に置きたがるだろう」


 オトギの言葉を聞いて、スターチスもおそらくそうなのだろうなと思う。

 個人的な感情としてはうれしいが、領主の姫と身分の低い騎士という立場を鑑みれば好ましくないのも理解できることだ。

 彼の気持ちを読み取った中年の騎士は苦笑する。


「節度を弁えて分別のある言動をとってもらいたいが、その点を注意してくれるならばかまわない。君の立場ではリナリア姫の要望をすべて退けるのは不可能だろうしね」


「……気をつけます」


 スターチスは他にどう言えばいいのか、と叫びたい気分だった。

 彼の慎ましい態度に満足げにうなずいたオトギは厳めしい表情で言う。


「君は騎士となった以上、リナリア様に対しても駄目なものは駄目だと言えるようにならなければならない。騎士とは時として主人を諫めるべき存在だからだ。君に気をつけてもらいたいのはそちらの方だよ」


「はっ、はい。気をつけます」


 スターチスは年長者の忠告に背筋をピンと伸ばして答える。

 堅苦しいなとオトギは感じたが、軽くていい加減な性格よりもずっといい。


(たしかにリナリア様は見る目があったと言えるな。今のところは)


 とリナリア直属騎士の筆頭として感じた。

 もっとも、スターチスに問題があればレベッカが黙って見過ごしたとも考えられない。

 そういう意味でオトギの前にいる少年は、二人の女性の目を突破したと言えるだろう。

 もちろん、その後に伯爵家の調査があったのは言うまでもない。


「屋敷での注意事項はもう聞いたかな?」


「はい。女性しか立ち入ってはいけない場所や時間帯など。壁にかかっている時計の確認を怠るなとも」


 オトギに聞かれてスターチスはレベッカから注意されたことを思い出す。

 特に言われたのは時計の時刻を確認する習慣をつけることだ。

 これまで彼が時計とは無縁の生活をしていたと知っているからこそであろう。


「ははは。私の実家も決して裕福ではなく、時計を見る習慣などなかった。領主一族の騎士となってから慌てて身に着けたものだ。慣れさえすれば大丈夫だよ」


 少年の言葉ににじみ出たほのかな不安を、オトギは自身の体験を引き合いに出して笑い飛ばす。


「ありがとうございます」


 明るく温かい笑顔と声を見聞きすると、スターチスの不安が払しょくされていく。

 礼を言う時には微笑を浮かべる精神的な余裕さえ生まれていた。


「ひとまず朝起きたら廊下にかかっている時計を見るというところからはじめたらどうだろう? それであれば無理なくはじめられるのではないかな?」


「おお、そうですね。さっそく明日にでもやってみます」


 具体的な助言を聞いたスターチスは表情を輝かせる。

 廊下にかかっている時計であれば、与えられた個室から出てすぐのところにあるし、立ち入り禁止関係とも無関係だ。


「ああ。本来は屋敷の巡回や夜間警備などもやってもらいたいのだが……リナリア様のご意向をうかがわなければならん」


 リナリアが日中スターチスと一緒にいたいと言えばそれが実現する。

 代わりに夜間警備などは他の者の役目になるというわけだ。

 オトギは弱ったような顔で漏らす。


「夜間警備をやっているのが私以外女性のみという現状は、正直なところあまり好ましくはない。領主様のお城の中であり、騎士団本隊が目と鼻の先に常駐していると言ってもな」


 声の大きさからして独り言と解釈するべきであろう。

 領主の本城で城内に住むのは一族とその直属の配下、そしてその家族のみであった。

 さらに近くに他の一族の護衛騎士たちもいるし、騎士団本隊も待機している。

 何かあるかもしれないと本気で考えている者は誰もいないだろう。

 オトギの個人的な意見だと解釈するべきである。

 もっとも、スターチスも自分が夜間警備や肉体労働を買って出るべき立場だと思っていた。

 言い方に気を付けなければ、女性騎士に対する侮辱と誤解されがちな問題なのだが。


「とりあえずミス・レベッカに相談してみようかと思いますが」


 おそらくスターチスであれば、リナリア本人に直接意見を言えるだろうし、彼女も嫌な顔をせずに聞いてくれるに違いない。

 だが、それは主人の厚意につけ込んだ「身の程を弁えぬ行い」に該当する。


「うむ。そうしてくれ。君がやりたがっているとなれば、リナリア様も考慮して下さるかもしれん」


 スターチスの意見だけではあるいは通らないかもしれない。

 その時はレベッカが上手に説得してくれることを期待するしかないだろう。


「では下がれ。今日のところはもう休んでくれてかまわない」


「はい。失礼いたします」


 少年は立ち上がって右手を左胸に当てる礼を行い、部屋を辞去する。

 数歩離れたところで長々と息を吐き出し、同時に緊張の糸がほぐれる気分になった。

 背中にじんわりと汗をかいたため、もう一度湯あみしたいところだが、この時間帯男は浴室には近づけない。

 下手な行動をとると、女性騎士たちの湯あみを覗くつもりなのか、と勘繰られてしまう危険さえある。

 たまたまクリコを見かけたせいで、駄目でも元々と尋ねてみようという気になった。


「ミス・クリコ、少しいいですか?」


「あら、スターチス様。いかがなさいましたか?」


 年上のはずの女性に礼儀正しい対応を取られるのにまだ慣れていないが、彼女の方も仕事である。


「汗をかいてしまったので、濡れた布と下着の替えがあればありがたいのですが」


「かしこまりました。これから用意してお持ちいたしますので、お部屋でお待ち下さいませ」


 急に新しく仕事を増やされたというのにも関わらず、クリコは嫌な顔をせず微笑で応じた。


「ありがとう。世話をかけて申し訳ないです」


 本職のメイドの凄みを感じつつ、頭を下げて礼を言って部屋に戻る。

 クリコはほどなくしてスターチスが頼んだものを持ってきてくれた。


「使い終わりましたら、扉の外に置いておいて下さい。後で受け取りに参りますから」


「重ね重ねありがとう」


 そそくさと立ち去ったのは、職務とは言え若い女性が若い男の私室に滞在するのはあまりよくないからだろう。

 彼女に悪いことをしたと思いながらも、厚意に感謝した。

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