第15話
スターチスが風呂から上がって外に出ると、メイドが二人白い包みを抱えて待機していた。
様子から彼が出てくるのを待っていたらしい。
「スターチス様、お召し物を着替えていただきます」
「あ、うん」
領主一族の会食に立ち会うだけだと言っても、やはりそれなりの服装をしなければならないようだ。
当然全て支給される。
部下によいものを支給できないのは領主としての恥とされるからだ。
スターチスは個室に戻ると、着替えをメイドたちに手伝ってもらう。
単に騎士としての服装らしきものであれば一人で充分であっても、領主一族の会食に立ち会える服装となると、彼の手に余るためメイドたちにやってもらうしかない。
それもまたメイドの仕事の範疇である。
実のところ、屋敷の管理担当、料理担当、着付けなどを担当と、メイドたちはそれぞれ異なる職務を与えられているようだ。
この屋敷に来て間もないスターチスはまだ把握し切れてはいないが、ゆくゆくは彼女たちについても覚えていなければならないだろう。
スターチスは下着になり、そこへ黒いズボンを履かされ白いシャツを着せられる。
さらに左胸に鳥を象った紋章が刻まれた銀色の鎧もまとう。
これこそハンプトン伯爵家の家紋であり、この鎧を身に着けているのはお抱えの騎士のみだ。
軽く身じろぎをするとガチャガチャと金属音が鳴る。
重量も見た目相応にあり、身に着けたまま走ったり戦ったりするのにはたしかに体力が必要だろう。
着付けが終わった彼はリナリアの私室へと向かう。
彼女の部屋は扉からして赤く豪華なもので、ひと目で区別がつく。
男性である彼は部屋の中に入ることは基本的に許されておらず、数歩手前で止まって待機する。
彼以外にはすでに同じ鎧を身に着けた二十代から三十代の女性騎士が四名立っていて、彼と目礼をかわす。
少しの間を置いて五十代と思われる灰色の髪の男性騎士も姿を現し、スターチスを青い目に捉えると灰色の眉を動かした。
この見覚えのない男性騎士こそが、まだ自己紹介をすませていないリナリア直属騎士たちの長であろう。
リナリアの召し替え中はみだりに声や物音を立てないというのが、臣下の礼儀である。
じっと観察されているような視線を浴びせられ、スターチスは居心地の悪い思いをしていた。
太陽が東の空から真上まで登ってくるほどの時間が経過したかのような感覚を彼が抱いたころ、扉が開いてリナリアが出てくる。
彼女は鮮やかな赤色のパーティードレスを身にまとい、首元には大粒のダイヤモンドが輝いていた。
むきだしになった肩の白さがスターチスにはまぶしい。
彼女はまず彼を見て、それから順番に自分を守る騎士たちに視線を移していく。
最後に灰色の髪を持つ男性騎士を見て、桃色の唇を開いた。
「オトギ、スターチスとあいさつしたかしら?」
「いえ、まだにございます。リナリア様」
オトギと呼ばれた男性騎士は、外見通りの低くて渋い声を発する。
「では今からしなさい。この少年がスターチス」
リナリアに名前を呼ばれた少年は騎士としての礼をとり、オトギは黙ってうなずく。
「そしてスターチス、こちらのオトギがわたくしの騎士の筆頭です」
「君の名前はリナリア様より聞いている。よろしくな、スターチス」
オトギはにこりともせず彼に話しかける。
「まだ未熟な若輩者ですが、よろしくお願いいたします。オトギ卿」
スターチスのあいさつはまたしても無言で受け取られた。
「では参ろう」
リナリアが笑顔で言ったため、オトギが歩きはじめる。
騎士たちは慣れたように自分の持ち場についていくが、スターチスはどうすればよいのか分からない。
「スターチスは最後についてきてちょうだい」
そのことに気づいたらしいリナリアが彼に命令を出す。
スターチスはほっとして命令に従う。
リナリアとおつきのレベッカ、周囲には彼を含めて八人の騎士がいる。
領主との会食とは言え、実態は家族の集まりのはずだが、それにしてはやけに物々しいと思う。
もっともこれはスターチスの感覚に過ぎない。
諸侯の勢威とは何名の騎士を雇って従えているかがひとつの指標となる。
だからちょっとした移動でも何人もの騎士を連れていくのは、領主一族の人間としてはごく普通のことなのだ。
ハンプトン伯爵が夫人と住む本棟は、リナリアの屋敷から三軒隣である。
ただ、実際は距離以上の隔たりがあるのが貴族社会というものだ。
屋敷の外見は父と娘のもので大きな差はないものの、中身はだいぶ違う。
領主の勢威を誇示するという理由もかねて、煌びやかな装飾品や豪華な調度品が並べられている。
さらに三十人以上の若いメイドたちが左右に列を作り、リナリアのことを出迎えた。
「ご苦労」
少女は上品な笑みを浮かべ、彼女たちをねぎらう一言を投げて終わる。
彼女たちが出迎えているのはあくまでリナリアのみであり、騎士たちは付属品に過ぎない。
いちいち反応せずに黙って己の主人の後をついていけばよかった。
初めて見る光景の数々にスターチスはポカンと間抜けな顔をさらしそうになったが、その度ギリギリのところで今の自分の立場を思い出す。
いくつもの扉を通り過ぎた先に燕尾服を隙なく着こなす執事たちが二名いて、リナリアのために扉を開いた。
「リナリア様がお着きになりました」
執事の一人が中に声をかける。
「入りなさい」
伯爵の許可を得て彼らは入室した。
部屋の中は赤い敷物が敷かれていて、その上に立派な縦長のテーブルと椅子が置かれている。
銀色の燭台がいくつも並んで室内を明るく照らしていて、何人ものメイドが歩き回っている様子は壮観だった。
領主一族の勢威は散々見せられてきたため、今さらだとスターチスは思う。
心理的に圧倒されそうになる自分にそう言い聞かせた。
騎士たるものいちいち周囲の状況に驚いていては務まらない、と教えられたものである。
伯爵が最上位の席に座り、その左隣に座っている同年代の女性が夫人であろう。
当代ハンプトン伯爵は諸侯としては珍しく、正妻以外の夫人を持っていない。
伯爵は愛妻家だったし結婚してから順調に三男二女が生まれたため、周囲も強くはすすめなかったのだという。
諸侯の婚姻というものは得てして家や領地の派閥や利害が絡んでくるものだ。
現在に満足していて、より家の勢威を強めようとしないのであれば、第二夫人を作らなくてもよい。
もっとも、正妻とは妻たちの中で最も実家の格が高い女性が収まる位置である。
最初の夫人より後から娶った女性の家が格上であれば、正妻の座を譲るのが当然だし、しないのは女性の実家への大いなる侮辱とされるのが貴族社会だ。
ハンプトン伯爵の夫人は現ハノーバ伯爵の妹であるから家柄的には不釣り合いではないが、格上扱いしなければならない女性は少なからずいる。
そして格上の家から妻をもらわなければ妻を複数持つ意味がほぼない。
ハンプトン伯爵は面倒な軋轢を避けたというのが家臣たちの見方であり、同時にこの考えは支持されていた。
領主一族の不和は家臣たちにとっても厄介ごとになるからである。
(やっぱりリナリア様に似ていらっしゃる)
というのが白いドレスを着た夫人を見た、スターチスの率直な感想だ。
貴婦人をじろじろ見るのは無礼に当たるが、瞬きを二回する間くらいであれば問題ない。
伯爵夫人の左側に座り男性がグラジオラスで、かつて父と同様彼が見たことがある。
その左に向かって次男三男と続き、その向かい側にリナリアともう一人見覚えのない、青いドレスを着た美しい少女が座っていた。
彼女が長女のマリーゴールドであろう。
妹のリナリアと比べればややきつそうなまなざしを持っている。
全員が揃ったところで伯爵が左横を見た。
そこに立っていたのは紋章入りの銀色の鎧を着こんだ、銀色の髪を短く綺麗に切り整えた中年男性である。
「ムべが皆様にご報告申し上げます。今年の騎士団入団試験に合格したのは一名のみです」
ムベと名乗った男性の言葉を聞いたスターチスは「あれが騎士団長か」と思う。
実のところ伯爵の警護をしている騎士団長とはこれまで一度も会ったことがなかったのだ。
「スターチス! 皆様にごあいさつ申し上げよ!」
ムベに言われてスターチスは支配階級の視線を浴びながら、前に進み出る。
右手を左胸に当てて左ひざを赤い敷物につき、頭を深々と下げた。
「ご尊顔を拝謁する栄誉を賜りまして、恐悦至極に存じ奉ります。このたび、騎士としての職を賜りましたスターチスと申します」
彼の名乗りを聞いていた面子は「こいつがスターチスか」という表情を半瞬だけ浮かべる。
会ったことのある伯爵やグラジオス以外も、彼に関する情報は持っていたのだ。
領主一族の大切な娘と親しい人間の存在が把握されているのは、当然のことである。
うっすらとスターチスもその点を察したものの、彼から一族に問いかけるなどできるはずがない。
「父様、母様、わたくしの見る目も捨てたものではないでしょう?」
「そうね」
得意そうに話すリナリアに夫人が優しい目を向ける。
「本当に拾い物なのか?」
疑わしそうな声を発したのは、三男だった。
リナリアが口をとがらせて抗議しようと口を開いたが、それよりも早くグラジオスが言う。
「剣の腕は私と父上が実際に見ている。相手がかなり弱かったとは言え、大人数を圧倒する様はなかなかのものであった」
彼の言葉を聞いてようやく三男も信じる気になったらしいが、それでも素直に「そうか」とは言わなかった。
「でも相手はごろつきまがいの平民ばかりだったんだろう?」
侮るような発言にグラジオスは処置なしとばかりに眉をしかめ、リナリアは悔しそうに兄を睨む。
「磨けば光る原石という言葉を知らぬのか。今よいものをよいとしか分からぬようでは、要職を任せられぬぞ」
そこに割って入った声は、伯爵が放ったものであった。
三男は父の意外な言葉に驚き慌て、作り笑いを浮かべる。
「むろん存じております、父上」
場がやや白けた空気になったが、リナリアの姉マリーゴールドが提案した。
「ならば演武でもやってもらえばいいのではなくて? ムベと一緒にやらせれば、実力のほどがはっきりするでしょう」
演武とは二人一組となって行う剣を用いた舞のようなものである。
ゆったりとした動きが中心となるが、実力差があると劣る者が相手の動きについていけなくなり、必ず見苦しい出来になってしまう。
片方に実力者を据えると、もう片方の実力がはっきりと分かるというのが彼女の計算と言える。
「何も今すぐやる必要はない」
伯爵の言葉は取り付く島もない。
「彼はまだ若い。十年後ひとかどの騎士になっていればそれでよい」
「そうですな。十代の若者にムベと競わせるのは酷というもの。必要はないでしょう」
グラジオスも父に賛成したため、マリーゴールドも提案を取り下げるしかなかった。
黙って彼らの会話を聞かされているスターチスは、己の身が強風に晒される木の葉なのではないかとひそかに感じる。
どことなく意地の悪い三男と長女と、公正な伯爵と長男という図式に思えるのは彼の気のせいであろうか。
(マリーゴールド様とモクレン様がお気に召さないのは俺だろうか? それともリナリア様なのか?)
リナリアが気に入らないから、彼女が気に入っているスターチスにも手厳しいのか。
それとも永代騎士の三男とは言え、平民と変わらぬような輩が伯爵の娘と親しくしているという事実が許せないのだろうか。
どちらであれ彼はうかつな言動を取れない。
彼に何か落ち度があれば、即座にリナリアへの攻撃材料に使われるかもしれないからだ。
(それだけは避けなければ)
とスターチスは己を戒める。
貴族の暮らしの華やかさばかりに目が行っていたが、実際はかなり窮屈であるらしい。
領主一族の会食に立ち会った少年はそのような感想を抱いた。
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