第14話

「うーん」


 リナリアは木陰から離れて太陽の光を浴びながら精いっぱい背伸びをする。

 大きな木と日の光と上等な白い絹服を美しい少女という光景は、画家たち喜んで絵にしそうなほどに美しい。

 木の上には人を恐れぬ小鳥たちが華やかなに歌をさえずっている。

 貴族の家の伝統や格式といった見えない重荷を脇に置き、心に栄養を与えてくれそうだった。

 スターチスは他の騎士とともに側にそっと控えているだけだが、リナリアがハイキングとしてこの場所を好んでいる理由が、何となく分かる気がする。


「どう、スターチス? ここに来た感想は?」


 リナリアがスターチスを見上げながら、青い宝石のような瞳で彼の黒い瞳をとらえながら尋ねた。


「とてもよいところですね。肩の荷物を一度置けるような気持ちになれます」


「そうでしょう?」


 屈託のない美少女の笑顔に内心どぎまぎしつつ、彼は黙ってうなずく。

 いつもの彼ならばすでに目を空氏ているところだが、主人の方から目を合わせてきているのに騎士の方から外すわけにはいかない。

 リナリアの笑い声は鳥たちにも負けていないかそれ以上に見事だ。


(俺のひいき目かもしれないけど)


 とスターチスはひそかに思っている。

 口に出すのは恥ずかしかったためこれまでも、そしてこれからも決して言わないだろうが。

 リナリアはとても機嫌よく鼻歌を歌いながら原っぱを散策し、小鳥やリスとたわむれる。

 動物を愛でる貴族の姫君というのは、この国の絵画ではありふれた題材のひとつだ。

 それを肉眼で見られるのはかぎられた人間しかいないため、ある意味で栄誉なことである。

 スターチスはそうとは知らずに己の本分をまっとうしようと集中していた。

 対してリナリアはそのようなことはおかまいなしに、彼に話しかけてくる。


「ねえ、スターチス。この動物の名前は知っているかしら?」


「美しいエメラルドのような色合いから、ツァーリかと思われます」


 姫の問いにスターチスは誠実をもって答えた。

 しかし、彼女は次の問いを投げかけてくる。


「ではあれは?」


「リスの一種ではないでしょうか」


 彼が答えるとさらに問いは続く。


「じゃあこれは?」


 少女のほっそりとした指が示したのは草の一種である。


「申し訳ございません、それは存じません」


 いくらスターチスが田舎育ちだと言っても、一般的に「雑草」とされているものについてまで知らない。

 それでもリナリアの質問は終わらず、彼はようやく姫君の目的は自分に話しかけることそのものなのではないか、という点に思い当たる。

 そっとレベッカの方を見ると、おつきの女性はどう解釈したのか、小さくうなずく。


(リナリア様のお相手を頑張れってことか?)


 彼女の表情も、双子騎士たちの様子もごく自然であるため、これは何かの通過儀礼なのかもしれないと思う。


(それならばあまり彼女たちの目を気にしなくてもいいのか?)


 ほんの一瞬、浮かんだ考えを慌てて扉を閉ざして、心の底に沈める。

 もし仮にそうだとしても、スターチス自身から望んではならないことだ。

 身分の低い者が上位者に対して許可なく馴れ馴れしいふるまいをするのは、それだけで犯罪に相当する。

 領主の一族相手となると、重罪もよいところだ。

 リナリアは内心望んでいるかもしれないが、彼女自身が許可を出すまで待たなければならない。

 彼女たちは特別な何かをしたというわけではなかった。

 リナリアは自然の中でたわむれ、他の面子はそれを見守っていただけである。

 だが、それも彼女には必要なことなのだろうとスターチスは思う。

 貴族の、それも領主一族の姫として生まれたリナリアがどのような重責を担っているのか、彼には想像もつかないことだった。

 たまにはそれを忘れて一人の少女として過ごす時間があってもよいのではないか。

 言葉に出せば身分を超えた僭越となるだろうが、思うくらいならば許されるはずだ。

 太陽が西方へと移動しているのを見て取ったレベッカは、白い小さな懐中時計をとり出して時刻を確認すると、リナリアに声をかける。


「リナリア様、そろそろお時間にございます」


「そう」


 少女は少し残念そうであったものの、まだいるとわがままを言わなかった。

 この後の予定が関係しているのかなと、彼女のわがままぶりを知るスターチスは思う。


「では帰りましょうか。お父様たちをお待たせするわけにはいかないもの」


 仕方なさそうに言えば、女性たちがてきぱきと帰還の準備を行っていく。

 スターチスは彼女たちが作業に集中している間、周囲を見張るのが役目だった。

 もう一人リナリアも何もしないが、これは当然である。

 彼女に労働させないための手足が彼らなのだから。

 先頭を行くのはレナ、その後ろをリナリアとレベッカが横並びになり、後方をアンナとスターチスが固める。

 お姫様の足取りは来る時ほど軽くはない。

 楽しかった時間が終わり、義務の時間が来たことを示唆しているかのようだ。

 その華奢な背中が少し寂しく見えるのは、スターチスの気のせいだろうか。

 屋敷に帰るまでの道中、誰とも遭遇しなかった。

 何も見逃してはならないと目を皿のようにし、全方位に神経をそそぎ続ける。

 出発する時は気にしなかったが、帰る時もまた誰の姿も見ないとなると若干違和感が生まれた。

 もしかするとリナリアと遭遇しないように、配慮されているのかもしれない。

 スターチスは騎士団からそういった情報を聞かされなかったため、護衛を担う騎士は別なのだろうか。


(いや、あれこれ考えすぎか)


 と反省する。

 建物の中ではメイドたちが三名、忙しそうに動き回っている姿が映った。

 まだ会ったことがない者がいるかどうか、ここからでは判断できない。


「スターチスは時間が来れば湯あみをしてもらいます。それまでは部屋で待機していて下さい」


「かしこまりました」


 レベッカの指示を聞いて彼は与えられた個室へと移動する。

 領主とリナリアの会食に参加するのだから、湯あみをして汗を流しておくのは臣下として当然のたしなみだ。

 それまでの時間の過ごし方だが、女性がかなり多いのだから、うかつに動き回ったりしない方がよいだろう。

 部屋の中でも瞑想くらいはできると前向きに考えた。

 どれくらいの時間が経ったか、一人のメイドが彼を呼びに来る。


「スターチス様。湯あみのお時間です」


 扉を叩いて開けたのは、クリコだった。


「ありがとう……」


 つい「ございます」と言いかけ、スターチスはギリギリのところで口を閉ざす。

 もう彼は騎士となったのだから、メイドに対して敬語を使ってはいけない。

 彼ら騎士とメイドの関係は、身分や出自ではなく職業の序列が物を言うのだ。

 もっとも、メイドは主人の周囲に侍って身の回りの世話をするのが仕事のうちだから、主人と接し会話する機会が自然と多い。

 メイドに嫌われてしまうと仕事もやりにくくなるものだ。

 先輩騎士から注意された項目のひとつである。


「そう言えば湯あみの場所ってどこなのだろう?」


 スターチスは自分がどこに何があるのか、把握できていないことに気づいて問う。


「今からご案内いたします。こちらへどうぞ」


 クリコはくすりと笑って先導してくれる。

 横幅のある廊下を右に曲がり、細長い廊下をまっすぐに進んで左に曲がった先に鉄製の扉が姿を見せた。


「あちらが騎士様用の湯あみ室にございます。わたくしどもの案内なく、湯あみをなさらぬようご配慮をよろしくお願いいたします」


「うん、ありがとう」


 風呂を沸かしたり洗ったりするのも、専属の人間がいる。

 彼らの都合を考えないまねは慎んでほしいという願いに、スターチスはうなずく。

 歩きながら「騎士様用」と言われたことを思い出す。

 レナ、アンナたち女性騎士も使うのであれば、たしかに事前に確認しなければならない。

 もし万が一のことがあればと考えるだけで背中が寒くなる。

 鉄製の扉を閉めて中からカギをかけ、服を脱いでいく。

 用意された白い布を手に持って木の引き戸を左へすべらせる。

 丸い木の円状の浴槽の近くに小さな木の桶が置かれていた。

 熱い湯を体に二度かけ、用意されている石けんで体を洗ってからまた湯をかける。


(いい匂いがするな)


 スターチスがこちらの城にやってきて驚かされたことは多々あるが、特に衝撃が大きかったのは「石けん」と「時計」のふたつだ。

 石けんはいかにも体の汚れが落ちている気がするし、いい匂いもする。

 時計は何と言っても現在の時間を知ることができるというのが凄まじい。

 どちらも貧乏騎士には手が届かない代物だから、領主一族から支給されるだけでありがたかった。

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