第13話

 自己紹介がすむとメイドの一人がスターチスを、彼にあてがわれる個室に案内してくれる。

 レベッカがやってくれるのではないかと期待はしていなかったため、失望もなかった。

 何しろ彼女は彼の案内をするにしては身分も現地位も高すぎる。


「こちらをお使いくださいませ」


 栗色の髪を持つまだあどけない少女メイドが部屋の扉を開けて、にこりと微笑みかけた。

 中の部屋はベッドが置かれ、水色のカーテンがかけられたこじんまりとした部屋である。

 寝る以外には使わないのであれば彼にとっては充分だ。


「ありがとう、ミス・クリコ」


 スターチスは自己紹介された時に目の前の少女が名乗った名前をひねり出し、礼を述べる。

 正式に騎士となった手前、以前のような気やすい呼び方を身分のある女性に対してするわけにはいかなくなった。


「朝食はリナリア様が七時に召しあがるので、それより後になります。昼食と夕食は騎士様ですとご一緒に召しあがることがあるかもしれませんが、この屋敷の時は必ず後になります」


 仕える者は主人よりも先に食事を摂らない、主人よりも先に寝ない、主人よりも後に起きない。

 これは騎士団の新人教育の際に教わったことだ。


「承知しております」


 スターチスが答えるとクリコは笑みを絶やさずに桃色の唇を動かす。


「本来ならばスターチス様の仕事はリナリア様が屋敷の外に出る際の護衛ですから、それ以外は自由に過ごしていただいてかまわないのですが……」


「スターチス! スターチス!」


 彼女の声を打ち消すように、リナリアが彼を呼ぶ声が響く。


「やはりスターチス様はお一人の時間が持てないかもしれませんね」


 クリコは気の毒そうに言ったが、その緑の瞳はからかうような色を湛えている。

 彼女の言動から実際のところリナリアとスターチスの関係について、かなり知られているのではないかと懸念を覚えた。

 二人の関係はせいぜい気の合う友達同士止まりで、後ろ暗いところは何もないのだが、初めて会った人まで知っているとなると、奇妙な恥ずかしさがある。


「行ってきます」


 スターチスがクリコに一言断って駆け付けると、レベッカがリナリアをたしなめていた。


「リナリア様、そのように大きな声を出すのは淑女としてはしたのうございますよ。何のために我々がいるのですか」


「むー」


 リナリアは不満そうだったが、反論はしない。

 己の方に非があるという自覚はしているのだろう。

 彼女の青い宝石のような瞳がスターチスを捉えた時、彼女の顔に太陽の輝きが生まれる。


「おお、来たわね、スターチス」


「はっ、お召しにより参上いたしました」


 スターチスが胸に手を当てて頭を下げると、彼女は再び不満そうに口をとがらせた。


「堅苦しすぎる。クビ!」


「えっ?」


 いきなり解雇を宣言されたとなれば、スターチスでなくとも思わず主人の顔を凝視するという、無礼な行為を働いてしまっただろう。

 だからこそレベッカたちも彼のことを咎めなかった。


「撤回してほしければ、もうちょっと気やすい言葉を使いなさい。少なくともここではね」


「……それはご命令なのでしょうか?」


 スターチスがおそるおそる尋ねると即座に答えが返ってくる。


「命令よ。従うの? それとも背いて解雇になる?」


「従います」


 リナリア直々の命令となれば彼に拒否する権利などない。

 レベッカが額に手を当てて苦い顔をしている気持ちはとてもよく分かるが、もはや彼らにはどうすることもできなかった。


「それでいいのよ」


 スターチスの即答を聞いた姫君は、満足そうに破顔する。

 理不尽な命令を出された後でも、このとても美しい顔を見れば許せてしまう。


「ではさっそく命じるわ。今日、これから外出するからついてきなさい?」


 リナリアの命令をレベッカが補足する。


「これからリナリア様はハイキングに出発します。その警護をアンナ、レナとともにしなさい」


「かしこまりました」


 初仕事だと大いに張り切りそうになる内なる自分の気持ちをなだめ、冷静な声を放つ。

 いきなりと言えばいきなりだが、身分の低い騎士一人のために伯爵の姫君の予定が変更されるはずもなかった。


「夕方に帰ってくれば残りの面子とも顔を合わせるでしょうから、その時に紹介の続きをしましょう。それがすめば領主様のお屋敷に赴いて、ご家族での会食となります」


「そうそう、今日のお父様との会食にはスターチスも来なさい」


 レベッカが予定を大ざっぱに語ると、リナリアが新しく命令を出す。

 これにスターチスはぎょっとなったものの、他の女性たちの表情はまるで変化がない。

 おかげで彼も姫の突然の思いつきではなく、事前の予定だったことを察する。


「かしこまりました」


 返答をしながらも緊張で顔がこわばるのを自覚した。

 本人がそうだったのだから、リナリアが気づくのも訳のないことだったのだろう。


「そんなに心配しなくても、今日は顔を合わせるだけよ?」


 年下の少女にくすりと笑われて、スターチスはカッと全身が熱くなるような気がする。


「彼はまだ不慣れですから致し方ないことかと存じます」


 レベッカが横から擁護してくれたのも何だか申し訳なかった。


「ふふ、これから慣れていけばいいのよ」


 リナリアはもう一度笑う。

 彼女にスターチスを嘲るような意図はなく、励ましているつもりなのだ。

 もちろん彼自身、彼女の人となりはおよそ理解できている。

 貴族のお姫様らしい無邪気なわがままを言うことはあるが、人を見下したりするような人物ではないということも。


「ありがたく存じます」


 彼女の気持ちはどうあれ、対外的に彼女は主人として度量の広さを示したことになり、スターチスの立場としては礼を述べなければならない。

 気やすい言葉遣いを要求したリナリアもこれはわきまえていて、黙ってうなずいて受け取る。

 そのかたわらでレベッカは残るメイドたちと騎士たちに指示を出していく。

 屋敷内のことを取り仕切っているのは、どうやら彼女のようであった。

 指示が終わったころ、メイドの一人が水色の布をかぶせた大きな木のかごを持ってくる。


「リナリア様、レベッカ様、お待たせいたしまして申し訳ございません」


「いいわよ。ご苦労様」


 レベッカが受け取るのを横目にリナリアは、メイドを叱らずに笑顔でねぎらいの言葉をかけた。

 メイドたちは安堵半分、嬉しさ半分といった表情で頭を下げる。

 まずアンナが扉を開けて待ち、レナが外に出た。

 続いてレベッカとリナリアが扉に向かい、レベッカがスターチスについてくるように目で合図をする。

 最後となった彼が扉を閉めると、アンナが今度を門扉を開けて主人を待っていた。

 どうやら彼女が先頭に立ち、扉を開ける役目を負っているらしい。


(となると俺は反対に最後尾を守って、扉を閉める役目か)


 いちいち説明されなかったのはそれくらい察しろということか、新入りの役目は決まっているのか。

 どちらにしてもスターチスのリナリア専属騎士としての仕事は、今から始まった。

 胸が躍るということはなくとも、春の日差しに照らされるようなほんわかしたとした気分になっている。

 恐らくはリナリアが結婚して嫁に行くまでの長くない間であろうが、大過なく続いて欲しいと願う。

 ハイキングと言っても城からあまり離れていない、草原に生えた大きな樹木のところまで歩いていくだけだ。

 わずか数人の騎士しか連れず、それ以上遠い所へ行くのはなかなか難しい。


(あれ、じゃあラバール高原に来ていた時は?)


 レナから大まかな説明を受けたスターチスはひとつの疑問を抱く。

 リナリアが本城へと帰ったあの日以外、騎士の人影を見た覚えがなかったのだが、スターチスに気づかれないところで待機していたのだろうか。

 彼は思い切ってレナに尋ねてみる。

 彼とリナリアの関係をある程度把握されてしまっていると確信を抱いたからだ。


「ああ、あれはあなたが知らないだけで、六人以上の騎士がいたはずよ。それにアストロ殿の土地付近だったから、その程度の人数ですんだのよ」


 アストロとハンプトン伯爵は実のところ面識はある。

 永代騎士は地位を受け継ぐ際、必ず主家の現当主の承認を得なければならないからだ。

 アストロの治める土地は治安もよく、危険も少ないと部下たちの調べによって分かっている。

 領主一家の避暑地として選ばれるくらいだから、下調べがされているのは当然のことだ。


「なるほど……父から領主様の話は一度も聞かされたことはありませんでしたね」


「あなたは騎士を継げない立場だったからじゃない? もっとも、自力で獲得したわけだけど」


 たしかに騎士を継げない立場で聞かされても、何にもならなかっただろう。

 叙任式などの話をしてもらえたのは、彼がリナリアの騎士を目指すと知ってからのはずだ。


(父上なりの配慮だったということか)


 と理解して納得する。 

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