第12話

 光陰矢の如し。

 スターチスは無事新入団員の基礎訓練の工程を終了し、リナリアの望み通りに専属騎士となることが決まり、今日これから就任のあいさつに行く。


「これからリナリア様にあいさつに行くのか、うらやましいな」


 そう言ったのは四つ上の先輩騎士だ。

 領主の一族の専属に取り立てられるのは騎士として名誉だし給料も少しあがる。


「当然と言えば当然かもな。スターチスはすでに騎士団で上位に入る強さだし」


「本当にな。こいつがまだ十代半ばだなんて、とても信じられないよ」


 それでも嫉妬されないだけのものを見せられたのか、先輩たちの反応は好意的だった。


「リナリア様の直属騎士はお前ともう一人以外、女性しかいないはずだからちょっとうらやましいな」


 と言い出したのは去年入団した男である。

 彼は常日頃から女のことしか頭にないような男で、スターチスはよく入団できたなと若干思っていた。


「女性が多いからいいって馬鹿な奴だな。リナリア様直属の騎士は親が爵位持ちなんだぞ。側近のレベッカ様だってそうだ。言っちゃ悪いが、貧乏騎士の家の男が入ったところで苦労するだけだろう」


 うち一人が否定的なことを口にする。


(それがあるんだよなあ)


 もっともスターチス自身は共感できる上に、ひそかに不安を抱いている点だった。

 リナリアの周囲を固める人物は、全員がそれなりの親を持っている。

 彼の父アストロも領地を与えられている永代騎士だが、さすがに爵位持ちと比べるのは分が悪すぎた。

 レベッカとは面識があり、リナリアとの仲が良いかぎりは信頼できる味方でいてくれるだろうから、まだマシかもしれない。


「では行ってきます」


 スターチスは同僚たちに別れを告げた。

 専属騎士はよほどのことがないかぎり主人と行動を共にするようになるため、まずは住む場所が騎士団の宿舎から領主一族が住む城内で最も大きな白い建物に移る。

 必要なものは全て主人が改めて用意してくれるということで、彼は身ひとつだった。

 外に出てみると太陽がまぶしく彼を照らす。

 北の方に行くとこの時期は寒くなる領地もあるようだが、ハンプトン伯爵領は基本的に夏以外は涼しい時期がほとんどである。

 建物の入り口付近まで進むと、レベッカが若い女性騎士二人とともに立っていることに気付く。

 誰を待っているのかを察したスターチスは、慌てて彼女たちに駆け寄る。


「も、申しわけありません。お待たせしました」


「問題はありませんよ。さほど待たされていないですし、気にしないように」


 久しぶりに顔を見たレベッカは、懐かしい声で優しく言ってから悪戯っぽい光を赤い瞳に宿す。


「もっとも私たちはの話であり、リナリア様は違いますけどね」


 うあああ、とスターチスは叫びたくなる。

 リナリアが首を長くして彼の到着を待っている様子は容易に想像できてしまう。

 若い女性騎士たちは同じ栗色の髪を持ち、そっくりな顔立ちをしていて、興味深そうに青と緑の瞳を彼に向けていた。

 数舜後、二人同時に咳払いをしてレベッカをうながす。


「おっと、紹介しなければいけませんね」


 催促されたのに悪びれるそぶりも見せず、レベッカは騎士たちを紹介する。


「双子の姉妹騎士、アンナとレナです」


「アンナです。お願いするわね」


「レナよ。よろしくね」


 左側の青の瞳の女性がアンナで緑の瞳がレナというようだ。


「スターチスです。よろしくお願いします」


 スターチスがあいさつをすると、双子の騎士たちはからかうように微笑する。


「あなたの話は幾度となく姫様から聞いているわよ」


「そうね。スターチスという子がどれくらい遊んでくれたとか、自分のために騎士を目指してくれるとか。姫さまったら、そんな話ばかりですもの」


「あ、はい……」


 いきなりそのような話を聞かされてしまった少年は、恥ずかしさのあまり身が縮むようだった。

 自分との関係は秘密ではないのかとふと思った彼は、確認するようにレベッカに黒い瞳を向ける。

 赤い髪と瞳を持つリナリアと彼のことをよく知る女性は淡々と答えた。


「主人の秘密を他言する愚か者は、専属騎士など務まりません。この子たちの口の堅さは信用しても大丈夫ですよ」


 レベッカが保証するのならば大丈夫だろう。

 どうして双子がスターチスには喋るのかと言えば、彼が当事者だからということになる。


「さて待ちくたびれた姫様の機嫌が悪化してしまう、なんてことがないように参りましょう」


 レベッカは三人に声をかけて最初に門を超えた。

 スターチスの家の五軒分くらいに匹敵する眼前の建物こそが、リナリアに与えられた「部屋」である。

 ぴかぴかの鉄製の引き戸を開けて中に入った彼の目にまず移ったのは、立派な赤い花が活けられた水色の花瓶だった。

 続いて花と同じ色をした高そうな敷物、壁にかけられた水辺にたたずむ若い女性の絵が目に触れる。

 これまでスターチスが見て来た質素で殺風景な建物とは違い、華やかで女性的な物が並んでいた。


(さすが貴族の姫君の家か)


 どれかひとつだけに絞っても、スターチスの一か月分の俸給よりも高いのではないだろうか。


「これ、どこを見ておるか、スターチス」


 不意にややあどけない、久しぶりに聞く少女の声が彼の耳朶を打つ。

 スターチスは慌てて礼儀をする。

 以前のように両手と両膝をつくものではなく、右手でにぎり拳を作って左胸に手を当てて頭を下げる、騎士のスタイルだ。


「お久しぶりでございます、リナリア様」


 彼があいさつを見て聞いたリナリアは一瞬硬直する。

 そして次の瞬間、笑い声を爆発させた。


「ふふふふ、に、似合っていないわよ、スターチス。わたくしを笑わせに参ったのか」


 実に彼女らしい反応だと思うが、久しぶりに会って最初にこれかという気持ちもある。

 ただ、周囲にはメイドや騎士が合計十人ほど、いずれも若い女性たちがいるため抗議などできるはずがない。

 彼女たちはリナリアの横と背後に半円状に並んでいて、メイドたちは紺色のメイド服、騎士たちは銀色の鎧に黒いズボンという統一された格好をしている。


「姫様。さすがにスターチスが気の毒でしょう。彼は騎士になってまだ数か月なのですよ。ぎこちないところがあっても仕方ございません」


 見かねたレベッカがスターチスの肩を持つ。


「ふふふ、そういうことを言っているのじゃないのよ」


 リナリアは目尻に浮かんだ涙を指先でぬぐう。


「まあいいわ。スターチス、跪いてわたくしに剣を捧げなさい。そのために来たのよね?」


 彼女の命令を聞いたスターチスはうなずいて剣を抜いてかざす。


「我が剣はリナリア姫の御身を守るために。我が剣はリナリア姫の危難を打ち払うために。もしこの誓いが破られし時、この剣で首を刎ねられることを母なる地におわす貴き乙女アシュトレに誓います」


 誓いの言葉を述べると跪き、リナリアに剣を差し出した。

 リナリアはそれを受け取ると、スターチスの首に剣を当てる。


「汝の誓い、このリナリアはたしかに受け取りました。汝の剣は我が刃、汝の身は我が盾に。これから励みなさい、スターチス」


 剣を捧げられた少女は返しの句を告げると、彼に剣を返す。


「これからよろしくお願いいたします」


「こちらこそ」


 少年と少女は微笑みを交わし合った。

 もしもリナリアが王族でスターチスの身分がもっと高ければ、立派な教会や儀式場を借りて大勢の人々の前で厳かに式が行われただろう。

 だが、リナリアがいくら諸侯の姫君と言っても伯爵の娘にすぎず、王族のような格調が高い式を開ける立場ではないのだった。

 当事者二人はそれについて不満などなく、お互いの願望が成就したことを無邪気に喜んでいる。

 すぐ近くにレベッカを筆頭とする直属の女性達がいるという状況でもなければ、手を取り合っていたかもしれない。

 そのレベッカは咳ばらいをして、彼らを二人だけの世界から引き戻す。


「スターチスにはこれから覚えてもらわなければならないことが色々あります。手始めにこの屋敷で過ごす者たちの顔と名前、あなたのここでの暮らし方からです」


「はい、よろしくお願いいたします」


 スターチスは彼女に礼を言う。

 リナリアの近くに騎士だけではなく、メイドたちも来ているのは自己紹介の必要があったからに違いない。

 いずれも若く美しく、スターチスが知っている村の女性よりも気品がただよっている女性ばかりだ。

 華やかな女所帯でうらやましいと言われたこともあるが、彼にしてみれば緊張の方がずっと上回る。

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