第11話
スターチスは大喜びする両親とセチアの両親の尽力で楽しいひと時を過ごし、ブリズベン城へと向かう。
彼が領主の城を見るのは生まれて初めてで、その壮大な威容に言葉を失った。
白い頑丈そうな外壁がはるか高くそびえ、見張り塔が遠くを監視する。
壁の手前には大きな堀があって水が侵入者の行く手を阻み、跳ね橋が下りないと自由に出入りはできそうにない。
(もしかしてラバール高原並みに大きいのでは)
と騎士見習いになりたての少年は思う。
「このお城の中にいるのですか?」
おろされた跳ね橋を渡りながら、スターチスは隣を歩く先輩騎士にたずねる。
「ああ。我らの駐屯所はこの城の中に四か所ある。見習いのうちから覚える必要はないが、リナリア姫のおつき騎士となるつもりであれば、どこに何があるのか把握しておかなければなるまい」
先輩騎士の言葉を聞いて彼は若干不安になった。
方向や建物に関する記憶力はよい方であろうが、これだけ広大で建物が多い場所での生活は経験したことがない。
まるでひとつの町がまるごと入っているようなのである。
「心配そうな顔をするな」
先輩騎士は少年見習いの表情を読んで笑う。
「嫌でも覚えられるさ。二度と忘れられないように、その体に刻み込むのだからな」
思わず「うへえ」と声を漏らしそうになったが、何とか堪える。
騎士団の訓練は厳しいと父に散々脅かされたせいかもしれない。
「他にも礼儀作法も覚えてもらうぞ。リナリア様の騎士となるならば、必須だ」
「はい」
その点については覚悟していたため、スターチスは素直に返事をする。
「いい返事だ。ではすぐにでもしごいてやろう」
領主一族に報告しなくてもよいのかなと彼は思ったが、口にするのはためらわれた。
本当にすぐに特訓がはじまったのである。
スターチスが最初にやらされたのは体力作りだ。
騎士は領主から支給された鎧を身につけて行動する。
鉄の塊を背負った状態で疾走するくらいはできなければならないとのことだ。
太陽が真上から西に移動し、空が茜色に染まると休憩と夕食をはさみ、勉強の時間になる。
騎士は文字の読み書きができなければならないし、礼儀作法も知っておかなければならない。
至らないところがあれば全て主家の不名誉となって返ってくる。
十日ほど繰り返されると、やがて貴族の慣習についても教わるようになった。
「王家の下に公爵、侯爵、伯爵、子爵、男爵がいる。公爵から伯爵は王家から領地の運営する権利と軍事権を与えられていて、諸侯とも呼ぶ」
スターチスにとって特に衝撃的だったのは、絶大な力と富を持っているとしか思えないハンプトン伯爵家は、諸侯という枠組においては一番下の層にすぎなかった点である。
(領主様と同等以上の家しかないとか……貴族って怖い)
背中に冷や汗をかく少年に教師役を買って出た騎士は告げた。
「子爵、男爵というのは王家や諸侯に仕える立場にある貴族のことだ。王家の側近が子爵だったりするし、公爵家と言えども軽んじられないからややこしいのだが、まあこれは我々には関係ない」
たしかに王家や王家の側近がハンプトン伯爵領に関係があるとは思えないとスターチスも感じる。
諸侯である伯爵はそうもいかないだろうが、彼にしてみれば天上の世界の話だ。
「そして騎士という地位だ。王家直属の騎士と我々諸侯の騎士がいるし、永代騎士と一代騎士の二つの種類がある。貴様は永代騎士アストロの息子なのだから、多少の知識はあるだろう?」
「はい、永代騎士と一代騎士の違いは存じております」
スターチスは応じる。
永代騎士は主君のため何らかの手柄を立てた者が土地を与えられ、子孫に土地と地位の継承する権利を永続的に保証してもらえるのだ。
これは騎士ではないただの平民でもいきなり取り立てられる場合がある。
あくまでも当時の王家や諸侯の判断次第だ。
一方の一代騎士は今回のスターチスのように試験に合格した者、あるいは永代騎士となるには及ばないもののそれなりの功績をあげたと認められた者に与えられる。
土地を与えられない代わりに俸給が支払われるし、退職後ならば年金、殉職した場合は遺族に恩給が払われる手厚い制度で、多くの平民が騎士採用試験に応募する理由だ。
永代騎士と一代騎士ではどちらが裕福なのかという点は判断が難しいが、子孫への譲渡権があるかどうかが決定的な差である。
「うむ、まあとりあえずはその認識でいいだろう」
先輩騎士は及第点を与えてくれた。
だが、これで話は終わりではない。
「次に騎士の仕事についてだ。現在、我が国は他国との関係は良好だ。安心していいわけではないが、急速に関係が険悪化して戦争に突入する可能性は低い。つまり我々の仕事は伯爵家の皆様の警護と治安維持が中心となっている」
武装した騎士が睨みを利かせているだけで、邪心を抱く悪党どもに対して効果あるという。
「抑止力というやつだな。ハンプトン伯爵領内で犯罪発生数が少ないのはもちろん伯爵閣下の治世のおかげだが、我らが目を光らせているからでもある。その誇りと責任感を貴様も持たなければならない」
「はい」
たしかに何かあると迅速に騎士団が駆けつけてくれるし、「騎士団に知らせるぞ」という言葉の類はスターチスも幾度となく耳にしたことがある。
「それからだ」
という先輩の言葉に「まだあるのか」という気持ちがほんの半瞬浮かぶが、すぐに心の奥底に沈めた。
先輩だって貴重な時間を使い、自身の知識や経験を彼に教えてくれている。
ありがたく教わるのが礼儀というものだろう。
「貴様には無縁だと思うが、伯爵家の皆様のおつきになるのであれば知っておいた方がよいことがある」
「はい」
若干神妙になった先輩騎士の表情を見てスターチスは不吉な予感がしたが、彼に聞かないという選択肢は存在していない。
「貴族には決闘があると知っているか?」
「はい。存在だけですが」
具体的なことは何も知らないというスターチスの答えを聞いた先輩騎士は、「ふむ」とつぶやいてから言う。
「ならば教えておこう。決闘とは王家とアシュトレの名の下に行われる、貴族同士の争いだ。基本的に勝った方の要求が通ることになる。他には傷つけられた名誉を回復するという例がある。自分を侮辱した相手に決闘で勝ってこそ、貴族の名誉は回復すると考えている方々は決して少なくはないのだ」
「……ひょっとして我々の役目は?」
貴族同士の争いと騎士を結び付けたスターチスは、まっさきにあることを思いつく。
「おそらく正解だ。我々騎士が貴族の代わりに戦う。主の名誉のために。汚名をそそぐために、時として我らが決闘を申し込まなければならない」
やはりかと彼は思う。
主人の名誉のために戦うのも騎士の本分と言われると奇妙に納得できる。
「もっとも、諸侯を侮辱できる者など諸侯くらいしかいないし、諸侯同士の決闘は建国以来、片手で数えられるほどしか行われていないのだ。私がハンプトン伯爵家にお仕えして二十年ほど経っているが、一度も決闘はなかった。先輩や団長たちから聞かされたこともない。貴様も念のために記憶の片すみにとどめておけば、それでよいだろうな」
「ありがとうございます」
お礼を言うスターチスに、先輩は笑いかけた。
「姫のために戦うのは男のロマンかもしれないが、現実は単純ではないということだな」
気さくな表情に彼もつられて笑う。
リナリアのために戦う機会がないのはほんの少しだけ残念かもしれないが、あの無邪気な姫君にそのような事態に巻き込まれないというのは、とても素晴らしいことであった。
(あの子の泣き顔なんて見たくないもんな)
と純粋に思う。
言葉にするには照れくさく、そして恐れ多いために己の胸に秘めているが。
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