第10話
スターチスが突出した強さは伯爵一家にも衝撃的だったらしく感情が抜け落ちているが、リナリアだけは嬉しそうに頬をゆるめている。
そのことに少年は気づいたものの、他人の目をはばかって気づかないふりをした。
「名を聞いておこうか」
伯爵が言えばモリーがスターチスに話しかける。
「伯爵閣下がそなたの名前を知りたがっていらっしゃる。謹んで申し上げよ」
「ラバール市のスターチスと申します」
彼はモリーに向かって応えた。
伯爵から許可が出ていない以上、彼が伯爵に直接返事をするような真似はできない。
「スターチスか」
伯爵の反応は単純ではなかった。
レベッカから聞かされていたのだから当然なのだが、スターチスはそれを知らないため怪訝に思う。
「まあよい。貴様をハンプトン伯爵家の騎士と認めよう」
「伯爵閣下にお礼を申し上げよ」
モリーが言って初めて彼は礼を述べる。
「叙任式は終わり、スターチスは騎士として認められた」
というモリーの言葉にスターチスは驚く。
騎士になるためには叙任式を行わなければならないと、経験者である父アストロから聞かされていたのだが、このように簡単すぎるものだとは知らなかったのだ。
大体彼らの背後にはスターチスに敗れた者たちが放置されている。
試験に合格できなかった平民など知らぬ、という意識がにじみ出ているとしか思えなかった。
「おめでとう、スターチス」
リナリアが喜色あふれる声をかけてくれたが、たちまち父と兄からにらまれる。
「リナリア。慎みなさい」
伯爵の威厳ある言葉を聞いても彼女はひるんだりしなかった。
「でもお父様。スターチスが合格した時はわたくしの騎士にしてもよいと約束してくださったでしょう。お父様ともあろうお方が、約束を破るのですか?」
「そういうことを言っておるのではない」
不平そうに口を尖らせる娘に対して、伯爵は困ったそぶりを見せる。
どちらの方が強いのかスターチスの目にも明確だった。
「では決まりですね?」
リナリアの言葉に伯爵は仕方なさそうにうなずく。
たちまち彼女は黄金の笑顔を浮かべて、跪いている少年に向きなおる。
「このリナリアが命じるわ。立ちなさい、スターチス」
「はっ」
姫君直々の命令となると彼は従うしかない。
他の領主一族が止めるならば別だが、誰も止めなかった。
「よく勝ち残りました。わたくしの見る目は正しかったわ」
我がことのように誇らしげな美しい少女の顔を見ると、スターチスもうれしくなる。
しかし、非常に残念なことに今彼らは二人きりではなく、少年は貴婦人に対する礼節を可能なかぎり守らなければならなかった。
「勿体ない言葉、ありがたき幸せ。臣スターチス、生涯の宝といたします」
スターチスの礼儀まみれの言葉を聞いたリナリアは、一瞬不愉快そうに眉を動かす。
ただ、さすがの彼女も父と兄がいるところで彼に馴れ馴れしい態度を許したりはしなかった。
「では明日からわたくしに仕えなさい」
明日?
スターチスは一瞬耳を疑ったが、リナリアのわがままは別に今さらだと思いなおす。
二人きりの時であれば無理なものは無理と言ってもよかったが、この状況では従うしかない。
「リナリア様。明日はさすがに性急すぎましょう。七日後が適当かと存じまする」
幸いなことにモリーがたしなめてくれた。
「あら、そういうものなの。では七日後にわたくしの下に来なさい」
リナリアはあっさり前言をひるがえしたと思えば、すぐに新しい無茶を言い出す。
今度はグラジオラスが割って入る。
「そういうわけにはいかぬぞ、リナリアよ。新しく騎士として取り立てられた者は、必ず新入り用の訓練を受けなければならぬ。それを経て初めて我らに仕える資格がある騎士が誕生するのだ」
「では、スターチスはいつわたくしの騎士になるのですか?」
リナリアは拗ねたように口を尖らせた。
彼女だから許されているふるまいだと、何となくだがスターチスにも伝わってくる。
「団長の報告次第だが、百日くらいは待て。適性なしと思われる者をそなたの直属にはできぬ」
伯爵がきっぱりと言うと、彼女は不満そうに黙り込む。
さすがに領主の言葉には容易に逆らえないらしい。
リナリアはスターチスにすがるような眼を向ける。
「スターチス? ちゃんと訓練に耐えて、わたくしに相応しい素質を持っていると証明するのよ?」
いつもならば無邪気な命令口調が飛び出すところなのに、珍しく弱気な口調であった。
この場合どう答えるのが最善なのか、スターチスには分からない。
だからと言って領主の姫君の発言に対して沈黙を守るのことは許されない立場である。
「リナリア様のご期待に背かぬよう、精いっぱい努めます」
という答えをどうにかひねり出した。
「ふーん、まあいいわ」
リナリアは不満そうだったが、スターチスが頑張る意思を表明したことには納得する。
「リナリア。今日はもう満足したであろう。そろそろ城に戻るぞ」
伯爵が言うと彼女は一瞬だけ「えっ」という顔をしたものの、すぐに笑顔に切り替えて「はい」と応じた。
「分かりました、お父様」
娘の素直な返事にほっとしているのはおそらくスターチスの見間違いではあるまい。
リナリアは微笑で少年に別れのあいさつをすませ、伯爵にエスコートされて馬車に戻っていく。
彼らの後をすぐに追わなかったグラジオラスが冷めた声を出す。
「あれはいずれ他の領主の息子に嫁に行くのだ。それまでの間、領主の娘としての名誉が傷つかぬ範囲であれば、自由にさせてやってもよいだろうというのが父上のご判断だ。スターチスとやら、この点をよく弁えておけ。それがそなたのためにもなろう」
「……ご教示、ありがとうございます。肝に銘じます」
スターチスがかしこまって答えると領主の息子はふんと鼻を鳴らす。
「グラジオラス兄様?」
無邪気なリナリアの呼び声を聞いてグラジオラスは去っていく。
彼を家まで送っていく騎士と未だに手当される気配さえない平民が場に残った時、少年の心に冷たい風が吹き込んでいた。
(そうだよ……リナリア様はいつかお嫁に行くんだ。それも違う領主様のところへ)
当たり前のことだったはずなのに、どうしてかとても寂しく悲しい。
身分が違う彼女と自分が一緒に過ごせるのは、今だけの間だけだろう。
「スターチスとやら。出発するぞ」
騎士はぶっきらぼうに声をかけてきたが、これは事実上の命令であった。
スターチスは言外から感じる空気で察する。
見事試験に合格し騎士に叙任されたのにも関わらず、少年の心は曇り空のようだった。
(せっかく一緒にいられることになったのに、何を馬鹿なことを考えているんだ)
リナリアの喜びようを思い出し、ぎゅっと拳をにぎる。
彼はこれからリナリアの騎士になる、それでよいではないか。
自分自身にそう言い聞かせる。
そのような彼とは対照的に、空は青く輝くような太陽が祝福するように彼を照らしていた。
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