第8話

 スターチスは最初に狙われた者の一人だった。

 左右の横と斜めと前方から半円形のように五人が向かってくる。

 距離を多少取ったところで何かが変わるはずもないと彼は腹をくくり、彼はまず正面の相手を倒そうと踏み込む。

 二十すぎと思われる青髪の身なりのよい青年は、彼の行動を見てぎょっとする。

 真っ先に自分を狙ってくるとは想定もしていなかったようであった。

 その一瞬の硬直があればスターチスには十分すぎる。

 迅速に彼の剣と右肩を叩き、戦闘不能に追い込む。


「ほう?」


 離れた場所に立つモリーの近くに待機していた騎士の一人が、スターチスを見て感心する。

 逃げ場がない以上戦って活路を切り開くしかないと判断した速さ、そこから攻めに出る度胸、疾風のような剣撃の速度は十代半ばの少年のものとはにわかには信じがたい。

 だが、スターチスは己の力量が幻想でも虚構でもないと続けざまに証明する。

 間合いを詰めなおそうと試みる四人はまるで亀のように鈍重であり、彼は間抜けな獲物を一撃で倒す虎のような動きで右手側の二人を倒す。


「おおっ」


 モリーが声をあげたのは、二対一という劣勢を正面突破で覆してしまったからだ。

 精鋭の騎士とそこらのゴロツキのような圧倒的な実力差があれば決して不可能ではないが、まさかこの場でその力の差を見せられるとは夢に思っていなかったのである。

 元来、この試験では実力はもちろん、駆け引きや立ち回りの巧みさを確認するためのものだ。

 伯爵家直属の騎士ともなれば、単に腕が立つだけではなく状況判断能力も必要になるせいである。

 それをまさか個人の武勇の範疇で打開してしまう者が出現するとは、誰も想像していなかったに違いない。

 スターチスが五人を倒した時、周囲の数はある程度減っていた。

 しかし、同時に彼が恐ろしい難敵だと周囲も理解してしまっている。


「まだガキだと思っていたら、とんでもねえ化け物じゃねえか」


 三十近くであろう老け顔の男が、青い両目には明確な畏怖の念を込めながら犬のようにうなった。


「ルーフをたった一人で倒した子どもの話、ただの箔付けじゃなかったみたいだね」


 他の受験生たちの視線もスターチスに集中している。

 この時になってようやく彼は、己の失敗を悟った。

 いきなり圧倒的な強さを見せてしまうと、数人は倒せたとしても残った面子からはすさまじく警戒されてしまう。


「ここは課題だろうな」


 モリーは独り言をつぶやいた。

 しばしの間、スターチス一人に対して戦闘可能な者が二十人以上がにらみ合うという構図になる。

 彼らは従来であれば数の利を信じて一斉に彼に襲いかかったかもしれない。

 だが、これは伯爵家の採用試験である。

 「数の利を信じて襲う」という判断が評価にどう影響するのか、気にしてためらう者がほとんどだった。

 そもそも数的不利な相手を倒したとして、本当に評価されるのだろうか。


「誰も合格しないことはありえる」


 というモリーの言葉が、彼らの心に重くのしかかっている。

 それに合格の条件も聞かされていなかった。

 内容を問われるとなると、多数で少数を倒すのはいかにもまずい気がしてならない。

 彼らの中に「強敵を数で倒すのは立派な戦術」だと割り切れる者が一人もいなかった。

 もし一人でもいれば後の展開は変わっていたかもしれない。


「でやああああ」


 一人が焦れて飛び出してきたのを、スターチスは一撃で戦闘不能に追いやる。

 一対一であればあくまでも彼の優位は動かない。

 それでも一人、もしくは二人同時でしかかからなかったのは彼らなりの意地だろう。

 モリ―と騎士たちは「致し方なし」ばかりに顔を見合わせて首を振る。

 スターチスは一対一で三十人以上打ち倒して、未だに疲労を見せなかった。

 一人を一撃ないし二撃で倒せているのだから、まだまだ疲れるはずがないと本人の感覚である。

 しかし、まだ幼さが残る少年がそのような様子を見せられれば、対峙者は冷静ではいられなくなってしまう。


「こ、この化け物めがあっ!」


 なりふりかまっていられなくなったか、残り五人は半円状になって同時に剣を頭上に振りかぶって突っ込んでくる。

 それこそ、スターチスにとって願ってもない展開であった。

 一人か二人に攻撃を仕かけた瞬間を狙って、残りの面子に一斉に剣を投げつけられていれば、さすがの彼も倒されてしまった可能性が高い。

 だが、馬鹿正直に向かってくる敵ならば対処は可能である。

 残りの五名は疾風のようなスターチスの動きと、強烈な苦痛を持って己の過ちを体に叩きこまれた。

 スターチスがほっと息を吐きながら剣を下げた時、まともに動ける者は彼しか残っていない。

 他の者は全員地面に崩れ落ち、彼に打たれた点を抑えて倒れるか、うずくまっているかの二択であった。


「そこまで! 合格は今立っている者だけとする!」


 モリ―が叫び試験が終了する。


「そこの者、参れ」


 騎士たちに言われてスターチスは生唾を飲みながら、ゆっくりと近づく。

 遥かに格上の人物たちに一挙手一投足を注目されていると思えば、大きな岩を背負わされたかのように足が動かない。

 それでも来いと言われた以上は行くしかないのがスターチスの立場だった。


(リナリア様にお仕えするという目標の第一歩が、ようやくかなうんだ)


 と何度も自分に言い聞かせていなければ、足が動いてくれたかどうか分からない。

 緊張で顔を強張らせゆっくりと近づく少年を辛抱強く待ったモリ―は、彼の歩幅で三十歩ほどの距離になった時、口を開く。


「そこで止まれ」


 命じられたスターチスは慌てて立ち止まり、両膝を地面についた。

 貴族であっても下級騎士である場合、上位者の言葉を聞く時は跪くのが礼儀なのである。


「ふむ……そなたはどこぞ騎士の家系なのか?」


 モリ―は赤い瞳にはっきりとした興味の光を宿して問いかけた。

 彼が何も言わなくても跪いて言葉を待ったということは、貴族に対する礼儀を多少なりとも教え込まれていなければできないからである。

 それでいて身なりはとても貴族の家とは思えないほど質素で、剣が強いとなるとどこぞの貧乏騎士の生まれと考えるのが最も自然なのだ。


「はい、ラバール高原の一区画にハンプトン伯爵閣下より領地を賜りしアストロが第三子、スターチスと申します」


「うむ。アストロの名は記憶してある」


 モリ―老人はうなずく。

 彼は書記官という地位にあり、ハンプトン伯爵領に住む貴族全員の名前と与えられた地を記憶している「生きた記録帳」と異名を持つ、、スターチスには信じられない能力を備えた人物だ。

 もし、少年がここで彼の記憶にない名前を出したとすると、たちまち通行証や紹介状の照らし合わせが行われ、場合によっては誰かが処罰されることになる。

 スターチスは本人の理解が及ばないところで、また一つ障害を越えたのだ。


「アストロのところのスターチスか」


 騎士の一人が何やらつぶやく。

 その声は近くの同僚とモリ―の耳には届いたが、彼らはつぶやきが生まれた理由を知っているため疑問を抱くことなく、無反応を決め込む。

 モリ―は素知らぬ顔でスターチスに問いかける。


「他には? 私に何か申すことはないのか?」


 彼は暗にリナリアの名前を出さないのか、と尋ねたのだ。

 スターチスは「もしかして」と思ったが、ゆっくりと否定する。


「ございません。本試験の儀、なにとぞよろしくお願い申し上げます」


 次に両手のひらと額を地面にこすりつけて言う。

 リナリアのことに触れなかったのは、「ここでお姫様の名を出して合格したとしても、自分の実力で試験の合格を勝ち取ったことにはならない」という、スターチスなりの美意識があったからだ。


(自力で勝ち取らなきゃ、リナリア様の前で胸を張れないよ)


 と本気で思うのである。

 このスターチスの発言を聞いて、騎士たちは若干意外そうな表情を作った。

 彼らにしてみればみずほらしい少年はここぞとばかりに、伯爵の姫君の名前を持ち出してくるとばかり思いこんでいたのである。

 リナリアの名前を一度出されると、彼らの立場ではどうすることもできない。

 伯爵家に報告して全ての判断をゆだねるしかないのである。

 それこそが領主たる伯爵家と、伯爵家の一臣下に過ぎない者たちの身分の差であった。


 

 この事情のせいで、素朴な騎士たちは姫の名を出さなかったスターチスに多少の好感を抱く。

 もっとも、好意を抱いたからと言って何かをするわけでもない。

 彼はまだ最終試験に合格しなければならないのだから。


(それに伯爵様の許可を得られなければ、それまでだ)


 とモリーと騎士たちは思う。

 末の娘のリナリアと貧乏な騎士の子どもの交流は、実のところレベッカからの報告で伯爵は知っている。

 子ども同士の他愛のない話だと無視するか、娘の将来のためには一点の汚れも不要とするのか。

 伯爵がどう判断するのか彼らにもまだ分からなかった。


「最終試験はタリズベンのお城で、伯爵様の立ち合いの下に行われる。これからついて参れ」


 これからと言われてスターチスは軽く目を見開いたが、彼に拒否権などあるはずがない。


「はっ」


 数拍の間をおいてから返事をした少年に、モリーは引き締まった表情のまま言う。


「そなたの家にはそなたが第一試験に合格したと、こちらから連絡する。何も心配はするな」


 彼の発言を聞いていた騎士の一人が大きくうなずく。

 彼が直接伝えに行くのだろうか。

 伯爵直属の騎士が家に来るなど、天地がひっくり返ったかのような大騒ぎになると想像するのは難しくない。

 だが、それが伯爵家のやり方であるならば、スターチスは全て受け入れなければならなかった。

 もう一度彼がうなずくと、立ち上がることを許される。


「私と一緒に馬車に乗れ」


 と言ったのは騎士の一人であった。

 モリーは書記官であるから護衛の騎士よりも身分が高く、スターチスと同じ馬車に乗るなどありえない。

 言葉にはされなくとも、少年はうっすらと察する。

 彼がロメリアまで乗ってきた馬車よりもふた回り大きい上に立派で、さらに荷台ではなく豪華な屋根と壁がついた客室が備えられていた。

 貴族しか持てないし乗れないものだとスターチスでもひと目でわかってしまう。


(これに乗るのか)


 思わず生唾を飲み込んだが、騎士に促されてそっと乗り込む。


「この馬車であれば日が暮れる頃には城に着くだろう。今日はそこで他の第一試験の合格者と一泊するがいい」


 正面の席に座った騎士の言葉に「はい」と応える。

 この馬車でという表現を用いたのは、スターチスが知っている馬車であればもっと時間がかかるという意味だったのかもしれないが、彼は緊張と不安で気づかなかった。

 馬車はブリズベンへと向かったが、その間彼と騎士に一言も会話もない。

 スターチスは己の意識が現実につなぎ止めるだけで精いっぱいで、とても景色を見たり話しかけたりする余裕はなかったのだ。

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