第7話
ロメリア市はラバール州の中央に位置し、人口は千を超すというスターチスが今まで見たことがないような大きな規模の街だ。
たくさんの赤い煉瓦の家が並んでいて、それを囲うように石造りの高い壁がそびえていた。
町の真ん中はきれいに舗装された石畳の道がまっすぐ通っていて、それらは東西南北にのびている。
小さくのどかなラバール村とは比べるのも馬鹿馬鹿しい差があった。
「ここがロメリアなんだ……」
「スターチス様、参りますよ」
圧倒されている少年にひと声かけてから御者の男は御者台から降りる。
市の中に馬車で乗り込むには領主か代官の許可が必要になるのだが、彼らはもちろん持っていない。
スターチスの父は現騎士だと言ってもその程度の階級では門番に鼻で笑われるだけだ。
ではどうするのかと言うと門番に名前と目的、出身地を告げて馬車を預けるのである。
ハンプトン伯爵家の威光が浸透しているおかげで、馬車を盗まれる例はまずない。
「ああ、騎士見習いの試験か」
二人の門番は納得したという顔でスターチスをちらりと見る。
まだ育ちざかりだと思われる、粗末な麻の服を着た地味な少年がわざわざロメリアまでやってくる理由としては、最有力候補だ。
「伯爵領に住んでいる人間なら誰でも受けられるし、アストロ殿の息子となれば身元も問題はないな」
門番は父アストロが持たせてくれた安物の獣皮紙を見てうなずく。
当然のことながら、試験を受けるためにはハンプトン伯爵領に住む者だという証を伯爵家に提出できなければならない。
スターチスの場合は父が伯爵から土地を与えられているため、父に頼むだけでよいのだが平民は苦労する。
貴族とは名ばかりの貧乏騎士の家でも、こういうところでは平民とは決定的な差があった。
セチアの実家が娘とフィラムの結婚を手放しに喜んだ理由のひとつである。
(父を殿って呼ぶことはこの人たちも貴族か……)
とスターチスは理解した。
どれだけ親しくなろうとも、親戚となったとしても、平民たちは騎士を「殿」と呼ぶことは許されないからである。
例外は貴族の身分を失った場合くらいだ。
「父がお世話になっております」
あいさつをした方がよいと思ったスターチスが頭を下げると、門番たちは笑いながら返礼をしてくれる。
「今回の試験は抜群の結果を出せば、伯爵様直属の騎士団に入れる見込みもあるという。頑張れよ」
「ありがとうございます」
励ましと情報に感謝し、ていねいに礼を言ってからスターチスは御者の男をうながす。
「ああ、集合場所はまっすぐ進んだ先にある中央広場だ。試験官にはこれを見せなさい」
門番の一人が進む方向を手振りで教えてくれ、もう一人が上等そうな羊皮紙を差し出した。
紙には「騎士見習い試験を受けるための通行を認めた」と簡単に書かれている。
上等そうな羊皮紙という平民では決して用意できないような高級品にスターチスは目を丸くし、もう一度試験官に礼を言ってから教わった道を進んでいく。
大きくきれいな家が画一的に並んでいるというのは、スターチスにとっては計り知れない衝撃だ。
町を行く人々の多くは彼と同じかそれ以上にいい服を着ているし、見るからに健康そうである。
「スターチス様、これらの建物はすべて伯爵家の所有物ですので」
世間をよく知らない少年に、御者の男性がこっそりと教えてくれた。
「なるほど」
本当にすごいのは伯爵家の力だと言われて、スターチスはようやく納得する。
領主のハンプトン家は諸侯とも呼ばれ、国王の手足として国政にも関与し、自らの領地を自由に統治する権利を持ち、独自の軍を保有している、彼から見れば天上に座す太陽のような存在であった。
どれだけ強大な力を持っていても納得できる。
(こうしてみると、リナリア様って恐ろしい人のお姫様なんだな)
今さらながら身分の違いを痛感し、背中に冷や汗が流れた。
周囲の人々は田舎者全開の少年の姿を最初好奇心を含んだ目で見たが、すぐにたちふるまいから騎士の家の者である可能性の高さに気づき、そっと失礼にならないよう知らぬふりを決め込む。
大きな町に住む平民と田舎に住む騎士であれば騎士の方が身分が高く、もしも因縁をつけられたら平民はひたすら許しを乞うしかない。
干ばつに苦しむ農民が雨ごいをするような心境で、何もせず通り過ぎてくれることを祈るしかなかった。
スターチスは気にも留めていなかったが、同行している御者の男は察知する。
普段であれば誰かに話しかけられたり、からかわれたりするはずなのだが、今日にかぎっては誰一人話しかけてこないのだから嫌でも理解してしまう。
「あ、あちらでしょう、スターチス様」
そのせいかはっきりと分かる集団を見つけると思わず声を出していた。
側に何もないところに鉄の甲冑を着て剣を帯びた騎士が二名おり、近くに六十人ほどの人間が固まっている。
「うん、ありがとう。セチア義姉上とご両親にもよろしく」
スターチスは立ち止まった男に礼を言って集団に近づくと、壮年の騎士が彼のところへやってきた。
「見習い試験の受験希望者か?」
「はい、アストロの第三子、スターチスと申します」
見るからに立派な騎士である相手に対して、彼はできるかぎりの礼を守ろうとする。
「名乗りは後でいい。門番から受け取ったものを見せろ」
それに対して短い色あせた金髪の騎士は面倒そうに顔をしかめ、手を差し出す。
スターチスが獣皮紙が取り出して見せると、中身を確認してうなずいて言う。
「よし、まだ時間はあるからな。適当なところで待っていろ」
そう言い残して踵を返す。
スターチスはホッと胸をなで下ろし、そっと周囲を観察する。
この場にいるのは十代半ばから二十前後の男性ばかりで、身なりは上等な服を着ている者から、ぼろ布よりはマシ程度の服を着ている者とバラバラであった。
彼よりも若そうな者はいなかったが、似たような年頃であろう少年は十人以上いる。
信用できる身元保証者さえ用意できれば受験が可能である以上、それ以外の点は関係ないのだろう。
生まれに恵まれなかった者への救済措置みたいなものなのかもしれない。
(実はいい制度なのかもしれないな)
とスターチスは思う。
生まればかりは自分の意思と力でどうにかできるものではないのだから。
後、何人やってきて、どれくらい待たされるのか。
何も分からずスターチスは一人ぽつんと立っている。
さすがに他の騎士見習い志望者たちの前では気恥ずかしさが勝ってしまい、鍛錬をやろうという気になれなかった。
やむをえず手持ちぶさたな時間を過ごしているとやがて白髪頭の身なりのよい、小柄な老人が騎士を左右に引き連れてやってくる。
老人は地味で特徴のない顔立ちとは対照的に鋭い眼光を放っていて、受験者たちを順番に視線を送っていく。
スターチスは見られていると言うよりは鋭利な刃物を投げつけられているかのような感覚に陥り、ほとんど反射的に背筋が伸びたし身がまえそうになるのをどうにか抑えた。
相手の老人は見るからに貴族であったからで、もし平民だと断言できる相手だったら戦闘態勢に移っていたかもしれない。
見たところ彼と同じ反応を示したのは一人もいない。
そのため、彼の様子に気づいた者は嘲るような表情で笑いをかみ殺す。
老人と騎士たちがいなければ今頃大爆笑の渦が生まれていただろう。
老人の赤い目は一瞬だけスターチスを興味深そうに向けられたが、すぐにそらされる。
老人は懐から小さな銀色の物質を取り出す。
「と、時計だ」
「あれは懐中時計?」
二、三人がざわりと声をあげた。
(トケイ? 何だそれ?)
スターチスには時計というものが何なのかさっぱり分からない。
だが、銀色ということはおそらく上等な金属なのだろうし、貴族でないと持てない高級品なのかもしれないと見当をつける。
「十時五十八分か。少し早いがよかろう。これより騎士見習い試験をはじめる。私はハンプトン伯爵様より試験の責任者を命じられたモリーだ。今回の試験だが、全員が落選する可能性はあっても全員が合格することはない。肝に銘じよ」
「はっ」
何人かが元気よく返事をし、他の者が少し遅れて返事をした。
「うむ。では試験内容を説明しよう」
モリーと名乗った老人が手を叩くと騎士たちが硬そうな樫の木の剣を地面に置いていく。
「とても簡単だ。全員で戦ってもらい、その戦いぶりをこちらが判断する。弱き者には伯爵家にお仕えする資格などないということだ」
再びざわめきが起こったが、今度は驚きよりも好意的な色が強い。
当たり前のことかもしれないが、皆自分こそがこの場の誰よりも強いと信じているのだ。
全員同時参加の総当たりだとしても、自分ならば生き残れると。
スターチスはこのようなところで戦ってもよいのかと唖然としたものの、すぐにここが全て伯爵家の所有物だと思い出す。
極端な話、どう使おうが伯爵家の自由なのだろう。
近くに住む者の迷惑を一切考慮していないあたり、実に諸侯らしい気もする。
言うと不敬罪で極刑になりかねないため、口が裂けても言葉にできないが。
「ああ、もうひとつ」
モリーは受験者たちの反応をたしかめつつ、頃合いを見てわざとらしく言葉をつけ足す。
「今回の試験は最終試験ではない。各州の試験を突破した者たちを募って最終試験をおこなう。それに備えて余力を残しておいた方がよいだろう。最終試験も突破したいのであればな」
現在ここにいる応募者たちの中で、最終試験を突破したくないと思っているのは一人もいないはずだ。
それを承知しているのにも関わらず、あえてモリーは彼らを煽る。
おかげで受験者たちは余力を残すことも考えなければならなくなってしまった。
猜疑心が色濃く出た視線が飛び交う。
「さあ、各自剣を取れ」
モリーが声をかけると彼らは恐る恐る剣を握ってじりじりと距離を取る。
誰もが他の誰かに背後を取られないように細心の注意を払っていた。
スターチスもまた例外ではない。
一対一であればまだしも、複数の者に背後から斬りつけられてはさすがに対処できる自信がなかった。
全員が数歩分の距離を取ったのを見計らい、モリーではなく騎士の一人が号令をかける。
「それでは、はじめいっ!」
試験のひぶたが切って落とされた。
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