第6話

 フィラムとセチアの結婚式はつつがなく終わり、スターチスは愛らしい義姉を得た。

 セチアは愛らしい外見からは想像もできぬほどの働き者であり、姑に何を言われてもはいと応じるばかりである。

 おかげで両親からも、近所の人々からも評判はすこぶるよい。


「フィラム兄上はよき嫁御を持ったな」


 夜、寝床でディオムが羨望を込めて評すると、スターチスは心の底から賛成した。

 セチアほど愛らしくて素直でひかえめな働き者など、探しても容易に見つけられるものではあるまい。

 末弟は長兄を羨ましいと思ったし、良縁を得てよかったと感じる。


「次は俺の番というところだが……それより先にお前にひと仕事があるか」


 次兄ディオムが何を言いたいのか、スターチスは察した。

 明日に迫っているハンプトン伯爵家による騎士見習い試験のことであろう。


「勝算はあるか?」


 という問いに彼は黙って首を横に振る。


「人間相手に俺の剣がどこまで通用するのか、分からないからね。楽観はできないよ」


「そういうものなのか? ルーフを剣で倒せる者など騎士になっているか、有名な狩人くらいしかいないのではないか」


 ディオムの楽観的な意見にスターチスは賛同できなかった。

 決して他者を侮ろうとしない性格は、長所でもあり短所でもある。

 次兄も弟は心配性だと感じたものの、だからこそこれほど強くなったのかもしれないと思う。


「明日は早起きしなくてもいいのか?」


「明日はラバール市での試験だから、そんなに早起きしなくても大丈夫。この試験を勝ち抜かないと、州の試験にはいけないらしいんだ」


 とスターチスは次兄に説明する。

 これもお触れの中に含まれていた情報だ。

 彼らが住むブリズベン州はハンプトン伯爵領の領都であり、ブリズベン市にリナリアが家族と住む本城がある。

 伯爵領の中でも豊かで人口も多いため、まずは市ごとで試験を行ってある程度受験者数を減らすという。

 その後は他の州の試験を勝ち抜いた受験者と競い合うのだ。


「合格者数が分かっていないのがつらいけどね」


「それもまた試練ってやつなのかもしれないな」


 顔をくもらせるスターチスを慰めるかのように、ディオムが笑いかける。


「……ディオム兄上は受けないの?」


 その兄に最後の確認をしてみると、困惑が返ってきた。


「よせ。俺に剣の才能がないことくらいとっくに理解している」


 スターチスのこの発言の意図は、次兄の今後の展望を気にしてのものだ。

 それに気づかぬほどディオムは愚鈍ではない。


「そうだな、お前が無事騎士になれたらその小姓にでもしてもらおうか。ダメだったらセチアの家に援助してもらって、商売でもはじめるとしよう。だからお前は何も心配せずに、力いっぱい戦って来い」


 優しく頭を撫でられたスターチスは、「もうそんな子供じゃない」と言うのを我慢する。

 ディオムなりに自分のことを心配し、気遣ってくれていると感じたからだ。


「うん」


 二人の会話はそこで終わり、眠りを司る乙女アドニの手に包み込まれる。

 すなわち熟睡したのだ。



 翌朝、スターチスは鶏の鳴き声を聞いて目を覚ます。

 早起きしなくても大丈夫でもこうして目が覚めてしてしまったのは、習慣になっているからだろう。

 家の外に出てみると太陽はまだ昇っておらず、空は暗くてひんやりとしたそよ風が彼の顔を撫でた。

 新鮮な空気を吸い込みながら背伸びをするというのは、気持ち良いものだと彼は思う。

 いつも通り朝の日課を済ませて朝日を浴びながら家に戻ると、セチアが朝食を用意してくれていた。

 食事が終わると彼女は珍しくパタパタと足音を立てて外に出て、すぐに戻ってくる。

 その手には茶色い草花で編まれた腕輪が握られていた。


「スターチス様。よろしければこれをお受け取りくださいませ」


「これは……?」


 まるで見覚えのない代物にスターチスがきょとんとしていると、フィラムが口を挟む。


「それはセチアの実家に伝わる≪アシュトレの腕輪≫というものだそうだ。アシュトレに祈りを捧げながら千年樹の枝と天露花の茎などを編み込んで腕輪を作って誰かに贈ると、その者が腕輪を身に着けているかぎり災いからアシュトレが守って下さるという。セチアは私と婚約してから、毎日お前のためにせっせと編んでいたのだ。受け取ってやってくれ」


「義姉上……」


 驚きを隠せない義弟に見つめられるセチアは、恥じらうように頬を染めて目を伏せる。


「家は武器を扱っておりませんし、騎士様の知り合いもおりません。わたくしがスターチス様のためにできることと言えば、これくらいしかありませんでした」


「とんでもない」


 スターチスは慌てて言った。

 編み物などやったことがない彼でも、この腕輪が一朝一夕でできるものではないことくらいは分かる。

 兄と結婚してからならばまだしも、その前からずっと彼のために編んでくれたとは。


「どうか、スターチス様に貴き乙女アシュトレのご加護がありますよう」


 セチアは恥ずかしそうに微笑みながら、彼の左の腕に腕輪をはめる。


「ありがとうございます、義姉上。千人の味方に勝る援軍を得た思いです」


「そ、そんな……」


 恥ずかしさと嬉しさで何も言えなくなった新妻に代わり、フィラムが口を開く。


「私たちにできるのはここまでだ。後は皆でアシュトレに祈るくらいか」


「十分すぎるよ、フィラム兄上」


 スターチスは照れくさそうに笑う。


「そこまでやってもらって駄目だったら申し訳ないくらいだ」


 彼の弱気を新婚夫婦は感じ取ったが、何も言わなかった。

 ハンプトン伯爵家が主催する騎士見習い試験を受ける重圧は、スターチスにしか分かるまいと考えたからである。

 そこへ馬車がやってきて壮年の男性が御者台から降りた。

 彼はセチアの実家に雇われる男で、今日スターチスを試験会場まで送ってくれることになっている。


「セチア義姉上にはつくづく頭があがりません……」


「そんな、止めてください。わたくしたちは家族ではないですか」


 義弟が頭を下げて礼を言うと、セチアがあたふたとした。


「うむ。水臭いぞ、スターチス」


 フィラムが笑いながら弟の肩に手を置く。


「お前はただ全力を尽くせばいい。結果はどうあれ胸を張って帰って来い」


「はい、兄上」


 素直に返事をするスターチスに対し、彼は笑みを苦味が混ざったものへ変える。


「本来、こういうことを言うのは父上の役目のはずなのだがな」


「見送りにも来ないあたりが父上らしいよね」


 スターチスの方も微苦笑を浮かべた。

 まだ市の段階とは言え、領主が主催する騎士見習いの試験を受けに行く身内がいれば、一家総出で見送って当然なのである。

 ところが、今ここにいるのはフィラムとセチア、セチアの実家が用意した馬車のみであった。

 あまり見送り人数を増やすとスターチスが気負いすぎるだろうという、父の無言の愛情である。

 今の彼には通じていないが、いつの日か不器用な親の愛情を分かる時が来るだろう。

 フィラムとセチアの若夫婦はそう願ってやまない。

 スターチスは着の身着のまま馬車の荷台に乗り込む。

 馬車と言っても貴族が持っているような幌つきの立派なものではなく、頑丈さだけが取り柄のものだ。

 太陽の光や砂ぼこりにさらされながら、じっと座って耐えなければならない。

 それでも試験が開かれる市の中心地まで歩いて行くよりは遥かに楽であった。

 何よりも体力の消耗を抑えられる点がありがたい。

 試験が行われるのは、昼飯を食べる前だという。

 つまりその前についておかなければならないし、ひと休みできるかどうかも大切だ。

 試験が行われるロメリア付近に住んでいる者はその必要はないし、そもそも選考で有利になってしまう。

 不公平と言えば不公平なのだが、異を唱える者は恐らく一人もいるまい。

 何故ならば、ロメリアはラバール市の中心地であり、ここに住める者はそれだけ家が立派だということになる。

 伯爵家の家臣となるのにどうしても必要になるであろう、たしかな身元の証明という点を満たしているのだ。

 もちろん、身分が全てではない。

 身分が全てであるならば、騎士団に入れる者は男爵家以上の子女と定められているだろう。

 貧乏貴族や平民など、試験を受けさせてもらうこと自体が不可能であるはずだ。


(何よりリナリア様のお父上だからな)


 とスターチスは奇妙と言えば奇妙な信頼を抱いている。

 リナリアの父というだけで信じられるわけがないと思う方が自然なのだが、彼は違っていた。

 彼が貧乏騎士の三男坊だと知っても、リナリアは彼を蔑んだりしたことはない。

 彼女がそのような性格であればスターチスのような者と仲良くなれるわけがなかった。

 もっとも、わがままに振り回された回数は両手足を使っても足りないのだが。

 スターチスは荷台の上で軽く鍛錬を行っていた。

 最後の仕上げのつもりである。

 揺れが大きいため、あまり大したことはできないのだが、目を閉じて精神統一するくらいはできた。

 風や砂ほこり、時折激しくなる揺れにも負けずに集中するのは並大抵ではない。

 スターチスは自覚のないまま、そのようなことができるようになっていた。

 たまにすれ違う人が彼に奇異の目を向けたが、少しも気にならない。

 敵意や悪意とは無縁の視線ならばどれだけ浴びせられても、波紋が生じない心の強さを培っていた。

 途中二度ほど休憩をはさみ、馬車はとうとうロメリアへと到着する。

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