第5話

 スターチスはいつもの林に一人、木剣をたずさえてやってきた。

 明日は兄フィラムの結婚式であり、彼もまた準備を手伝わなければならない。

 しかし、父にルーフの存在を告げて狩れるかどうか試してみたいと願い出て、許しを得た。

 熟練の狩人でも容易には捕獲できぬとされるルーフを見事獲って結婚式に供出できれば、これは吉兆だと言える。

 また三男坊の力量を喧伝することも可能だ。

 父が許したのはそのような計算があってのことだろう。

 彼自身、兄のためにルーフの肉を出したいという気持ちと、騎士見習いとして認められやすい材料がほしいという想いと、両方抱えている。

 そっと周囲を目視で探してみたが、ルーフの姿かたちはどこにも見えない。

 いつどこに行けば遭遇できると分かっていないのだから、最悪の場合見つけられないおそれもある。


(その時はいさぎよくあきらめよう)


 とスターチスは思っていた。

 あくまでも主題は兄の結婚式の準備であり、彼自身のことは二の次である。

 この点を考え違いをしていなかったからこそ、父も彼の挑戦を認めたのだろう。 

 雑念を払うため、一度川へと移動する。

 川の水面は今日も清らかに澄んでいて、目と耳をかたむければ心まで洗われそうだ。

 川のせせらぎと鳥の鳴き声をたっぷり聞いていると、研ぎ澄まされた彼の感覚が一羽の大きな鳥が飛来したことを知らせる。


(来た!)


 大きく跳ねた心臓を落ち着かせようと必死に自分に言い聞かせた。

 そっと横目でうかがえば、いつか見た緑色の体毛と黄色いくちばし、赤いトサカを持つルーフの姿が木の枝の上にある。

 時々人が来ていると知っているはずなのにこうして姿を見せるということは、人を恐れていないということなのだろう。

 あるいは襲われたところで簡単に逃げられるとたかをくくっているのかもしれない。

 一度も獲ったことがないスターチスとしては、何も言えなかった。

 結果を出せていない以上はどれだけ侮られても仕方がない。


(でも、それも今日までだ)


 ひそかに闘志を燃やす。

 それでいて頭は冬の川の水のように冷たく澄んでいる。

 頭と心で正反対な状態こそが自身の剣が最も冴えわたるとスターチスは、ルーフを相手にした戦いを経験するうちに少しずつ理解できるようになっていた。

 風がそよいでも小鳥や虫が鳴いても、太陽がまぶしくても雨が降ろうとも、決して剣が影響されてはいけない。

 貴き乙女アシュトレの加護を受けた大いなる自然の一部であるかのようになる必要があった。


(よし!)


 カッと目を見開くと、突風のように跳躍し、雷光のような剣撃を放つ。

 斜め上から飛来する脅威を察知したルーフは斜め後方に羽ばたく。


(やはりか)


 刹那の中、スターチスは思う。

 どのような攻撃を仕かけた時にルーフがどのようにかわすのか、何度もあきらめずに挑んだ彼は知っている。

 ゆえに彼は毎日数え切れぬほど、この斬撃を練習してきた。

 剣の軌道は弧を描いて鳥を追撃し、その大きな羽を強かに打つ。

 ルーフは静止している状態であればどのような方角にでも羽ばたけるが、前か真上以外に飛びあがった場合は一瞬だけ硬直してしまう。

 その一瞬を捉えて狙い撃ちにできる剣の軌道と速度を手に入れるため、スターチスは剣をふるってきたのだ。

 強い衝撃を浴びせられた羽は折れてしまい、ルーフは地に落ちる。


「やった……」


 彼が喜んだのはごくわずかな時間だった。

 翼が折れた鳥は二度と飛べず、エサもとれなくなって苦しみながら死んでいく。

 ルーフも例外ではないし、彼はこの立派な獲物に無用な苦しみを与える気はなかった。


「苦しませてすまない」


 苦しそうにもがくルーフの首をそっと折り、楽にしてやる。

 ルーフもまた貴きアシュトレの加護を受けてこの地に生まれてきた存在に変わりなく、感謝の気持ちを忘れるべきではないというのが先人たちの教えであった。

 それからもうひとつ、感謝を忘れてはいけない相手がいる。 


「貴き大地の乙女アシュトレよ、御身の加護により糧をいただきましたこと、感謝いたします」


 言うまでもなくアシュトレだ。

 スターチスは目を閉じルーフの死体を掲げて、豊穣を司ると言われる大地の乙女へ祈りを捧げる。

 ルーフの死骸をそのまま持つと家に向かって駆け出す。

 この鳥は死んでから二時間は血抜きをしない方がよいとされている。

 彼もよく理解していないのだが、ルーフは色々な意味で規格外の鳥なのだ。

 それにスターチスの処理技術は大したことがなく、熟練の腕利きに処理を任せた方がよいという点もある。


(やった!)


 彼は風のように走りながらもう一度喜びを爆発させた。

 ひとつの目標を達成したのだから、とても言葉では表現しきれない。

 息を切らして駆けてくるわが子を見た両親は最初怪訝そうな顔でスターチスを出迎える。

 だが、すぐに表情を変えた。


「ち、父上! 母上! 見て!」


 末っ子が差し出した手にはたしかにルーフの死骸があるではないか。


「おおおお! なんてことでしょう!!」


 母は手に持っていた野菜かごを取り落として身を震わせ、父は破顔して息子の肩を強く叩く。


「でかした! でかしたぞ、スターチスッ!」


 二人の騒ぎを聞きつけた近所の人たちも集まってくる。


「アストロ様、何かございましたか?」


「おや、スターチス様がお持ちなのはルーフではございませんか?」


 何事が起こったのかを理解しはじめた人々もざわめき出す。


「ああ、兄上の結婚式に出せたらと思って獲りに行ったんだよ。ロキヤ、ロキヤはいるかい?」


 スターチスは専門の職人の名前を呼ぶ。


「はい、スターチス様。あっしの出番ですね。お任せを」


 五十代の白髪頭の男がニコニコとしながら揉み手をする。


「こいつなんだけど、明日の兄上の結婚式に出せるかい?」


「出せますとも」


 ロキヤはへこへこと頭を下げて仕事を請け負う。

 騎士の家の結婚式に出す食べ物を扱えるなど、市井の者にとって非常に名誉なことだ。

 老人が二つ返事で引き受けたのは無理もないことである。

 人々の集まりと熱気が消えぬ間にフィラムが、藤色の髪と青い瞳を持った可愛らしい少女と、それにそっくりな顔立ちの中年夫婦と共に姿を見せた。

 三人ともなかなか上等な生地を使った暖色系の服を着ていて、彼が一番みずほらしく見える。


「これは一体何の騒ぎだ?」


 近くの者に聞けば、興奮を抑えきれていない言葉が返ってきた。


「ああ、フィラム様! スターチス様がお一人でルーフを仕留めたそうにございますよ」


「何だって?」


 フィラムはにわかに信じられない。

 彼にとってスターチスはまだ幼く、どこか頼りないところがある末弟である。

 そのような弟が容易には得られぬことで有名な獲物を自力で得たというのか。


「すまぬ、ちょっと通してくれ」


 群衆をかき分けて家族たちがいるところを目指した。


「おお、フィラム様! スターチス様のような弟御をお持ちになられてさぞ鼻が高いでしょう」


「おめでとうございます、フィラム様。スターチス様は見事兄孝行を成し遂げられましたぞ」


 彼の姿に気づいた人々が口々に褒めそやす。

 やがて終点に着けば弟と両親、そしてロキヤがいる。


「あ、兄上!」


 真っ先に彼の存在を見つけたのはスターチスであった。 


「おお、フィラムか」


「まことですか、スターチスがルーフを獲ったというのは」


 というフィラムの前にロキヤが見事なルーフの死体を差し出す。


「この通りにございますよ、フィラム様」


「おおお……」


 フィラムもルーフの姿を見たことくらいはあったため、真っ先に驚きがくる。

 そこへ少女と中年夫婦がやってきた。


「フィラム様」


 少女が可憐な声で話しかけると彼は喜色を浮かべて、振り返る。


「セチア、ルーフだよ。私の弟が私たちのためにルーフを獲ってきてくれたというのだ」


「まあ、スターチス様が……?」


 セチアは口に手を当てた。

 商家の娘に生まれた彼女も当然ルーフについては知っている。

 彼女の両親もだ。


「何ということでしょう。スターチス様はお若いのにずいぶんと優れたお方なのですな」


 セチアの父が感嘆を込めて言えば、母も笑顔でうなずく。


「義理の弟となる方にこのようなお祝いを用意してもらえるなんて、あなたは幸せ者ね、セチア」


「はい……。スターチス様、まことにありがとうございます」


 セチアはスターチスに向かって丁寧に礼を述べる。

 将来、義理の弟になると言っても現在の身分は年下の少年の方が上なのだから、相応の礼を守らなければならない。


「いえいえ。本当はもう少し早く手に入れられていればよかったのですが」


 未来の義姉に礼を言われた彼は照れて目をそらしながら謙遜する。


「何をおっしゃいますか! 結婚式の引き出物にルーフを用意していただけた、これだけで黄金以上の価値がございますとも! スターチス様のような弟を持てる我が娘はまことに果報者にございます」


 セチアの父が大きな声で主張し、スターチスのことを称えた。

 彼とフィラムの父、アストロもセチアの父に同意する。


「その通りだな。見事成し遂げたのだから、胸を張ってよいぞスターチス」


「は、はい」


 父に言われて反射的にスターチスは背筋を伸ばす。


「ツバタ殿、幸先のよい引き出物を渡す代わりというわけではないが、これのことを他の州に広まるように喧伝してもらえぬだろうか」


 アストロの言葉にセチアの父ツバタは何度もうなずく。


「喜んで協力させていただきましょう。このラバールには、ルーフを一人で仕留める騎士見習い志望の少年がいると。領主様のお耳に届くかは分かりませぬが、ラバール市長のネッツァル男爵には届きましょう」


「よろしく頼む」


 このような周囲の反応を見ているうち、スターチスはようやく己がやってのけた仕事を誇らしく感じはじめた。

 フィラムが彼の肩を叩き、可愛らしい婚約者とともに笑顔を向けてきたのに対して笑顔を返す。

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