第4話

 リナリアが騎士たちに守られて帰っていき、スターチスとレベッカの二人だけが残される。

 場が緊張感に包まれている理由についてスターチスは何となく察していた。


「スターチス、あなたの本心をうかがいましょう」


「本心、ですか?」


 レベッカの発言を咀嚼しようと彼は反芻する。


「ええ。レベッカ様の推挙を受けて試験を受けるとなれば多くの騎士、騎士になろうと志す者たちから快く思われないでしょう。見事採用されたとしても、あなたに待っているのは茨の道のはずです。それでもかまわないという決意はあるのですか?」


 彼女は赤い瞳でまっすぐに彼の目を射抜く。

 虚言は許さぬと強い意志が秘められていることは彼にも伝わる。


(どう答えればいいんだろう……)


 スターチスの心臓は激しく動き、彼の頭は混乱していて、舌は己のものではないかのように凍りついていた。

 できればリナリアと一緒にいられるようにないという気持ちを持っている。

 しかし、そのために苦難の道を歩む覚悟はあるのかと問われると、あまり自信はなかった。

 レベッカは主への忠義から彼の本心を知りたいのだろうし、本当のことを打ち明ける以外は彼女のみならずリナリアへの裏切りにもなってしまうかもしれない。

 足元でアリの行列が通り過ぎるほどの間を置いて、ようやくスターチスは重くなった口を開く。


「わ、分かりません」


 声を上ずらせてしまう自分を叱咤しつつ、彼は続きを言う。


「で、ですが、リナリア様と一緒にいられたらいいなとは思っています」


 頼りない声とは裏腹に、彼の黒い瞳にはたしかな意思の光を宿していて、レベッカの双眸を捉える。


「なるほど、それがあなたの本音ですか」


 彼女は張り詰めていた表情をふっとやわらげた。


「しっかりと聞きました」


 彼の答えは彼女が予期していた回答の中で、悪い方ではない。

 器用ではない素朴な少年の率直な気持ちを聞き出せたのはよかったと思う。


「ならば一つ、教えておきましょう。今年の秋に各州から騎士見習いの希望者が募られて、ふるいにかけられます。そこで見事勝ち残れば、リナリア様の騎士になる道が開かれるでしょう。あなたの戦いぶりを見て気に入ったと仰れば、他の貴族たちも反発しにくくなりますからね」


 そのようなことがあるのか。

 スターチスは信じられないことを聞いたとばかり目を見開き、レベッカの端正な顔を見つめる。


「おそらくこれこそが、あなたがご家族に迷惑をかけずにリナリア様と正式にお近づきになる、唯一の道だと思います。励みなさい、スターチス」


 ここで彼がリナリアと仲良くしているのは、あくまでも非公認のものであった。

 たとえ知っている者が何人いたとしても。

 それが貴族社会というものである。

 誰かが公的に咎めればその時点で消えてしまうほど、儚い関係なのだ。


「は、はい。どうもありがとうございます」


 スターチスも何となくそのことを察し、情報をこっそり教えてくれたレベッカの好意に感謝した。


「あなたに貴きアシュトレの加護があらんことを祈ると致しましょう」


 彼女はそう言って彼を驚かせる。

 貴族がアシュトレに祈るということは、相手の幸運を祈る最上位のものだ。

 驚かれた女性は表情を引き締めて言い放つ。


「勘違いしてはいけませんよ、スターチス。わたくしはあくまでもリナリア様のお味方です。あなたがリナリア様に嫌われるようなことがあれば、その瞬間からわたくしはあなたの敵になるのですよ」


 わざわざ忠告をしてくれるあたりが親切な証拠だと彼は思うのだが、ここで指摘するのはよくないに違いない。

 少年はそう思い、無言で頭を下げる。


「ではお励みなさい」


 レベッカは最後に一言彼を励まして踵を返す。

 男爵令嬢がたった一人で帰るのかと思ったスターチスは目を丸くしたが、遠くに騎士らしき者が二名姿を見せたことで納得する。

 彼女の言葉を勇気に変えて彼は木の剣を取った。


(勝負は今年の秋か)


 果たしてどれくらいの実力の者が、何人集まるのだろうか。

 スターチスは近隣では最早敵なしと言われるほどの腕になってきているが、あくまでも日が沈むまでに歩いて往復できる範囲内でのことだ。

 馬を使わなければ行けない場所に住んでいる者たちの中には、どのような猛者がいるのか分からない。


「リナリア姫の目に止まり、気に入られた」


 という名分が成り立つような戦いぶりを見せようと決意を固める。

 年下のお姫様のわがままに振り回されるのが、実のところ彼は少しも嫌ではなかった。

 決意を固めてからようやくそのことに気づいたのである。

 決意が固まったからと言って彼のやることに変わりはなかった。

 親兄弟が騎士団に所属しているような者でもないかぎり、誰かに戦い方を教わることはできない。

 スターチスのような者ががやれるのは、少しでも早く強烈な攻撃を繰り出せるように素振りを数百数千と繰り返すだけであった。

 鍛錬の最中、緑色の体毛と黄色いくちばし、赤いトサカを持つ大きな鳥が高い木の枝に止まっていることに気づく。


(ルーフだ!)


 彼は思わず凝視しそうになる。

 ルーフとは人間の成人男性並みの巨大な体躯を持ちながら、目にも止まらぬ速度で飛ぶ鳥だ。

 一羽当たりで多くの肉がとれる上にとても美味なことから非常に人気があるものの、危険察知能力と飛行能力の高さから滅多に捕らえられないことで有名である。

 ルーフを見かけるたびに捕殺できれば、それだけで一生食べていけると言われるほどだ。


(俺に捕まえられるか……?)


 そのような鳥だから、見つけてしまったスターチスの心は大いに乱れてしまう。

 一羽でも捕殺できれば家計の足しになるし、食卓が豪勢になるだろうが自信は全くない。

 彼が木剣で素振りしていても一向に気にしていない様子だったため、素振りを続けながらこっそりと近寄っていく。

 ルーフが止まっている枝はスターチスの頭頂部くらいだから、ジャンプすれば十分剣が届くだろう。

 相手が相手だから失敗すれば逃げられることは確実であった。

 スターチスはゆっくり深呼吸して、平常心になろうと試みる。

 ルーフは青い目を彼ではなくどこかに向けていた。

 気づいていないのか、気づいていても警戒してはいないのか。

 彼には分からなかったが絶好の機会には違いない。

 ゆっくりと剣を下ろして、次の瞬間勢いよく地面を蹴った。

 そのまま勢いに任せて横から抉るように斬りつける。

 ルーフが避けようとすることを見越し、飛び上がったところに命中させるつもりであった。

 ところが鳥はスターチスの思惑をあざ笑うかのように羽ばたく。

 紙一重のところで剣撃がすり抜けたとしか思えないような避けられ方だった。

 一撃めを避けられてしまえばもう彼にはなす術がない。

 ルーフは彼の無力さを小馬鹿にするかのようにひと鳴きすると、どこかへ飛び去った。

 残されたのは見事に攻撃が空振りした無力さを抱えた一人の少年である。


「ダメだったか……」


 容易な相手ではないと分かっていたつもりだが、実際に失敗すると形容しがたい悔しさがこみあげてきた。


「強くなりたい。ルーフを一撃で倒せるくらいに」


 低い声で自分を奮い立たせるかのように言葉をつむぐ。

 ルーフを一撃で仕留められるようになれば家計の助けになるだけではなく、彼自身の腕前が相当な域に達した証にもなるはずだ。


(ルーフを剣で仕留めた人の話なんて、一度も聞いた覚えがない)


 もしもそのような人物がいるならば両親か近所の人から聞かされているだろう。

 もちろん、この辺りにうわさ話が流れてくるような範囲にはいないだけかもしれない。

 それでも試してみる価値はあるのではないだろうか。


(ルーフを剣で仕留められると言えば、リナリア様が興味を抱いてもおかしくないはず)


 と考えたためである。

 自然と稽古に熱が入ったが、彼自身理由はよく分からなかった。  



 やがて季節は飛ぶように過ぎ去り、リナリアはレベッカと共に本城があるプリズベン市へと帰っていき、スターチスの家には二つの報せが舞い込む。

 ひとつめは長子のフィラムと商家の娘セチアの婚約、ふたつめはハンプトン伯爵家が騎士見習いを募集し試験を実施するというものだ。

 スターチスの家と近所は前者でわき、ラバール市は後者でわき立つ。

 家同士の結婚となると親族と近隣の人々にごちそうがふるまわれるのが常識である。

 今回の場合、資金のほとんどをセチアの実家が用立てすることになるのだが、それは貧乏騎士と言えども貴族に嫁を出す側の義務のようなものであった。

 そうすることによって、自分たちが貴族と縁組にふさわしいのだと周囲に知らしめる意味がある。

 ラバール市が騎士見習いの募集にわいたのは、誰でも騎士になれる最大の機会だからだ。

 今回の試験に合格しても一代かぎりの騎士であり、子に継承することはできないものだが、伯爵家の誰かの気に入られれば話は違ってくる。

 平民は元より、騎士の家の者たちも伯爵一族の目に止まることを夢見て試験に臨むのだ。

 そしてスターチスもまたその一人である。 

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