48.失われたはずの恐怖

48.失われたはずの恐怖






 食後のお茶を口にして、ニーナさんはほうっとため息をついた。

 ……これが、他の女性なら色っぽいとか、かわいいとかあるんだろうが。この人の場合、どうしても吐息に黒いナニカが見えるような気がして仕方がない。


「ありがとうございます。おかげで少し落ち着けました」


 そういいながらも、自分の机に詰まれた書類を視界に納めないようにしている。


 あー、この人にも人間らしい部分があったのな。


 とか思ったら、即ギョロっとした目つきで射竦められた。


「何か、失礼な事考えてませんでしたか?」

「イエ、キノセイデハ?」


 祟りが怖いし、食事も終わったので用件を切り出す事にする。


「実は聞きたい事があって、ここに来たのですが」

「とすると、これは賄賂ですか?」


 口角を吊り上げるニーナさん。

 あー、うん。冗談なのは分かるんだが。獲物を捕らえた怨霊にしか見えない。


「まぁ、そんな所です。スーちゃん、デザートをお願い」


 スーちゃんが触手を伸ばす。お茶の入ったカップ以外の食器を片付けると、皿にあるものが乗ったものをおいた。

 ニーナさんが目をしばたかせる。


「これは?」

「まぁ、俺の故郷・・にあったお菓子ですね。ハウスさんに再現してもらいました。あいにくと再現度は低いのですが」


 それは傘型のチョコレートに棒状のクラッカーを差し込んだもの。まぁ、ようするにキノコのあれである。ちなみにタケノコはない。俺はキノコ派なのだ。言ったように再現度は残念ながらあまり高くない。

 明治製菓へのリスペクトはあっても、その伝統を嘗めるつもりは毛頭ない。


 チョコレートそのものはこの世界にもあったのだが、生地に混ぜたり、チョコチップにしてクッキーにトッピングしたりと、メインではあまり使われていない。原因はこの世界のチョコが基本的に甘くないブラック味なせいだ。その点、これは砂糖などで甘くしてある。

 あくまで俺の趣味とガイドさんタケノコ派への嫌がらせ用であり、一般に普及させるつもりはない。身内用だ。


 ただ、ニーナさんに関しては、俺が異世界の人間だと知られていたし、また事情があって他にも色々とオープンにしてるので、これぐらいかまわないだろう。


 物珍しさからニーナさんがキノコのクラッカー部分を手にとって、口に入れる。こうすると手が汚れない。タケノコには出来ない芸当である。


「チョコレートが随分と甘いですね」

「向こうでは、甘いのがメインだったんですよ」


 スーちゃんはお茶のお代わりようのティーポットをテーブルにおく。甘いものには、甘くないお茶が必須である。


 2,3個ぽりぽりと食べていたニーナさんだが。


「そう言えば、聞きたい事があったんですよね」


 思い出したようにそう言った。

 あ、そうだった。派閥キノコ派を増やす事にとらわれて我を忘れる所だった。


「聞きたいのは、ダンジョンに入った冒険者達の現状です。俺が聞いた限りでは、あまり思わしくない様子だったので」


 恐らく、アルマリスタの事で一番情報が入るのはニーナさんだ。

 情報収集能力においては、この人の右に出る人はいない。


「そうですね。マサヨシさんが入っていた〈常闇の森〉もそうみたいですが、改変期を過ぎた三つのダンジョン全てが、全く別のものに変容しているようですね」

「そうですね」


 ここまでは、俺も聞いてはいた。

 ニーナさんはやはり状況を把握していた。その先も。


「そして、現状分かっている範囲では、エリア難度が以前よりも大幅に上がっているようです。推測でしかありませんが、未調査のエリアもそうでしょう」

「やはり、そう思いますか」


 俺はため息をついた。

 分岐型ダンジョンは、ダンジョンめいろとは呼ばれているものの、その正体は一方通行に多数の分岐路がついたものだ。その構造上入口近くは誰もが同じルートを通る事になるが、この時点でかなり強力な魔物が複数出現した。

 そして、分岐型ダンジョンは分岐の奥へ行くほど、魔物が強力になっていく傾向にある。


「これは内密にお願いしたいのですが」


 ん? なんだろう?

 俺からならともかく、ニーナさんから内緒話とは珍しい。


アーロンさんぼうけんしゃギルドから、他の街に人材的な援助を求める事を検討したい。そういう案件が秘密裏にマスター権限者にまわってきています」


 つまり、それほど切迫しているという事か。

 アルマリスタでは冒険者ギルド員の平均的な強さは、改変期前のダンジョンに適応したものだ。それ以上の強さは必要なかったからだ。

 レア守護者という突発的な要素こそあるものの、あれだって逃げて帰還石を使うという選択肢もある。


 今のアルマリスタの人員では対応しきれない。

 でも、それは。


「当然、外交的にはマイナスなんですよね?」


 ニーナさんはカクリと頷いた。


「外的要因ならいざ知らず、何百年単位とはいえ起こると言われた現象が原因ですからね。危機対応能力を軽んじていると見なされるのは当然でしょう」


 危機対応能力か。

 確かに備えをしていなかった点については弁解の余地はないんだけど。


「ニーナさん。今回のダンジョンの改変期についてはどう思ってます?」

「賢者ギルドとしては、通常の改変期だとしか」


 まぁ、賢者ギルド長としては迂闊な事は言えないか。


「ニーナさん。個人の見解を聞いても?」

「……これも内密にお願いしますね」

「もちろん」


 祟られたくないですから。


「実は改変期が始まってから、記録を調べたのですが……。複数のダンジョンを持つ街でも、同時に改変期を向かえたという事例はありませんでした。

 それでも二つまでなら、まだ偶然と言えたでしょう。しかし――」

「三つなら、必然だと?」


 再び、ニーナさんはカクリと頷く。


「マサヨシさんが言っていた、見えざるシステム。それが本当に存在するのなら、何かしらの干渉があった可能性はあると思います。

 ただ、何者が何の為にそれを成したのか。見当もつきませんが」


 彼女には俺の素性を全て話してある。

 異世界の人間である事。エレディミーアームズの事。……そして、向こうの世界の人間を見捨てた事。

 なぜ、話したか。それは彼女の協力が俺には必要だったからだ。

 元々異世界の人間である事はすでに知られていたし、あるいはそれ以上の事もそうだったかも知れない。だが、彼女の手を借りる為に、あえて俺は全ての手札をオープンにした。俺には熟達した交渉術なんてない。出来るのは全てをさらけ出す事だけだ。


 結果として、ニーナさんは俺のお願いを快諾してくれた。たぶん、俺は間違っていなかった。そういう事だろう。



「現在、見えざるシステムを運用している悪魔。それが今回の事態を引き起こした可能性はありませんか?」


 ん? 変だな?

 ニーナさんには、悪魔は味方なのは伝えてあるはずなのだが。疑われている?


「ないとは思います……。実はここのところ連絡がとれてないんですよ。トラブってるとは思いますが、俺達の不利益になるような事はしないと思います」


 実はエリカが来てから神明組とは連絡がとれていない。

 いい加減にヘルプさんが焦れはじめ、スキル名が【無:ほうれんそうは大切だと思うヘルプさん】になっている程だ。

 ここで、焦れているのであって心配ではないのは神明組だからだろう。


 イグドラシルとアルラウネ。

 それが神明のアカウントをハッキングしている悪魔だが、二人のうちイグドラシルの方は、悪魔の中でも最大の存在値エネルギーを誇る。ぶっちゃけ、何かあっても力ずくでどうとでもなるのだ。

 ただ、あのあくまの場合、存在値エネルギーがでかすぎて、意思疎通が普通の悪魔や人間には困難なのだ。


 何か言っても『うぇーい』としか聞こえないしな。


 その為、イグドラシルが己の分身として作ったのがアルラウネ。ハウスさんに例えるなら、ハウスさん家がイグドラシルで、メイドハウスさんがアルラウネだ。もっとも、アルラウネは独自の自我を獲得してしまっているが。

 イグドラシルの意思を正確に翻訳できる唯一の存在なので、ほとんど二人一セット扱いである。


「見えざるシステムは、他の悪魔が利用する事は出来ないのですか?」


 なんか、拘ってるな。

 引っかかる事でもあるのだろうか?


「システムの一機能になる程度なら可能だと思いますが」


 実際、ヘルプさんやガイドさんは、スキルとして存在しているし。


『システムに介入するなら、何らかの手段でアカウントを入手する必要があります。それも、ダンジョンの仕組みにかかわるものなら、かなり上位のアカウントが必要になりますね』


 ヘルプさんの解説をそのままニーナさんに伝える。


 彼女は考え込んでいる。無意識かも知れないが、手はキノコチョコに伸びている。


「何か気になる事でもあるんですか?」

「頼まれていた、件の兵器の調査なのですが」


 件の兵器とは、エレディミーアームズの事だ。

 これが、ニーナさんの協力を必要としている俺の事情。

 カイサルさんの持つ魔法具、十装。その一形態がエレディミーアームズそのものであった事を知り、彼女に調査を依頼していたのだ。


「残念ながら、それらしい事は何も見つかりませんでした。

 賢者ギルドのシステムが持つデータベース。そして、アルマリスタ図書館の禁書を含む資料にもそれらしいものが見つかりませんでした。

 この事から、少なくとも表の舞台で使われなかったか。あるいは実運用にまで至れず廃れてしまったといった、そういったものではないかと思われます。

 ただ……」

「ただ?」

「調べていく過程で、悪魔による拉致事件がいくつか見つかりました」


 うぇーい?

 要するにニーナさんが気にしているのは……。


「もしかして、俺達の世界の悪魔ではなく、この世界の悪魔が何かしたかを気にしているんですか?」


 三度、ニーナさんはカクリと頷いた。……そろそろ、普通に頷いてくれないかな。慣れたとはいえ、微妙にSAN値削られるんです。


「マサヨシさんも図書館に通っているのでご存知かも知れませんが、この世界にも悪魔と呼ばれる存在がいます。一般的には伝承レベルの存在とされていますが」


 俺は頷く。

 確かに図書館の資料には悪魔についての伝承が書かれていたものもあった。

 もっとも、具体的に何かをしたとかではなく、噂や都市伝説をまとめたようなもので、実態があやふやなものだったが。


「この世界。賢者ギルドでは専門用語としてシードワルドと名称付けられているのですが、――そこにおいて、悪魔の存在は古くから賢者ギルドに認知されていました。

 詳細な記録については禁書扱いなので表には出てませんでしたが」


 なるほどと納得する部分となぜと思う部分もある。


「なぜ、禁書扱いだったのですか?」

「悪魔が、神の存在と無関係ではなかったからですね。シードワルドにおいては神明種の浄罪を担う存在であるとされています」


 要は俺達の世界と同じ仕組みなのか。



 元の世界においては、悪魔は神に敵対するものとされてきた。

 俺が高校生だった時は、七つの大罪を元ネタとするゲームの敵キャラや、漫画、小説の登場人物が流行っていた。


 ただ、事実は小説より奇なりというが、実は悪魔の一体々々は――本来は悪魔の数え方は一柱が正しいらしいのだが、面倒なので一体で数えている――それぞれが人の罪を司っている。


 ただし、だ。人をその罪に陥れるものではなく、人の罪を一身に受け清める存在だ。いわば、水槽における浄化フィルターみたいなもんだ。たまに吸い寄せた罪が多すぎて、泣く々々メンテナンスに精を出すあくま達もいたくらいだ。


 ある意味で、悪魔は神の見えざるシステムの一部であったとも言える。それは、この世界――ニーナさん曰くシードワルドでも同じようだ。



 神イコール宗教が絡む問題なので、確かにうかつに公に出来るものではないか。


 ちなみに先に七つの大罪に触れたが、俺の身近な悪魔もそれを担当している。

 スーちゃんスライムが色欲、ヘルプさんジョロウグモが嫉妬、ガイドさんドラゴンが憤怒だ。

 後、イグドラシルとアルラウネは七つの大罪でこそないが、それぞれが生罪生きる事正罪正しくある事を担当している。二つあわせると原罪になる。




 もしもし、ヘルプさんや。この世界の悪魔とはコンタクト取った事はあるの?


『この世界を貴方の休養地として利用する際に、トラブルにならないように呼びかけたのですが、まったく反応はありませんでした。神が不在だと判明した時点で、すでにこの世界を捨てたものと判断していたのですが……』


 確認はしてたのか。


「こちらの悪魔によると、シードワルドの悪魔とは接触出来なかったようですが」

「無理もないでしょう。いつ頃からかは不明ですが、少なくとも拉致事件のあったあたりで、彼らは種族としての役割を放棄しています。それ以降も賢者ギルドで秘密裏に網を張っているのですが、一向に引っかかりません」



 その網がどういったものかは想像もつかないが、悪魔を相手どれるような組織だ。相応の手札を持っていると見るべきだろう。

 そこで、ふと疑問が湧いてくる。



 なぜ、賢者ギルドが悪魔を相手取っている?


 確かに拉致など人道的に問題のある行為だが、仮にもギルドという組織が情だけで動く事はない。ギルドは街の機能の一部であり、その本質からそれた行動は許されない。これはアルマリスタだけではなく他の街でもそうだろう。



 まぁ、これについてはあれこれ考えるより聞いた方が早いだろう。


「賢者ギルドが悪魔と関わっているのは、拉致事件の被害者に賢者ギルドが保護していた人々が少なからずいたからです。しかも複数の街にわたってです」


 うぇーい。

 聞くよりも早くに説明された。

 この人、本当に読心スキル持ってない?


「複数の街という事はアルマリスタ以外にも?」

「はい。異能の盾を名乗る私達にとって恥ずべき事かもしれませんが、当時守りきれた人達はごく一部に過ぎず、多くのギルドが少なくない損害を被ったそうです」


 ……悪魔ってーのは普通は人が対抗できるよーな存在ではないんですが、それを恥ずべき事って。

 その当時にもニーナさんみたいな人がいっぱいいたんだろうか?


 ニーナさんがいっぱい?

 ……それってどんな悪夢だ。


『マサヨシ様。それがいつの事なのか。拉致されたのはどういった人達なのか聞いてもらえますか?』



 ん? おーけい。

 ヘルプさんとしては、異世界とはいえ同胞のした事だ。気にはなるだろう。


「ニーナさん。その悪魔による拉致事件とはいつ頃に起きた事ですか?」

「約百年前になります」


 百年前かー。結構昔といっていいのかな?

 ………………。


 百年前?


「百年前というともしかして」

「神明教統一戦争の最中から戦後間もない頃までの間に起きてますね」


 神明教統一戦争。しゅーきょー戦争の名を借りた略奪戦争。

 ゴブリン族の悲劇も元を正せばここにある。


「恐らく、悪魔達は戦争の混乱を見計らって事に及んだのでしょう。……あるいは」

「あるいは?」

「そもそも、拉致の目くらましの為に戦争を起こさせたのか」


 ……それはちょっと。大げさすぎね?


 俺の疑問の気配が伝わったのだろう。ニーナさんは付け足した。


「賢者ギルドが保護するような人々がどういったものなのか、考えてもみて下さい」


 賢者ギルドは異能の盾。

 異能と一口に言っても色々あるだろう。ただ、この世界においては分かりやすい形がある。



「拉致被害者はユニーク職業、あるいは特殊系スキル持ち?」

「記録上、拉致されたのは例外なく両方に該当していましたが、目的は恐らく前者でしょう。特殊系スキルは魔物でも取得出来ますから」


 確かに特殊系スキルはスーちゃんも持ってるし、精霊のハウスさんも持ってる。


「しかし何の為に?」


 この言葉は特に何も意識していなかった。自然に漏れた。

 こんな何気ない言葉が戦慄あくむの呼び水になるとは思わなかった。


「もしも、マサヨシさんからエレディミーアームズの件を聞いていなければ、あるいは別の結論があったのかも知れませんが」


 背筋に冷たいものが走った。


 なぜ、ここでエレディミーアームズの名前が出るんだ?


 ニーナさんの冷えたような声音が室内に響く。


「確証はありません。ただ、本来我々と交わる事のないはずの悪魔が拉致という事実。拉致対象が異能の象徴とも言えるユニーク職業であった事実。

 その二つの事実にエレディミーアームズの特性を考えると、一つの可能性に行き着きます」


 俺は思わず唾を飲み込んでいた。

 普段は怖いと思ってしまう、髪に隠されたニーナさんの目。だが、今はその奥にある何かこそが恐ろしい。


「ま、さか……」

「悪魔の目的はユニーク職業の方々の脳。ユニーク職業とはエレディミーコアの持ち主である可能性を私は考えています」


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