自分という終着駅
1
初夏の青く澄み渡った空の下、俺と
「……というわけでそこは日本の名水百選にも入る地域である上に、温泉の名所だ。一泊二日くらいなら受験勉強の息抜きにもなるでしょ」
そんな話で一駅、また一駅と電車は街を離れていく。旅の道連れに、駒浦は最適であった。話は適度に途切れず、また続きすぎず重すぎず、例えてみればそれは遠足で許される五百円までの駄菓子のような役割を果たしていた。
「素敵な所だといいな。すごく楽しみ」
そんな駒浦の話に主に反応を示すのは、柚希の隣の席に座る女。確か名前は、
どうしてこんなことになっているのか? 話は一ヶ月前にまで遡る。
約一ヶ月前、俺は思案していた。
今年は受験生だ。これからは当分、休日だからといって出かけて遊んだりなどという暇はもうあるまい。そもそもそんな高尚な趣味を持ち合わせてもいないが。
しかしあと一ヶ月もすれば、四ノ倉柚希の――俺が心の底から想い慕うひとの――誕生日がやってくる。……十九歳の。そして俺は、彼女の誕生日をちゃんと祝った記憶がない。こんなに一緒にいるのにもかかわらずそんなこともしてやれない彼氏というのは、一般的に考えても少しおかしいとは俺だって思う。
しかし正直な話、祝う相手があの柚希では、何をしたら喜んでくれるのかよく分からない。確かに彼女は素直で、嬉しい気持ちなんかはちゃんと笑顔で表現してくれる。けれど、何をしたら、ということを考えると、それは俺が
「やあ、今日も考えごとかい」
駒浦小径の、軽妙な口調で思考が遮られた。クラス替えがあったにも関わらず、三年になってもまたこいつと同じクラスになってしまった。
「悪いか」
これはもう、腐れ縁としか言いようがない。
「悪いとは言ってない。ただ、何か考えるときのその、全世界の不幸を背負ったような顔は今すぐにでもやめるんだね。四ノ倉さんを見習え」
こいつとは二年時にいろいろあったけど、なんだかんだとそれなりの仲になった。もし誰かに、男の友人を一人挙げろと言われたら、不本意だがこいつの名を答えることになるだろう。
「……それならそれで、人が寄り付かないからちょうどいい」
「実際的にも不幸な少年だったね、お前」
減らない口はなかなか閉じない。俺は呆れるばかりだ。
「……何を考えていたか、当ててあげよう」
そう言って駒浦がにやりと笑う。こいつが意味ありげに笑うときには必ず、意味がある。
「そうか、当ててみろよ」
形ばかりの虚勢を張ってはみるが、
「四ノ倉さんの、誕生日」
……図星だった。
「この……情報屋が」
駒浦は、あらゆる人間や人間関係の情報を収集し、把握する能力に長けている。他人に対する興味が並じゃない。その好奇心を行動に移せる実行力もまた、呆れるほどすごい。ゆえに奴には、「情報屋」という呼び名がついている。
「褒め言葉として受け取っておくよ」
つくづく呆れた奴だ。しかし、奴の本当に手強いところは、そんなおかしな趣向を持っているにもかかわらず人望に厚い点に限る。成績もいいし、各種スポーツもそつなくこなす。おまけにルックスも爽やかで申し分ないから、みんなが疑うことを忘れるんだ。
「で、どうするつもりなんだ。その日は休日だね。おあつらえ向きってやつだ」
こいつはちょくちょく、俺と柚希の様子をこんな感じで窺いにくる。それもそのはず、こいつは柚希に惚れてるんだ。一度の玉砕で折れることなく、こうして接触を怠らないあたり、さすが「情報屋」とでも言えばいいのか、もしくは奴が印象以上に一途な奴なのか。とにかく、奴が何をしたいのか、未だによく掴めていないところがある。
ようやく分かったのは、奴がそんなに悪い人間ではないということくらいだろうか。
「お疲れ様だったねえ、期末テスト」
柚希の誕生日まであと二週間に迫り、俺たちは一学期末を迎えていた。定期テストのある日は、その最終日も含めて昼前の放課となり、学生たちは方々に散る。今回は土日を挟まず、火、水、木、金曜日の試験日程だったから、どんな休日を過ごそうかとみな心を弾ませているのだろう。
そんな中での、駒浦との会話だ。
「ああ、疲れたな。今日くらいは帰ってすぐ寝るか」
適当にそう返す。言うが早いか口からあくびも漏れた。眠い。
「ある調査によって最近の若者の休日の過ごし方のダントツ一位が惰眠をむさぼることだということが判明して、お偉方は憤慨しているらしいね。でもそれは当然の結果なんだ。最近の若者の平日は恐ろしく忙しいんだから。
……違う、俺はそんな話をしにきたんじゃない。これを見てくれよ」
これって何だ、と聞く前に、駒浦が手渡してきた紙に目を通す。……計画書、のようだ。
およそ三分ほど、そのB5用紙二枚を睨む。印字された書類は、それなりの分量だった。
目を通し終わり、とりあえず一言。
「これ、いつ書いたんだ」
格調ばかりやけにサマになっていやがるが。
「昨日の午後。今日の科目はだいたい大丈夫だったからね」
「……なめきってるな」
「学年のトップ三人がいつも固定してきて、最近つまんないんだよね」
そう、駒浦は要領がいい。その要領の良さを最大限に生かしてか、定期テストではトップレベルの成績を叩き出す。
話を元に戻す。
「で、つまりこれは何だ?」
「三分もかけて読み込んで、それはないだろ」
駒浦がむっとした顔で、俺の手から計画書を取り上げた。
「どういうつもりなんだと聞いているんだ。『駒浦スペシャル 一泊二日温泉旅行ツアー』だって? ふざけるな」
「ふざけちゃいないさ。むしろ、大真面目な話。お前、四ノ倉さんとはあの林でしか話してないだろ? たまにはパアッと羽を伸ばそうじゃない」
「あの林」と言ったときに駒浦が指した親指の方向のあまりの的確さに、俺は言葉を奪われた。『四ノ倉さんとはあの林でしか話してないだろ?』という駒浦の言葉は、全くその通りだった。
俺たちの通う学校の校庭の片隅には、人目につきにくい竹の林があって、俺と柚希はそこで出会った。俺たちは多くの悲しみや嘆きをそこで語り合い、生きる喜びと確かな愛情をそこで育んだ。
そして俺たちは、それ以上のことを相手に求めることもしなかった。ほかの場所で会おう、とか、休日に会おう、とかも言わなかった。
そんな、二の句も継げないでいる俺に向けられた駒浦の視線は、鋭かった。
「君らの関係に、不満足なところがあるなんて言わないし、思ってもいない。俺の調査によれば、お前らは今や誰もが羨むベストカップルだ。
でもな、これから先も一緒にいようと思う相手なら、君らに必要なのは思い出だ。違うか?」
駒浦という人間を、無理に一言で言おうとすれば軽い男だ。しかし、人間を一言で表そうなんざやっぱり無理な話であり、それは駒浦に対しても例外ではない。この言葉はまぎれもなく駒浦の精一杯の気遣いでありそれ以外のなんでもなかった。普段に似つかぬ大真面目な顔に、笑って答えることなんてできない。俺と柚希の胸に共通して残る、思い出を思い、これからも二人でいられるようにという小さな祈りを思うと、笑うことなんてできなかった。
「……心は、決まったようだな」
いつからだろう? 駒浦のこの笑みが、信頼の証になったのは。
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