5

 あれを聞いた時の紺崎の顔を思い出すと、愉快なような、不愉快なような思いがする。こんな卑怯な俺は、自分でも嫌気がさす。

 あの二人にどんな経緯が、絆があるのか俺は知らない。ただ、一石を投じたような、そんな感覚があるのは確かだ。雨が降って地は固まるのか、それとも脆く崩れ去ってしまうのか。

「どうする?」

 紺崎はどう動く? 四ノ倉さんはどう乗り越える?

 そして。

 俺はいったい、何をしているのだろう。




 自分の足の赴くままに、俺は例の竹林に向かっていた。そこは涼しくて爽やかな空気が流れていて、「いいな」と単純に思わせる所だった。人が座れそうな広さの芝を見つけた、その時だった。

 ガサガサガサ。

 その辺りから音がする。人の気配もする。四ノ倉さんだったら? 紺崎だったら? 焦りとも恐れともつかない自問。

「……君は……」

 俺は肩の力を抜いた。姿を現したのは、四ノ倉柚希氏だった。




「距離、速度、そして時間はともに相互関係があってそれに例外は見当たらない。たとえば道を走る車。たとえば海面を走る波。波がそうであるのなら、音も光も同じことが言える。……波の仲間だからね。

 そう、物事の普遍性は、世界の全てを包み込む……」

 初めての会話でこの人は全開か。しかも、文庫本を読み進めながら。クラス一位の話が嘘みたいだな。

「あなたは……駒浦君、だっけ」

「あ、知っててくれたんだ、俺の名前」

「同じクラスじゃん、当り前だよ……」

「いや、光栄だね」

 そして、人当たりのいい笑顔。これは俺の武器の一つ。

「たまに、望道と話してるでしょう?だから、知ってる」

 タカミチ、と聞いてすぐ紺崎の名前が出てこなかった。「紺崎」じゃなくて、「望道」なのか。

「仲がよさそうで、何よりだね」

 嫌味に聞こえなかったかな。俺は少し弁解する。

「紺崎、前より元気そうだ。少し、明るくなったっていうか。四ノ倉さんのおかげだと、俺は思うよ」

 自分で言っていながら、胸がチクリと痛む。

 それなら、いいんだけど。彼女は小声でこう呟いた。俺はそういう反応に、人並み以上には敏感だと思っている。

「それとも……何かあった?」

「何もない」

 即答かよ。本のページが一枚パラリと捲られる。ガードは固いけど、分かりやすい人なんだな。

 俺は敢えてそこで言葉を紡がないことにする。話したいと思っている人は、遅かれ早かれ誰かに話したがるもの。彼女は紺崎以外に話し相手がいないと見た。彼女が紺崎に話せないのならば俺がその役割を代わりに担って何が悪いもんか。

 十秒……二十秒……。時は経過する。四十秒……五十秒……。竹がサラサラと風にもてあそばれる。

 本のページが一枚パラリと捲られる。

「普遍性が世界を包むなら、私もその一部でありたい」

 一分が経っていた。だけど、と言いかけて彼女はうつむいた。そのせいか、声量が小さくなった。

「だけど私は、私を普通だと思ったことがない。人と違ってつまらないことしか考えないし、人付き合いも得意じゃない。それに……」

 みんなよりも、年齢が一つ上だから、と続くんだと思う。俺は知っている。でも、口が裂けても喉が裂けてもそんなこと言いはしないさ。彼女は続けるのかな、続けないな。俺に言う必要のないことだから。

 無言を飲み込んだ。

「……一緒に話ができる人が欲しいなって思った。男女とか関係ない。物理学じゃなくたっていい。私を、近くで私として認識してくれる人が欲しかった。

 そして、ここで彼と出会った。彼は良く感応する人だった。たまに情緒が不安定になるけど――最近ちょっと賢くなったかな――いつも本気で、正直で、淋しがりやで、私にそっくりだと思った。彼には内緒だけどね、私はすぐ、彼とは仲良くなれると思ってた。本当にそうなって、私は本当に嬉しく思う」

 この言葉を、四ノ倉さんの口から聞いた俺のプライドはもう、ズタズタだ。でももう、俺はプライドなんかで生きはしない。今目の前にいる彼女のために捨てたプライドなのだから。

 尾行も、裏切りも、今までの俺なら恥ずかしくってできなかった。

「なあ、もし紺崎以外の男に告白されたら、どうする?紺崎以外の人をマジで好きになること、あるかな」

 頭のいい四ノ倉さんには、分かってほしい。俺がこの台詞で、四ノ倉さんへの気持ちを伝えていることを。思いは募り、思わず彼女の手を握ってしまっていた。

 それは白くて細くて、温もっていた。

「俺じゃあ、駄目ですか?」

 知らなかった。俺の、狭くてつまらない心中に、これほどの思いが詰まっていようとは。

「あなたの隣に、俺がいちゃ駄目ですか?」

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