第88話

 マリーに貰った魔力回復の果実の影響で一時的な絶不調に陥った。

 しかし、それからもなんとか立ち直った頃にはもうはや日も傾いている。

 兵士によって声をかけられ、些か好調くらいの体調に落ち着いたので立食会に参加することに。

 流石に最低なお漏らしの匂いを漂わせている制服を着る訳にはいかず、かと言って戦斗服も場にそぐわないので私服を着る事にした。


 少し使いこんだ気のする、色がいい具合に褪せて格好良くなってしまったジーンズ。

 速乾半迷彩、半OD迷彩デザインのTシャツ。その下にOD柄の寒さ対策の長袖シャツを重ねる。

 襟が立つ半そでのスプライト柄のYシャツで若干一般人チック。

 ミリタリーブーツは頑丈で有りながら走ったり壁をよじ登る時にも役立った。

 寒さが際立ってきたので、ミリタリーパーカーも着る。OD柄が格好良い。

 首にはヘッドホンをかけている、暇な時は音楽が即座に聞けるように服の内側を通してポケットにウォークマンだ。


 さて、果たしてコレが立食会に即しているかどうか?

 ……まあ、国王の前で畏まるのは過ぎたのだし、無礼講だとしても見苦しくない程度に自分を見せておいたほうが良いだろう。


「よっ、ぼん。迎えに来たぜ」

「アイアス……」


 若干胃痛になりかけていた俺だったが、格好良く壁にもたれかかっていつの間にかやってきていたアイアスと会う。

 そう言えば、まだまともに再会出来ていなかったなと思い出す。

 薄情だと罵ってくれてもいい、余りにも一杯一杯過ぎた。


「や、っほ~」

「ロビンも来たのか」

「だめ?」

「いや、来てくれるだけ嬉しいよ」


 なんだか、色々な事を思い出す。

 誰かが来てくれると言うだけで、孤独じゃないように錯覚できるから安い人間だ。

 昇任の際に雲の上の人に対して申告をする時は先輩や班長が居てくれた。

 他にも小中高と何かしらの表彰をされる時に、大体前日の夜は親が落ち着かせに来てくれたっけな。

 興奮、緊張、不安、萎縮……そういったものは、未だに小さく出来ない。


「そういや、坊とはまだ再会の挨拶して無ぇと思ってな。ったく、また色々とやったみてぇじゃねぇか」

「ん、りっぱ」


 嬉しそうに近寄ってくるアイアスに背中を思い切り叩かれ、ロビンには頭を撫でられる。

 居心地の良さを感じるが、恥ずかしさを感じて逃れるように距離を置いた。


「お褒めいただきどうも」

「おいおい、皮肉でも何でも無ぇぞ? 突如現れた素性不明な召喚された一人の青年が、一度目は主人と救える人を救った結果誰かのために一度は命を失った。そしてこの前はマリーを救う為に……まあ、なんだ。英雄の一人と対峙して撃退して救ってくれた。それで終わりか? と思えば、二度も人々を救ってきてる。いや、船を含めれば三度か──。あぁ、少なくとも多くの奴には真似出来ない所業だ、そこんトコ胸張っとけよ」

「ん。ヤクモ、がんばった。ほこってい~」


 誇っても良いと言われたが、そこらへん俺には良く分からない感覚だ。

 誰かの為に尽くせ、国の為に尽くせ、己の為に尽くせ、忠義や信義の為に尽くせ──。

 様々な言葉が渦巻いていて、いちいち誇る気にはなれなかった。


「立食会ってのは、面倒臭いものと言う認識で良いのかな?」

「ん? 面倒ってのは流石に幅が広すぎるな」

「あ~、ん~。そうだな。見定める為の見世物にされて、自分からこの国へ、この国の人からおれに対してのコネ作りが個人的に行われたりとか。あるいは逆に衆人観衆の多い中で俺の不当や非等を挙げ連ねて名声等を疑わしい物にするとか、色々?」

「──まあ、大方そんなとこじゃねぇの? しっかし、なんだ。若いのによくそこまで判るな。頭の目出度い奴なら何の警戒も無しに突っ込んでいって、後で頭を抱えるような状況や出来事に直面するってのに」


 いや、そりゃね? 色々な作品とか見てきてるし、俺の本質が臆病であり警戒で出来ているからと言うのもある。

 回復アイテムや弾薬が配置されている場合は罠だと思うし、それが大量であれば閉じ込められて敵ラッシュやボスが来るとも分かるような物だ。

 救急セットを取りに行ったら上から車が降ってきて押しつぶされるとか、絶体絶命都市だのシリアスサムだので学んだ。

 好意に見せかけた悪意だって十分に有るし、むしろ善意よりも私利の方が多く存在するだろうと。


「アイアス、たくさんしっぱいした」

「嫌な事を覚えてるねぇ……」

「参考がてら聞いても良い?」

「坊も人の傷口抉るんじゃねょ!? いや、大した事じゃ無ぇが……」


 そう言ってアイアスは鼻の先を照れくさそうに掻いた。

 英雄にも余り人に言えない傷があると言う事だろうか。

 傷と言うよりも、人に言いたくない恥ずかしい事かも知れないが。

 

「絶対に言うなよ? ロビン、離れてろ」

「ん、りょ~かい」


 そう言ってアイアスはロビンを遠ざけ、俺の肩に腕を回して内緒話をするように近づいた。

 まるでこのノリは悪友のようで、若干ではあるが心落ち着かせてくれる。


「──まだ純粋だった頃、同じように楽しい場が設けられたんだよ。んで、持ち上げられて、チヤホヤされて、酒を沢山飲まされて──」

「気がついたら同じ床に裸の女の子でも居たと?」

「おい、待て。なんで手前ぇがそれを知ってやがる? 誰か漏らしたな……?」

「言われなくても思いつく事柄の範疇だっての……」


 もっと酷い過去だったのだろうと思っていたが故に、尚更落差に溜息しか出なかった。

 これで話は終わりだなと思って離れようとしたが、アイアスが再び組み付いて続ける。


「いんや、坊は分かってない。酒で記憶が無い、なのに床に居た相手は関係を持ったと嘯く。当然真偽は分からないが、みっともなくて相談もできやしねえ。そして来る日も来る日も意味ありげに話しかけてきたり、関わってきたりする度に覚えのない事で心臓が縮み上がる思いをしっ放しだった。相手の父親は圧力をさり気なくかけてくる、母親もなんだか祝い事のように少しウキウキ気分だ。そのまま婚姻を結ぶ事になるのかと、いっそ毒でも飲んで死んでやろうかと思った」

「──……、」


 ゴクリと、意識せずに唾を飲み込んでいた。

 もし自分が同じように持ち上げられ、酒を飲まされ、翌朝目が覚めたら記憶が無い上に裸の女の子が居たら……。

 ――うん、少なくとも死にたくなるのは間違いない。

 少なくとも俺は記憶がなかったとしても「いや、無えわ」といえる。

 なぜなら”射撃予習は立派”でも”実弾演習”は一度もした事が無いからな!

 ……言ってて悲しくなってきた。


「まあ、後になって仕組まれた事で、相手もただ寝てる所に潜り込んだだけで何も無かったんだけどよ。ありゃマジで良くなかった……だから気をつけとけよ?」


 アイアスの実感の篭った、重たい注意勧告を聞いてより一層警戒すべきなんだろうなと思った。

 まあ、どうせ見知らぬ連中ばかりだ、話をするのは大丈夫だけど踏み込ませない事に関しては得意だ。

 上辺だけ綺麗に取り繕って、相手が満足するように話をして、自分の事は多くを語るようで核心に触れさせなければ良い。

 道化を演じるのは得意だし、必要があれば相手を挑発する事だって媚を売る事だって厭わない。

 それが最善だと思えるのなら、傷つかずに居られるのであれば一番だ。


 アイアスの忠告に感謝し、一応ロビンとアイアス二人から服装が大丈夫かどうかを確認してもらう。

 ただ、二人ともそこらへん余り気にかけていないのか──


「ん? あぁ、まぁ……。大丈夫だとは思うがねぇ」

「だいじょ~ぶ」


 等と、余りにもアドバイスになりそうに無いアドバイスを貰った。

 二人とも私服だし、俺も良いよな? と考える事にする。

 そろそろ出るかと言う事で、二人について行く形で俺も会場まで向かうことにする。

 どうやらタケルやファムは既に向かっているらしく、途中でマリーを拾うのだとか。


 だが、マリーのことを考えてしまうと前の出来事を思い出してしまう。

 ……情けない話だが、魔力供給過多で性欲と本能が溢れそうになった上に、その心情を吐露してしまった。

 出来れば会いたくない、二人きりになったら多分赤面して何も言えなくなる。


 彼女の事を振り切ろうと、俺は兼ねてから抱えていた疑問を訊ねた。


「そういや、アイアスはアルバートに訓練つけてるんだよな?」

「んぁ? あぁ、まあ……そうだが。どうした? 突然」

「それって命令で引き受けてるのかな~、とか。考えちゃってさ」


 本来であれば疑問ではあってもそんなものは他人の事情だ。

 興味はあっても踏み込んだ事を聞くつもりは毛頭ない。

 それでもこれからの未知の恐怖と、マリーに対する羞恥心を上塗りで誤魔化すにはそういった踏み込んだ事でも聞かなければやってられなかった。


「命令、じゃぁねえなあ。半分は自分から、半分は頼まれてってとこだな」

「ふんふん」

「知ってのとおり、タケルとファムがツアル皇国で最前線を押し留めてくれてる。なら異国に居る自分に出来る事はなんだろうなって考えりゃ、こうやってヴィスコンティでの戦力を少しでも強化して、整えてやる事だな。最近じゃ貴族連中がどうにもきな臭え。そういった奴らに睨みを聞かせて、下手なことをさせないという事で二人の背中を守ってるという考え方も出来らぁな」


 たしかに、道理に叶っている。

 ヴィスコンティの……マルコだったな、うん。

 貴族だから偉い、だから何が何でも許される。

 そういった思想や思考があの若い連中にも蔓延っているのなら、大分キていると思う。

 タケルやファムはヘルマン国と共同で魔物を押さえているのに、その背後で腐敗した貴族連中が騒動をおこせば戦線に支障を来しかねない。

 そう言う意味では、アイアスのやっている事は正しい。


「分かってるさ。本当なら槍を振るって魔物を蹴散らして、何が人類の脅威なのか分からないまま現状を維持するのは馬鹿馬鹿しいってのはな。だがな、同じように何が原因で脅威になるのか分からない以上、貴族の阿呆どもに睨みを聞かせながらあの三男坊の相手をするのも悪い手じゃない。全員が同じ場所に居て、情報の幅と目の届く距離を狭めたら無意味だ」 


 そう言ってからアイアスは少し間を置いて、俺を見る。

 いつもの兄貴的な好印象な物ではなく、友好的な──優しさを交えた表情を見せた。


「だから坊、お前がやる事となんもかわんねぇよ。坊は言われるがままだっただろうが、何かしらの取っ掛かりを探ろうとしてる。そしてそれが誰かの──あの使い魔の嬢ちゃんや主人のミラノの為になるかも知れないと考えてる。その点じゃ一緒だ」

「……そっか」


 幾らか気がまぎれる。

 それが知的好奇心の満足ではなく、相手の担っている物の方が大きいからこそ、自分の事なんて矮小すぎて笑えるというだけの話だ。

 そう考えるとマリーに対する気恥ずかしさも薄れていく。

 また、俺は逃げ出したのだなと言う自覚だけが残った。


「死んでも尚そこまで人類の為に尽くせるだなんて、俺には立派だなとしか言えないな」

「別に。多分坊も同じ世界を、同じ状況を、同じ経験を、同じ空気を、同じ顔を、同じ体験をしたら嫌でも思うさ。──二度と日を見る事のない寒い世界、灰と雪が魔力を帯びて常に降りしきる世界、飢えと乾きに苦しんで子を産んでは死んでいく母親を看取る世界。空気が、風が全て肌を裂く様な……弱者をあの世に送る世界。安寧も無く、ただ俺達を死に追いやる……あの穢れに穢れた世界を、未だに忘れる事なんか出来やしない」


 その時のアイアスは、遠くを見て睨みつけるようであった。

 アイアスの記憶にしかないかつての戦い、そして環境や状況。

 それら全てを想像した所で、十分の一にも満たないだろう。

 日を拝む事の無い世界、風と空気が肌を裂くような痛みを伴い、灰と雪が降り注ぐ世界……。

 たぶん、それは終末と言うのだろう。

 地表が人類の物ではなくなり、横穴や地下に隠れ潜む事しか出来なくなるような世界。


「それを防ぐ為なら、何だってしたくなるってもんさ。だから坊、その為に悩んだりするくらいなら時間の無駄だ。思い切って踏み込んでみれば、後は死ぬか生きるかしか無ぇ。死にたくなければ足掻け、それで生き延びれば勝ちだ」


 遠まわしにだが、悪夢に繋がるような発言だ。

 あの夢の中で……アイアスとロビンは、俺と同じようにヴィスコンティを離反してこの国に居付いた。

 だが、ロビンもアイアスもタケルやマリーによって敗北し、死んでいたのだが。


 ……一瞬、あの現実といっても違いの無い世界を思い出してしまう。

 マリーとの口付け、英雄たちの死、ヴィスコンティの消滅と知り合いが多数死んでいた事実。

 牢獄での飢えと乾き、公爵の葛藤と老い、ヘラの謝罪のような告白と……死。


「アイアスは、もし人類の未来の為になると思うのなら場所を変えたりするつもりは?」

「──突然何を言い出すかと思えば。俺たちは使い魔であり、楔によって常に動向を見張られてると言っても過言じゃ無ぇからな。やるかどうかじゃ無ぇ、出来るか出来ないかの話になる」

「出来るとしたら?」

「……ま、状況によるだろうな」


 その言葉を聞いて、俺はますますあの悪夢が否定できなくなってしまった。

 ロビンに聞こうとは思わなかった、聞いてしまう事で不安要素が確定事項になってしまいそうな恐れがあったからだ。

 しかし、それはそれで”不確定である”と言う事で悩みを深めてしまう。


 それ以降の言葉は無いままに、マリーの滞在しているだろう部屋にまで行き着いたのだが──。

 なんだか、けむい。

 まるでハーブだのアロマだのお香だのを焚いている様な感じで、臭いと言うよりは眠気を覚ますような爽やかな香りがする。

 アイアスが脇に控えている兵士に「ちょっと悪ぃ」と言ってから扉を無遠慮に叩いた。


「お~い、マリー。迎えに来てやったぜ~」

「マリー、すぐでる」


 アイアスがドンドンドンと扉を叩く、ロビンもドガドンドンと扉を叩いた。

 しかし、マリーの返事が無くアイアスとロビンが顔を見合わせると扉を執拗に叩き始めた。

 最初はただの騒音だったノック音が、いつしかロビンによってパーカッション調に変えられていく。

 そしてアイアスの言葉がまるでラップのようにさせられてしまった。

「時間通りに来いって言ったのお前だろ? なのに反応なし、返答なし、音沙汰無しとはどういう事か。ここに居る連中に──」

「「やめんかぁ!!!」」


 俺はアイアスがノリノリで身体を揺らし始めたのに突っ込みを居れ、ほぼ同じタイミングで開かれた扉の向こうからマリーがロビンの頭を引っ叩いた。

 傍にいた兵士がこちらを見て驚きを隠せずにいたが、俺とマリーがそちらを見ると顔を背けた。

 どうやら関わりたくないらしい。


 アイアスとロビンがそれぞれに謝り、一息つくと──マリーが俺を見てそっと目をそらす。

 何かしたっけなと思ってしまったが、自分が意識を切り替えたとは言ってもマリーの方はそうじゃなかったという事実に思い当たる。

 あぁ、うん。上塗りして俺は乗り越えたけど、マリーはそうじゃないって話しだしな。


 ここでどうするかは俺にかかっているが、アドベンチャーゲームのようにポンポン選択肢が浮かぶわけじゃない。

 じゃあ何が出来て、状況の打開に繋がるだろう言動は何かを思い浮かべた。


①急いだほうが良さそうだと、至極真面目に相手の気持ちを切り替えさせた。

②さっきはゴメンと、軽く謝罪をした。

③変な果物を食べさせたせいで酷い目にあったと、マリーに全責任を擦り付ける。

④ちょっと体調がと、腹を押さえて臆病さに飲まれた。

⑤あれから暫くしたら調子が良くなったよと、むしろ感謝する。

⑥何も言わずマリーを無視する。

⑦とりあえず彼女を流れで叩き、彼女をあえて怒らせる。

⑧いやぁ、お前に劣情を催してゴメン! 等といって、包み隠さず開けっ広げに謝る。


 ……アイレム作品かと言いたくなるくらいに、選択肢の数はあっても実質数個位しか選べない。

 選べるとして、無難なのは①、②、⑥、⑦くらいだろうか。

 誠実を貫くか、場の空気に彼女が即していないと気付かないフリをするか、道化を演じるか。

 ただ、今しがた騒いでしまった事を踏まえて俺は急いだほうが良さそうだと告げる。


「タケルやファム、それにヘラが先に待ってるだろうし。こんな所で騒いだのを見咎められたくない。急ごう」


 今の俺は真面目な面構えが出来ているだろうか?

 少なくとも気持ちは公モードに出来ているはずだ、じゃ無ければ気恥ずかしさを隠せない。

 俺が仕切るようにアイアスとロビンを見て、それからマリーを見た。

 すると、彼女は俺の顔を見るなり帽子の唾を掴んで表情を隠した。


「ご、ごめん。少しだけ待ってくれる? 直ぐに準備を終わらせるから」

「じゃあ、待ってる」


 再び扉が閉ざされ、俺たちは待ちぼうけを受ける事になる。

 アイアスは何も言わずに壁に背を預けて口笛を吹いている。

 だが、ロビンが俺の顔をジッと見つめているのに気がついた。


「ん、なに?」

「なんか、へんなかんじ」

「……どゆこと」


 ロビンがまるで人が食べ物を隠しているのを疑う犬のように、様々な角度からその目で瞬きする事無く見てくる。

 俺は疚しい事がとりあえずは思い浮かばないので堂々としていたが、最後に彼女がおでこがぶつかりそうな距離から俺を見てくる。


「……わからない」

「って、お~い。分からない曖昧な──」


 ロビンが身体を離す瞬間、彼女の目の奥で何かどす黒い”朱”を見た気がした。

 しかし、それが何なのかを再確認しようにも彼女は既に離れている。

 ……目を閉じてみると目蓋の裏で焼け付きが起きていて、ストレスとかでチカチカしているのかもしれないと思いなおした。


 そして余り時間の経たぬ内に再び扉が開かれてマリーが顔を出す。

 別段、どこか変わっている様には見えないが……。


「ごめん。ちょっと、色々実験してて。その片付け」

「ったく、一人で行くのは嫌だって声をかけてそれかよ」

「やる事が無いんだもの、ちょっと前後したのは想定外」


 アイアスとマリーがいいコンビ具合を見せ付けてくれる。

 俺は残念ながら案内が無いと行き先も判らぬ男だったが、ロビンが察して「こっち」と招いてくれた。

 歩く距離が長くなるにつれ、徐々に喧騒が聞こえるようになってきた。

 そして……憂鬱な時間が始まった。


 タケルやファム、ヘラと合流できたのは良かった。

 しかし、だ。開始前から俺たちへのアプローチは始まっていた。

 品定めともいえるし、それこそゴマすりとも担ぎ上げともいえる賛辞が送られてくる。

 しかも──しかも、だ。酒などが普通に用意されている席だと言うのに、同年代から少し年上、或いは年下の女の子がちらほらと居る。

 聞けば「身内をつれてきた」との事らしいが、俺はもうこの時点で吐き気を催していた。


 首をフルフルと横へと振ってタケルに「知り合いの傍から離れたくない……」と漏らす。

 子供の頃に父親の仕事の関係で連れて行ってもらった立食会とは訳が違う。

 あの時のメインは父親であり、子供である俺はただのオマケだ。

 しかし今ではオマケではない、辛うじてではあるがメインなのだ。

 

 アイアスとタケルはすぐさま若い男によって囲まれてしまった。

 無理も無い話で、名声や力、忠義や技など男からして見れば目指すべき相手だからだろう。

 

 じゃあロビンはと思ったら、なんだかお偉いさんの相手をしながら隙を見て飯をたらふく食べている。

 ヘラはそんな彼女の傍で受け答えをしているのが見えた。

 

「まっ……」


 マリーなら……、ボッチ仲間なら大丈夫なはず。

 そう思ってマリーを探してみるが、彼女は隅っこの方でどこから持って越させたのか机を幾つかくっ付けてその上に資料を広げ、多くの人と魔法について語らっていた。


 ……おかしいな、俺と同じで周囲に馴染めないキャラだと思ったんだけどな。

 目を擦ってみたが、マリーが集ってきた連中を相手に魔法を使って見せたり語って見せたりと大分”らしい”感じだった。


 ――こうやって俺を守る盾が存在しなくなった時点で、まな板の魚と変わらない。

 捌かれるか、下ろされるか、どう調理されるかも相手次第だ。

 そして俺は心臓が縮み上がりそうになるのを自覚する。

 まるで人の錯覚を利用した芸術のように、どの人物もこちらを見て居るような気がした。

 話をしながらこちらを見て居る、食事をしながらこちらを見て居る、酒を飲みながらこちらを見て居る、或いは相談しながら、或いは何かを訊ねながら、或いは何かを聞きながら、或いは何かをしながら──。


 ……自衛官であるという自負や強がり、誇りではどうしようもなかった。

 仲間が居るわけじゃない、戦いに関わる事柄でもない。

 これは、俺の苦手とする”公私の私”での対人のスキルが要するからだ。

 後輩に教訓を垂れるのも、上官に指示受けするのも、先輩に教えを請うのも全て”公私の公”だ。

 自衛官での自分に私なんて大よそ必要なかった、だから眼を背けていられた。

 だから、こうやって放り出されるとただの草食動物だ。

 相手がなにを考えているのか分からない、敵なのか味方なのかその他なのかさえも分からない。

 

 バカにされて無いだろうか、嘲笑されて無いだろうか、どこかおかしくないだろうか、変な事をしてないだろうか。

 自分の全てに自信がもてなくなりそうになる。

 頭を振ると俺は近寄ってきたハイエナやハゲタカに貪られる前に食事と酒を堪能する事にした。

 よく食べ、よく飲めばまずは問題は無い。

 精神的余裕は充足している所からくると中隊長も言っていた。

 だからとりあえず腹半分くらいは食事を楽しみ、酒も合間合間に入れる。


 こういうとき、皿には小さく盛って汚す範囲を少なくしなさい。

 料理は逃げないから足りなければお代わりすればいいが、品位はお代わりできないと父親に言われた。

 どれくらい守れているかは疑問だけれども、慎ましくありなさいという事を実践出来ていたらなとは思う。

 正解も政界も分からない。それを教えてくれる親は既に死んだのだ。


 それからの時間はとてもではないが、苦痛と退屈と辛抱と忍耐を非常に要した。

 ロビンのようにがっつくわけにも行かず、アイアスやタケルのように武を誇示する訳にも行かない。

 マリーのように魔法を語る事も出来ず、ヘラのように聖者ぶることも躊躇われた。

 そうなると、堅物さと真面目さでとりあえず受身で居る事にした。


 まあ、そうやって『孤独を楽しんでいる』と、手持ち無沙汰だとかどうしていいか分かっていないのだと隙を見せているようにも見えるのだろう。

 一人が接触してくれば、それは切っ掛けとなる。

 その一人に繋がりのある人物が、老若男女関わらず人が人を呼ぶようにして集ってくる。

 友人だ、妻だ、兄弟だ、息子だ、娘だ。

 親戚だ、縁戚の者だ、甥だ叔父だとキリが無い。


 しかも話が長引く上に、新たに人が来るたびに同じ話を新たに聞かせなければならない。

 その大半が学園の有る都市が魔物に襲撃された事件に集約される。

 何があったのか、何をしていたのか、どのような感じだったのか、どう思ったか。

 何を思って主人を守ろうと思ったか、なにを考えて縁もゆかりもない人々を救おうとしたのか。

 どのように戦ったのか、どのように行動したのか、何か考えたのか、どのような結果が得られたのか。


 訊ねる人が違えばその回答の角度も変わってくる。

 全員が同じ『襲撃事件』という事柄に興味を持ちながら、着目している点が違うのだ。

 思い返す事が余り無かった細微な部分も、話をしている内に思い返される。

 それがどこまで正確かなんて俺にも分からないし、思い込みや願望もあるだろう。

 書類にしてレポートとして報告した訳じゃないのだ、どうしたって事実と食い違いかける。

 自分を大きく見せようと誇張するのはバカらしい、かといって変に過小にするわけにもいかない。

 居ない人を作り出すことも、居た人を居なかった事にも出来ないのだ。


 ……カティアには見せないようにはしたが、あの中でも救いに行ったら既に死体だったり、目の前で死んだ人も居るのだ。

 かつての災害派遣のように、その時は何も考えずとも後になって思い返される事だって多々有る。

 エゴや自己愛の為に他人を偽れず、であればこそ謙遜するような語りをするしかなかった。


 ただ、謙遜して可能な限り脚色無く事実を語ったとしてもそれが褒められる、称えられる。

 その度に俺の心の中で出来なかった事、救えなかった事がより一層浮き彫りとなって突き刺さった。

 

 そうやって功績に関わる事を聞いた後に、どのような訓練や戦い方をするのかなども訊ねられる。

 訓練に関しては地道なもので、走ったり重いものを身に纏ったりして負荷を与える事。

 武器に関してはユニオン共和国で使っているものに連なるものと、剣を使うと言った。

 若い人や兵に関わる人物はその詳細を聞きたがったが、その内容に関して語ると余り真新しい訳では無いと知ると「地道な訓練が重要と言う訳ですな」と切る。

 表に出さないだけであり、内心画期的な訓練内容であって欲しかったのだろう。

 

 俺も逆に聞きたい、楽して鍛えられるのなら幾らでも訓練機材や道具だって買うわ。

 それが出来ないから走るときに距離や速度、そして慣れてきたらナップサックマーチをする訳で。

 身体が慣れてきたら装備や荷を背負いながら走るんですと答えたときに、その重量を大まかに置き換えて答えた時の疑いの目を見た時は笑いそうになった。

 しかし、実際には背嚢をしこたま重くして適正な装備を身に纏って半長靴や鉄ぱちと言う行動制限のかかるものもつけ、サスペンダー付きとは言え八九小銃を持ったままに長距離歩いたり、土嚢運搬などときついものは幾らでも有る。

 ただ、身体能力が高いから楽になってるだけで、実際ならやった後は天を怨んで地面に転がって荒い呼吸を繰り返しているだろうが。


 そうやって話をしていると、最終的にくるのは手合わせだの、訓練を見せて欲しいだの、縁を作ろうと何かしらの取っ掛かりを作ろうとする行為だった。

 当然、それまで奥ゆかしくも関わらなかった女性陣だの、若い男性陣だのが紹介される。

 心臓が締め付けられそうになるのは、そのどちらもが羨望や憧れのような眼差しを向けてくることだ。

 しかも親だの縁戚の者が「縁があれば~」的に、勧めてくる者だから心苦しくなる。

 もしあの表情が演技なら縁者にでもなれ、そうでもないのなら無碍に出来ない。

 またしても、公爵家に行ってからミラノやアリアがしてくれた縁談などの話に近いような出来事が舞い降りてきたわけだ。

 

 ただ、今度は綺麗にスッパリと断ち切らねばならない。

 若輩の身であり、まだ研鑽を積まねばならない身である事。

 未熟な自分が誰かを指導したり、女性との時間を持てるほどに立派でもないのでと──。

 半分本当、半分嘘の言葉でねじ伏せた。

 

 今は無理ですという断りを入れた上で、将来的には可能性があるかもしれないという言い方だ。

 これを無理に押し切ろうとする人物は居らず、そして俺も挨拶と縁自体は否定しないという方向で収束させる。

 視界内にホロウィンドウを表示させ、相手の顔と名前などを全て記録しておく。

 人物辞典とでも言えるのだが、俺は興味を持たなかったり関わりが薄れた相手の事を覚えておく能力がからっきしだと自覚している。

 顔は覚えてるけど名前が分からない、名前は分かるけど顔が思い出せないとか良くある話だ。

 

 師団長以下、大隊長、中隊長等の顔や名前じゃないのだ。覚えておけって方が辛い。

 腕時計を見て、この立食会が始まって既に二時間も経過している。

 それでも尚冷めぬ場の空気は、多くの英雄が居る事も関係しているだろう。

 少なくともタケルやアイアスの訓練や技術は俺だって知りたいし、マリーの魔法に関する知識は傍聴でもいいからしたいくらいだ。


 ロビンはどうやら弓の技術を見せるという事になったらしく、遠くの城壁の上で松明か何か──火が燈り揺らいでいるのが見える。

 彼女はそれを見据えて一秒、弓と矢を手にするとすぐさま引き絞って放つ。

 空気を裂くような音が聞こえたかと思うと、距離にして……ミル方式で火の近くに居る人影を見るに……六百以上か?

 大分離れた場所に存在する火を狙い、その火が散って消えると歓声が沸きあがる。


 それを見ながら周囲が自分から気が逸れたのを知り、そそくさと喉を潤す為に酒を飲む。

 食事もそそくさと進め、時間の経過の割りに飲食出来てなさ過ぎて飢えと渇きが募る。

 六百……六百か。中るだろうか? そう思いながら俺もベランダまで行って火の消えた方角を見る。


「ヤクモ殿も武に秀でてると聞く。同じ事が出来ますか?」


 そして、闇雲に興味を持ってしまったが故にそんな事を言われてしまう。

 逃げ……るのは舐められる、引き下がれば逃げたと見る輩が出てくる。

 仕方が無いなと、「失礼」と言ってその場に座り込んだ。

 八九小銃をストレージから出し、実包入り紙箱から一発だけ取り出すとスライドを下げてゆっくりと装填した。

 城壁の上にもう一つの人影が増えて、再び火が灯される。

 立射? 膝撃ち? 寝撃ち? ベランダだからどれでも射線が通る以上可能では有る。

 

 数秒考え込んだが、ここはロビンと同じように堂々と当然のようにやろう。

 寝撃ち膝撃ちをした所で銃器や戦術の理解が無ければただただ見っとも無いだけでしかない。

 深く息を吐いてから覚悟を決める、有り難いことに風はふいていなかった。

 いつもの肩付け、いつもの覗き込み、いつもの構え、いつもの心構え、いつもの呼吸、いつもの癖──。

 緊張すると右に三クリックと下に一クリック分ずれる、そして二発目がまるっきり逆に左に三、上に一ずれる事も分かってる。


 自分と言う存在をデータ化して、癖を理解して利用する。

 じゃ無けりゃ、射撃で表彰なんてそうそうされない──。

 そして最後に……


 ――相手を殺す、撃たれた相手は死ぬ。そして常に殺すのは弱い自分の幻影だ──


 引き金をゆっくりと引き、カコリと溜りで止まる。

 更に力を徐々に加え、余計な力を加えずに弾を吐き出した。

 炸裂音、動揺や小さな悲鳴、排出された薬莢が床を叩く金属音。

 遠くで火が砕け散り、小さな火の粉と化して舞うと散って消えた。

 射撃に際して吐き止めして空にしていた肺に酸素を取り込むと、転がる薬莢をすぐさま拾って小銃ごとストレージに放り込む。

 

 周囲のざわめきや声が意味を成して耳に入らずにいたが、ロビンが肩を叩いてくる。

 何だろうかとそちらを見ると親指を立てていた。


「”ぐっじょ~ぶ”?」

「意味は?」

「よくやった?」


 意味も分からないで使ったのかと、苦笑しながら頷いた。

 冷静に考えりゃ八九小銃の訓練でもこんな距離で狙った事なんて無い。

 的を用意してやったのならどこに当たったのかが分かるのだが、流石にこう遠いと赤い片目からでも分からない。

 ……距離に応じた射撃。というよりは、狙撃も訓練した方が良いかも知れないなと、自分のやるべき事を増やしたが──。


 少しばかり滲んだ脂汗を拭って振り返ると、新たに増えた俺目当ての人に顔を引きつらせる。

 自分の事に集中するには、まずはこの厄介な時間を乗り越えなければならなかった。

 ――無性に、射撃訓練をひたすらやりたくなったので今度やろう。



 ~ ☆ ~


 帳も下りた頃、面倒な立食会から解放された俺は酒と疲労感、満腹感から部屋に戻るなりそのままベッドに潜り込んだ。


「ったく、ふんだんに果実使いやがってよぉ……」


 この国の多くの人は日常的に祈りを捧げ、魔力を消費しているのだとか。

 だからマリーが食べていた魔力回復のあの果実を様々な料理に潜り込ませていた。

 俺が食べた時は魔力の過供給で暴走しかけたが、すり潰してその果汁を使うだとか、細かく刻んですり潰したものを料理に使うなどと比率は小さく押さえられている。

 それでも俺は魔力を消費してないので摂取するわけには行かず、しかも肉食が余りされていない上に味付けも精進料理かと言いたくなる位に美味しいが味は薄かった。

 結果として酒を飲む量ばかりが増えたが、ベッドに潜り込む頃には腹が音を上げていた。


 しかし、摂取を避けたとは言ってもあの場でシステム画面を開く事を思いつかなかったのは失態だった。

 何にあの果実が使われたか分かっていないが、僅かに自分が滾っているのが理解できる。

 それでも酒の酔いと、欲が眠気と疲弊に負けている事で抑え込む事が出来ている。

 ウォークマンを再生し、本来であればゲームのプレイ動画だったものの音声のみを再生する。

 サウンドエフェクトとBGMのみでゲームと状況、そして視聴した時の記憶を引っ張り出すしかない。

 

 それでも──それでもだ。

 五年と言う長い年月の中で、誰とも会話をせず声を発さずに居るとどこか気がおかしくなるのを感じる事がある。

 ウォークマンの中に音楽だけを突っ込むと誰が決めた?

 実況動画、ラジオ、プレイ動画、音声作品──なんだって入れている。

 携帯電話を取り出しかけたが、ディスプレイを転倒させる事なく暫く見つめて結局ポケットに戻した。

 

 そして、眠りにつく……そのはずだった。

 

 足音に反応してしまうのは悲しい癖だった、突如として警戒を訴える本能に眠気が引き起こされる。

 酒の抜け切らない頭で、睡眠から抜け切らない頭で咄嗟にベッドから転げ落ちようとした。

 だが、俺が行動を起こすよりもゆっくりと──優しく、俺の身体は抑え付けられた。

 ストレージから拳銃を出そうとしていた右腕と左肩の二つの腕が添えられているが、その力は俺を束縛するには十分に足りていた。

 

「しーっ、ですよ」


 その声を聞いて、俺の全身から力が抜けていく。

 警戒も、抵抗も、未知ではなく知己の相手だと理解してなのだが。

 

「ヘラ……?」


 チラリと腕時計を見てしまう。

 もうとっくに眠る時間だ、季節的にもこの時間に活動している人はかなり限られている。

 少なくともある一定の身分や地位の人物は寝ているのが常だったので、彼女が来たのに驚く。

 高速回転するエンジンにクラッチを一気に解放して接続したような、緊張と睡眠と言う相反するものをかみ合わせたのだから脱力してしまう。

 事情も理由も分からないが、浮かせた頭を再び枕に静めて呆れた。


「何時だと思ってるんだ……」

「月が綺麗な頃合ですね」

「たしかに月は綺麗だけど──」


 窓の外を見れば、月が見える。

 双月の世界であればもうちょっとファンタジー感があっただろうが、残念ながら一つだ。

 白と言うよりは蒼色が滲んでいる、綺麗なものだ。


 しかし、俺には彼女の来訪の目的が理解できなかった。

 だから月から目を離して再びヘラの方を見るが──。

 彼女を見ていると、脳がドップリとアルコール付けになったかのような麻痺や鈍磨を感じた。

 得られる情報が減り、目の前の彼女を見つめる事しか出来ない。

 マリーとの戦いで精神汚染を受けたかのように、色々な事が分からなくなる……。


「あれ、俺……」


 眠い、と言うのとは違う。

 様々な感覚が鈍くなっているが故に、現実味が突如無くなり──不安になる。

 身体を起こそうとしたが、ヘラの両目が俺を見つめているのを見ると動けなくなってくる。

 目から目へ、眼球から視神経へ、視神経から脳へと……何かが伸びるような感じがした。


 彼女の目が怪しく光って見える、それを見ていると──警戒だとか危機感だとか……そういった物が蕩けて消える。


「大丈夫、大丈夫──」


 ヘラの手が、俺の頬を撫でた。

 その行為が誰だったか……母親を、ボンヤリと思い起こさせた。

 正常じゃないと自覚できては居ても、それが何故正常じゃないと言えるのかという矛盾がエラーを起こす。

 自己言及のパラドクス、エピメニデスのパラドックス。

 俺の思考が過ちだという言葉を、それ真なりと言えないように……。


 心が弱い俺は拒絶は出来ても否定は出来なかった。

 自立できずに依存する事でしか存在出来ない俺は、知っている相手を無碍に……ぞんざいには扱えなかった。

 マリーの姉だから、アイアスやロビン・タケルの仲間だから、英雄だから、立派で清い歴史に名を連ねる人物だから……。

 様々な理由が、最初から天秤に載せるのもバカらしいほどにマイナスへと突入している自分の価値と比べられて、それが優先される。


 だから、俺は時間の感覚すら分からないままにヘラが一瞬で距離を詰めてきたかのように錯覚した。

 ヘラの吐息がかかる距離、彼女の身体が俺に重ねられている。

 その事実を認識しても、身体が何のリアクションも起せない。

 


 そして、ヘラがそのまま唇を重ねてきても──俺は抵抗できなかった。


 長い時間だったようにも思えるし、一瞬だったかも知れない。

 公の存在、自衛官としての意識は脆く崩れ去った。

 後に残されたのはヤクモという名を騙る、脆弱で惰弱な俺しか居ない。

 ヘラがゆっくりと離れて、僅かに輝く何かが互いの橋の様に糸引いていた。


「ヘ、ら……?」


 様々な疑問が、沢山の質問が意味のみを集約して名前のみになる。

 何をしているのか、何でこんな事をするのか、そもそも何でこんな時間にだとか──。

 様々な。本当に、様々な事が聞きたかった。

 しかし、彼女は──心底幸福そうに、俺のことを見つめている。


「あ、は」


 名を呼んだ事で何かが引っかかったらしく、彼女は更に笑みを深くした。

 名前を呼ばれたという幸せ、存在を認識してもらえたという幸せ、自分が無ではなく有であると自覚出来た幸せ、自分が無価値ではなく目の前の人にとってはちゃんと認めてもらえているという幸せ──。

 そういった、自分の内面をヘラ越しに見出したような気がした。


 ヘラの顔を見つめていると、二度目の口付けが行われる。

 どこか、目の前で起きている現実をまるで夢であるかのように他人事として受け入れる。

 感覚が鈍って現実味が無い、そもそも突拍子が無さ過ぎて理解が出来ない。



 ──それ以前に、自分が誰かに好かれるだなんてありえない──


 唇を重ねられているという事態に、否定しか思い浮かばない。

 やめろと。

 自分は誰かとそういう事をするような、されるような人間じゃ無いと。

 彼女のして居る行為が、キスだという事を認識する。

 キスとは親しい相手に、或いは愛しい相手とするものだと言う知識が彼女の行為を否定した。

 

 自分の行い、普段の言動、態度や関係の構築の仕方……。

 相手に踏み込まず、踏み込ませず。

 嘘を吐き、本音を隠し、外面だけ多少整えている自分。

 自分の腐った芯が、暴露されたかのように怯え出す。

 好かれるような人じゃ無いと、偽りまくってきた虚構でしかないと、英雄でも何でもないと叫んで。


 しかし、本来ぶつけるはずの言葉は口から出る事は無かった。

 俺はヘラに口を塞がれ、弄ばれ、搾取され、奪われている。

 抵抗できない、自分が他人であるかのように身動きが取れずに受け入れている。

 吐息交じりの情熱的な口付けが、僅かな水音を含んで興奮を誘う。

 男の象徴が頭を擡げ、その存在を主張し出してしまう。

 我慢し、意識しないようにしていたものが……マリーから貰った果実の影響が抜け切らずに、理性で隠し切れずにいた。


 圧し掛かられ、密着されているから股間の存在が彼女へと触れてしまう。

 それを必死にゲイビデオネタで萎えさせようとするが、彼女がそれですら慈しむ様に微笑んで受け入れる。


「私に対して、そういった気持ちになってくれてるんですね──」


 そう言って彼女は、服越しに俺の股間に触れた。

 声が出ない、口が自由になっても声が出なかった。

 口は動きはするが音が出ない、ただ声を出そうとすると声がどこかで引っかかって息が辛くなるだけだった。

 何も出来ない俺の顔を見て、彼女は再び俺の頬を撫でる。

 そうすると、先ほどとは違い安心ではなく恐怖しか得られなかった。


「大丈夫です。はい、大丈夫ですから。ぜぇんぶ、私に任せてください」


 そう言って、彼女は──あろうことか──服を目の前で緩め出す。

 それなりに実った双丘が包まれる事なく曝け出され、遥か遠い日に見た妹がまだ赤子だった頃に乳やりをしていた母親を思い出してしまう。

 母親以外に異性の胸を生で見たことなど無く、先ほどまでうるさいと言いたくなる位に言葉や単語が巡っていた頭の中が静かになった。

 

 しかし、だからと言って何かが出来るわけでもなかった。

 まるでそうあるのが当然であるかのように、俺も肌蹴させられていった。

 胸板も、下半身も露出させられる。

 虫の何かのように、或いは貪られるように……一方的に奪われる。

 彼女は俺を受け入れた、しかし俺は受け入れていなかった。

 彼女と俺は繋がった、しかし心は繋がっていなかった。


 起こっている出来事に対して、徐々に俺の頭が蕩けて行く。

 現実じゃない、これは夢なんだと思い込もうとする。



→これは夢で、現実じゃない。そう強く言い聞かせ、覚醒しようとした。

 ・これは夢だ、だから受け入れても良いんだ。そう言って、俺は沈み込んだ。



 ……その二択で、俺は夢であったとしても受け入れる事は出来なかった。

 感覚が鈍りながらも、感触や快楽は俺のものだった。

 股間の物が振るえ、精を吐き出してしまう。

 それですら感触が有っても、俺は今日の出来事を思い返す。


 ……そう、英雄達が死に、血の臭いで噎せ返る中目覚めた。

 その後、空腹と飢えと渇きに苦しんだ一週間も、首を切られる時の痛みだって忘れる事は無い。


 目蓋を思い切り閉ざすと、目蓋の裏に誰かの──何かの姿が見えた。

 それが誰だったかは分からないが、その姿を追って目蓋の裏で相手の姿を見出そうとする。

 現実逃避のようであったが、徐々に──五感が返って来るのを感じる。

 そして目蓋を開くと──


「あ、あれ──」


 俺は、ベッドの上で一人もがいているだけだった。

 ヘラなど居ない、そもそも脱がされても居ない。

 ただ思い切り汗をかいていて、パンツの中もグショグショだというくらいだ。


 暫く、動けないままに周囲を確認した。

 それからゆっくりとベッドから抜け出し、自身と部屋を確認する。

 

「俺は女に餓えた猿かよ……」


 また洗濯物を増やしてしまった。

 着替えてから、流石に魔力を幾らか発奮しないと明日以降がマズイと悟る。

 このままじゃ夢と現実の区別もつかず、犯罪を犯してしまいかねない。

 腕時計を見るとそこそこ時間は経過していたらしく、その時間を見てヘラが来たという妄想を思い出してしまう。

 グーで自らの頬をぶん殴り、痛みに集中する事で忘れようとした。


「庭にでも行かせてくれないかな……」


 窓を開けて風を入れ替えるよりも、いっそ身体ごと冷やしたほうが良さそうだ。

 ついでに魔法をチョロっと使って魔力を消費して精力……もとい、不必要な生命力をそぎ落とすに限る。

 そう思って部屋から顔を出すと、普段は部屋の前で控えている人が誰一人として存在しない。

 こういう時、時間を問わずに来賓を困らせないようにするのが務めであり役割じゃないのかなと思ってしまう。


 だが、誰も居ないのならありがたい。

 城の内部はどのような構造かはマップを埋めていないので分からないが、それでも通ってきた経路沿いに何があるかまでは分かる。

 階段を下れば中庭が存在するので、そちらまで向かってしまおう。

 窓から見るに、そちらの警備も皆無でバカじゃないかなと思ってしまった程だ。


 部屋も肌寒かったが、廊下に出ると更に寒い。

 これなら中庭にまで行って往復する頃にはいい具合に身体も頭も冷えてるのだろうなと思った。



 だが、どうやら俺は狂ってしまったらしい。

 あるいは、最初から全てが狂っていたか──。


 ああ、確かにいい夜だ。夢の中でも、今この瞬間でも。

 月は青を帯びた光を平等に注ぎ込んでおり、その明かりだけでも大分遠くまで見える。

 中庭なんかは幾らか明かりが存在するが、木や花がその光を受けて綺麗に光って見える。

 空も雲が少なく、漆黒と言うよりも深い青色と言える位に──綺麗な夜だ。



 けれども、有り得ないんだ、有り得ちゃいけないんだ。


 ミラノが……彼女が、この国で、この城に居るという妄想だけは──。

 俺が通ろうとしている先に、彼女が窓辺で空を眺めているという、この事実だけは有り得ないんだ。

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