第84話
~ ☆ ~
「このような朝早くに突然すみません」
翌朝、俺は運ばれてきた朝食と共に来訪したこの国の枢機卿の相手をしていた。
当然の如く眠いし、早朝のトレーニングが出来ない分二度寝をしたがそれが余計に眠気を誘った。
寝起きであったという事、先日の件でテンションが駄々下がりであった事を踏まえ、相手を見て俺は余計に気分まで落ち込んでいた。
なぜなら、その枢機卿の姿形は俺の父親だったからだ。
声も記憶にある父親と同じであり、血の繋がらない他人ではあるが向けられる表情も記憶にある最新の物と合致した。
「いえ、気にしないでください。来訪が遅れた事を咎められる所か、このような待遇までしていただき──」
「いえ、それが自分らの仕事であり崇高な使命ですので」
――否定をする時に『いえ』とつける癖が父親譲りであり、その癖まで目の前の人物は一緒である。
やりにくさを感じながら、誤魔化すように食事を進めた。
ただ、自分の父親は生粋の日本人なので『崇高な使命』って言われると、それはそれで複雑な気分だ。
「それで、何か御用でしょうか?」
「特に大げさな事柄ではありません。挨拶がまだでしたし、国王陛下との謁見の前にどのような方かを見ておきたいと言うのもありましたから。一夜明けてどうですか? ここでの滞在において何か不足している物はありませんか?」
「特に不足している物はありません、有難う御座います」
そう言って無難な対応をする。
実際にはマリー達と会えないという事で、冷静に孤独を味わう時間が多すぎてよろしくないのだが。
それを態々言って、藪の中の蛇を出そうとは思わなかった。
相手がどれくらいの信者かは分からないが、枢機卿といえば確か──法王だとか教皇に次いで身位の高い人物だったはず。
さて、そんな身分の人物が来訪した目的や目論見がただの世間話と考えるのは難しい。
それに、そこまで上り詰めたのだからただならぬ意志や信条があるだろう。
神聖視されてるという英雄、英霊と会いたいですとか言えば不敬罪とかを持ち出されかねない。
考えすぎかも知れないが──揚げ足を取られないようにした方が良い。
下手に褒めすぎず、かといって淡白すぎず。
冷めすぎず温かすぎない態度で、無礼を働かないようにしつつ取り込まれないようにしつつ。
――枢機卿の目が、僅かに揺れる。
落ち着いていて、柔和な笑みを浮かべたままではあるが……探ろうとしているのが分かる。
これに関しては完全に経験則で、父親と同じで目を殆ど動かさないのが仇になってるのを知らない。
自我が芽生えてから、死に別れるまでの期間ずっとその顔を見てきた。
だから分かる事だった。
「……一つ謝罪をします。どうやらかの方々と親しかったみたいですし、なかなか会えないのは中々辛い物があると思います」
「そんな──」
「ヘラ様が、ヴィスコンティで大変お世話になったと窺ってます。妹君であるマリー様に良くしてくれたとも。その証拠に、貴方はヘラ様からその身を保障されているみたいですから」
成る程、目を殆ど動かさずに確認していたのはヘラからもらった物の存在か。
遠まわしではあるが、親しかったという事の裏づけから飛んで、会えないのは辛いだろう? と言う問いに繋がった訳だ。
否定、すべきか? いや、否定すればするほど泥沼に嵌りそうだ。
こういう時はスンナリと認めてしまったほうが良いだろう。
「まあ、縁があったと言うだけです。たまたま──本当、たまたま相手も知らずに手助けしたらヘラ……様の妹だったと言うだけで、それを知ったのもこちらにヘラ様と会ってからなので」
「そうですか。どうやら、噂の通り気の良い方みたいですね。彼の国で生じた魔物の襲撃事件、大変痛ましい事でした。その中で貴方は地位や身分も関係なく多くの方を救助されたと、民々が噂をしてました。それと表彰及び叙任──遅まきながらお祝いさせて下さい」
「いえ、自分は……。自分に出来る事をしたまでです。自分でなくとも、自分の仲間等であれば──同じ事をしたと思います」
記憶が無いし、異国の住民なんだ。
だからこれ以上踏み込むな、踏み込まないでくれ。
そう言う目論見の元で、俺は話の流れを想定しておく。
そしてその目論見は上手く働き、枢機卿がそこに関して突っ込んできて、俺は今主人としているヴィスコンティの公爵家の娘の事を挙げた。
召喚され、記憶が曖昧であやふやだったりする点が多いということ。
少なくともこの周辺の生まれや育ちではなく、数多くの事柄に関して無理解と無知である事も触れておく。
……つまり、流れで「知らないから多少多めに見てくれよな」と言う言い訳も先にしたわけだ。
「すみません。そのような事情があったとは知らず」
「いえ、気にしないでください。ヴィスコンティでは主であるお嬢様とその家族、デルブルグ公爵家には大変世話になってますので。何とかなってます。最も、後ろ盾を理由に無知無学を許されていると言う見方もできますが」
「人は誰しも卵であり、雛でもあると言います。自分も五十と歳を重ねましたが、未だに分からぬ事や至らぬ点があります。貴方はまだこれからがある、未来がある。無知であれ、無学であれ──言い訳をせずに学ぶ姿勢を大事にする事。そうすれば、神が貴方の行為を認めてくれます」
実の親は母親がキリスト教で、父親は何かしらの信徒だったイメージは無かった。
だから父親と同じ声、同じ姿形、同じ癖や仕草をしながら『神が~』とか言われると戸惑ってしまう。
そう言うのは母親の役目だったが──こちらではクラインが死んだと思って寝込んでいたのだから、その影響で神離れしてしまったのかも知れない。
暫く何気ないやり取りをしていると、やはり父親に似ていると細かい所で気になってしまう。
そう言えば白髪がちらほら見えているなとか、笑みを浮かべている目尻等に皺が出来て歳を感じさせるな~とか、瞬きの回数が多くて疲れてるんだろうなとか、そういった全てを感じさせないように振舞っているのだろうなとか考えてしまうわけだ。
「貴方のような方は、幾らか好ましい」
「え?」
「ツアル皇国のタケル様もそうですが、慎ましい方で良かった。噂では数多くの魔物を倒したとか、乗船していた船が真っ二つにされてもクラーケンに剣を突き刺して人々を助けたとか聞いておりますので。気性の荒い、強気な方かと思ってましたので」
思考の隙間を縫うように賛辞が送られ、対応しきれずに顔が綻んでしまった。
それを咳払いで誤魔化しながら、少しばかり考える。
「学園等でもツアル皇国の方々のような気風、気質だと言われました。ツアル皇国には行ったことは無いですが──」
「変な意味ではありませんよ。もし疑わせてしまったのであれば、申し訳ありません」
「ああ、いえ。気にして無いので」
「歳若い方が来られると言うのも初めてですし、どのような方か気になったので早朝とは言え来て見ましたが──来て良かった」
最後の一言が、多分素の枢機卿の言葉や感情、想いなのだろう。
そして……父親が同じような顔で、同じような言葉を吐いた時を思い出してしまう。
だからこそ、それを打ち壊す為に少しだけ演じてみせた。
「早朝に来たのは自分の人間性を試したりはかったりする為かと思ってましたよ」
「はは、まあ……そう思われても仕方が無いですね。けれども、もし『実はそうなんです』と答えたら、どうしますか?」
「別段何も。貴方は枢機卿であり、国王に次いで権威がありその分多くの責任が圧し掛かっている。であれば、国王陛下が自分をどう扱うかを含めて先んじて知っておくのは決して悪い事じゃないですしね」
「いや、参ったな……」
そう言って枢機卿は頬を掻いた。
ミラノ達に指摘されている仕草や動作の根幹が目の前に居る。
強く意識した事は無い、真似しようだとか模倣しようとか考えた事も無い。
それでも、俺は父親に似た。似てしまった。
「貴方のような方がご子息で、ご両親もさぞかし喜んでいるでしょう」
「どうですかね。自分の両親は既に他界してますし、先ほども述べたように自分は特別な事をしたつもりは無いんですよ」
「──……、」
「自分はかつて軍属だった、それが仕事だった。だから英雄という言葉がそもそも当て嵌まらないんですよ」
枢機卿は俺の言葉をかみ締めるように、或いはその言葉の真意を確かめようとしているかのように静かに見つめていた。
それはまるで父親が俺の言葉や決定、思いをどれほどのものかと知ろうとしているかのようであった。
「皆さんが言う英雄ってのは、そんなに良い物じゃないですよ。傷を沢山作って、凄い奴だとかなんとかかんとか──褒められて、遠ざけられるくらいです。それで気がつけば叙任。まだ呼び出されて一つ月も巡り切ってないのに、状況と環境ばかりが目まぐるしく変わってく。主人との関係の構築もまだ出来てない、使い魔の面倒もまだ満足に見きれてない。皆からの扱いだけが変わっていく中孤独になっていく……そんなヒトに誰が望んでなりたいんですかね」
「けれども、放棄しなかった」
「他に誰かがやってくれるのならそれで良かった。頼れる兵士、頼れる魔法使い、同じように抵抗を試みる民衆でも……何でも良かった。誰かが自分の代わりに全てを仕切ってくれるのならそれでよかった。本当に誰でも良いからやってくれる人が居れば直ぐにでも代わってあげたかったけど誰も居なかった──だから、自分でやっただけなんです」
その言葉が、どのように伝わったかまでは分からない。
枢機卿は俺の言葉が終わってからも、暫くは黙ったままにこちらを見ている。
目は──揺らいでいない。
俺の言葉と表情と、目の動きやその他の仕草から読み取ろうとしている。
……外交官になんてなったら、そういった探りあいが常なのだろう。
それを父親そっくりの相手にされるのはどうにも落ち着かない。
「数多くの方々と会ってきて、直接お話をしたことも少なくありません。その上で言います。自分がその場に居て、貴方の代わりを務めることにならなくてよかったと」
「はは……」
「滞在の間、言い難い事があれば自分を頼ってください。今の貴方に必要なのはヘラ様やマリー様のようなかつての神話や伝説のような仲間ではなく、この時代を生きる普通の人々による理解者や仲間のようですから」
「──……、」
数秒、黙ってしまった。
そう言えば、そう言う考え方や見方もあるのか……。
ずっと英雄だの地位だの身分だのばかり気にかけすぎて、知己を増やすという事を忘れていたが──。
「あの、枢機卿。こんな物言いもおかしいかも知れませんが、良いですか?」
「ええ、どうぞ」
「枢機卿と言うのは、忙しくて偉いのでは? それに、自分よりももっと気にかけるべき相手が多いと思われますが」
「はは、そんなものは今更ですよ。それに、私の役割は外交等と言った外部から来られた方々に関わる物なので、外れた物じゃありませんしね」
それを聞いて、俺は漏らすように笑みを浮かべてしまった。
なんだよ父さん、別人になって異世界にきても外交関連の仕事してるのかよ……。
「お忙しいですか?」
「毎日忙しいですね。そのおかげで結婚を逃してしまいましてね。はは、お恥ずかしい話ですが。貴方はこうならないように、一人がお嫌なら早い内に相手を探しておくと良いですよ。丁度良い具合に、箔もついてるみたいですしね」
早朝からの出会いは、始まりこそ最低な気分で始まったけれども、終わる頃にはいつしかいい気分になっていた。
話を続けている内に互いに軽口や冗句すら出てくるようになっていた。
実の父親と他人行儀にやり取りをしているだけのようで、なんとも言えないほどに懐かしい気持ちにさせられる。
何度か食事の手が止まり、食事を先に済ませるようにと苦笑されてしまった。
そして朝食を済ませ、その後お茶まで一緒にする事になる。
だが、相手は時間を割いてくれてはいるものの枢機卿。
偉いが故に忙しいらしく、途中で仕事を理由に去ってしまった。
ただ、去り際にも「何かあれば、遠慮なくどうぞ」と言っていたので、悪い時間ではなかったと思う。
朝のトレーニングの後のような高揚感を幾らか感じながら、腕時計を確認した。
定期連絡の時間が近い、カティアと通話をつなげなければ。
ホロディスプレイのように自分にしか見えないシステム画面を表示する。
仲間リストからカティアを選択し、表示されたコマンドの中から『発信』を選択した。
数秒のコール音が自分だけに聞こえ、ブツリと繋がった合図のような物が聞こえてきた。
『ご主人様、おはよう』
傍にいない、一つ国を挟んで更に向こう側にいる自分の使い魔へと通話が確立される。
その声を聞いて、幼いが故に若干高い声にどこか安堵する自分を感じた。
『おはよう、カティア。そちらは問題ないかな?』
『私は常に絶好調よ、ご主人様。そっちは大丈夫? 問題なさそう?』
『こっちも今の所は大丈夫そうかな。──そうだ、公爵に枢機卿の一人と……フアン・ピウスと言うヒトと今朝会ったという事を伝えておいて欲しい』
そこからは、カティアがメモをとりながら様々な必要と思われる情報を公爵に伝えてもらう為に流していく。
やっている事はMP《警務隊》に何をしたか、誰と会ったか等を問われて書き出す行為に近い。
――あるいは、巡回や警戒と同じで、もし俺に何か有っても足取りを追いやすいように手がかりを残しているとも言えるが。
フランツ帝国に入ってからの印象や、どのような扱いを受けているかなどを出来る限り公平無私に伝えようと試みる。
それをカティアがどれだけ上手く伝えられるかは分からないけれども、何もしないでヴィスコンティに帰ってから伝えるよりははるかに有意義で無駄が無い。
通信インフラの偉大さが良く分かる一面ともいえるだろう。
『ええ、全部書き留めたわ。他に何か有るかしら?』
『そうだなぁ……。フォネティック・コードをAからZまで書き留めたから、コレ全部覚えて欲しい。使用意図や目的に関しても共に書き留めてあるから目を通して、習熟すると共に把握をして欲しい』
そう言って、俺はメッセージとして送る予定にしていた物をそのまま文面で彼女へと送る。
新旧で二つ有るが、新しい方のみで大丈夫だろうと負担を考えて軽くしておいた。
彼女は数秒沈黙してから『了解、受け取ったわ』と返事をしてくれる、いい子だ。
『それと、ミラノ達とは上手くやれているかな?』
『ミラノ様は最近ご主人様の教えた漢字に執心よ。ここ暫く寝るのを忘れたとか、寝る時間を削りすぎた~とか言って朝食の場で寝ちゃったりね。公爵様やアリア様は苦笑してたけど、クライン様がちょっと窘めてた位かしら』
どうやら、漢字を用いた文の短略化と効果の増幅法と言うのは有効らしい。
言語が違ったり用いる文字が違ったりすると使えないのだろうかと思ったが、そう言うことは無いらしく安心だ。
文字にするとFireで四文字も使用するが、漢字に直すと火の一文字で済む。
オルバのように使い棄てる御札にしても良いし、ミラノがマリーを見て思い至ったらしい魔導書を作成すると言う意味でも有用である。
『ミラノ様が零してたわ。み~んなご主人様が悪い、私が寝不足で辛いのも怒られたのもご主人様のせいだ~、って』
『勘弁してくれ……。こっちは賊と戦ったりと結構大変だったんだぞ? それでチャラにしてくれと言ってくれよ』
『ご主人様が御自分で伝える事ね』
そんな軽口を返されると、苦笑するしかない。
やれやれ、仕方が無いなと考えてから俺は彼女に一つ尋ねる。
『そう言えばカティアは、もし俺が神聖フランツ帝国で一定の待遇や厚遇を条件に出されて、それを受けるといったら──どう思う?』
この言い方で大丈夫だろうかと、先日のアーニャの誤解を下敷きに変えてみた。
数秒の沈黙の後に『詳しく教えて?』と言われたので、全てを話す。
ヴィスコンティで世話になった恩返しも含めて、ミラノ達の傍に居続けた方が良いのか。
或いは神聖フランツ帝国で待遇を糧にしつつ自力で開拓をしていって、国同士と言うレベルでの繋がりを作るように努めるか。
何故こんな事で悩んでいるのかと言う理由を、先日のアーニャとのやり取りで気付いた『焦り』だとか『劣等感』も包み隠さず話した。
その上で、絶対に切り離す事ができない彼女と話をせざるを得なかった。
マリーは契約破棄が出来るかも知れないと言っていたが、それを考えるのは止めた。
俺にはヒトとしての知識も経験も浅い、文字通り子猫の彼女の面倒を見る義務がある。
自分で面倒を見るにしても、自分が失格だからと委ね先を探すにしてもだ。
『ご主人様、迷ってる?』
『迷ってはいるけど、カティアの意見も聞きたかったから』
『私は常に、ご主人様の傍に。ご主人様が選んだ道が私の道。なにか述べる事はあったとしても、そこに強制力なんて無いわ。このお話の主役はご主人様、私はその後ろで踊るダンサーのような添え物……』
そう言って、カティアがクスリと笑ったのを聞いた。
それを聞いて俺も笑ってしまい、息が漏れる。
『分かった、俺が自分で決めるよ。カティア、ついて来てくれるか?』
『仰せのままに、ご主人様』
カティアとの定時連絡はそれで終わり、何も無ければあとは昼と夜だけだ。
とりあえずやる事が終わり、俺は本棚の本を読んでみることにした。
当然ながら英雄譚だの伝説の英雄だのといった物が多いが、その中で目を引いたのはなぜか置かれているチェスボードだ。
折りたたみ式で、中に駒を収容できるような物で、インテリアとしても木工品のように見えて立派である。
「そういや、チェスといえばあの作品見終わる前に死んだなあ……」
ノーゲーム・ノーライフ。
読んだのは九巻までだったか?
アレから先がどうなっているのかは気がかりだ、どうにも楽しい作品だったしなあ。
それはさて置いても、別作品ならハリーポッターか。
ロンが勇気を出してナイトの駒に跨って自己犠牲で仲間の為に頑張った映画のシーンが印象的だった。
そう言えば母さんが机の空きスペースを埋める為に、中央でチェス盤と駒を配置してインテリアにしてたっけ?
あのチェス盤、後で知ったけどクソ高かったんだよな……。
暖炉傍の机で、懐かしいなとチェスの駒を並べてみた。
父親には一度も勝てなかった、弟には高校に入る頃には勝てなくなってきた、妹とは──遊んでない。
テトリスでも、将棋でも勝てなかった。
唯一弟に勝る点があるとすればゲームでの精密速射ぐらいだし、FPSやTPSが好きだからと一緒に遊んだおかげで自衛隊での射撃に活かされた。
そう考えれば、俺の特徴は射撃位か……。
そんな事を考えながら駒を配置し終える頃に、来訪者が現れた。
扉の向うで若干喧しいくらいだったが、その扉が開かれた時にようやく相手が誰だか知ることが出来た。
タケルとマリーがやって来たみたいで、扉が開かれた勢いとその表情から不機嫌そうである事は容易に理解できた。
「あぁ、えっと。いらっしゃい?」
そう挨拶をしてみたのだが、マリーは不機嫌そうにズカズカと部屋に入ってくると椅子に腰掛けて何かを待つように貧乏強請りを始めた。
メトロノームのように一切のブレが無いままに、タシタシと足音が響き続ける。
タケルも苦笑した様子を見せ、部屋に入って来ようとしたら後続にフアルまでいた。
予想外ではあったが、アクシデント後の旅路の仲間が揃ったわけだ。
さて、マリーが不機嫌だとこちらの身が危ない。
被害を受ける前にお茶を用意したほうが良さそうだ。
そう考えてストレージから道具を色々出している間にも、まだ部屋に入っていないタケルと兵士だかなんだかのやり取りは続いている。
……どうやら本気で俺たちの関係や都合は関係無しに、会う事を好ましく思っていないような雰囲気だ。
そのやり取りもやはり英雄と言う威光があれば直ぐに収まるのか、タケルも部屋に入ってきて息を漏らしながら疲れた雰囲気を見せている。
「やれやれ。知り合いに会うのも一苦労だ……。やあヤクモ、よく休めたかい?」
「待遇が良すぎて胃もたれを起しそうだよ。それと、二人とも──英雄だったんだな。よくもまあ偽ってくれちゃって……」
「や~、ゴメンにゃ~……」
フアル──ファムが俺のベッドに転がりながら謝罪してくる。
人様のベッドに転がりながら起き上がる事無く謝罪とか溜息しか出ないが、それを気にしていられるくらいに余裕があるのだなと自覚できる。
この前まで魔物だの賊相手にドンパチして、生死の狭間を旅してたってのにな。
お茶の用意をしていると、扉を叩く音が聞こえてきた。
誰が答えるべきかで周囲を見回してしまったが、全員の目線が俺に集中していて自然と俺しか適役が居ない事を悟る。
「はいはい、今出ますよ」
そう言って扉を開くと、その向うにお茶を持ってきたらしいメイドさんと聖騎士のような人物が立っている。
どう対応した物かと思っていると、相手が先んじてくれたので助かった。
「英雄の方々はこちらに?」
先日もそうだったけれども、俺だけに対して冷たいのだろうか?
それとも英雄と繋がりがある事事態が気に入らないとか、不遜だとか思っているのかもしれない。
若干細められた瞳を受け止めつつ、俺は半開きだった扉を完全に開いて扉の前から退く事で返答とした。
聖騎士は部屋の中を覗き込み、マリー・タケル・ファムの三名が居るのを認識すると「失礼」と言って入ってきた。
「お茶をお持ちしました」
「うん、有難う」
おや、マリーが素直に礼を言ったな……。
もしかしたらお茶のレベルも違うのだろうなと思っていると、彼女はそちらを見る事無く半眼のままにこう続けた。
「そのお茶を自分達で飲んで、早めに去ってくれる?」
聞いている俺も、言われた聖騎士とメイドたちも凍り付いていた。
あの、マリーさん? 一応自分が国賓や要人であり、客人って立場を忘れてませんかね?
客は要求する立場じゃ無いという根底を忘れてません?
あと、相手の気持ちを否定しちゃいけないってのも。
幾らお客であっても、かつて人類を救い再来した英霊だとしても限度があるんじゃないか?
そう思って若干戦々恐々としていたが、フリーズから解放された聖騎士は戸惑いながらも口を開く。
「その、もし不満や要望があれば早急に対処します。至らぬ点があれば仰って頂ければ──」
「何でもかんでも、与えるし与えられるって言う態度が気に入らないのよ。分かったら下がって。私はコイツの作るまっずいお茶の方が好きなの」
「お~い……」
今まで「有難う」としか言わなかったし、それを文句の一つも垂れずに飲んでる上にお代わりまで要求しているから、美味しく淹れられてるんじゃないかと期待してしまったが……。
俺は泥水を飲ませてたってか? 笑えない話だ。
で、当然のように目線が俺に集中するわけですよね。
俺はどうすれば良いか迷ってしまうが、助け舟のようにタケルとファムが口を開く。
「あぁ、悪い意味で捉えないほうが良いよ。俺もそうなんだけどさ、彼の淹れてくれるお茶の方が愛着があるんだ。飲みなれた味、或いは──懐かしい味とも言うのかな」
「ですが──」
「マーにゃんはああ言ったけど、別に不味くないけどにゃ~。特別美味しいって訳でもないけど、タケにゃんの言ったとおり身近な味、懐かしい味がするだけにゃ」
それらの言葉の前に、相手もこれ以上踏み込むべきではないのだろうと判断したのだろう。
メイドを下がらせた聖騎士は、若干険しい表情を隠せないままに近寄ってきて訊ねた。
「失礼、ヤクモ殿。貴殿の使う茶の葉は特別な物なのだろうか?」
「いえ。自分が世話になっているヴィスコンティ、デルブルグ公爵家で頂いた茶葉です。淹れ方も特別ではなく、今──机に出ている、魔法を使って好きな時にお茶が飲めるという事で一部の学園生徒の間で人気の簡易一式を使っているだけです」
「それじゃ──」
「あぁ、因みに。ソイツは珈琲も扱ってるし、それは遥か遠き地で手に入れたものらしいから調達は出来ないと思うわよ」
おいぃ!? マリーさん、貴女なんで爆弾を更に投下するんですかね!?
たしかに……今の所珈琲を取り扱ってたり大っぴらに飲んでる所は見てないですけどね?
だからって、この状況で煽りますかね普通!
「珈琲とは、あの……?」
「そう、悪魔の飲み物とか言ってる物ね。あるいは、魔物の飲み物だとか。私に言わせれば下らないものだけど」
「マリー様、珈琲が悪魔の飲み物と言われているのには理由があるのです。そのような物を口にするなどと──」
「私達が遠い昔にも口にしていた飲み物を勝手に悪魔の飲み物にしたのは、そっちでしょうが。――不愉快だからさっさと帰るか、消えてくれる?」
マリーの口撃って、容赦しない時はこんな感じになるのか……。
タケルが口笛を吹いている、その意味はどういうものかは分からない。
ファムにいたっては程ほどに無関心なのか、俺が読むためにベッド脇で積み重ねた本を開いてパラパラ捲っている最中であった。
聖騎士はこれ以上は何をしても状況を改善させるどころか悪化させるのだと理解したのか、居住まいを正してから一礼して「失礼しました」と言ってから去っていった。
いや、失礼されたのは俺なんですけどね? まあいいけどさ。
聖騎士達が去って、俺はお茶の準備を再開する。
先ほどまで不機嫌そうだったマリーだったが、今では貧乏ゆすりをしなくなっていたので機嫌が幾らか良くなったと見ていいのかもしれない。
タケルが溜息を吐きながら「座ってもいいかな?」と訊ねてきたので、どうぞと伝える。
「ここまで厚遇と言う名の雁字搦めだと、流石に息苦しいな……」
「マリー様お湯の加減は如何でしょうか? マリー様食事は口に合いましたでしょうか? マリー様マリー様マリー様……。頭がおかしくなるって言うか、調子悪くなる」
「にゃ~。やっぱり二人ともそうなんだにゃ~……。私も気を使われすぎてなんだか調子が良くないにゃ……」
「おいおい、英雄サマ三人が体調不良だなんて。明日は雹刃か? それともコヴナントでも降ってくるか?」
マリーが「”こぶ”……?」等と疑問を抱いている所に、タケルは申し訳無さそうな顔を見せた。
「もし騙した事や黙っていた事を怒ってるのなら謝罪する」
「怒ってないっての……。こっちも──窮屈な思いをしててね、そっちは悠々自適な待遇でも受けてるんじゃないかなって思ってただけさ。ほら、ロビンやアイアスとはまだ会えてないし」
「まさか。俺もマリーと同じで気を使われすぎてなんだか調子が狂ってさ。疲れてるのかな、本調子って感じじゃなくてね」
そのタケルの言葉に同意するかのように、マリーは頷いていた。
どうやら英雄は英雄で待遇面で嫌な事があるらしい。
ファムも元気が無さそうにベッドでうつ伏せになっていた。
「……本当に調子が悪そうだ」
「ええ、だから──悪いんだけど珈琲を貰えないかしら? あの苦さで少しでも目を覚まさないと、時間を無駄にしちゃう」
「分かった」
「あぁ、俺も珈琲がいいかな」
「私もにゃ~」
「はいはい」
俺も珈琲が飲みたくなったが、何だってこんなに三人とも疲弊しているのだろうか?
マリーはブラック無糖、タケルは牛乳と砂糖を小さじで一、ファムは牛乳と砂糖大目で出す。
普段であればマリーが牛乳と砂糖大目で、タケルがブラック、ファムが牛乳と砂糖を少量なのだが……。
「その身体は病気するのか?」
「どうだろう。病気らしい病気を召喚されてからした記憶はないかなあ……」
「右に同じにゃ」
「私は睡眠不足とか疲労以外には、別に」
聞いては見たけれども、医者ではない。
救急法だの戦場救護だのと、そういった簡易手当てくらいしか出来ないのだ。
そもそも彼女たちの身体は魔力で構成されている。
多少のダメージや不都合は魔力で回復できてしまうトンデモ仕様なので、常識に当て嵌めて考える事の方が馬鹿らしい。
「なんか変なものを食べた……って事は、無いか」
「それに関しては俺が居るから無いと言い切れるかな。毒物とかの知識があるから、逆に使われたなら察知する事は出来る。たとえ摂取した後だとしても、身体がそれを拒絶してくれる」
「タケルの一族はね、幼少から色々な訓練を積んでるんだって。その一つに毒物耐性をつける訓練もあるから、利かないか死ぬかの二択しかないわね」
「とんでもないな……」
「まあ、狂った一族だったよ──」
そう言ったタケルは遠い目をした。
それは白目とか現実逃避などではなく、遠い過去の事を思い出して懐かしんでいるように見えた。
きっとマリーが家族の事を思い出すように、当時の事でも思い出しているのだろう。
歴史の忘れ物と化し、長い年月を超えて自分達の守った人類の未来と言う系譜に触れるのは、どういう感じなのかは分からない。
ただ、戸惑いと、寂しさや悲しみ、そして孤独なのかも知れないと思うくらいは俺にも出来る。
かつての仲間は数えられる数しか居ない、肩を並べ共に戦った兵士や当時の人は世代交代と共に時に埋もれていったのだから。
「もしかしたら、アイアスやロビンも待遇で調子を崩してるのかもしれないね。凄惨な状況や悲惨な環境に居続ける事には慣れていても、逆に敬われまくって持ち上げられて構われすぎるっていうのにはなれてないだろうし」
「だとしたら私達が会えないのも仕方が無いのかもしれないわね。押しかけるのも悪いだろうし」
「調子が悪い時はそっとしておくのが一番だにゃ~」
英雄には英雄の都合や体調を崩しやすい条件でもあるのかもしれない。
日本人が海外の水道水を口にすると腹を壊しやすいとか、標高の高い場所に行くと高山病にかかるとか。
あるいは、余りにも宗教じみた国であるが故に変な思念や邪念を受けてしまっているという可能性も否定できない。
……英雄たちを一番尊重しているのは自分達だから、こちらに寄越せとか言ったらしいからありえない話じゃないのが辛い。
それぞれが珈琲を口にして堪能すると、一番不機嫌だったはずのマリーが機嫌を直したらしい。
本当に一息ついたとでも言わんばかりに大きく、ゆっくりと息を吐いた。
「はぁ、そうそうこの味この味……」
「ここ数日一緒に旅をして口にしただけだけど、俺たちにとっては気兼ねなく飲める──役割や身分、立場を忘れて飲んだいい味だ」
「にゃ~、コレがもっと飲めればにゃ~……」
「悪魔の飲み物とか、魔物とか言ってたけどありゃ何なんだ?」
「さあ? 大よそ、色が黒だから~とか、味が良くないから~とか色々あるんじゃない? もしくは闇の系譜を連想させるからとか。それに、常時飲むには作ってる量が少ないってのもあるし、ツアルなら緑茶、その他では紅茶だとかが強いからってのもあると思うし」
「よくもまあ……スラスラと出てくるね」
「アンタみたいな奴の傍にいれば、嫌でもコレくらいはね」
これは悪口か、それとも皮肉?
軽口だろうかと戸惑っていると「コレくらい軽く流して」と言われてしまった、軽口だったようだ。
幾らか乾いた笑いになってしまったが受け流すと、嫌な事を思い出したのかマリーが再び怒り出した。
「タケルやフア──ああ、もう嘘付かなくて良いんだっけ」
「おい待て、マリーまでグルかよ!?」
「それは後。二人と会いたいって時は直ぐに通してくれたのに、アンタの部屋に入ろうとしたら『下々の方と~』とか『彼と貴方は~』とかバッカみたい。アンタが私と一緒に裏切り者と戦って、こっちに来る時にも肩を並べて人々を救ったって叩きつけてやったわ。そしたらポカ~ンと間抜け面。だから頭の固い奴って嫌いだし、出来れば来たくなかったわね。死ねば良いのに……」
「いやあ……ここに来る前にマリーの対応をした人は災難だったよ。散々罵倒された挙句、何かを言えば直ぐに言い返されて、マリーの口の方が達者な物だから何も言い返せなくなって最後には──」
「あの酸っぱい臭いは出来れば暫くは嗅ぎたくないにゃ」
……胃がひっくり返る思いをしたのだろう、ストレス過多で余計に負担がかかって吐いたんだな。
俺と会わせるのを避けたがったという事情を聞くとクソがと思うが、その仕打ちが英雄からの直々に「死ね」との有り難いお言葉とか……。
宗教じみたこの国ではリアル死刑宣告って奴か? 泣ける話だ。
「コレじゃ帰国にも苦労しそうだな……」
「帰してくれるのかしらね、本当に」
「帰してもらわないと、国が困る。俺とファムがここに来てるのだって、小康状態になって戦線に余裕が出来たからで、帰さないと言うのなら考えがある」
そう言ってタケルは、目を少しばかり細める。
――そりゃそうか。タケルには今この時代で同じ戦いを共にする兵士が居て、付き従ってくれる仲間が居る。
この国がどのような考えをしているにしろ、彼らを見捨てて……見殺しにして良い訳が無い。
「それは最終手段に取っておいてくれ。まだ一晩明かしただけだってのに、性急が過ぎるだろ」
「俺はそれくらい背負ってる物が多いし、大きいんだ。こんな最前線でもない国で持っている力を腐らせるなんて、罪深すぎる──」
……名前的にツアル皇国、或いは日本人のような名前だからだろうか?
騎士道と言うよりは、武士道に近いような──というか、刀を使ってるから侍か。
何にせよ、義理とか人情を重んじるタイプなのかも知れない。
ファムはただ一緒だったというだけで、ここまで重そうに何かを言った事は無い。
あるとしても、人種差別──と言うより、種族差別に対して少し敏感だったくらいだろうか。
獣人族というのは身分や地位が低いらしいし、その点で警戒もするか……。
「──ファムって、この国と言うか……正体は?」
「しょう──あぁ、あれの話か」
「神聖フランツでは獣人は奴隷や家畜、或いは魔物や悪魔に順ずる存在にゃ。だから私の扱いも、ビミョーにゃ」
「神聖フランツでは……獣人は排除するか、或いは人のように扱わないという考えを国が打ち出してる。ヴィスコンティでは見なかったかな?」
「俺は……」
思い返してみるが、獣人なんてファムが初めてだ。
そして俺はオタクであり、獣属性だ! と喜んでしまう立場の人間である。
それでも問われたからには考えてみるが、亜人くらいしか見た事が無いと首を横に降った。
「ドワーフは見た、エルフが居るらしいってのは聞いてる。けど獣人は……ファムが初めてだから、なんとも」
「一部の人は、ファムの正体を知ってる。それでも英雄だから邪険に扱えない上に、普段は耳や尻尾だのを隠してるから気にもされない。ツアル皇国ではヘルマン国との共同戦線と言う事で理解が深いけれども、その多くは彼女が共に前線で戦って理解と信用を勝ち取ったからだと俺は思ってる」
「にゃ~、タケにゃんが言うような事を考えてやってないにゃ~。ただ知り合いも居なかったし、どうせなら仲間の為に戦いと思うのは間違いじゃないにゃ、なんて」
ファムにもファムなりの考えがあって戦っていたという事は、とりあえず理解できた。
タケルは最初はどうであれ、今はツアル皇国の兵士や仲間の為に。
ファムは同じく魔物と戦いを共にしている、ヘルマン国と言う獣人の仲間を少しでも守るために。
……そう考えると、神聖フランツ帝国のしようとしている事は余りにも勝手だ。
彼ら、彼女らの考えを微塵たりとも考慮していないのだから。
そして……ヴィスコンティも、アイアスやロビン、マリーを派遣する事無く自国に留まらせている。
「ツアル皇国での戦いって、激戦なのか?」
「やっぱりさ、人類と違って相手はそれぞれに特別な能力を持っていたり、体質や性質を持っているって言うのが大きくてね。ゴーレムとか出てくると、大人数で転ばせたり拘束したりするか、魔法での破壊力を用いたり、斧や槌といった物を用いないといけなくなる。それと同じで、相手が少数でもそう言った相手が出てくると中々容易には勝てなくなる……」
「相手の三倍兵士を揃えても『だったら対等だな』って感じなのね」
そういや、ウルフの相手をした時もその集団での狩りの性質や、跳躍力や速度といった物は結構侮れない物だった。
普通に壁や天井に張り付いたり、蹴ったりするような能力を持っている。
オークは脂肪で攻撃が通りづらく、その筋力や膂力は侮れない。
ゴブリンは小柄でそこまで力は無いが、その数や隙間に体ごと捻じ込んでくるような暴力性は浸透攻撃という見方をすれば、前衛をすり抜ける事も考えられる。
今の所そういった魔物しか見ていないが、最前線たるツアル皇国ではもっと多種の魔物が見られるんだろうな……。
「ねえ、辛気臭い話は止めましょう。せめて短い時間だとしても、何か楽しい方が良いんじゃない?」
マリーが手を叩いて、思考に沈んでいった俺を引き上げ場の空気を変えた。
タケルやファムもそれには同意らしく、そういや話が真面目な方に逸れていたなと考え──。
「って、うぉい。元はといえば不機嫌そうにしていたマリーのせいだろ。俺は忘れてないからな?」
「はいはい。そう言うのはいいから、お代わり」
そう言ってマリーがカップを差し出してくる。
倣うようにタケルも「俺もいいかな?」なんて言って来て、コレじゃ本当に旅路の最中と関係が変わらない。
まあ、俺に出来た事は向かってくる敵と逃げる敵を排除する為に射撃したくらいで、基本的にお茶や料理係だったからな……。
珈琲を淹れていると、マリーが視線をブラブラと彷徨わせて暖炉前の机に止める。
そして少しばかり机の上に展開されている物を見ると、椅子から立ち上がってそちらに向かう。
「洋将棋か……。誰かと遊んでたの?」
「いや、ただ──家にもあったんだ。懐かしくなって、つい、ね」
「遊び方知ってるのね。こういうのってどちらかと言えば暇を幾らか持つ小金持ちからの遊びだと思ってたけど」
「言っておくけど、俺は家の中じゃ最弱だったから遊ばないぞ? 対人戦は好きじゃないんだ」
そうは言ってみたものの、マリーはチェスの駒を眺めながら一つずつ手にとって見る。
暫くはそうやって何かを確認していたようだが、直ぐに満足そうに頷いていた。
「ね、これで遊ばない?」
「今の俺の話きいてましたかねえ!? 弱いって分かってるからやりたくないって言ってんの!」
「いいじゃない。そこには兵の動かし方を分かってる先輩も居るんだし」
「もしかして、俺も付き合えって事かな?」
思わぬ巻き添えにタケルが「まいったな」なんて言っている。
しかし、拒絶や否定をするつもりは無いらしく、マリーの待つ方へと言ってしまった。
「面白いのなら見てるだけでも楽しいかにゃ~」
そしてファムまでそちらに行ってしまう。
逃げ場なんて無いじゃないか、チクショウ。
ここで拒絶し逃げてしまえば、マリーは対戦相手を失い、タケルは乗り気になった気分の矛先を失い、ファムは面白そうだという期待を失望にしてしまう。
それに、この部屋で完結しそうな物事なんて考えてみればそれくらいしかない。
俺は溜息を吐きながらマリーの対面に座り、駒の並びを再確認する。
「──言っておくけど、俺はこっちでの遊び方は知らないからな?」
「大丈夫でしょ。歩兵は前進しか出来ないけど、斜めの位置に敵が居る場合に限って相手を倒す事ができる。そして相手陣地の奥深くまで侵入できれば昇進……王様以外の何かに成れるの」
マリーが説明し、少し足りなければタケルが捕捉説明をする。
それがどうやら俺の知っているチェスと同じルールだと把握すると、少しばかり安心できた。
「ん、オッケー。俺の知ってる遊び方だ」
「じゃあ遊べるわね。私も昔少し遊んだだけだし、お互い様って事で」
「因みに、コレの現代版ってのがあってね? 魔法使いだとか、弓兵だとか、そう言った実際に居る兵科を取り入れた物もあるんだ。ただ、そっちは駒の種類が多すぎて全然遊ばれないけど」
なにその大局将棋見たいなの。
俺には千日手とか、そう言ったプロのような真似は出来ない。
駒の種類が増えると本来は出来ない行動とやらをやらかして反則負けになる。
そこらへん『りゅうおうのおしごと!』とか『3月のライオン』で見てきた、間違いない。
「俺はこの気楽に遊べるやつしかやった事無いから、これ以外はちょっと勘弁……」
「はは、だろうね。けど、ツアル皇国にもし来るのなら覚えておいた方が良いよ? ヤクモは今、兵士としての英雄扱いだけど、もしかしたら隊長としての、或いは指揮官としての英雄が求められることだって有るかも知れないし」
「俺は自分の命を賭けるだけ十分精一杯だよ」
そう零しながら、俺はマリーとどちらが先行かで揉めてしまう。
マリーも俺も、相手に先手を譲りたくて仕方が無かったのだから。
仕方が無くじゃんけんを用いてあえなく俺が負けて先手となり、駒を動かしていく。
暫くは順調に進んでいたのだが、中盤から互いに手が鈍り始め、終盤になると俺が追い詰められて負けた。
「だから嫌だったんだ……有難う御座いました」
「ええ、楽しかった」
そう言うと、タケルがゆっくりとだが口を開いた。
「う~ん、駒を大事にしすぎに見えたかな? 余りにも駒を庇いすぎて、そのせいで何度も何度もマリーを追い詰められる機会はあったのに、逆に自分を追い込む機会を与えてた」
「あ~、ん~……やっぱりか」
「自覚は有ったんだ?」
「こう、なんと言うか……。ケチと言うか小心と言うか。失う事、奪われる事を避けたがる傾向があるんだよ。だから攻撃する時は調子よくても、守りが必要になると全部崩れる──昔からの癖なんだよなあ」
「マリーは逆に使う駒が偏りすぎてる感じがしたかな。手堅く陣を張っていけば良いのに、攻撃一直線だから途中から隙間だらけに見えたし」
「攻撃こそ最大の防御よ。それに、本当だったらこんな前線で固まってる敵なんて、私がいれば一網打尽なのに」
「遊びに無茶を言わない。──どっちか変わってくれる? 俺も少し遊んでみたいかな」
「それじゃあ、タケルの戦振りとやらを見せてもらおうかしらね」
駒を並べなおし、今度は対局相手がタケルになった。
お願いしますと頭を下げ、再び試合を進めて行く。
そしてマリーは、観戦になってからは余計に口やかましい客となった。
プロレスや格闘をテレビで見て居る親父みたいに、拳を握り動かしながら「そこ!」だの「いけ!」だのと言っている。
タケルとの対局は、若干弄ばれているというか、試されているような感じがした。
攻撃を仕掛けられるかなと思ったら、普通に誘い込み立ったりする。
防御を固めてるのだろうと突こうとしたら、隙間に駒をねじ込もうとしてくる。
くそ、RTSだったらやりやすいのに……。
歩兵、ヘリ、戦車、機関銃、機械化歩兵──。
それぞれの行動と役割で何とか補い合って、或いは犠牲にしながらも相手に亀裂を作りこじ開ける。
先ほど指摘されたのを思い出して、今度は俯瞰して盤面を眺めてみた。
相手の攻撃マスと移動マス、自分の攻撃マスと移動マスをゲーム画面のように脳処理してみた。
攻撃範囲、行動範囲、一手先、二手先……。
想像、構想、大綱を考えつつボンヤリとする。
「投了?」
タケルがそんな言葉を投げかけてくるが、うるさい。
負けるにしても、負けっぱなしで思い通りにならない負けなんて認められない。
いいようにやられてただ敗北するだなんて受け入れられない。
自分が死ぬのなら相手に傷を、出来るのなら相打ちを狙え。
手を出せばタダじゃすまない事を理解させて、思うように手出しできないようにしてしまえ。
そう考え、更に時間を費やしてから『駒を仲間ではなく自分の手札』と割り切って動かす事にした。
制圧射撃、砲迫による面制圧、機関銃によるピン・ダウン、相互前進による領域確保。
一手ずつ、自衛隊での知識に置き換えながら『戦争』を始める。
相手の自由を奪え、思い通りにさせるな、相手の空間を削り取れ。
……そうやって対局をしてみたものの、そんなものは最初から始めろという話だ。
気がつけばお互いに大損害を出しながら出た決着は「チェックメイト」である。
味方の駒に逃げられたであろうマスを埋められ、ルークで詰められた。
それでも相手は後七コマ、自分は五コマと言う消耗戦にまで持ち込めたのだから奮戦も良い所だろう。
それでも、負けは負けだ。
「有難う御座いました……」
「有難う御座いました、っと」
ま、まあ。苦手分野だし? 対人戦そのものが無理ですし?
パズルゲームとかもそうだけど、あれらに関しては苦手すぎて無理だ。
ぷよぷよでも六連鎖以上出来ないんだぞ、もう虐めるのはやめてくれないか!?
「途中から──」
「──うん」
「途中から、良かったと思うよ。死に駒を出さないように、細かく戦場……盤面を動かしてた。ただ、それを最初からやっていればなあ」
タケルはそう言って苦笑した。
どうやら俺が思ったとおり、遅きに失したと言う奴なのだろう。
ただ、マリーだけは理解が及んでいないようだ。
「死に駒?」
「遊兵って言えば分かるかな。相手に圧力をかけるためでもなく、攻撃や防御の為にも用いられていないって事。何の為にそこに居るのか分からない駒」
「ふ~ん……」
「二連敗したから、俺はもう良いよな? ファ──」
ファムもそう思うだろ?
そう問いかけようとしたが、彼女はウトウトしていた。
退屈だったのか、それとも安堵していたのかは分からない。
まあ、眠れるくらいには落ち着いていたのだろうと好意的に解釈すると、二人は苦笑していた。
「やれやれ。部屋まで連れて行かないとなあ……」
「まったく。他国の城に居るって事忘れてないかしら」
マリーの言葉を聞いて「お前が言うな」とこれほど思った事は無い。
誰かにゲロを吐かせて、聖騎士に「帰れ!」と言う奴のどこに城で世話になってる客と言う意識があるのかを問いたかった。
結局その日は、マリー達三人が俺の部屋から去る事無く一日が過ぎていった。
何度か、或いは何度もとも言うべきかも知れない。
聖騎士やメイドなどがやって来る回数も多かったが、その大半がマリーに、そうじゃない場合はタケルやファムによってやんわりと対応され出て行った。
少しばかりでは有るが、今朝の父親──じゃなく、枢機卿との話を思い出す。
『君に必要なのは、この時代を生きている人による理解者だ』
……事実、そうだろう。
マリー達は別時代の人々で、俺は別世界の人だ。
どちらも異世界と言って良いほどに別の場所から来ているが、長すぎる時間が経過しただけの同一世界と、そもそも違う場所とでは異なるのだ。
俺もマリー達も、理解者を得られなければ排斥されるだけだ。
英雄とは言え少数であり召喚されたと言う制約が有る。
俺と手合わせした時のアイアスのように、制限をかけられてしまえば後は数と言う暴力で押しつぶそうと思えば押しつぶせるのだろう。
だとしても、だ。
それは俺だけの繋がりで良いのだろうか?
出来るのなら、神話や伝説として扱われるだけの──使い魔として扱われるだけの彼らの待遇に変化を与えられないだろうか?
使い魔だからと人よりは下等に扱われたり、英雄だからと変に敬われるのではなく……。
そんな事を考えながら、翌日の謁見に備えながらベッドで横になった。
やはり一人では広すぎる空間が俺には辛く感じる。
「眠れないな……」
壁にかけた制服と、月明かりで幾らか輝く短靴が目だって思えた。
明日はあれに袖を通し、恥じない行動を心がけようと誓うと余計に眠れなくなる。
言葉がうるさい、考えた言葉が文字となって脳裏に張り付いてスペースを埋めていく。
眠れ、眠れ、眠れ……。
酒に頼らず眠ろうとすればするほどに、集中した分だけ眠気が遠のいていく。
それでも明日は真面目な、重要な日なのだからと眠る事を頑張ると言う矛盾に時間を費やした。
気がつけば腕時計が起きる時間を示していて、眠気を隠し切れない頭を上げてベッドから抜け出した。
さあ、勝負だ。
答えなんて出てない、もしかすると「考えておきます」と答える事すら封じられるかも知れない。
神聖フランツで自己開拓をするか、ヴィスコンティで忠義を果たすか。
メイドさんが持ってきた水の張られた桶から水を掬い、顔を洗って鏡を睨む。
鏡の向うの自分は、いつでも余裕の無さそうな顔をしていた。
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