第85話

 ……追い詰められた時こそ笑え。辛い時こそ余裕を見せろ……

 ゲームで言えば逆転裁判で、現実で言うのなら自衛官候補生の時に言われた言葉だ。

 文字通り、俺には余裕が余り無い。

 王の間とも言えるだろう、玉座に通された俺は周囲の多すぎる目線にもはや思考回路はショート寸前と言う奴だ。

 有り難いことに……今回同じヴィスコンティから来たということや、先日の若干仲の良さそうな感じを伝えられたからかマリー達全員が揃っている。

 久しぶりに会えたアイアスやロビンも揃っており、文字通り英雄たちの凱旋と言った様相をかもし出している。

 ただ疑問があるとすれば、その中心人物が俺であると言う事に納得がいっていない。

 それに関しては猛抗議をしたのだが、マリーは面倒臭いと突っぱねた。

 アイアスは柄じゃ無いと一蹴した。

 ロビンは「……うまくしゃべれない」とか言って辞退。

 タケルは「俺はヴィスコンティからの死者じゃないから」と断る。

 ファムに関しては「タケにゃんに同じにゃ」と言って来た。


「彼は何だ? 英雄の一人か?」

「いや、ヴィスコンティで活躍したと言う人の一人です」

「何故そんな者が彼らに混じっているんだ」

「さあ……」


 もう既に腹が痛い、痛すぎて屁まで出そうである。

 外交と言う物が含まれて居なければ、即座にトイレに駆け込んで口と尻から出る物全部出したいくらいだ。


 カーペットの敷かれた大広間と、柱。

 左右には兵士達やこの国の政治などに関わるだろう人物がゴロゴロ居る。

 この中で俺が大失態コケば、遠まわしに公爵家にまでダメージが行く。

 

「主よ私をお守り下さい。主よ私に力をお与え下さい。神よ貴方を信じます、私を恥から救い勝利をお与え下さい──」

「ここまで来て何怖気づいてるのよ。シャンとしなさい」


 ブツブツと神に救いを求めたが、それすらマリーに遮られてしまった。

 昨日まで調子が悪いと言っていたが、そこらへんはやはり解決していないらしい。

 礼儀作法に関してはマリーが先日の午後に教えてくれたので、それを下敷きに何とか乗り切ろうと言う魂胆である。

 一夜漬けのテスト勉強とかとは訳が違う、失敗したら将来どころか未来まで潰える。


 それでも──それでもだ。

 奇異な目線とか、自衛官名も無き我らでは無くヤクモ《個人》で受けきるには辛い。

 呼吸じゃなくて常時深呼吸に近い状態で、タケルが背中を叩いて「大丈夫かい?」なんて訊ねてくる。

 ファムも「そんなに気張らなくても良いと思うにゃ~」なんて言いながら、肩を揉んでくれた。

 

「見ない内に随分仲間を増やしたな、ぼん

「ん」

「仲間と言うか知り合いと言うか……」


 アイアスは俺を見ながらニヤニヤしているし、ロビンはいつもどおりなにを考えているのか分からない無感情な表情でこちらを見ている。

 それが若干懐かしいと言えば懐かしいが、今はそれどころじゃない。


「落ち着けって、ホラ。国王の傍見てみろよ。ヘラが居んだろ? 何か有っても、ある程度は気を利かせて口を挟んでくれるさ」


 アイアスにそう言われて国王の脇を見ると、ヘラが控えているのが分かる。

 招かれた側と招いた側で立場が別れるのは仕方が無い。

 しかし、距離感がそのまま心細さに繋がっている気がした。


「……しっかし、大した物だ。柱や壁に沿って、まるでゴーレムのような物が沢山並んでやんの」


 アイアスがそんな軽口を叩き、意識を散らして散漫にする為に周囲を見てみた。

 言ったとおり、まるで廊下に飾られた甲冑等のように数多くのゴーレムのような物が立っている。

 形状や種類に共有点は……無いように見える。

 ただ、国王の後ろにも二つほど存在するのが気になった。

 装飾と言うよりも、これじゃあ何かの意味や意図があるようにしか思えない。


 示威行為か、或いは威圧なのか……。

 こういうのって、財力やコネだけじゃなくて、その国での技術力や発展度合いなども見せ付けられるとか何とか聞いたな。

 だから部屋一つをとっても無駄に豪勢にしたり、装飾品は高価だったりするらしい。

 ゴーレムと形容したくなる大きなその存在は、アイアスの言葉を用いるのであればゴーレムを知っている相手はさぞかし驚くことだろう。


「──ここで立ち止まって、大きく一礼」


 マリーに言われて、俺は彼女に言われたとおりにそうする。

 敬礼のように指をそろえた手の平を作り、その手の平を胸に当てて三十度ほど頭を下げる。

 神の御心のままにだとか、心に誓ってとかそう言う意味の挨拶らしい。

 ヴィスコンティの物とは作法が違うが、そんなものは相手の土俵に合わせて変えるしかない。

 

 頭を下げたままに数秒、国王らしい相手から「面を上げよ」と言われたのでゆっくりと礼を解く。

 先ほどまで俺について喧しいほどまでに噂しあっていたお歴々だの偉い人たちも、気付けば静まり返っていた。

 震える臆病さを、無理矢理『任務』と自分に言い聞かせた。

 そうすると、自然と落ち着きが増していくのを感じられる。

 幾らか頭が冴えてきて、緊張しすぎず緩み過ぎない程度には解れた。


「お初にお目にかかります。ヴィスコンティよりお招き頂いたヤクモと申します。予定より大きく来訪が遅れた事をお詫びすると共に、丁重な扱いをしていただいた事に感謝いたします」


 そう言ってから、演技のように再び一礼した。

 ――と言うか、俺は礼をしたけれども同伴したこの英雄達、タケルを除いて誰も礼してなかったんですけど。

 まあ、それはまた後でいいか……。

 俺の口上は変じゃなかったか?

 ちゃんと挨拶らしい挨拶は出来ただろうかと疑問を抱く。

 ただ、ヒソヒソと何かを言い合っているのを見た。


「──もっと近くに」

「大体見下ろされるくらいの位置に、段の手前あたりで立ち止まればいいから」


 国王からのお言葉と、マリーがどうすればいいかを耳打ちしてくれる。

 俺はそれに従いゆっくりと前進し、英雄達もそれに付き従った。

 ……俺はこいつらのトップでも何でもないんだが、とても居心地が悪い。


 そして前進したまでは良いが、自衛隊での入退室要領の癖が抜け切らずに再び礼をしてしまった。

 やべぇ冷や汗と共に羞恥心で顔が熱くなるのを感じた。

 口を引き結んでしまうと、クスクスと笑い声が聞こえてくる。

 余計に恥ずかしさがこみ上げてきた。


「ヤクモ様、楽にしてください。遅参の連絡及び、その理由も聞いてます。そちらには何の咎も無く、それどころか数度人々を救う為に行動したという事も聞き及んでおります」

「船が沈んでしまったのは仕方が無いが、その原因であった海の魔物を倒してくれた事。そして領内で人々の為に身命を賭して戦ってくれた事は聞き及んでいる。感謝しよう」


 ヘラの言葉に続いて、国王も労いの言葉をかけてくれた。

 ……この二名が咎めないという方向で話を切り出したのだから、周囲の人々もそれに逆らうつもりは無いらしい。

 幾らか信じがたいという言葉や、賞賛するような言葉が聞こえてきた。

 それはそれで嫌な感じだ。上が白と言えば黒も白になりそうである。


「──有難う御座います。しかし、自分に出来る事をしたまでです」


 先日の枢機卿じゃあるまいし、変に色々言って心象を悪くするのは避けたい。

 だから適当に感謝して、相手の言葉を否定しない。

 立派な人物を適当に演じておけば、相手にも嫌われないだろうし上手くいくだろうと言う浅慮。

 少なくとも……関係が浅ければ、或いは公私を上手く切り分けられていれば有効だ。


 そして、今の返答が場に即した物だったのは反応から察する。

 少しばかり騒がしくなったが、国王がゆっくりと手を上げて合図をすると再び静まり返った。


「話に聞いたとおり、謙虚なようだ。ヴィスコンティ及び貴殿を預かる者は、さぞかし鼻が高いであろう」

「お褒めに預かり光栄です、国王陛下」

「それに……見れば英雄の方々と親しくしているようだ」


 ……まあ、そう来るよな。

 どっちだ? 賞賛か、非難か。

 俺は展開を幾つも考えていたが、ヘラが続けた。


「詳細は省きますが、彼は私の妹を救ってくれました。事の最後の方に少しばかり関わったくらいですが、袂を分かった英雄の一人から救ってくれたんです。駆けつけた時には既に満身創痍で、本来であれば今回の来訪を見送るに値する酷い怪我をしていたんです」

「ふむぅ……」

「私達にとってのかつての仲間であり、今で言う英霊に立ち向かう……。そんな事を他の誰かが真似できますか? だから私は彼の献身と行いに対して敬意を払うと共に、信じるに値すると思っています」


 なんだか、これぞまさに宗教って感じだよな。

 ヘラの一声がこの広間に入ってきた時の好奇の目線や、やや嘲笑だの侮蔑に値するような物を一掃してしまう。

 変わりに向けられるのは、半ば鵜呑みにしたかのような賞賛や考えを改めて再評価しようとするような顔付きから来るモノ。

 まだ侮蔑や嘲笑よりは居心地が良いが、逆に一色に染まりだすとそれはそれで落ち着かない。

 俺は別に宇宙人と戦ったりして「貴方は何をやらせても抜きん出ていますね」とか「ヤクモさんは何をやらせても完璧です!」とか言われる物理学者のような事をしていない。


「裏切り者とは?」

「歴史に載る事の無かった、私達の仲間です。暗殺、工作、暴力、術策──私達が統率と統一、そして規律を得る為に汚れ仕事の大半を担っていた人物です」

「そのような人物が居たのか?」

「──私達が表舞台で活躍した英雄だとしたら、彼は私達を支える為に負の面を全て受け持った人物です。目的は分からないですし、理由も分かりませんが遭遇した妹を消そうとしていたという事だけは分かっています」

「であれば、彼は人類にとっての損失を防いだと言う事になる。何故かつての仲間を殺めようとしたのか、どのような人物なのか疑問は尽きぬが……我々にとって、この国にとって、人類にとっての歴史を、英雄を救ったという事になる。それが真で有れば、誰にでも成し得る事では無い」


 ……まあ、俺の能力値が普通の人より数倍上回ってるだけなんですけどね。

 それでもあの英雄殺しは強かったし、タケルやアイアス、ファムなどを見ているとかつての英雄達はその上で更に強いという事でもある。

 ただの人よりは強く、英雄達に比べれば幾らか劣るという中間具合。

 諦めるには指がかかっていて、喜ぶには落ちそうと言う状況。

 足りないのは経験が大部分で、知識がその次で、能力はその三くらいだと分析している。

 少なくとも、追いかけられるくらいの位置には居ると思っているから──教えを請い、学んでいるつもりだ。


「重ね重ね、お褒めいただき有難う御座います、陛下。しかし申し上げるのであれば、かつて自分が所属していた──軍で、或いは生まれ育った国において、もしくは両親の教えによって自分はそうするように言われ、それを忠実に守っただけに過ぎません。故に自分にとっては何ら特別ではなく、行動を褒めていただいたと……そのように受け取ります」


 余り褒められすぎると敵を作りかねないし、変にそれを受け取らないのも今度は国王を無碍にしたと敵を作りかねない。

 ではその枠を個人ではなく集団に広げてしまう事で、曖昧かつあやふやにしてしまおうと考えた。

 彼らにとっては見知らぬどこか、見知らぬ誰かでしかない。

 けれども俺と言う存在は『記憶喪失であり、召喚された異国の人物』と言う事になっている。

 どこかは分からないし、到達できるかも分からないような与太話のような国や場所──。

 それでも、俺と言う存在と、その知識と、扱う武器と、身に纏う物が否定させないし、出来ないモノとしている。

 

 そうやって白々しいやり取りをした後、一人ずつ英雄たちの名が呼ばれていく。

 タケルとファムはツアル皇国での事柄や戦線について訊ねられ、その戦いぶりを賞賛された。

 アイアスとロビンはヴィスコンティにおける軍事教練と兵の鼓舞等の活躍を語り、やはり賞賛された。

 マリーに関してはその存在を知らなかったらしく、召還された事や生活に関して訊ねられていた。


 ……そして恐ろしい事に、ヘラはその全てにおいて詳細を補足し説明して語る。

 まるで現場に居て見てきた様な、或いは──考えたくないが──スパイを幅広く展開して情報収集でもしていたかのような感じだ。

 国王もそれを当然のように聞いているし、もしかするとスパイ大国?


 訊ねたい、問いたい、軽口のように口にしてマリーやタケル等からどういう事かを聞きたい。

 しかし、そんな事も出来るわけが無く、そのまま公の場におけるさらし者の時間は何とか緩やかに終わる事ができた。

 ただ、そのまま昼は食事会で、夜は立食会と言うものが設定されている。

 肩肘を張るなと思いながら、国王やヘラ、枢機卿等と言ったフランツ帝国側の面々。

 それに対してこちらは再び同じ面子を揃えながら挑むのだが──。


「隅っこがいい」

「私もこういうのは苦手にゃ~」

「あ~、任せるわ」

「みぎにおなじ」

「俺の顔は傷物だし」


 などと、全員が揃いも揃って上座を譲る事譲る事。

 なんで? どうして!?

 そう言ったが、国王が来ると同時に肩を叩かれ、背中を押され、尻に蹴りを入れられて上座へ。

 国王の一つ隣に俺が座って、その正面にヘラがにこやかな笑顔をしている。

 親父殿に似ている枢機卿は斜めに位置している。

 

 大分……心臓に宜しくない。

 出来れば薬を飲みたいが、あからさまに何錠か手に乗っけて口に放り込むような真似も出来なかった。

 ヘラが正面に居て、父親が傍にいると思えば幾らか落ち着けるか……。


 ただ、皺の濃いもはや全てが白に染まった初老のオッサンを傍にして落ち着くのは難しい。

 意図しているのか、或いは意識してそうしているのか分からない表情。

 疲れているのか、それとも目を細めてこちらを見て居るのかも分からない。

 それでも──相手もこちらの緊張の香りと言う奴を嗅ぎ取ったのだろう。

 眉を一度はねさせ、それを見た俺が緊張を走らせると幾らか表情を和らげてくれた。


「貴殿の居た国では、そう言った教育を軍では施しているのか?」


 国王も聞きたい事や問いたい事が有っただろう。

 英雄達とどうやって親しくしているのか~とか、どのような事をしているのか~とか。

 しかし、これも父親から学んだりした事だが、相手が緊張している場合、相手の喋りやすい題材を、相手に喋らせると良いと言う。

 気を使わせているなと思いながらも、相手がそうしているのだから乗っかっておいたほうが良いだろうと、俺も別段気にもせずに語る事にした。

 

「やっている事は、装備や兵士が受けてきた教育以外では大きな差異は無い……かなと思います。熟練者が長となって最大十名くらいまでの面倒を見て、最短で三度月が巡るまでの間に基礎・基本を叩き込みます」


 そして、オタク気質もある上に自分の”誇らしい分野”である。

 こういうことに関しては口が良い具合に滑る事滑る事。

 今なら外郎売りの早口言葉でさえも一度も噛まずにスラスラと諳んじる事が出来そうであった。


「では、貴殿のいた国では皆が同じような事が出来ると言う事か」

「自分は下から数えるほうが早いほうで、言ってしまえば先ほど述べた十名程度の部下を率いるほどの身分、知識、経験、責任しか有しておりません。そして自分の所属はこちらでいう弓兵のような散兵で、歩兵の役割も担っていますね。そもそも戦い方そのものがヴィスコンティでの軍事演習を見るに違うので、多分──ユニオン共和国に近いのではないかと」


 まあ、ユニオン共和国の戦い方は知らないけどな。

 けれども……なんだっけ? 学園で一度武器に関して注意された事があるし、多分戦い方そのものが変化しつつあると思われる。

 銃に似た物を開発・研究・生産・装備し始めているというし、戦列歩兵かWW一以降の戦い方くらいにはなりつつあるのでは無いだろうか。


 そこまで語って、俺の事を理解させつつ緊張をほぐした。

 ヘラや枢機卿、国王は此方にかかりっきりだがアイアス以下四名の者は完全に飲み食いに集中している。

 あいつ等だけ自分たちの空間を作ってエンジョイしているのが気に食わないが、巻き添えにしたらしたで胃袋が死滅してしまいそうだからどうしようもない。


「貴殿の言う兵の育成は、真似る事が出来る物だろうか?」

「さあ、考えた事は無かったですね……。けれども、もし同じ事をするのであれば──」

「あれば?」

「何かしらの直轄部隊として、最初は小規模から全てを始めてみないと分からないですね。それは申し訳有りませんが、自分が下っ端だからと言う事が大いに関係しますが──」


 脳裏で、自衛隊に準じる組織を此方で作ることが出来るだろうかという事を考える。

 しかし、今述べたようにかつて陸教に言っていたとはいえ負傷による原隊復帰をしている上に、営門三曹だから知識的な物は陸士長の範疇をちょっと出たくらいでしかない。

 曹になった場合、新隊員教育の班長をする事だってあるし、それ以外にも部隊の管理運営に携わる部門……武器陸曹や補給陸曹等と言ったモノに任命される事だってある。

 それらは士では体験する事の無い、責任がいっそう増した重要な物である。

 

 それらを? 原隊復帰した? 営門三曹如きが? 真似る?

 なにそのクソゲー。

 海外に行ったことも無いのに外国を語り、戦争と言うものは何かを学ばずに平和を語るくらい愚かしい。

 じゃあ誰かに部隊長の役割を押し付ければ良いじゃんとは思うが、そもそも価値観や思想が違うのだから預ける事なんかできない。


 つまり、時間をかけて最小単位から始めて、全部俺が手探りでやっていかなきゃいけないのだ。

 傭兵とは違う、正規軍である。

 最終的にその規模をとどめるのか、拡大するのかでまた色々問題が起きそうでも有る。


「難しい、と言うのが正直な感想でしょうか。期待させてしまったのであれば申し訳有りません」


 そう言って俺は申し訳なさそうにした。

 しかし、国王と枢機卿、ヘラの目線は話を切るにしては──冷めた物ではなかった。

 むしろ何かしらの興味や熱を持ったかのようにも思えて、俺は失言に気がつく。


「なるほど。無理ではなく、難しい……か」

「つまり、時間さえかければ出来ると言うことですか」


 国王と枢機卿が、俺の言葉を掴まえてその意図を引きずり出す。

 口が滑ったというか、饒舌になりすぎたが為に考えを隠す事を忘れてしまっていた。

 しかし、既に捕らえられた言葉を──口から出してしまった言葉を無かった事には出来ない。

 だからこそ普段から嘘だの、半分本当だのと色々やってきているのに……。


「まあ、その……。やったとして上手くいくとは限りませんが、試行錯誤する事を含めて──時間や様々な猶予、それらが許される身分や地位であるのなら──」

「ふむ」


 対応をまずっただろうか? 何かやらかしてないだろうか?

 そう思いながら、国王の漏らした二文字の言葉の意味を探ろうとする。

 首周りを不自由にしているネクタイを少しばかり引っ張り、呼気を確保して熱気を逃す。

 外交ゲームのまな板に乗らないように気をつけていたが、気がつけば引きずり出されていたのだ。


「もし、この国でそれを試す機会を与えるといった場合、貴殿は如何する?」


 そう言われた時に、事前に言われていたにも拘らず心臓が一瞬止まったかのような錯覚さえ覚えた。

 初めてテストで八十点以下を取ってしまい、そのテスト養子を子供ながらに必死で隠した小学生時代を思い出してしまう。

 そのテストの存在を忘れかけた頃に、母親に呼び止められて見つけられていたと理解した時のようだ。

 あるいは、情けなくても生きるか立派な志を貫いてここで死ぬか選べという言葉を叩きつけられた時みたいでもあるが……。


 深呼吸を数度繰り返して、俺は再び巡りの悪くなった舌を何とか動かす。

 喉が渇き、唾を飲む。

 そうするとヘラが「喉が渇いてるみたいですね」なんて言って来る。

 そんな事を言われると、余計に俺の立場が悪くなるからやめてくれ!


「──突然の申し出に、言葉を失ってしまいました。もしその言葉が事実であれば……」

「今しがた述べられたもの、全てを用意する。言うなら──研究や開発に準じた扱いになるだろう。当然無制限に資金を提供するわけには行かぬ、ゆえに受けるのであれば成果を定期的に提示してもらう事になるが……」

「あぁ、え~……。いきなり大人数を押し付けては彼に迷惑になるでしょうから、最初は小規模な所から──彼の言ったとおり、やりながら完成度を高めていく、と言うやり方を取れば現実的かと」


 ……しかも、父親に似た奴にまで裏切られてる。

 待て、俺の意思じゃなく囲い込みで流しにかかるんじゃない。

 俺みたいに承認欲求が高い人物にそんな餌をぶら下げられたら、食いつきがいいに決まっている。

 迷っていた事柄ではあるが、相手側から地位や身分だの実績を作る切っ掛けを与えようとしていると言っても良い。

 ゼロから始まる太閤立志伝じゃないが、スタートを切るに当って幾つも踏み台が有るのは良い事だ。

 異世界に来るにあたって能力を得たり、若返ったり、負傷を治したりした様なものだ。


 都合が良い、良すぎる。

 それでも、人は空腹が過ぎると食べ物にありつこうとしてしまうのは仕方が無い。

 それと同じように、心の飢餓感や空虚な精神を埋めようとするのも仕方が無いと思っている。

 それが真実だとは限らない、事実だか分からない。

 

 何て返そうか迷っていると、ヘラが小さく咳払いをした。


「この国は、ツアル皇国を挟んでいるおかげで争いらしい争いとは無縁で、魔物の脅威も一部を除いてそれほど強くないんです。その影響で、他国では当たり前のように存在する軍事的な技術や知識、それに連なる製鉄技術や鍛冶技術等が劣ってしまっているんです。だから要所を守っている兵士の装備ですら他国から仕入れなければいけない有様で、その兵士ですら戦うよりは祈っている事の方が多くて──言ってしまえば、聖職者に兵士の真似事をさせているだけと言うのが現状なんです」

「なので、鍛冶の名人だとか戦いに長けた人物だとか……そう言った人を招いたりして何とか補強しようとしているのが現状でして」


 そこまで聞いて、俺は疑問を抱く。

 そんな国でありながら、何故『何でも与える』と言えるのだろうか?

 抱いてしまった疑問は解消するしかない。

 なんならそれを口実に断ってやろうとさえ思った。

 絵に描いた餅、立派な泥舟で新大陸なんか目指せる訳が無い。

 

「しかし、そうやって人を集める余裕があると? ああ、いえ。失礼。込み入った事を聞くつもりは無いんですけどね?」

「此方では魔石の採掘量と質において優れてまして。少し前までは見向きもされないものでしたが、ヘラ様が現れてからその利用方法などが分かり、他国でも需要が生じたのでそれが財源となってます」

「魔石……、どこかで聞いたような──」

「これですよ、これこれ」


 そう言ってヘラが杖を出し、その先端を見せるように傾けた。

 綺麗な宝石のような物が備え付けられており、ゲームなどでよく見る”それっぽい”物である。


「魔石そのものには意味はありません。魔力を篭める事が出来たり、或いは引き出したりする事が出来ると言う性質が備わっているだけです。けれども、マリーが詠唱の大半を魔導書に書き記して省略したような事を、限定して行う事ができます。えっと、なんだったかな……。役割や機能を与える事で初めて役に立つ存在、と言う奴ですね」


 ヘラの説明を受けて、需要と聞いてユニオン共和国を直ぐに連想できた。

 つまり国内外の人材を招きいれて厚遇で迎え入れる程の財源は確保できている、と。

 たしか、オルバも魔石関連の話をしていた気がするから、これから需要は増えていく事だろう。

 鉱脈が涸れる前に出来るだけ国力を高める、それが宗教に傾倒しすぎたが故に衰えてしまった現状打っている手段と言える訳か。


「すみません、変な事を訊ねてしまって」

「なに、気にする事は無い。むしろ、疑問は持って然るべきだ。当然、内容と時と場所を選ぶべきだが」


 そして釘を刺される。

 何か言うにしても場所を選べ、そうでないのなら迂闊な事は言うなと。

 事実、この場には先ほどのような多すぎる偉そうな連中は居ない。

 つまり何か言ったとしても胸中に収められる範囲でもある、と言う事でもあるのかもしれないが。


「英雄の方々が現れる時、それは人類に再び危機が訪れているからだと聞いています。そして実際に複数の方々が現れました。なので、予断を許さぬ状況になりつつあると判断しました。明確な予兆はありませんが、学園に魔物が襲撃をかけた──それはつまり、魔法を使えるという最大の脅威を若い内に摘み取ろうとしたのではないかと考えています。そう言った戦術的、戦略的行動は今までも見られましたが、ここまで明確に目先の目的ではなく、長期的な目線での行動は珍しい──と、いうか」

「無かった、と?」

「今でも調べては居ますが、都市の外壁をどのような手段で破壊したか分かっていません。それが余計に不可解であり、不穏です」


 枢機卿の言葉を聞いて、成る程と考えを新たにした。

 魔物の中にも知的行動を取る存在がいるのは分かっている。

 オークやゴブリンの中に指揮・統制をはかる者がいたのを見て居る、と言う事は更に大規模な所でも存在しただろうと考えられる。

 

「ツアル皇国の目を逃れて魔物を動かし、それをヴィスコンティとの境目に存在する学園にまで前進させて行動を起す──。脅威度が増しているという事を考えると、今までのように前線では無いからと楽観視できなくなりました。しかし、それを訴えようにもこの国の現状と、数多くの者が魔物にはそのような知恵は無い、それほどの脅威が有るものかとタカを括っています。信仰に生きる事と、現実から目を背ける事は別だというのに……」


 枢機卿は語るだけ語り、そして呆れるように最後に洩らした。

 ……ヴィスコンティでは国王が御忍びだとか何とかで有名だけれど、それは巨大すぎる勢力の前に息抜きが必要なほどに疲れるということなのかもしれない。

 貴族至上主義が跋扈し出したヴィスコンティでは国王と言う地位や身分、肩書きが意味を成さない事もあるのだろう。

 それと同じように、此方では宗教的過ぎるが為に現実を説こうとすると信仰を疑われかねないという点が有るのかも知れない。

 カノッサの屈辱と言う実例がある。

 宗教の力が強すぎるが為に、国王でさえ逆らえない上に権威を疑われるという。

 ――とは言え、あの事件に関しては自分の勢力や権力を強める為に色々やったのが原因なのだが。



 「魔物が脅威であると説こうとすれば魔物を嘲り、笑う物がいる。それでも備えるべきだと言おうものなら常日頃祈りを捧げ神に仕えている者を疑うのかと言われかねない。もしその声が大きくなった場合、私は不信者として引き摺り下ろされるだろう」

「少々──ええ、ちょっと待ってもらっても良いですか? だとしても、それと自分がどう繋がるんです? それならもっと歴戦の勇士を招けば良いですし、私のような若輩者ではなく、多少歳を重ねていても誰もが信ずるに値するような者に声をかければいいのでは?」

「それに関してはヘラ様が貴殿を推薦したのだ。マリー様を救われた事や、先日の魔物の襲撃の際に貴賎問わずに多くの人を救ったその在り方──。それにクラーケンと言う巨大な生物にも立ち向かう勇敢さなど、全てから判断された結果だそうだ。──英雄の傍で活躍するとは、そうそう出来る事ではないがな」


 ――やばい、否定する理由を見失いかけてきた。

 策略や謀略等と言ったものだの、面倒臭い計算や裏読み等の迂回して相手を探る行動が無視され、ドストレートに胸へと攻撃が突き刺さった。

 何か裏があるに違いないとかそう言った疑りを、真正面から否定し斬って棄てられた。

 国王だけの言葉なら幾らでもかわせただろう。

 枢機卿の言葉があったとしても、それはヴィスコンティやミラノ達から離れるというデメリットを凌駕するには至らなかっただろう。

 

 しかし、だ。

 ヘラが──かつての英雄の一人が、俺の事を認めた。

 それがどうしようもなく俺を揺るがし、心臓の鼓動を早めてしまう。

 神聖フランツ帝国において英雄こそが最上であり、その英雄にそこまで言わせた……。

 その時点で、揺るがない評価を得たに等しいのだから。

 

 英雄の言葉が絶対であり、その言葉は覆せない。

 英雄の存在は絶対であり、無視する事は出来ない。

 そんな英雄に認められたという事は、少なくともゼロではなく何かを成したイチには成れたと言う事だ。

 

 今までは、自衛隊では個人ではなく集団として様々な事をしてきた。

 今の自分の胸にぶら下がる小さなリボンは、その証明である。

 だが彼女は──ヘラは、自衛官としてではなく個人としての自分の行動や在り方を賞賛したのだ。

 

 ――ダメだ、認めるな──


 嬉しいに決まっているだろ?


 ――聞き入れるな、理解するな──


 弟や妹と比較され、優しさしか取り得が無いと親に言い切られた自分だぞ?


 ――そう脳で理解していても、麻薬のように心は痺れとろけていく──


 何も無かった自分に、何かが有ると錯覚できる、思えるとは思わなかった。





 だから、素直に言おう。

 もし何も無ければ涙ぐんでしまいそうなくらいに、胸にこみ上げるものがあった。

 無価値から価値有るものへ。

 生きている意味の無い存在から、生きている事を認められた存在へと変わる。

 

 誰かは「生きている意味は生きている内に探す物じゃない、死んだ時に誰かが勝手に決めるものだ」と言った。

 それは事実では有るが、俺は会えて一つだけ付け足す。

 精神的自立の出来ている者と、出来ていない者では考え方が違うのだと。

 他人からの評価や目線を気にせずに邁進する人もいれば、それら全てを気にしすぎる人もいるように。


 再び喉が張り付くような錯覚を覚えた。

 変な緊張をしてしまい、高揚と共に喉が渇いてしまった。

 俺は再び喉を潤した、食事なんてもはや味を気にする余裕すら忘れている。


「それで、もし此方で色々するのなら私が傍で支えたいと思います。新参者であり、外部で様々な英雄と親しかったというだけでこの国では顰蹙、嫉み、僻み……様々な良くない事が有るでしょうから」

「正直な所、象徴たるヘラ様を付けるような真似はしたくない。だがヘラ様が貴殿を見込み、期待をしておられるのであればそれを妨げる事もできない。だがもしそれでこの国の未来が守れるのであれば、是非もない」


 苦渋の決断、なのかも知れない。

 国王の顔の皺が険しくなっているのは、きっとこの件で散々話をしたり悩んだりしたのだろう。

 その上で、危うい綱渡りになるだろう事も理解しながら天秤にかけ、国の方が重要だと賭けに等しい事に乗ったわけだ。

 本来であれば俺を処分すればそれで済むが、象徴であるヘラを付けた事と失態を演じればタダではすまない。

 ある種の運命共同体となる事を知っているのだ。

 

 もしこれが演技で、何かしらが目的であり最終的に利用し斬り捨てるつもりだというのなら大したものだと思う。

 ヘラを騙しているか、騙せるほどの演技をかましていると言えるのだから。

 その上で、俺はどうすべきか……?

 この国で可能性にかけてミラノ達に大きく恩返しをするか、それとも傍に仕えて『恩返しの為に、ハプニングを期待する』と言う矛盾を抱えながら待ち続けるか。


「あの──」

「出来れば、今滞在中に回答を聞かせてもらいたい。時間を置けば置くほどにお互いにとって良くない事になる。貴殿に背負っているものがあるように、こちらにも背負っているものがある。叶わぬ事柄に期待を抱くよりは、早い内に是非を決めておきたいのだ」


 じっくり考える、持ち帰って考える、公爵やミラノ達に相談する。

 そう言った退路が塞がれてしまう。

 ここで決めろという言葉により、思考や視野が狭窄されていくのを感じた。

 

 思わず隣に座るタケルや、更に向こう側のマリー達を見る。

 その意味は「助けてくれ」と言うものだろうが、何故俺がこんなやり取りをしているのに誰も口を挟まないんだ?

 その答えは単純で、英雄達は全員が俺を完全に意識外に追いやって楽しげにしているからだ。

 タケルが隣に居たはずなのにアイアスになっているし、そのアイアスですらワインボトルを掴みながら楽しそうにしている。

 少し離れているだけなのに、空間所か世界でさえ違うように思えた。


 ……俺も酒を飲んで、美味しい料理を食べて、親しい奴と騒ぎたい。

 けれども、結局の所親密度で言えば日の浅い俺が対等でいられる訳が無い。

 ミラノとアルバートのように、アイアスとマリーのように。

 枢機卿も言ったが、今度は成果や名声はあれども親しい相手が──理解者が居ないのだ。

 そして人間と言うのは欲深いので、認められたいという欲の中には「多くの人に支持されたい」とか「仲の良い相手が欲しい」と言うのもあり、今度はそれらを求め出す自分が居るのを感じる。

 

 引き篭もりでも、ネットというフィルター越しの知り合いは居た。

 そうでなくとも自衛隊時代の先輩や後輩、同期とは除隊後も会ったり酒を飲んだりもしていた。

 高校時代の親しかった仲間とは、それこそ死ぬ直前まで連絡を取り合っていた。

 だから、枢機卿の言葉の意味を理解すると徐々に毒のように浸透してきた。

 ミラノ達の傍にいる事は、不変と停滞なのではないだろうか?

 なら新しい可能性と出会いを求めてここで頑張るほうが、進歩と停滞に繋がるのでは無いだろうか?


「どうだろうか?」


 身分さえ度外視すれば少しばかり厳つい初老の国王にそう言われ、俺は傾いたのを感じた。

 言え、言ってしまえ。

 最悪……ミラノ達が何を言っても無視することだって出来る、後で「すまなかった」と謝罪する事もできるのだから。

 裏切りじゃない、信義に悖る行為ではない。


 そう考えながら、二択の問題の回答を口にしていた──。




 A:「いえ、自分はやはり──」

→B:「そうですね、自分は──」←

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