第83話

 王城らしき場所から送迎の兵士がやって来て、俺達を出迎えてくれた。

 ただ……なんだ?

 大タケルとフアルの事なのだが、どうやら俺は騙されていた臭かった。

 タケルはそのままタケルなのだが、フアルはファムと呼ばれているのを聞いた。

 マリー様ならびに~なんて言っていた所から察するに、マリーと同じ英雄なのだろう。

 

 出会いも酷かったが、その上警戒されて嘘をつかれていたと言う訳だ。

 それほど落ち込みはしなかったが、なんだか寂しい気はした。

 

「こちらの部屋が、貴方様の滞在する部屋となります」


 迎賓館かどうかは知らないが、それなりに良い部屋へと通された。

 ただ、待遇が良いかどうかを知る術は無い。

 マリーや大タケルたちと引き離されてしまったからだ。

 その点を訊ねたかったが、一介の兵士如きがそんな事まで知らされていると言うことは無いだろう。

 可哀相なので黙っておく事にする。

 

 キングサイズのベッドに、滞在時に暇を持て余す事が無いようにと置かれた本棚。

 装飾も俺から言わせれば「すげぇなあ」と言う他無いくらいに立派で、対価を支払ってない分居心地が悪そうだなと思う俺は小市民だと思う。


「旅の疲れをお癒し下さい。所用の際は部屋に備え付けられた手鐘を鳴らしていただければ対応します」


 との事。

 案内役が去ってから早速ボッチになった俺は、これは事実上の軟禁では無いかと思えてきた。

 訓練できず、行動の自由はあらず、知った相手と関わる自由も無い。

 仕方が無いなと、フアル……じゃないな、ファムと合流した時に回収できた八九小銃をストレージから出した。

 MINIMIも相当弾をばら撒いたし、整備しないと煤が落ち難くなる。

 だが、公爵家ならまだしも外交の一環で訪れた他国の王城でやることじゃない。


 仕方が無いから油だけでも塗っておく事にする。

 銃口を通して、再びストレージに突っ込み直した。

 そして再びやる事が無くなり、本棚を眺めてみると宗教的と言うかなんと言うか……。

 まだ読んでいて面白いだろうなと言う『十二英雄と救世の物語』なんていう本を手にとって、ベッドに転がって読む。

 仰向けに本を持ち上げるような感じで読んでいると、そう言えばミラノもこんな読みかたしてたなとか思い出してしまう。

 

 しかし、こう考えるとやはり自分は劣等感の塊であることが分かる。

 英雄のマリー達と一緒だと卑下し、戦闘に関して優越感を抱いていられるミラノ達と一緒の方が気楽だといっているような物だ。

 求められている水準がミラノ達とマリー達で違うのだから、そもそも比べること事態間違っているのだろうが……。

 産まれた瞬間、努力をしなくても家柄と言う物で地位だの学習の機会だのを得られるミラノ。

 元貴族っぽかったけど、家も家柄も関係なくなる戦いに明け暮れて人類救済をしたマリー。

 まあ、成長をとるのならマリーだろうが、安定を選ぶのならミラノだろう。

 マリー達はかつての英雄だろうが、現代において生きた人ではない。

 ミラノは色々と足りないだろうが、少なくとも仕事をしている限りは衣食住を満たしてくれる。


「――……、」


 あ~、帰りてえ。

 そう言い掛けて、誰が聞いているか分からない現状を思い出して口を噤む。

 変な事を言って自分だけじゃなくて国に迷惑かけると、めぐり巡って公爵家にまで及びかねない。

 それだけは断じて避けねばならない。

 公と私で思考と言動も使い分けないと……。

 まあ、そこらへんは嘘と本当。半分嘘と半分本当と言う物で何とか乗り越えるしかないか。


 そうやってベッドに横になっていると、本当に退屈が過ぎて眠くなってくる。

 旅の疲れもあるだろうから休んでから国王と面会、それまで休みとか面倒臭い。

 しかも俺の見知った知識じゃ多分外交役の常識とやらには該当しない物が多いだろう。

 父親の仕事柄家族ぐるみで歓待を受けたり、立食だのなんだのと参加した事はあるが――警戒してしまいがちだ。

 少しばかり気になって壁をノックしながら歩いてみると音が薄い場所が有ったりする。

 天井も高いとは言え隙間が有るように見えるので動向を監視できるし、下手すると床下すらあるかも知れない。

 

 父親はなんと言ってたかな……。

 穏当なことしか言ってなかった気がするけども「どこで、誰が聴いているか分からない」ってのは確かだったはず。

 一人で行動するな、ボディーガードを付けろ、遠出は決してするなとか色々有ったな……。

 まあ、今の俺は少なくとも片手や口が動けばマルマインの如く大爆発できるから、何かしようとするのであれば王城に招き入れた時点で既に大きなマイナスだが。


「あの、ヤクモ様。休まれてますか?」

「ふぁ……」


 夢か現実か分からないくらいに意識が飛びかけていた。

 そんな中、扉がノックされて久しぶりに聞いた声を脳内で誰の物かを符合させる。

 たしか……ヘラ、のはずだ。

 扉越しで若干聞き取りづらいけれども、間違いは無いと思う。

 ストンと眠りにつくなら良いけれども、眠ってるのか起きてるのか分からない状態で居ると涎が……。

 涎を啜りながら身体を起こし、出来る限り眠気を感じさせない声を出そうとする。


「ヘラ?」

「はい~、ヘラですよ~」

「ヘラ様。そのような言動は……」


 なんだか、余計なのも居るみたいで既にゲンナリしてしまう。

 居住まいを正さねばなるまい。

 俺は客人では有るが、相手はこの国に呼び出された英雄だ。

 俺達が互いにどう思っているかじゃなくて、周囲の人がどう思いどう見てくるかを考えなきゃいけない。

 面倒臭い、帰りたい。


 そんな事を考えながら、とりあえず扉まで向かう。

 部屋が広くて時間がかかる、八畳間の部屋とかが懐かしく思えるくらいだ。

 たどり着く頃にはあちらも話のカタがついたみたいで、静かになっていた。

 なんなら「お~い」なんてヘラの声が聞こえる。

 マリーもそうだけど、若干なれなれしいというか精神年齢が幼くないですかね?


「――失礼。宛がってもらった部屋で旅の疲れを癒させて貰ってて、一息吐いていた所なんだ」

「ッ――」


 ヘラに丁寧語で接したはずなのだが、扉を開けて彼女の傍に居た宗教騎士のような奴が口を開いた。

 中装くらいだろうか? 重要な箇所は徹底して守った上で、装飾して見栄えも良くしている。

 良く言えば『見せる為の兵士』であり、悪く言えば『実戦的ではない』のだろうが。

 多分俺が失敗したか、或いは相手が過剰なのだろう。

 それがどちらかなのかを知る前に、ヘラは「それじゃ、失礼しますね」と言って入ってくる。

 その御付も一緒に入ろうとしたが、ヘラはそれをやんわりと抑えた。


「私だけで大丈夫ですよ」

「いえ、しかし――」

「ダメですか?」

「いえ、決してそのような事は!」


 ヘラの言葉に相手は敬礼のような、或いは誓いなのか……。

 自信の胸部に握り拳を当てて頭を下げていた。

 それから俺を見て、ヘラを再び見てからその兵士は退出していく。

 兵士の代わりに、世話役のような女性が入ってきた。

 お茶と甘味……だろうか?

 多分話をしにきたのかもしれない、その手土産か、或いはお持て成しか。

 彼女たちは即座に茶会の準備をすると、壁まで下がり物置や背景のように化した。

 

「姉さんから聞きましたよ? 色々有ったと」

「あぁ、まあ……。色々あったほう、なのかな。そもそも船が真っ二つになるだなんて、誰かが想像したか?」

「──あの時、巨大クラーケンを倒して皆さんの安全を確保してくれた事に感謝します。おかげで脱出した乗客は無事に陸地まで逃れる事が出来ました」

「……そっか」


 そもそも剣を部屋に忘れて取りに行って、引き返そうとしたら船が真っ二つで逃げ遅れ。

 持ち上げられた船体から落下して死んでしまいかねなかったから剣を刺しただけである。

 それにしても、切れること切れること。

 クラーケンが縦に真っ二つに切り裂かれ、結果として皆が助かったわけだ。

 

 とは言え、第一目的が「助けねば」と言う所から来たわけじゃない。

 助かったのは結果論であり、本来は自己防衛の為の措置として剣を刺しただけだったのだから。

 こそばゆいなと目線を逸らすと、その間隙を縫うようにヘラが言葉を継ぎ足してくる。


「それと、賊を退治されたと聞きました。姉さんやタケルさん等が居たとはいえ、その活躍だけでも助けられた人が居ると思います」

「──……、」


 ヘラは立派なことをしたと言うが、俺の胸中は苦虫を噛み潰したような思いで一杯だ。

 人間による、人間への略取と暴力。

 あの母娘はあの一件を引きずっていくのだろう、旦那さんも気に病んで生きて行くに違いない。

 魔物であれば……いくらかは納得できた。

 文明や知性が違うから、あいつらを憎めば良いと見下すことが出来た。

 しかし違う、あの一件で『人間が人間を憎しまなきゃいけない』という所を見せつけられた。

 魔物が居るんだから人間同士だなんて事は無いだろうと、タカを括っていたのだから。


 そして第二に、こちらへ来る時の連中も「頼まれた」と言っていたのが気になる。

 数名死んでるし、負傷者だって出ている。

 しかしそれを言い出してしまうと他国に来て「そちらの国に来る途中、俺達を狙った誰かの襲撃を受けまして~」なんて事になる。

 バカか、そんなの言い出せば一触即発になりかねない。

 来て早々に外交成果をマイナスにしましただなんてどの面下げて言いに帰ることが出来るんだ。

 ミラノにドロップキックやとび蹴りすら喰らいそうだ。

 

 さて、この場合の正解はなんだ?

 面倒臭くならず、かといってこの話題を早々に転換できる方向性は、流れは……?


「……たまたまだから。失敗しなかった、それだけだよ」


 受容でも拒絶でもない、曖昧な受け答え。

 相手の言い分を否定はしない、けれどもこちらの言い分も主張しておく。

 全てを受け取るのだと誤解させかねない、けれども主張しすぎれば否定になってしまう。

 何とか上手くやれないだろうかと考えつつ、吐き出したのは謙遜じみた言葉だった。

 

 それをどう受け取ったのかは分からないが、ヘラにとっては予想していた返答だったに違いない。


「それでも、私は嬉しく思います。人が誰かのために何かをする、しかも無償で行った上に思いあがる事もない。そう言う人が居ると、頑張らないとって思えますから」


 そう言って彼女は微笑む。

 聖職者らしい、素晴らしい言葉だ。

 何の悪意も害意も、それどころか裏すらない純粋な賞賛に違いない。

 そう思えるくらいに、彼女の表情は綺麗だった。

 

 咳払いをして話を打ち切った、そしてこちらが話を切り出す。

 じゃないと、俺は彼女の善意に毒されて死んでしまいかねないだろう。

 綺麗過ぎる場所では生きていけない、内面が汚い俺には辛すぎる。


「アイアスとロビンは? それと、一緒だったアニエスたちとか」

「アイアスくんとロビンさんも今頃ノンビリしてますよ。食事、お酒、睡眠、読書、狩り──望む物は全てさせよ、与えよと国王から言われてますから。それとアニエスさん達は到着して直ぐに教会の方に向かわれましたので、今どうしてるかまではわからないですね」

「そっか。けど──そりゃまた、凄い高待遇だな」

「言っていただければ可能な限り遇しますから、気兼ねなく言って下さいね」

「あぁ、いや。部屋を与えられて、食事と休息が出来ればとりあえずは良いから」

「無欲なんですね」

「というか、残飯食べて床で凍えながら眠ってたから、当初は……」


 まだあんまり時間が経過していないように思えるのに、召喚当初に比べれば大分生活を取り巻く環境が変わったものだ。

 ミラノと同じ部屋の床で雑魚寝し、食事は貴族連中に出した物の余り物を寄せ集めた冷めた物。

 朝はミラノが起きる前に少しばかり早く起きて起床準備をする。

 ミラノが起きたら素早く着替えられるように服を用意し、寝癖をとり顔を洗って人前に出ても大丈夫なようにする。

 基本的に教科書などの勉強道具は常に自分が持ち歩くが、それ以外のものは俺に持たせている。

 

 午前と午後の休憩時間には必ずティータイムに入るのだが、場合によっては俺が席取りに行かされたりもする。

 当然俺は傍に居ながらもお茶やお菓子にはありつけない。

 そして夕食の後は入浴の時間が有るが、俺は食堂裏で井戸水を使うので季節柄寒くて死にそうである。

 入浴の時間からホカホカと蒸気を少しばかり纏いながら艶のある状態で戻ってきた彼女は、必ず入浴後にお茶を飲みながら勉強や課題、読書に入るので準備。

 そして消灯時間が来るまで俺は基本的に雑務と言う名のやる事はあんまりないけど、ベッドに寝転がったら怒られる新兵状態。

 ミラノは消灯まで絶対に起きているし、場合によっては蝋燭を使ってまで起きている。

 消灯時間までがフルで自分の仕事時間だと考えると、中々に退屈でしんどかった。


 思い出していると今なら笑い話だけれども、笑おうとしても溜息しか出なかった。


「はぁ──。今だから温かい食事、温かいベッ……寝床で眠れるから良いけど。あの時はキツかったなぁ……」

「あはは……、お察しします」

「だから、外出とかが自由に出来るなら特には何も無いかなあ」

「なにかするんですか?」

「お土産。それに、何かしら思い出として買っておかないと直ぐに忘れるから、その対策も含めて」


 興味が無かったり、長い間放置した知識や記憶は忘れやすい。

 自衛隊で学んだことに関しても結構まばらで、分解結合を覚えているくせに部品名があんまり思い出せなかったりもする。

 そんな感じで、日常が積み重なって埋没する事だって有る。

 逆に非日常的な事柄のせいで、全ての日常が希薄化してしまう事だって有る。

 本や漫画、ライトノベルを買っても中々手放せなかったりするのも、その時の感情や想いといった物をエピソード記憶として関連付けているからだと思う。

 だから、収集する癖はあっても手放すことが出来ずに居る。


「平和な時に、邪魔だなとか言いながら整理をしてて、その時に発掘した懐かしい物を手にして懐かしむ……。そう言うものが一つでも多いほうが、人生が豊かに思えるんだ」


 貰った紅茶の入ったカップを両手で持ち、その水面を眺めた。

 若干見下ろす形になり、天井と自分の髪が見えるだけで何も無い。

 しかし、こうやって自分を構成している物を沢山失ったらいつの日か昔の出来事を多く忘れてしまうのだろうか?

 だから家に篭り、思い出を抱き締めていたという言い方も出来るが……。


「分かります。私も自分の持ち物を見て、昔の事を思い返す事が有りますから」

「まあ、自分なんかとヘラとかマリーとか……本当の英雄達がした事を比べるのは馬鹿げてるんだけどさ」

「そんな事は有りません。身分や地位、何を成したか等関係無しにそういった想いは大事な物だと思います。逆に、私がただの人だったとして──そういった事を否定するのですか?」

「いや。相手が誰であれ、なんであれ。否定できはしないよ」


 事実、他人が何を好み、何を思い、何を大事にするかは踏み躙れる物ではない。

 ”自由”って奴だ。

 どんな宗教であっても構わない、どんな主張をしようが構わない。自由だ。

 ただし──それらによって他人を踏み躙り、侵害しなければの話だが。


「それと同じ事を私がしているだけですが、受け入れられないですか?」

「──そういうつもりは無かったんだ。その心遣いに感謝するよ」

「いえ。帰る場所が有るのに、帰りたい場所が有るのにそこに戻る事は出来ない……。そう言う意味では、私も同じですから。記憶が有る分、私達の方がまだ救いは有るのかもですね」

「そう、ですね」


 記憶が無いという事にしていると、そこらへんで若干戸惑ってしまう。

 口調が変になってしまい、鼻を啜りながら鼻下を擦る。

 演技では有るが、何もしないよりはマシだった。

 誤魔化されればそれでいいのだ、そしてその目論見は何とかうまくいく。


「すみません。湿っぽくさせるつもりは無かったんです。ただ、帰る場所を失う辛さも、忘れられずに居る苦しみも理解できるつもりです。なので──何かあったら頼っていただけると嬉しいかな~、なんて」

「流石に、そう言われると無理しちゃうのがオトコノコって奴でね。ダサくても、格好悪くても、情けなくても、見っとも無くても仲間や他人の前では格好付けて何でもないように振舞いたくなるねえ」

「強がりさんですね」

「そこに関しては理想が有るんだよ。くっさいオトコの理想が」


 ダサくても格好悪くても、情けなくても見っとも無くても誰かの前では強がる。

 それは良いと思うけれども、その半面で求めているのだ。

 ダサくても、格好悪くても、情けなくても見っとも無くても受け入れ慰めてくれるような誰かと言う物を。

 

 水と油のように、或いは平時と戦時のように。

 相反する物を矛盾する事無く内包させながら、その両方を満たせるようになりたいと言う想いだ。

 立派で居続けたいから、時々ダメになりたい。

 ダメで居続けたくないから、立派なフリだけでもさせて欲しい。

 

 当然の事ながらそうやって自分を許容してくれる相手は女性の方が嬉しい。

 それに関しては”オトコノコ”と言ったから分かりやすいと思う。

 幸いな事に女性といえばそれなりに、或いはそこそこ居るが……それをやっても良い相手が居るかどうかを考えてしまうと微妙だ。

 

 カティアはとりあえず無条件で受け入れてくれそうだが、それは主従関係有っての事だ。

 主従じゃなくただの一人の人としてお互い接していたらどうだろうか?

 多分面倒で嫌だとか言うに違いない。

 

 ミラノは多分叱咤し、激励することで馬車馬のように働かせたがるような気がする。

 アリアは──許容はするだろうが受容はしてくれない気がする。

 そもそもまだまだ関わりが薄いから宜しくない。

 マーガレットはなんだか申し訳ない気にさせられるし、なんだか取引めいている気がして嫌だ。

 グリムは何考えてるか良く分からないし、求めてる物と食い違う気がする。

 トウカという元気なメイドさんも居たけど、誰にでも振りまいていて自分だけってのは難しいだろうなあ……。


 最近の接点の多さで行くとマリーも候補だろうが、共依存関係になりそうで怖い。

 俺も自衛官として活発的な面を有しているだけであって、元来は読書だのゲームだのとインドアだ。

 マリーも魔法の研究だのと活動的な感じはしないし、下手すると長い間二人して閉じこもってるとかもありえる。

 ツイッターで夫婦揃ってサークル活動しているオタクなエピソードとかも見た記憶がある。

 憧れはするが、現実になった時に自分が同じようにやれるとは思ってない。

 というかミラノも最近じゃ魔法の勉強だ~とか言って夜更かしもするし、ミラノのマリー化が激しい。

 マリーは辺境伯ん所で召喚された英雄だから別に今回の件が終わればサヨウナラだけど、ミラノがマリー化したら手間かかりそうだ……。


「──男の人ってやっぱりそう言うのが好きなのかな──」


 ポツリと、ヘラが何か言った。

 考え事をしていた俺はその言葉を聞き取り損ねて、つい「なんて?」と聞き返してしまう。

 すると彼女は頬を掻きながら困った表情を浮かべている。


「あぁ、いえ。その……。もし”そういうこと”が必要でも気にしないで下さい。仕方の無い事ですから」

「え? ……どゆこと?」

「だから、その。男の人と女の人といったら、求め合うものとかも有ると思うんです。流石に公には出来ないので、コッソリと言っていただければ」

「あの~、確かにそれは否定しないですよ? けど、俺が求めてる物は精神的な救済であって、肉欲的な話じゃないんですが」

「はれ。え? そう、なんですか?」

「──逆に、そう言う人がこれまで居たと? 確かこの国って、色々な場所から名高い人を募ってるんだろ?」

「そう、ですね……」


 そう言ってヘラの目から光が幾らか消えた……気がした。

 微笑が苦笑に見えた気がして、凝視してしまう。

 しかしその一瞬だけの出来事はまるで嘘だったかのようで──なんだろう、英雄と呼ばれる彼女らにも弱みがあって欲しいという自己願望が現れた結果のように思えた。

 ……みっともない。

 相手が凄いからと、どこかしら『自分と同じような人間である事』に期待している。

 そう言う意味ではマリーは英雄でありながら、人として俺に近かった。


 色々と考え込んでいた俺だったが、ヘラが俺の手を──カップを握り締める手首に目を落としていた。

 そこには俺が彼女から貰ったものが付けられている。


「付けてくれてますね」

「貰い物だし、付けて置いたほうが多少自分の身を守れると言うのなら付けるさ」

「えへへ、有難う御座います」

「貰ったのは俺の方だし。感謝するのはこちらの方だよ。有難う」


 少なくとも色合い的にも、位置的にも目立つ場所に付けられるので問題はない。

 まあ、物を貰って嬉しくない訳が無いしな。


「俺も何かお返しをしないとな……」

「え? いいですよ、そんな──」

「借りと言うか、与えられるだけってのは好きじゃないんだ。与えられたら同じように返しなさいって言うのが教えなんで」

「それは教義ですか?」


 そう言われて、少しばかり考える。

 はて、聖書でそこらへん書いてあったかなと。

 直ぐに思い出すのは右の頬を叩かれたら左の頬も差し出しなさいという文言だ。

 そう言う自罰的な物事を真っ先に思い出すあたり、余り宜しくないのではと考えてしまうが──。


「教義と言うか、出来る限り守っていきたい教え……だな。自分が誰かにぶら下がったまま居ないように、誰かに何かされたら感謝するようにって言う物とかを含めて」

「対等で居たい……と言うことですか?」

「立場とかは流石に対等ではいられないけど、それらを気にしないで居られる状況で対等で居られるようならそうあれる方がお互いに気の置けない仲として良いと思う。主従関係だから言いたいことが言えないというのも嫌だし、無理強いをさせてる事に気がつけないって言うのも嫌だし」


 そう言って、脳裏にカティアやミラノが思い浮かぶ。

 カティアとは主従では有るけれども……、俺に依存しなければ消滅してしまう関係であったとしてもそれを意識させたくなかった。

 ミラノとは最初は上手くいってなかったけれども、最近はそこそこ上手くいっていると思う。

 ミラノは無理強いではなく、必要な事を『できるか』と問うてくれるようになった。

 ただ――それですら『価値観の無理強い』と言う奴じゃないかと考えてしまう。

 奴隷にはなれないし、なりたくない。

 だからと言って主張しすぎることで、相手がそれに迎合してしまうのも宜しくない。


 結局の所、自分勝手な上に考えすぎなのだ。

 他人に依存しながら、他人と交流する事で悩ましく思うことが少なくない。

 誰かと一緒にいたいと思いながら、一人になりたいと思うことが少なくない。

 面倒な上に、矛盾している。

 どこまでも自分の都合しか考えていない、最低なヒトだ。

 

 無自覚で色々やりながら、自覚するとその全てが疎ましく思える。

 忌まわしく、言ってしまえば――存在するだけで負担しか与えてないのではと考えてしまう。

 マイナスの俺がいつかゼロにまでたどり着いて、プラスになれる日は来るのだろうか……。

 家から出る事は簡単だけれども、自分と言う殻から出る事はとてつもなく難しいもんだな――。


「そう言えば、謁見をする時は正装をした方が良いのかな。それともこのままでも?」

「見苦しくなければ問わないという体になってますが。正装の用意があるんですか?」

「一応。勲章……と言って通じるか分からないけど、功績を称えられた証を幾つか持ってる証明もあるし」


 災害派遣を二度、国家行事を一度。

 片手で収まる程度の防衛記念章で、小さいが故に見失うとそのまま紛失しやすい物でもある。

 それでも……自分の成した事を表彰された物とも言えるし、何かを成し遂げたという証でもあるのでアーニャに頼んで持って来て貰った。


 ストレージに入れている間はアイロン掛け……プレスをして放り込んでおけば皺が付いていない状態を保持できる。

 だから夏服、冬服の両方を屋敷を出る前にアイロン掛けして持ってきてある。

 当然、求められれば戦斗服でも大丈夫なようにそちらも半長靴の鏡面磨きさえしてきた。

 迎賓を出迎える時のように、或いは他国の大臣やトップが来る時のように準備が出来ている。

 見苦しくないように、或いは――自衛隊と言う組織を、自分が所属していた国の為、国民の為、誰かの為に働く仲間を貶されないように。


「けど、見苦しくないようにって事で良いのなら、この格好でも大丈夫かな?」

「大丈夫だと思います。そもそも、様々な場所から名のある人を呼んでいるので、お願いしている手前そのような事は言えないですよ」

「ん、了解。それと……後でマリーとか、タケルとかに会いたいんだけど、それって大丈夫なのかな? ホラ、英雄サマと俺とじゃ扱いが違うとか有るかも知れないだろ?」

「う~ん、難しくは無いですけど……」

「けど?」

「私は当然大丈夫! と太鼓判を捺せますし、マリーやタケルさん達も嫌とは言わないかも知れないですが。この国は、ほら――ね?」


 ヘラが言いよどみ、苦笑する。

 伏せた……或いは、細めたとも言える目が壁際で存在を忘れかけていた城仕えの人や外に居る兵士等のことを思い出させる。

 つまりは、明言するのが憚られる上に、それは自分達ではなく周囲に理由が存在する――と言う事か。

 理解し、納得し、受け入れた。

 つまりは、頭の固い信者と言うことだ。

 あるいはそれがかつての時代、宗教が大きな力を持っていたという事と同じと言うことかもしれないが。


「あ~、うん。理解した。それじゃあ、なるべく遠慮するようにするよ」

「どうしてもという時は、私や誰かを同伴している状態にして下さい。そうしたら連れて行かれた~という言い訳が出来るじゃないですか」

「――そうならないように願いつつも、そうなった時はお願いするよ」


 しかし、だ。

 好きに出歩けないだけじゃなく、この異国の地において見知った顔にすら会う事を拒否されるとか……。

 なんと言うか、本来はこれが当たり前なのか、或いはこの国が異常なのか……。

 どちらにせよ、生きたピエロと死んだ英雄の差が嫌と言うほどに理解させられる。

 そして思うのは――今までのマリー達との関わり方を、このまま続けて良いのかと言う懸念だ。

 

 謙れと言う訳ではないだろうが、多少は周囲にあわせた接し方を考えたほうが良いのかもしれない。

 考え込んでいる俺の前で、ヘラは何かを思いついたように手を合わせた。

 ペシャリと、指だしグローブのような物をつけた手から発せられた音に気が抜けながらもそちらを見ると、彼女は何かを思いついたかのように満面の笑みを見せていた。


「それじゃあ、皆さんを集めて今度お話でもしませんか? こうして多くの旧知の仲が集まりましたし、偶然にも皆さんと仲も良さそうですし」

「あ~、そのお誘いは有り難いんだけどさ。俺だけその集いの中じゃ異物みたいだし、遠慮して置くよ」

「そうですか? 残念です……」


 なんて、残念そうな顔をされるとつい承諾してしまいかねない。

 けれども、一度は身を引いて線も引き直さなければならないのかも知れない。

 俺と、世界とを。

 俺の常識と、この世界の常識とを。


「あぁ、そうだった。言い忘れる所でした」

「ん?」

「多分こういう風に言われると思いますので、あらかじめ教えておきますね。国王と謁見して、今回の訪問――言ってしまえば、貴方と言うヴィスコンティで誕生した英雄を確かめたいというのと、縁を作っておきたいというものだという事は既に承知してると思います」

「それに関しては一応承知してる」

「で、この国ではそういった方々を出来る限り手元に置いておきたがるんです。なので、言うと思います。『出来る限りの物を与える、この国で過ごすつもりは無いか』って」

「――……、」


 一瞬、マリーとのやり取りだったら「出来る限りとか小さい小さい! 言うなら『世界の半分をやるから従え』くらい吹っ掛けないと」だなんて軽口を叩いていただろう。

 相手の今までを全て勝手にしようと言うんだ、それくらいの気前の良さや覚悟は見せて欲しいくらいだ。


「それで、もし良ければ受けちゃったりした方が良いかも知れません。もちろん無理強いはしませんが」

「あの、俺は一応ヴィスコンティの公爵家の娘に仕えてると言う事になってるのを知ってて言ってる?」

「あぁっ、変にとらえないでください。ただ――」

「ただ?」

「一考するに価する物では無いでしょうか?」


 そう言われて考え込んでしまう。

 果たしてそうだろうか?

 むしろ不義理を働いてしまうのではないかと考えてしまい、ようやく一歩目を踏み出せた今の生活を失う事への恐れが生じる。

 それに──公爵夫人を見て、少しばかり家族を思い出して凹んだ時に抱き締めてくれたミラノの事がどうしても振り切れなかった。


「傍に居る事が、そのまま自分に出来る事と考えるのは早計では無いかとと言う話です」

「──……、」

「知ってのとおり、ツアル皇国では昔から小競り合いを含めてずっと魔物と争っています。そのツアル皇国がいつまで持つかは分かりませんが、もし破られたなら次に本土で争う事になるのはヴィスコンティやこの国となります。その時に備えるように、或いはそうならないようにこの国で実績作りやツテを作り、自分の発言力や発言権を高めて恩返しをすると言う考え方も……出来るんじゃ、無いでしょうか?」


 そう言われると、俺は否定できなかった。

 なぜなら、それも一つの考え方として大いにアリだったからだ。

 ミラノ達の傍に居たいというのは俺のエゴであり、弱さから来る願望でしかない。

 傍に居て出来る事と言えば盾となり、梅雨払いをする事くらいだ。

 敵を切り捨て、代わりに死ぬくらいしか……出来ない。

 

 じゃあ、ヘラの提案はどうか?

 傍に居る事が出来ないという不安は決して小さくないし、不義理では無いかという懸念もある。

 だが、他国で自分の地位を──英雄として呼び出された事を利用して名を売る事が出来ればそれは決して小さくない利益を生み出すだろう。

 高い地位にまで行き着ければ主導で何かをする事が出来るかも知れない。

 もしかしたなら、派兵となった時に自分が意見を述べる事が出来たり、自分がの意志で容易く足並みを揃える事だって出来るかも知れない。


「物は考えようによって、良くも悪くもなりますから。出来る限りの物を与えるという事は、機会を与えられるという考え方も出来ます。学びたいのであれば識者を、鍛えたいのであれば熟練者を、物が欲しければ揃え、遠出したければ旅に長けた者を──。自己を高める事にだって繋がると思えますよ」


 ぐらりぐらりと、訳が分からなくなってくる。

 どちらが本当に良いのか判断が付かなくなってくる。

 傍に居て常に新鮮で居られる兵士でいるか、離れた場所に居ても自己判断と責任において全てをこなす指揮官となるか。

 失敗を恐れ、自己判断で何もしたくないと言うのなら兵士で居る方がリスクは小さい。

 なぜなら言われた事を教わった範囲でやるだけで良いのだから。


 しかし、指揮官となって自己判断と自己責任の範疇で様々な分野を開拓していくのは──想像もつかない。

 五年ぶりに家からとりあえず出た俺には、途方も無い話に思えて仕方が無い。

 だが、成功すれば最大の貢献となるのは地位や立場の低い兵士よりも、率いるモノが多い指揮官の方だ。

 自分の命くらいしか賭けられない兵士よりも、自分の下についている兵士の命も賭けられる指揮官の方が多くの事が成せる。


 ――心音が喧しく聞こえる、両親が死んでから初めて家の扉を開いた時のようだ。

 何事も無かったと自分に言い聞かせながらも、それが偽りだと知っている自分も居るように。

 兵士で居る方が楽で良いと言う己がいながらも、本当にそれで良いのかと問いかける自分も居る。

 喉が渇き、カップを傾けた。

 普段自分が使っているジョッキくらいのコップよりも小さなカップでは、一息で中身が空になってしまう。

 それを見てヘラが微笑みながらお茶を汲んでくれた、それを見ながらパイを口にするが甘みよりも小麦の味気無い箇所を舌で探り当てては不安になる。


「俺は──」


 どうするべきだろうか、そうするべきだろうか。

 それを口にして委託してしまいかけたところで、ヘラが先んじて口を開いた。


「まあ、直ぐに決めなくても良いと思いますよ? 謁見で問いかけられたとしても考えておきますって答えて、後日改めて是非を答えれば良いんですから」

「因みに、今まで断った人は……?」

「そりゃあ居ますよ。旅や冒険が好きで留まっているのは好まないという人や、何かに所属して束縛されるのが嫌だという人も居ますし。与えられる物には興味は無いと断る人だって居ますから」

「なるほど──」


 口を開けば開くほど、判断を何かに委ねようとしてしまう。

 断った人が居なかったり少なかったりしたら肯定してしまおうかと言う甘え、飛び込んだ先に同じ選択をした人が多いと言う事で安心したいという臆病さ。

 不安だからと情報を求めてしまう所が、自分の本質を示していた。

 今のままで良いのだろうか、あちらの方がもっと良いのではないだろうかと言う考え。

 先延ばしに出来る、後回しに出来るとは言われたけれどもどうして良いか分からずに俺は考え込んでしまった。



 ──☆──


 外出して、教会に行きたいという事で即座に許可が下りた。

 理由は教会に仕える知り合いの訪問なのだが、教会に行きたいと言っただけで数分と経たずに大丈夫だと伝えられる。

 見張り……と言うか、護衛も無しに出かけることが出来てラッキーといえばラッキーだ。

 ただ、マリーやタケルを含めた知り合いとは会えていないので、その点で寂しさを感じたが。

 教会に行くとアーニャと会えたのは一抹の寂しさを拭うには丁度良かった。


「貴方様!」

「やあ、久しぶり」


 ついゲームの登場人物と同じ名前だからと、アーニャと呼びそうになってしまう。

 しかし彼女は地上において、人を演じ聖職者をしている時はアニエスだったなと思い返す。

 俺がこの世界においてヤクモを名乗るように、彼女にとってはその名がこちらでの名なのだ。


「もう、心配しました! 船から飛び降りますし、巨大イカに剣を突き刺して海に消えていきますし、連絡が有ったとは言え全く遠い場所に漂着しますし!」

「いや、ゴメンゴメン。その……剣をね? 取りに行ってたら手遅れになってさ」

「そんなだから放っておけないんです! 良いですか? 主は仰いました……自分を愛するように──」

「隣人を愛しなさいって奴だろ? そこらへんは聖書を読み漁ったから知ってるよ」


 そう言ったのだが、その減らず口が宜しくなかったか……。

 頬をつかまれ、思いっきり引っ張られてしまう。

 コイツ……地味に強いぞ!?


「いひゃいひゃいひゃ!?」

「理解している事と、それを実行できているかは別だと思わないですか?」

「おもいまふおもいまふ!」


 すみません、ごめんなさい!

 そんな気持ちが伝わったのか、離して貰えたが頬が痛む……。

 ちくしょう、今日は厄日だわ。


「こほん。そこらへんの話はまた今度にしましょう。それで、何か御用でしょうか?」

「単純に会いに来ただけ。大丈夫かな~、クロエさんは変に萎縮したりしてないかな~、旅路において問題は無かったかな~っていうアフターケアも含めた訪問」

「なるほど。けど、一つ謝らないといけません。貴方様に保護を頼まれた男の子ですが、気がついたら居なくなっていて……。脱出して岸辺までは一緒だったのですが──」

「あぁ、うん。見知った相手に会ったんじゃないかな? それに、あんな状況で冷静で居ろと言う方が難しい話だし、仕方ないよ」

「だと良いのですが……」


 そう言って暫く心配そうにしていたアーニャだったが、それから少し間を置いて言葉を投げかけた。


「──元気になった、とはなんか違う感じですね」

「ん? あ、そっか。そう言えば……船じゃちょっとへこんでたっけか」

「なんと言うか、今は元気そうには見えるのですが、こう──寂しい感じがします」


 ……もしかしたら、道中一緒だったマリー達と隔離されてしまった事が原因なのかも知れない。

 少しばかり迷ったが、俺は訊ねることにした。


「──もしかしたらさ、この国で暮らさないかって言われるかも知れないんだ」

「え……?」

「ヘラ──英雄の一人に、そう言われたんだ」


 だいたいこんな感じだったよなと、或いは変に細かく言って時間を割くのも面倒だとバッサリ言い放つ。

 しかし、それはアーニャの突発的行動を生み出した。

 よろけながら俺にぶつかって来た彼女を辛うじてやんわりと受け止めるが、彼女はそのまま服を両手で掴むと思い切り見上げてくる。


「そっ、それは!? брак……Вступить в брак!?<結婚、結婚すると!?>」

「分かんない、ヤクモさん何言ってるのかわっかんないから! Talk'n Englih or Español por favor!《分かる言葉で喋ってくれ!》」


 アーニャの剣幕、声量、そしてお互いが放った理解不能な言語に周囲の人が幾らかこちらを気にかけてきた。

 変に注目をされた事で羞恥心が勝り、唇を引き結んでしまった。

 それを見たからか、アーニャも幾らか落ち着きを見せる。


「す、すみません。説明は、していただけますか?」

「あぁ、えっと。この国はかつての英雄や、他国などで名のある者を受け入れたりしてるんだと。その関係で、話を受けたほうが良いのかどうかで悩んでて……」

「──となると、ご相談ですね。部屋に行きましょうか」

「悪い」


 癖で言ってしまって、すぐに「こういう時は、ありがとうですよ」と言い返されてしまった。

 参ったなと頬を掻いてしまい、この動作とかでなにを考えているか読まれているというのを思い出した。

 どうやら口よりも動作や表情の方が多くを語るらしいので、こちらも意識しないといつかは嘘も隠し事も出来なくなる。

 懺悔室まで通されて、アーニャが来るまで少しばかり待つ。

 相手の顔が見えないと言うのは、辛うじて保有していた「相手の考えを読み取る」と言うリーディング技術が使えないから困る。

 声の抑揚、目の動きや仕草、顔のパーツの機微等々で安心できたが──それが出来ないと不安になる。


「すみません、お待たせしました。それで、お悩み──でしたね。自分がどうしたら良いか迷っているという認識で宜しいのでしょうか」

「まあ、うん。そう……かな。言われたんだよ、傍に居て恩返しをするだけが全てじゃなく、遠い地に居ても傍に居る時には出来ないやり方や方法で恩を返す事は出来るって。それで──」

「と言う事は、また誰かの為にどうした方が良いか悩んでいるということで宜しいでしょうか?」

「そう、言われると、否定出来無いんだけど──そう、かな」


 少しばかり考えてみて、自分の拘りの話じゃなかったのかと言う所を考えてみた。

 しかし、ヘラとのやり取りの時に俺が気にしたのは『どちらがより自分の信義を裏切らないか』ではなく『どちらの方がより恩返しとなるか』であった。

 気にかけなかった訳じゃないが、自己都合よりもどちらの方が相手のためになるかを考えていたのだ。

 言葉に詰まり、何も言えないで居るとアーニャは言葉を続ける。


「となると、私に会いに来て頂けたのもいくらか理解と納得が出来ます」

「──どんな?」

「自分が世話になっている家が公爵家と言う身分がある、旅の途中で一緒だった方々は英雄と言う実績と地位がある。けれども自分は? と考えてしまって、悩みと迷いを一緒に抱え込んでいるのではないかなあと」


 考えもしなかったが、そう言われるとシックリと来てしまう。

 城の中で拘束されるのは彼女たちを意識してしまうからで、そこから逃げ出せばアーニャと言う近しい存在が居る。

 つまり、逃げ出したか逃げ出したいと思ってここまで来たと言えるのだ。

 そしてまた、どうしたら良いかの判断を委託しようとしている自分に気がついてしまい、余計に嫌気が差した。


「貴方様、一つだけ私から言える事があります。他人を理由にした人生の選択は、お止めになった方が宜しいんじゃないかなあ、と」

「俺は、そんな……」

「前世では、親や家族に『立派な長男』として認められたくて色々やって来ましたよね? 自衛隊に居た時は国の為、国民の為、仲間の為──。そして今でも、最初は主人の為、今は世話になっている一族の為にどうしたら良いかを考えている。……何も、変わってないのですね」


 その一言が突き刺さり、グルグルと自分の中で渦巻いてはセルフハウリングと化して消えない呪いのようになった。

 以前言われた『自分の為に生きてください』と言う言葉と、何も変わっていないという──俺にとっては、成長すら皆無と言われたような一言。

 劣等感と自分の負の領域に突き刺さって、中身が溢れ出しそうになった。


 それでも──それでも、だ。

 嘘吐きは死ぬまで嘘吐きであるように、普段から嘘を吐き続けている俺はそれですら嘘にした。

 何でもないよ。

 気のせいだ。

 違うよ。

 そうじゃない。


 そんな数々の言葉と、数々の嘘で装飾してダメージすら覆いつくした。

 傷口を物理的に埋める為に、それが何で有るかまでは考慮せずに使い倒して。

 それがたとえ塩であったとしても、傷口を隠し埋める為ならばと──俺は、彼女の言葉のナイフを奪った。


「──だとしても、それはアー……アニエスも同じじゃないか。誰かの為に頑張って、誰かの為に優しさと善意を用いて、誰かの為に行動し続けて。俺よりも、まずそっちが救われ、報われないとダメなんじゃ……ないか?」


 そして自分を守るため、或いはこのやり取りをさっさと終わらせる為に相手の言葉のナイフでそのまま貫き返した。

 刺しておきながら「そんなつもりじゃなかった」と言う、まるでカッとなって誰かを指してしまった人のように語尾が弱まる。

 アーニャも自分が言葉のナイフで刺されて、その表情を歪めていた。


「私は……ほら、女神さんですから」

「だとしても、俺からして見ればヒトだ。普通に生きていて、普通に感情を持っていて、普通に悩みを持っていて、普通に欲を持っていて、普通に──矛盾していて」


 自分で刺して、自分でその傷の手当を始める。

 お前は、一体何がしたいんだ?

 英雄達と自分を比べて惨めになるから城から逃げ出して、数少ない理解者である所に転がり込んで、その行動原理を暴かれたからと隠す為にその相手を傷つけて、その傷を自分で手当している。

 矛盾しているのは俺の方で、破綻しているのは俺の方では無いだろうか?

 そう考えてしまうと、いっそ本当に全てを振り切って隠居生活でもしたほうが世の為人の為になるのでは無いかと考えてしまう。

 自分を守るために誰かの元へ逃げ込み、自分を守るために誰かを傷つける。

 そんな奴は人間として生きていていいのか?

 ヒト《独り》として生きた方が良いのかもしれないと考え、カティアの存在を思い出してそんなのは彼女にとって寂しく可哀相だと思い至る。

 

 結局、独りじゃ何も選べない。

 言い訳や理由を見つけては、選択しないという事を選択し続けているように。

 そして時間だけが経過し、老いて行き、時間と時代に取り残される。

 ダメだと思いながら、何もしないから口だけと変わらない。


「もし──」


 思考の海に沈んでいて、周囲を忘れていた俺は現実に戻る。

 アーニャが困ったような表情のままにこちらを見て、寂しそうな悲しそうな顔でこう言った。


「もし、私がダメだと思ったら。貴方様は助けてくれますか?」


 一秒、二秒、三秒と時間が過ぎる。

 選択しないという事を選択しかけて、何も言わないという事で言外に語りかけて。

 それでも、何とか口を動かした。


「俺に出来ることなんかたかが知れてるし、助けられるとも救えるとも言い切れないくらい自信が無いけれど。俺で良ければ、望んでくれるのなら、咄嗟に伸ばした手を掴んでくれるのなら──」


 自分に出来る事が、彼女の想像する状況に合致しているかどうかは分からない。

 俺には彼女の属する世界の事や、それらに付随する悩みや苦しみと言うのも分からない。

 それでも──それでもだ。

 彼女が危ない時に手を伸ばす事くらいは出来る。

 彼女が動けない時に掴んで走る事くらいは出来る。

 彼女に敵が現れた時に引き金を引く事くらいは出来る。

 彼女の変わりに盾となり傷を受ける事くらいは出来る。


 一時凌ぎにしかならないかもしれない。

 根本的な解決に至らず、結果として状況を悪化させるだけかも知れない。

 それでも……それでもだ。

 無理とは言えなかった、出来ないとは言えなかった。

 彼女に言われた『自分の為に』と言う言葉が適応できるのであれば、自分自身を裏切らない為にもそうする事だけは出来なかった。


 彼女の困ったような、寂しそうな、或いは悲しそうな表情が無くなった。

 そして彼女は俺の顔を覗き込むように、上目遣いでじっと見つめてくる。

 言葉を重ねて主張を補強するべきか、それとも多くは語らずに彼女の思い描く自分と言う人間像に判断を委ねるか。

 その迷いが結果として多くを語らず、それ以上に変な意味を言葉や態度に持たせない事へとつながった。

 

 彼女の、言葉の意味を探るような上目遣いが笑みに彩られ、嬉しそうな表情をする。

 それだけでもこの大嘘吐きの小さな自尊心と大きな自虐は満たされる。

 彼女が嬉しそうな表情をしてくれたのだから、そう言って良かったという自尊心。

 今の言葉を守れるかどうかも分からない、彼女を騙した極悪人なのではないかと言う罪悪感。


 結局、余計に俺はどうすべきか分からなくなってしまった。

 ミラノの下に付き、何があっても恩返しの機会を待つか。

 ミラノ達から離れ、この異国で自ら動き続けて恩返しと言うに足る物を自ら掴みに行くか。


「言葉だけでも嬉しいです」


 ただ、その日の夜に酒を飲みながら窓から見上げた月を肴に思い浮かべたのはアーニャの言葉だった。

 彼女が俺の言葉と、もしかしたらそうしてくれるかも知れないと信じてそう言ったのだろうか?

 だとしたら、この上なく嬉しい事だが……。


 酒もそこそこにさっさと寝ようとベッドに潜り込んだが、ここ数日の質の悪いベッドに慣れてしまって逆に落ち着かずに寝返りを何度も繰り返す。

 仕方が無く音楽を流し、ヘッドセットを宛がって子守唄にして夢の世界へと旅立った。

 ……まだ何も始まってないのに、決戦前夜のように迷ってばかりだった。

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