二章 元自衛官、異世界に馴染もうとす

第18話

 たやすいことではない。

 その一言に籠められた意味は、発言者とそれを言われた者の関係と間柄と歴史を知らなければならないだろう。けれども分かりやすい類似の例として”敵の数が自軍の三倍、そして野戦である”という最悪の状況で同じ言葉を吐き出されたならどうなるか。

 大半の人は「そりゃ無理だ」と言うだろうが、それでも無理と言ってしまえば命令に対して不服従と見做されて問題になる。じゃあどうなるか? 「簡単じゃないですね」と言っておけば、とりあえずは出来ませんということにはならないのだ。

 ならないのだが、が――。


「うっがぁ! ヤクモ、それは卑怯だぞ!」

「卑怯じゃねえって言ってんだろ! プラップラ武器を振り回しやがって、奪われる方が悪いんじゃあ!」


 モンスターの襲撃から暫く経過し、一度は完全に死の縁に立たされていた俺も完治している。そして今は闘技場でアルバートの相手をしているのだが、今日までの間に叙任式だの、学園挙げての表彰だの、公爵家の二家から恩賞を貰うとか、退屈な上に忙しい時期もあった。

 あったが、今では使い魔ではなく最下層の貴族身分としてミラノに仕えながらも、あまり変わらない日々を送っていた。変わらない日々と謳いながらも、以前と同じように床で食事を取ろうとしたら顔面蹴られて怒られたとか、夕方の入浴時間に厨房裏で冷たい水で身体を綺麗にしたら鼻水垂らしてる所を見つかり問い詰められて更に怒られたとか、授業中のメモ書きに日本語使ってたら読み書きが出来ないのかと怒られたり、魔法の授業の際に真似をしてみたら杖を持ってないとは何事かと怒られたり、カティアのことを以前ほどじゃないにしてもアリアに任せてみたら使い魔を他人に預けるとは何事かと怒られたり。

 こう、ね? 自衛官候補生時代ですらここまで怒られたことのない俺にはサプライズの連続だった。というか貴族階級の末席に位置したとたんに扱いが変わりすぎて、マジで笑えない。しかも怒ってるのが他人なら良いのに、ほぼミラノって言う事が余計に情けなかった。

 そして鬱憤を晴らすように、俺は以前よりも大分増えた”戦い方を教わる人”を前にして、講釈と実技で時間を半分ずつ使って皆に教え込む。今回は相手と一対一で対面した時の対処法で、アルバートが好きに打ち込んでくるのでそれを乱捕り稽古のように捌いて見せたところだ。

 叩きは動作が大きく、避けるのも防ぐのも楽だ。突きは面防御じゃなければ防ぐことは難しいが、回避ならばしやすいということ。そして槍の回避を上手く見切れて、尚且つ回避が最小限であればちょっとしたやり方で相手の武器を奪えるよということ。それらを実演して見せた。

 当然、槍の一家と呼ばれているアルバートは滅茶苦茶怒った。うがぁ! 等と、野蛮人の如く吠え猛っている。ちょっと回避し、その槍を両手で掴んだままに回転すれば、遠心力の力が加わって備えてなければ指の力だけじゃ武器を持っていられないだろう。とは言え、こんな技術を使う事なんてそうそう無いだろうが……。


「まあ、アルバートばっかりでもアレだし。剣を使う――そうだな、ヒュウガも来てくれ。アルバート、ありがとな」

「ぐぬぅ……」

「俺の出番か。あぁ、分かった。剣を抜けば良いんだな?」

「で、手を伸ばしてくれ。そう、突きを皆に見えるように。

 ――人の体の仕組みを知っていると、本当にいざという時に相手の武器を失わせ、或いは奪って自分のものに、もしくは破壊することで彼我の戦力差を埋める事が出来る。

 人の手首って言うのは捻る、或いは捻る事に弱いんだ。だから――そう――切りかかられる、或いは突かれた時に受け止めるようにしながら相手の手首を掴んでチョイッとやると――」

「いたたたた!?」


 ヒュウガがゆっくりと突き出してくれるので、それを同じようにゆっくりと最小の動きで回避しながら手首を抑えた。そして下へと曲げてやると痛みに苦しむ声と共に模擬剣を掴む手が緩み、その瞬間を見逃さずにもう片手で武器を抜き取り即座に飛びのいて距離を開いた。そして手首の痛みに悶えていたヒュウガがその手に武器が無いのに気付き、俺を見た時には既に剣で構えている。


「武器を持っていて、相手が素手であることが有利に思えていて油断している相手ほど奪う事に意味はある。

 気がつけば自分は武器を失い、相手は武器を持っているという心理的な要因が勝ちやすくなる事に繋がる事もある」

「い、今の技。僕にかました奴だろ!」


 そして、マルコも何故かここにいる。どちらかと言えば戦いたくないよ勢に含まれると思ったのだが、どうやらあの時俺に杖を奪われて折られたのを根に持って「つぎは負けないからな!」と張り合ってここに居る、らしい。

 マルコの発言に「お前、何やったんだよ」という周囲の声やら目線やらが突き刺さり、直ぐに大人しくなるあたり恥ずかしい出来事として記憶しているのだろう。そのまま静かにしていてくれれば一番助かるのだが。


「んで、武器を失うリスクは敵だけじゃなくて自分らにもある。その時に求められるのは思考能力と、判断力、柔軟な考えと――肉体だ。

 ミナセ、出てくれるか?」

「あ、うん。いいけど――」


 ヒュウガに剣を返し、戻っていくのと入れ替わりにミナセが出てくる。そしてその手に武器代わりのグローブを装着する。そして俺と一メートルくらいの位置に直立になると頭を思い切り下げて「お願いしますっ!」と叫んだ。

 ……前までなら、色々とゴニョゴニョ言って前に出なかったけれども、今では幾らかやる気を見せてくれるようになった。授業も、居眠りをする頻度は下がった。その代わりに、今までしなかった事をしているが故に無理をしているように見えるのだが――


「リョー様~、がんばってくださいね~」

「リョー、怪我しないでね~」


 ミナセに飛んでくる二人の女性の声に、俺と周囲の男性は一瞬で血管が浮き出るのを感じた。その中でヒュウガだけが苦笑してるし、アルバートも先ほどの怒りもどこへやら舌打ちしていた。どんな時代でも男と女の関係による嫉妬やら羨望やらはあるものだなと思った。

 なお、入院中に初めて出会ったあの二人だが――本人たちとミナセの言を纏めると『天界と魔界からの使者』らしい。そんな二人が何故ここに居るのかは語られなかったが、大きな混乱とは裏腹に学園町や国王レベルからはパニックを窺えなかった。二人とも学園に編入され、その扱いですら幾らか特別でありながらも、学生のように混じっている。

 さて、ささくれた気持ちを抱きしめながらミナセと立ち向かう。その構えだけであれば立派だ、半身を前に出し半身を後ろにした斜の構え。自分の知っている自衛隊格闘に近い構えで親近感が沸き、自分も構える。肩幅程度の足の開き、前足はちゃんと相手に向けながら後ろ足は四十五度ほど斜めに。重心は中心、前後左右へと即座に最小限の移動が出来るようにしつつも蹴りを自在に出せるように。


「――ヤクモは、格闘も経験あるの?」

「これでも、教えてくれてた人に筋は良いって言われた事はあるくらいだな」

「そっか、じゃあ本気でやっても良い?」

「良いぞ」


 詠唱なし、能力ブースと無しでの互いの格闘戦。いつもであれば「素手なんて――」と言われたものだが、ここ暫くの講釈でそう言った考えは潜んでいった。あの日、外に出ていた学生の中で生き延びた者は恐怖と現実を知った、そうでないものも学園を守るために戦った。その差はあれども、『戦い』を知ったからこそ舐めたりはしない。杖や武器が無いから戦えなかった、それを体験し、見てきたのだろうから。

 ミナセが踏み込んできた、その膝を内側から即座に蹴りぬく。地面を踏みしめて体勢と重心が整ってしまう前にそれを崩すのだ。攻撃にせよ接近にせよ、踏み込んだ足に重心が乗るはずだったミナセはそのまま崩れ落ちながら向きが強制的に変更される。大きな隙に対して俺は即座にミナセの背後に回りこんで両腕でその首を固めた。片腕は首の両側の重要な血管を押さえ込み、もう片腕はその腕がふりほどかれないようにしっかりと固める。

 脳に酸素がいかなければ意識を失うし、そのまま酸素を行かないままにしたなら殺す事もできる。抵抗が薄まったところで拘束を緩めて下顎と後頭部を掴んだなら首をゴキッとやって終了だ、どちらにせよ邪魔さえされなければこれでしまいだ。


「――素手での戦いになっても、相手の出方を窺う事で勝つことは出来る。この首絞めはされたらよほどじゃなけりゃ逃げられない。ミナセ、もうダメだって時は相手の腕を叩けばそこでおわ――痛い、殴るな、そうじゃない!」

「えほっ!? げほっ――」


 苦しむミナセを解放し、俺は彼の手を掴んで引き起こした。そして彼の体から埃を払い、肩を叩いて「悪かったな」と謝罪をした。


「武技をもって強さを求める、それも大事だと思う。けど、時には素手で、或いは周囲にあるものでぉごぶわはぁっ!!!?」


 そして講釈に戻った俺の脇から抉るような衝撃が走り、吹き飛ばされて転がりながら姿勢を制御しようとしながら回転速度に間に合わずにベシャリとうつ伏せになって止まった。そして痛みと眩暈と戦いながら顔を上げると、ミナセの傍には魔界から来た使者の子が居て、天界から来た使者の子は不用なほどの治癒魔法をかけている。


「大丈夫ですか、リョー様?」

「こんな男に負けるなんて、弛んでるんじゃないの?」

「こんな男呼ばわりした相手を吹き飛ばしてるんですが、それは良いんですかねえ……?」


 地面の草をブチブチと怒りを示す拳に掴まれては引きちぎられる。ミナセはアタフタしてるし、ヒュウガは口笛吹いてるしでもう取り止めが無い。俺はフッと一度ばかり息を吐き、大きく叫んだ。


「手前らぁ、ミナセをやれぇ!!!」





 ――☆――


 え? あの後当然のように俺達は烏合の衆として吹き飛ばされました。

 あの二人はそれぞれに上級魔法である光と闇を習熟しているらしく、闇でデバフ(能力低下)をかけられながら純粋な魔力の炸裂で全員吹き飛ばされ、地面に叩き付けられた後にフンワリと全員を回復させられた。範囲で全員が足を鈍らされ、範囲で全員吹き飛ばされ、範囲で回復された。その事実で「あれ、俺たち勝てないんじゃね?」と思い知らされて意気消沈する。一時の気の迷いって怖いね。

 だが、それとこれとは話は別であり、ミナセを白眼視してたら全員に頭を下げるという姿が見れた。なんにせよ、ミナセは愛されすぎなのが問題なのだと思う。しかも国王から呼び出しを受けているとか、女人禁制の場所で鍛えられた方が良いと思った。割と、マジで。


「ったく、ミナセはいいな~。モテモテでさ」

「あら、貴方もモテモテじゃない」


 そして授業終了後、アリア達の魔法技術の訓練をしていた方からカティアが一番にやってくる。その服装――なんだっけ、パニパニじゃなくて――兎に角、走るには不向きそうな格好だというのに走ってくる。あの日以来、俺の信用は失墜したので「ほっとくとミナセやアルバートとどっかに行く」と思われていた。けど、それを否定できるような気はしないし、何も考えなきゃ「おっしゃ、メシにしようぜ!」とか言ってどっかに行ってしまう可能性の方が高いと思った。

 いや、ほら。友達? って言うの? 高校以来じゃん? だからね、ほら、一緒に居たくなるじゃん? そこらへん、ボッチ暦が長すぎて、リアルで誰かと仲良くするのが楽しすぎるからという見方も出来る。のだが。


「上を見ればどぎついご主人様と優しい妹様で、下を見れば押しかけ使い魔。横を見れば殆ど会えないメイドさんと主人付きの無表情さんだ。

 ほれ、モテそうな要素を挙げてみ?」

「私が居るじゃない!」


 言われた瞬間、脳裏に茶髪で短髪の同じ位の背丈の子を思い浮かべたが、目の前のカティアとその子を重ねて、笑ってしまった。プクッと、音を漏らした瞬間カティアの華麗な蹴りが俺を頬を穿ち地面を滑った。

 カティアもね、戦い方を覚えたもんだよ。舞踊だか舞踏を参考にした戦い方らしく、その動作は自然且つ優雅でありながら――メッチャ痛い。130だか140だかの背丈の子に吹き飛ばされるって言うのも屈辱ではあるが、前にアルバートがカティアは俺の使い魔だと理解してから触れまくり、見事に怒りを買って同じように蹴り飛ばされている。

 グリムは理由無きアルバートへの暴力には断固として立ち向かうが、アルバートに非がある暴力に対しては反応しない事がわかった。あの時はフンスとしたり顔をしているカティアにグリムが攻撃しないか冷や冷やしたものだけど、グリムは気絶したアルバートを引きずって去っていったから特に問題は無かったようだ。

 さて、そんな過去の追憶はどうでも良い、今は痛む頭部と草の香りだ。今日で何度地面に転がるのかと思いたくもなるが、痛みに悶えているとカティアがつま先で俺の身体を突いた。


「分かりますかしら? レディを馬鹿にすると痛い目を見ますのよ」

「痛い目に合わせる前に警告して欲しかった、っよ!」


 起き上がり、服を叩いて何事も無かったかのように振舞う。もう俺とカティアの関係は知れたものなのだが、不本意な事にカティアに俺が蹴り飛ばされたりするのも周知の事実と化してしまった。

 ミラノの使い魔だった時から幾らか自由奔放あった俺だが、更に奔放で主人を足蹴にする使い魔と言う事で”この主人にしてこの使い魔あり”と見られたようである。

 闘技場から汗も幾らか乾かぬままに出てきた俺が使い魔に蹴り飛ばされても誰も気にしない。それどころか「あ~、またやってるよ」とか「いこいこ、関わると蹴り飛ばされるぞ」なんて言って通り過ぎていく。マルコもこそこそと通り過ぎて行った、絡まないから堂々と去れといいたかった。


「戦い方を教えて良かったのか最近悩んでるよ、本当」

「その身で私の素晴らしさ、理解していただけたかしら」

「まあ、俺が吹き飛ばせるのなら最低限の強さは――訂正、最低限じゃなくて実に頼もしく思いますので、どうかその後ろ回し蹴りを止めて下さいお願いします!」


 即効の謝罪。意味の無い平和もあれば、無意味な戦いも有ると言う事だ。何が悲しくてカティアにボコボコにされなきゃいけないんだ、しかも手合わせでもなんでもなく彼女にとって気に入らない発言をしたという理由で。背中に傷を負うのは不様とは良く聞くが、自分より小さな子に蹴り回されて負う傷というのも中々に無様だと思う。

 謝罪を聞き入れてくれたカティアは、少しばかり姿勢を低くして回転しようとしていたのをやめる。小さな背丈でも彼女もまた送られてきた素晴らしい使い魔であり、その身体能力は見た目よりも高い。そんな身から回転という遠心力を加えて繰り出された蹴りなんて堪ったもんじゃない。


「分かれば良いのよ。それと、貴方の傍には私が居るのだから努々忘れないように」

「へ~い」

「気のない返事禁止!」

「カティア様万歳!」

「馬鹿にするのもダメ!」

「……何をしてるのかしら、この二人」


 そして、カティアに捕まって時間を使っていればミラノとアリアが現れる。食事は特別な事情が無い限りはミラノ達ととるように言われているのは前と変わらない。けれどもミラノ達のほうがこちらにまで迎えに来るのは単純にあちらの方が授業を終えるにあたって汗などをかかないし、費やす時間が少ないからという理由でもある。それでも闘技場と離れた位置で魔法の実技をしているから如何しても合流に時間がかかるので、結果として若干の前倒し終了がこちらにあってもミラノ達が歩いてくるには時間がかかるのだ。

 ――しかし、カティアは上手くやっていると思う。この子は走って息切れはしても汗を見せたりはしない、それが華麗じゃないと分かっているから”魔法を纏って”身体を冷やしているのだ。運動による発汗を極力減らし、体温調節を上手くやる事でその人を食った物言いや行動が余計に恐ろしくなる。一種の心理戦に使える素材だなと評価した。

 ミラノ達はあれからどうなったかと言えば、目に見える変化は無い。授業は変わらず真面目に受け、真面目に質問し、真面目に独学をしている。ただ、その独学の色が変わったくらいだ。魔法をまた初歩から見つめなおし、その詠唱をどうにか出来ないかと奮起している。前の逃走劇では、詠唱や発動等で居場所がばれるというリスクがあったためにただただ守られるだけの存在だった、それが許せなかったのだろう。最近では食事と入浴を済ませると「自由にしてて良い」と言って、しょっちゅう部屋を空けてしまうので本気で暇である。


「ほら、食事に行くわよ」

「ん、了解」

「アンタ、何でまた汚れて――。洗いなさいよ」

「食後に洗ってくるって」

「ヤクモさんは本当に怪我や汚れが抜けない人ですね」

「よ、汚れたくて汚れてるわけじゃないからな?」


 そんな事を言い合いながら、若干気安くなった関係に幾らか楽しさはあった。これからどう俺達は歩いていくのだろう、それを考えるのは楽しい事でもあり、頭の痛いことでもある。それでも、床じゃなくベッドで眠れるだけでも大きな進歩だし、床じゃなくてテーブルについて温かい食事を食べられるだけでもおおきな進歩だ。

 俺がどう思うかはさて置いて、働きに応じて評価されるのは良い事だ。それを目的とする訳じゃないが、自分がどう見られどう思われているかのバロメーターにはなるだろうと思う。


「そういや、今日の夕食には魚が出るんだったかな」

「それは聞き捨てならないわね」

「カティアちゃんはフォークとナイフの使い方をまず覚えようか」

「ヤクモ、ちゃんと教えなさいよ。アンタの仕事でしょ」

「とりあえず魚姫のカティアに魚を与える事で鎮静化を図ろうかね」


 こんな日が続けば良いなって思うのは勝手だろうし、それに付き合わされるほうは堪ったものじゃないだろうが――。俺は、認められたいと思うと同時に安定を求めている。認められるためと言って真っ先に思い浮かぶのが戦いなので、全てが矛盾している気がしないでもない。

 それでも、どこかで折り合いをつけて生きていくのだろう。面倒ごとは嫌いだといいながら厄介事に直面し、安寧が欲しいといいながら戦いを通じて生き生きとしている自分を思い出しながら。



 ~ ☆ ~


「それで、今度は何が起きたのですか?」

「メイドさんにぶつかられて井戸に頭から落ちました」


 数時間後、俺はあの世に来ていた。おかしいな、前回の死亡は二度と死ねないような錯覚がしたのに、俺は普通にまたここに来ている。もう、死ぬと言う事が日常化している気がしないでもない、そもそも死ぬのは人生で一度だけで良いって言うか、本来一回しか味わえないはずなのだ。

 まるで死後の地獄で延々と責め苦を味合わされているような錯覚に陥る、俺はもしかしたら”転移先・転生先で直ぐに諦めて欲しくない”という善意に見せかけた罰を味わっているのかもしれない。


「なんか、雰囲気変わりましたか?」

「雰囲気というか、片目の色が変わった。深刻なエラーが発生してる」


 アーニャが俺と会って直ぐに首をかしげて疑問を抱き、俺がその変化の代表として潰された片目を指し示した。俺の外見は若返ったものに近い、母親が海外の人だから目の色が琥珀色だったり栗色の髪だったりと日本人らしさはあまり無いかもしれない。

 それでも、赤い目は異常すぎる。寝不足や花粉症、充血等ではない。片目だけ色が違う事に違和感しかないのに、夜になるとその目のみ夜目に強いという事実も分かっている。入院してる間はずっと包帯してたし、眼球も下手したら傷口が開いてまた潰れるかも知れない恐怖から俺を含めて誰もそれに気付くことはなかったのだから。

 アーニャが腕を組んで、頭をメトロノームの如く左右に振って「あれ、なんでだろ、なんででしょうか……」などと考え込んでいた。そうやって自分の思考を分かりやすくするのは疲れるんじゃないだろうかと思わないでもない。


「そ、蘇生に問題が――ありましたね!」

「あったんかい!」

「そうそう。だって私が肉体を再生して異常無い状態にしてから送ろうとしたのに、貴方様はそれが終わる前に行ってしまったのですから」

「え? だって気付いたら戻る道があったから」

「どうしてそうどっからでも飛び降りてしまうのですか? いつか後戻りの出来ない落とし穴にはまっても知らないですよ?」


 というか、そもそもあの世に介入されすぎじゃないですかね? ミラノに召喚されたり、理由不明の経路で生き返ったりと好き勝手されすぎである。そもそも俺はそんなヘル・ダイバーのようなことはしていない。せいぜい七メートルくらいの高所から五点倒置で受身を取って無事でいる訓練を下くらいだ。


「――あ、そう言えばこの国じゃ英雄とかを召喚したって言う過去が有るらしいけど、そう言う人たちもこの前の俺みたいに突然呼び出されたりするのか?」

「あ、いえ、その……。私の前にこの世界を担当された方が居たのですが、夜逃げしまして」

「逃げたんかい! っていうか、え゛!? と言うことは、俺よりも前にこの世界に人が来た事とか有るかどうかも分からないってことか?」

「その、それが……。その夜逃げした方が全ての情報を破棄してまして、誰かを送り込んだか、それとも貴方様が一人目なのかも分からないんです……」


 そう言ってアーニャは「すみません……」と謝った。しかし、人の手が入ってると思えばミラノ達の小さな家にあったあの冷蔵庫は誰かしら、俺と同じ世界から来た人じゃなけりゃ発想と実現はしなかっただろう。伝説魔法で時間を凍結させ、食材や調味料などを問わず全て新鮮なままにして置きたいなんて夢物語を実現したがるのは冷蔵庫を知っている人じゃなきゃそうそう居ないと思うけれども。


「……そっか、アーニャが忙しいのって情報が無くてこの世界の事が良く分かってないからなのか」

「え? あ、ええ、はい? そ、その通りですよ」


 好意的に解釈しようとしたのに、それを本人自ら否定していくスタイル。嫌いじゃないが、そう言うのはラノベや漫画だけにして欲しい、アーニャはこの世界に居ない間は俺達と同じように下の世界に居ると聞いたが、それが情報収集じゃないのなら何をしてるというのだろうか……。


「そう言えば、頑張ったみたいですね。街でも聞いてますよ? あの中で何人かの人を救って、その献身的な努力から騎士になったという事を」

「あぁ、そっか。しれっと宣伝してたもんな」


 どうやらアーニャも、俺が叙任された事とか聞いていたらしい。ただし口上文はこうだ。『彼は使い魔として召喚され、何も分からない中で多くの人々を救った。これは多くの人に真似できない事柄である。よって、騎士に推薦され国王によって受理された事により、本日付で簡易叙任とし、後日改めて叙任するものとする』なんて、聞いてるだけで欠伸が出そうな口上を皆が聞いたはずだ。

 そんなもの『○○と以下○名の者は。○年○月○日をもって、騎士階級に命ずる』って言ってさっさと終わらせたほうが気が楽というものだ。とは言え、金の横線をもらう制服もなければ、勲章ももらえないのだが。


「戦ったんですよね」

「そう、だな」

「痛かったですか? 辛かったですか? 怖かったですか?」

「痛いし、辛いし、怖いのは当たり前なんだけど――。なんだろ、俺ってどっか壊れてるのかもしれないな」


 痛みを克服するにはそれ以上のアドレナリンでドンドン行動し続ければ良い、辛さを忘れるにはそれでも果たさなければならない目的を持てば良い、怖さを忘れる為には盲目にならなければならない。仲間や味方が居るなら連帯とか団結とか仲間意識とかを掲げれば良いが、そうじゃない場合は自分を騙しきれる嘘を吐くしか方法は無いだろう。

 自分でも冷静になったら「ナイフで相手を殺すのは抵抗を覚えるよな」なんて考えたりもするけれども、それも全部騙せば考える事もなく肯定できてしまう。それが出来ないのなら軍人とかは目指さないほうが良いのかもしれないが。

 自嘲とも自虐とも言える言葉にアーニャは戸惑い、その雰囲気を壊そうと首を振った。


「あの、念の為にその目を調べた方が良いです、よね?」

「ん~、まあ今は良いや。調べるのに時間がかかって俺の体(なまみ)が冷えたらヤバイし……」


 空中に見える俺のデスモニターに、井戸から引き上げられた俺の体に懇親の力で水を吐き出させているトウカの姿と厨房のおっちゃんの姿が見える。というか、肉体が蘇生できる状態でも俺が戻らないと生き返ったことにならないんだよな、これが……。

 俺の言葉に帰り道を用意しようとするアーニャだったが、それよりも早く俺の近くに竪穴ホールが出現する。俺はそれを見て何だこれと思い、アーニャを見ると首を横にフルフルと振った。


「あの、まだ準備できてないのですが……」

「けどこの竪穴は、前と同じで帰り道に見えるんだよなあ」

「だ、ダメです! 貴方様は私の用意した道で帰って欲しいのです!

 じゃないと、どんな事態が起きるか分かりません!」


 確かにその通りだと思った。一番最初はミラノの召喚で、前回のは何なのか分からないけれども本来であれば全快してから帰るはずが片目は色違いで体はボロボロなままという事態に陥ったのだから。

 じゃあアーニャが出したもので帰るかと待っていると、今度はもじもじされた。俺は女性と”異性として”関わった事がないから分からないんだけど、女性というのは何かしら事情があるともじもじする様なものなのだろうか? とはいえ、流石に「トイレかな?」なんて言うほど頭はおかしくないので理解に苦しむしかないのだが。


「あ、あの。私がちゃんと出来るまで、待ってくれますか?」

「なんか意味ありげに言われても、俺はこの竪穴で帰るか待つかしか出来ないんですが……」

『おっちゃん、なんかどんどん冷たくなってるよ~!?』

『良いから水を吐き出させて、ふいごを口に突っ込んで――』

「アーニャ、アーニャ! 急いで! 俺の体にふいご突っ込まれて旧式人工呼吸されちゃう!?」

「え、えぇ~!?」


 俺はモニターを見守ることしか出来ない、判断はアーニャを信じるか、諦めるかだけだ。信じるなら待つしかなく、諦めるのならまた何かしらの異常を引き起こしかねない竪穴に飛び込むしかない。そうこうしている内に俺の”腹部を”圧迫して水を吐き出させ、水を吐き出さなくなった俺を見てトウカが厨房へと消えていく。そして持ってこられたのは明らかに厨房の火力を維持するのに使われてきた奴らしく、足で踏み込むサイズの奴だ。おやっさんは顎にてをやって考え込んでいるが、トウカは俺を横向きにしてその口にふいごの先端を突っ込み――


「でっ、出来ました!」

「でかした!」


 俺はアーニャの言葉と共に作り出された帰り道へと飛び込んだ。直ぐに止めさせなければ俺が酷い目にあってしまう!

 逸る気持ちとは裏腹に、結果だけは常に最悪だった。まるで飛び降りた先にトランポリンでも置かれていたように、飛び降りていたはずの俺は上昇して高く打ち上げられてアーニャの傍で叩き付けられた。モニターを見ると”内臓破裂”と書かれているモニターを見てしまった。

 数秒の思考の間と、訪れる恐怖。あれ、これってまた蘇生に時間がかかるんじゃね? しかも今、俺の内臓”パン!”っていったよな? というか、早くしないとカティアに見つかり、死んでいようが頬を張り倒されるし、生き返れば更に起こられるという理不尽スパイラルだ。

 俺の前世はきっと女性に対して酷いことをしたに違いない、だから今の俺はこうも女運がないのだろう。


「――じゃなくて! ヤバイ、急いでぇっ!? このままだと俺、自由がもっと無くなってトイレにも一人で行けなくなっちゃうから! やだよ、沿い寝つきの監視とかまでされるようになったらもう死ぬほど恥ずかしいって!」

「そそ、それはダメです! わわわわ、分かりました! 全力で治して、送り返します!」

「頼むぁ!」


 そして数分後、蘇生した瞬間ギリギリにカティアに発見されトウカの謝罪もあって何とか俺は叱責を免れた。しかし後になって「なんで井戸に?」という話になり、ミラノに滅茶苦茶怒られることになった。

 というか、あの日以来ミラノがやけに厳しいんだよな……。やっぱり貴族階級になったのと、兄に似てるからなのだろうか。というか、ミラノ達の兄はどんな感じだったのかを聞きたいとも思った。

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