第4話
食事は必ずしなければならないものだし、例え食事を取れない環境下で厳しい活動をする兵士であっても飢餓というものはその能力を著しく下げるものだ。そうでなくとも、空腹は気分を悪化させて、集中を乱すのだから性質が悪い。
夕食の時間が近づき、それまで俺はアリアに授業で使っている教科書を持ってきて字の勉強をしていたし、カティアはミラノと一緒に魔法の練習をしていた。言葉が分かっていても字が読めないということは足元を見られるし掬われる、カティアは魔法が使えるとしても”使い方”を知らないから何も出来ないのと同じだった。
二人して何とかこの世界に適応しようとしていたのだが、あわただしいままに時間はさっさと過ぎ去ってしまうのもまた集中していたからだろうか。
腹の音が聞こえる、それと同時に集中の糸がフツリと切り離されたのを感じる。クッキーと紅茶で誤魔化したが、結局のところまともに食事をしていないのは確かだった。
「わ、私じゃないわ!」
「何もいってないから。しかし、腹が減った……」
「それなりに時間が経ってますしねえ」
「じゃあ、講義はコレくらいにして、食堂に行きましょう」
「え……」
食堂に行くと聞いて、俺は一瞬で血の気が引いた。人ごみの中を通過するのと、人ごみの中に居座るのはまた話が違う。学園の規模や生徒の人数がどれくらいなのか分からないが、決して少人数じゃないだろうという事は想像ができた。
運びこまれた気絶した男女、人型の使い魔もかけるで二、しかも二人して右も左も分からない名無しだった人物……。どう考えても注目されるに決まってる!
注目されるということは、見られるということ。見られるということは、様々な考えが浮かぶということ。様々な考えが浮かぶということは、好むにしろ好まざるにしろプラスやマイナスの感情を向けられるということだ。
例えば町中で買い物をするくらいなら、通りすがったりするただの背景気にする人は居ないだろう。けれども、通り過ぎずにその場に”混ざる”者が居たら? チラリとであれ、見られるのだ。なんだろうと、誰だろうと。そこで終わればいいのに、終わりそうに思えない貴族だらけの学園。
少し、気分が悪くなった。
「なに、どうしたの?」
「――俺、行きたくない」
「はあ?」
「どうしたんですか、ヤクモさん。お腹が空いたって言ってたじゃないですか」
「私も空腹だし、ご飯食べたいのだけど」
ミラノが俺の言葉に「何言ってるの」と俺を見てきて、アリアが「どうしたんですか?」と少し心配し、カティアが「私を飢えさせる気?」と不満げな顔を向けてきた。
――落ち着け、深呼吸しろ。ここは異世界だ、前居た世界とは全く違う価値観だし、全ての事柄から切り離されていわばまっさらな白紙の状態でここに居るのだ。過去を知るものも居ないし、どれだけ調べようとも生まれ育った場所ですら特定できない。
精神を安定させようと呼吸を繰り返し、左手でドッグタグを数度弄くると「分かった、行くよ」と頷いた。
「……ちょっとパニックした、ごめん」
「もしかして、何か思い出したの?」
「いや、沢山の人に見られるのかと思ったら緊張しちゃってさ」
「人に見られると緊張するんですか」
アリアが言外に「変わった人ですね」と言った様な気がするし、カティアにいたっては「え、私の主人って引きこもりの気があるの?」とか勝手に疑問に思っている。後で食事から一品奪ってやろうと画策しておく。少しは地位が最底辺な主人を可哀想に思って下さい、お願いしますよ!
「大丈夫よ。多分最初は珍しがられるかもしれないけど、文字が読めない、常識も分からない、何が出来るかも分からないってことを理解したらみんな飽きるから」
「嫌な方向で安心させようとしないで!?」
「けど、現実的ではないですかね」
「理解できてるから辛いの! 分かって!!!」
「メンタルよわっ」
二品目も強奪しようと心に誓い、ため息と共に幾らか気分が落ち着いてきたのでいよいよ部屋から一歩踏み出すときが来た。もしコレが転移先イベントの一環でチュートリアルだとしたなら、あと必要なのは戦闘と魔法のチュートリアルだな。まさか買い物や、武器や防具は装備しないと意味無いよって所までチュートリアルするんじゃないだろうな?
「とりあえず付いてきて。歩きながら見かけた範囲で敷地の説明するから」
「あ、そっか。覚えないといけないんだよな……」
「当たり前でしょう? これから何かやらせたりする時に、場所が分かりませんじゃ困るもの。それに、変な場所に立ち入って処断とか洒落にならないし」
「……処罰されるようなスペースがあるんかい」
「ここで講師をしながら自分の研究スペースを持っている魔法使いも居るんだし、下手するとスパイとして死刑になるわね」
「なにそれ、怖っ……」
余計に敷地内の配置を覚えなければならなくなった。昔から地図なしでも町中を歩いて目的地に向かう事はできたし、物覚えだって人並みには大丈夫だとは思っている。シャツの腕の箇所からペンを、胸ポケットからメモ帳を取り出す。人の記憶はあてにならないというのを嫌というほど理解してるので、発言や情報なども書き記しておくに越した事はない。
あとでマッピングをした方が良いなとか考えながらミラノにつれられて部屋を出る。そして食堂までの道のりでとりあえず自分が居た寮は校舎から少し離れた位置に属しているということは分かった。そして寮から出て食堂に向かうまでの間に見えた物はといえば、学園を仕切る囲いが目立った。まるで国会議事堂か駐屯地のようだ、入られないためなのか出さない為なのかは分からないくらい高い壁だ。
そしてそんな城壁のような壁の内側には立派な食堂がでかく建てられているし、隅っこには闘技場があるし、広い空白地は魔法の練習やら空を飛ぶ練習やらで使われるとか。校舎なんて、権威の象徴を表すかのようにとにかくやたらと大きいし、必要があるのかどうかも分からないくらい高い。
……日本の家はウサギ小屋とはよく言ったものだが、こんなに広々と土地を使っても狭く感じないというのも気分が良いなとは思った。移動は大変だが。さらさらと簡単な地図を書きなぐった。
「とりあえず寮、食堂、校舎さえ分かれば問題ないから。これから授業とかで一緒に回るときに細かい場所は覚えるだろうし」
「あ、授業も同伴なのね」
「どうせ分かんないでしょうけど、何もしないよりマシでしょ?」
確かにその通りだった。多分専門ワードとかが飛び交う授業になるだろう、地名や地方名とか出されても全く分かる気がしなかった。勉強? うっ、頭が……
そしてたどり着いた食堂はものすごく広い上に、テラスで食べてもよし、バルコニーで食べるもよし、建物の一階でも良いし、二階でも良いという何という贅沢な食堂だ。貴族って言うのはそこまで我侭なのかとか思いながら、バルコニーならあまり見られることも無いでしょうとそこまで連れて行ってもらった。
しっかし、まるで駐屯地食堂みたいだ。幹部食堂も有るんじゃなかろうかとか考えていると、メイドさんがやってきて料理を置いていく、決まった食事を席に着いた場所から置いていく形式なのかもしれない。あるいはバイキングみたいに机に出しておくと、冷めて不味くなるからとかそう言う話なのか……。席に着こうとした俺だったが、座ろうとした椅子を外されそのままバカみたいに尻餅をついた。
「いっで!?」
「――あのね。何で私たちと同じ席で食べようとしてるのよ。近くの床で座って食べなさい」
「ひっど!? 俺たちそんな扱い!?」
「いえ、あなただけね。この子は別に私の使い魔って訳じゃないし」
「ごめんね?」
冷たく言い放つミラノと、申し訳無さそうにするアリア。カティアはシレッと二人に倣って席につきやがた。くっそ、なんてこった。部屋の中での優しさがまるで嘘だったみたいだ……。もしかすると会話が出来ていたというだけで「こいつ、気が有るんじゃね?」みたいな勝手な思い込みで優しくされていたと誤解していたのかもしれない。ひでえ話だ……
「あ、あの? そちらの方は――」
「こいつには使い魔として適当なご飯でもあげといて」
そして食事を配給していたメイドさんにさえうろたえられる始末。貴族たちの視線もメッチャ集まるぜ、いやっほぅ!
出てきた料理は冷めてるし、なんかこう『残飯!』って思いたくなるような感じだった。メイドさんも恐る恐る手渡してきて申し訳なかったし、本当にどうしようね……。今までの人生の中犬扱いなんて一度もない、落ちるところまで落ちた気分だ。
それでもいいや、臥薪嘗胆。これから俺の成り上がりが始まって立場も向上していくはず。もし俺が偉大な人物になったらどうする? 流石に床で食わせたりはしないだろう。
考えながらもしゃもしゃとう手づかみで食事をしていたら、目の前に有ったはずの皿が音を立てて消えうせた。呆然とする俺の視界には、皿があった場所に伸びている誰かの足。……ミラノが、人様の目の前で俺を苛め抜く事で屈服させようとしているのだろうかと考え込んでしまう。レンジャー隊員か、俺は。
中途半端に物を腹に納めたせいで機嫌が悪い。どうせなら空腹なままでいるか、或いはもうちょっと食べるまで待って欲しかったな~とか考えながら見上げると、赤い髪をした男がそこに居た。わざわざ自分がやりましたアピールをするように足は皿を蹴った時のままで。
「――あの、俺のなけなしの飯が吹っ飛んだんですけど」
「おっと、すまない。そのような所で浅ましく食事をする輩が居るとは思いもしなかったのでな?」
「部屋に戻りてえ……」
まさかこの世界でも引きこもりになる可能性が存在していたとは思わなかった。理由は分からないけれども、俺は虐められているというのだろう。悪びれて欲しかったと思っていたけれども、ニヤニヤ笑みを浮かべている時点で悪意しか見えない。しかも俺がその人物を見上げていると数名、傍で食事をしていたはずの貴族が立ち上がって取り巻きのように相対してきた。
「アルバート。彼は私の使い魔であって、その所属は私だと分かってやってるのかしら?」
「はっ、ミラノか。どこでこのような腑抜けた使い魔を拾ってきたのだ?
人種(ヒトしゅ)の使い魔が表れたと聞いてみれば、覇気も知性も無さそうな男よ」
「ねえ、ミラノさん。俺、部屋に帰っても良い?」
「え!? ちょっと男らしく無さ過ぎない!?」
何とでも言って欲しい。面倒くさいのは嫌だし、そもそも見知らぬ人に虐められるってだけでメンタルに大ダメージだ。こう、ブサメンに厳しい世界みたいなのを思い出して、生きているだけで悪意を集中して受けるとかそんなの嫌過ぎる。
俺が情けない事を言ったからか、相手はもう満足したようだ。侮蔑と嘲笑を浮かべて笑うと、俺をもう見ては居なかった。
「全く、伝説の英雄か、それともかつての勇者かと騒がれては居たがとんだ期待はずれだ」
「それに関しては私も同意してあげる」
「わ~。俺には味方がいね~……」
アルバートと呼ばれた男は、とりまきを引き連れて笑いながら去っていった。多分俺の情けない所を馬鹿にし、そしてそれを吹聴していくのだろうと考えると、まあそれもいいかと思えた。
「今の奴、なに?」
「アルバート・ダーク・フォン・ヴァレリオ。この国で三つの大公爵家の一つ、ヴァレリオ家の子よ。
12人の魔法使いのうちの三人がこの国に腰を落ち着けて、その血を代々引き継がせていった。 言ってしまえば血筋も家も立派なところのお坊ちゃんって事ね」
「ふ~ん……。けど、なんでダーク・フォンって所が被ってるんだ?」
「だって、うちも同じ爵位だから同じ呼び方をするに決まってるじゃない」
「階級は同じなんだなぁ……。あ、パンは食えるか」
散らかされた食べ物の中で、少しだけ肉汁をすったパンだけはまだ食べられるなと手に取った。変なものが付着してないか調べ、余計な物は取ったりちぎったりしてから食べる。当然、三人の目線は良いものではなかった。
「私の品格が疑われるからやめてくれないかしら?」
「少しくらいなら分けてあげますから……」
「ほら、食べなさいよ……」
アリアとカティアにおすそ分けしてもらい、パンが三つになった。――いじめ? パンは落ちても食べたいくらい好きだというわけじゃない。飲み物はどこよ、パンがのどの詰まってしまう。三人は温かいスープがあるから良いだろうけど、残飯しか貰ってない俺にはスープなんて物はない。
それでも何も食べないよりはマシだと、薬草をがぶ飲みしまくる主人公のように腹に収めて満腹度だけでも維持しようとした。
「全く、何が気に入らないのかねえ。下っ端虐めてると碌な奴にならないっての」
「立派に負け犬を演じてたのに何強がってるの」
「彼我の戦力差を考慮せずに戦うのは馬鹿だっての……」
とりあえずパンを食べきり、のどの渇きに若干苦しんでから傾いていく日が朱色に染まっていくのを見た。この世界でも太陽は紅に染まって沈んでいくのだなと思ったけれども、本来であればしょっちゅう見るはずのものを久々に見るというのも馬鹿げた話だなって思わないでもない。
「――明日さ」
「ん?」
「魔法を使うところ見せてもらえないかな。出来ればで良いんだけど」
「どうしたのよ急に」
「魔法がどういうものか判らないって言うのが怖いだけだよ。それに、もしかしたら俺も理解できてないだけで魔法が使えるかもしれないだろ?
そしたら、少しは役立たずから脱却出来ると思う」
何時ものような、半分本当で半分嘘。人生で思い通りに行く事は本当に一握りで、他人どころか自分自身のことですらうまくいくことはない。俺は――それを良く知っている。一歩踏み出す足を右足にするか、左足にするかだけでもまた違うのに数メートル先に進んでいく事がどれだけ困難なのかも知っている。
息をすることですら不自由になる時だってあるのに、何で人生がうまくいくだなんて思えるのだろうか? だから尚更、先ほどのアルバートという男やその取り巻きと衝突しかねない可能性を考慮して、戦闘面だけでもさっさと地に足を付けることにした。幸い――戦うと言う事に関してだけは知識が無いわけじゃない。
魔力で作動する可変式の銃、これさえあれば拳銃も、突撃銃も、ライフル銃も、軽機関銃も取り扱える。拳銃だけは規格が違うので弾が別になったが、それでも7.62×51mmの弾だけでおおよその武器に共有使用が出来る。
後は……ナイフか。俺に出来るのはそれらを使い、敵を”撃滅掃討”することだけ。
「魔力はあるんだと思う、俺も魔法は使えるんじゃないかなって」
「確かに。使い魔が居るということは魔法があるって事だし、なら何かしら魔法は使えるのかも……」
「そう言えばそうだね。契約を交わした使い魔は主人と魔力で繋がるって言われてるし、主人の魔法の素質に応じた使い魔しか契約できないって事を考えると……」
「こいつ、もしかして魔法も凄いって事?」
おぉっと、ここにきて俺の成長イベントが来そうだ。しかし、主人の魔法の素質に応じた使い魔しか契約できないということは、魔法使いとしてへっぽこなら使い魔もそれなりの奴しか居ないということだろうか。
となると使い魔が居る魔法使いが居る場合は使い魔を見てその主人の力量も分かると言う事だ。当然使い魔がいる相手によるが。
少しだけ期待を膨らませた。そういえば女神のアーニャも俺の肉体を魔力を有するものにしておいたと言っていたし、期待してもいいかもしれない。
「俺が魔法使えたら立場は向上する?」
「使えないよりは使えた方がいいけど――そうね、このカティアよりも凄い可能性があるのなら素晴らしい使い魔という事になるわね。
だって、普通の使い魔ならそれぞれの存在に見合った魔法しか使えないもの」
「火トカゲが水や風を操ったり、ベアフクロウが火や土を操れないみたいにね」
「あら、良かったじゃないご主人サマ。面目躍如の機会が与えられそうで」
素直に嬉しい事があってよかった、コレで自分の戦力が強化できる……。そして自分の評価も上昇するし、良い事尽くめだ。少なくとも何も出来ない男扱いからは脱却出来るというものだ。
「よし、無能じゃ無くなって扱いが良くなるなら喜ばしい事だな」
「わたしの評価も上昇するし、悪いことは無いわね」
「じゃあ、私が面倒見ようか? 姉さん」
「いいわ、自分の子の面倒くらい自分で見るから。けど手ほどきとしては自分に使える魔法しか教えられないけど」
こうして俺の扱いが決められようとしている。成果主義といえば分かりやすいが、魔法に関しては使えればいいのは当然だけれども理解を深める事が重要だ。明日は魔法を教わると言う事で話は進み、俺は水の一杯だけをメイドさんに貰って食事を終えた。
若干、こっそりと手に入る食べ物が無いだろうか考えないといけないだろうなとか考えていたら、どうやら貴族の連中は後で食べたいものを包ませて部屋に持ち帰っているらしい。その恩恵が俺にあったが為にカティアとアリアから施しを受けてひもじい思いをせずに済んだ。
そして入浴じゃん? とか思っていたら、当然ながら俺だけ「食堂の裏に井戸があるからそこで体を洗ってきなさい」と放り出されてしまった。部屋の隅にあった洗面器を持って食堂裏までとぼとぼ歩く俺。途中で貴族の連中にチラチラジロジロ見られたけれども、その表情は嘲りだった。
「……温かい湯船につかりたい」
井戸から水を汲み、食堂の裏で隠れられるくらいの空間で上半身裸で体を綺麗にしていった。食堂はしまっていても厨房の明かりはまだ消えてない、明日の仕込みでもしているのか或いは掃除や洗い物でもしているの違いない。幾らか活気が収まったのを見聞きしながら、濡れた身体に受ける風の寒さで現実の厳しさを味わっている気分だ。
「あん、なんでぇお前――」
そして身体を洗っているところに遭遇する厨房から出てきたおっさん。生ゴミを出そうとしているのかゴミ箱のようなものを少しばかり筋肉質すぎる身体で持っていた。
俺は言い訳できずに「身体洗って来いって、言われたんで……」と尻すぼみになりながらも答えると、おっさんは「なんでえ、そう言うことか」と零した。
どうやら俺の事は噂で聞いていたようだが、このおっさんは俺の扱いを聞いて同情をしてくれたようだ。火を落としたばかりだからまだお湯があり、それで布を浸して身体を洗うと良いと分けてくれた。
「あぁ……有難うございます!」
「良いって事よ。使い魔だ、伝説の人型使い魔だとか噂は聞いてたけどよ、いけ好かねえ野郎かと思ってたがそうじゃねえみてえだな。
俺はここの厨房の主をしてる者でな、アランってんだ」
「おれ……自分は、ヤクモって言います。ちょっと記憶が無くて、右も左も分からないですが、よろしくお願いします」
「記憶が無い? どっかの馬鹿が魔法をかけたんじゃねえのか?」
「魔法でそんな事が出来るんですか?」
「噂じゃあな。悪い奴になると、人を操ったり記憶を弄くったり好きにするらしい。ったく、魔法が使えるからって俺たちを好きにしやがって……」
この厨房を預かる料理人の話は聞いていたが、それがこんな筋骨隆々の背丈の高いドワーフのようなおっさんだとは聞いてない。けれども、このおっさんの言い分だと、貴族連中や魔法使いはあまりよく思われて無いらしい。俺もどちらかと言えばおっさんよりの立場なので理解は示せる。けれども記憶がないという嘘を信じている人のよさそうな怖いおっさんに少しだけ胸が痛む。
「まあ、あんまり何かしてやれるわけじゃねえけどよ、何かしら困った事があれば来いや」
「何でそんなに優しくしてくれるんです?」
「ばかやろ、おめえ。虐げられてる奴が居たら助ける事に理由なんて居るかよ。
人ってのはな、一人じゃ弱えもんさ。それでも助け合って生きるから何があっても乗り越えて来れたのさ。昔から、今までな」
身体を洗い終えた俺は服を着込み、おっさんに感謝しながらもその独白じみた言葉を聴いていた。たぶん、その言葉は身に染みた事柄から学んだからこそ吐き出されているのだろう。それは俺も良く分かる。人は一人じゃ無力だ、大きな困難に対して沢山の人で立ち向かわなければならない。一人で変えられるのは、自分とその狭い周囲だけだ。
「――すみません、何かあったら頼ります」
「おうよ、待ってるぜえ? そうだな、もしお前が失礼を働いて怒られた時は是非きてくれ。どんな風に貴族の野郎に失礼な事をしたのか聞いてやるからよ」
「聞いて、どうするんです?」
「大笑いしてやるのさ、貴族の野郎に何したか聞いて、それを褒めてやるってんだ。良いだろ?」
「はは……」
おやっさんの言葉に若干乾いた笑いをしていると、厨房から誰かが現れた。
「おやっさ~ん、お掃除終わったよ~?」
「おう、直ぐ行く!」
メイドさんだった。とはいっても、食堂で働いているメイドさんは沢山居るので珍しくは無いのだが。けれども、彼女は俺を見つけるとこちらへと近づいてくる。
「おんや~? 君は噂の使い魔くんかい?」
「あ、えっと。そう、です、けど――」
「あはは、見てたよ。ご飯蹴飛ばされて可哀想だったね~? どう、お腹空いてない?」
「トウカぁ、おめえは喧しいんだよ」
詰め寄られて言葉をポイポイ投げ込まれて戸惑う俺を見てため息を吐いたおっさんが、そのふっとい腕と石よりも硬そうな拳でトウカというメイドさんの頭をゴン! と殴りつけた。
殺人じゃね? そうじゃなくても傷害罪とか、パワハラで訴えられるんじゃね? そんな事を考えていた俺は気を失ったんじゃないか、首の骨が折れたんじゃないかとドキドキしていると、彼女は「むっは~!」と声を上げた。
「痛いよ、おやっさん! けど、ごめんね君」
「あ、いや。いいけど……」
「私はトウカって言うんだ~。君は?」
「俺は、ヤクモ」
「わ。私と同じ感じな名前の響き。おやっさんおやっさん、もしかしたら同じ国の人かも!」
「だから喧しいつってんだろうが」
再び拳骨がトウカを襲う。立て続けの2撃目には少しダメージが入ったか、少しクラリと上体が揺れるも直ぐに立ち直る。なんだ、この子……。
「こいつはな、俺が料理修行の旅に出ていた時に立ち寄った国からずっと俺の下についてる奴だ。まだまだ未熟だが、料理の筋は良い」
「わっ、おやっさんが褒めるなんて。明日は雨かな?」
「ばかやろが……」
三度目の拳骨。それをかヒラリとかわした彼女はそのまま俺のほうへと近寄る。軽やかで踊るような動きだったので、俺もなんだか呆然としてしまった。
「それじゃ、よろしくね?」
「あ、えっと。よろしく……」
そして自然な手つきで俺の右手を掴んで握手にするとぶんぶんと振った。そんな彼女の襟首を掴んだおやっさんは片手で持ち上げると盛大にため息を吐く。
「おら、仕事終わったなら帰って寝るぞ。明日も早いんだ」
「わ~、おろしてよ~!?」
「それじゃあな、坊主。しっかりやれよ」
騒ぐトウカをまるで肩がけ鞄のように持っておやっさんは厨房へと戻っていった。そんな中で背中にぶら下がる事になったトウカは「まったね~」と両手を振っていた。なんというか、元気すぎる子だったな……。
けれども俺もいい加減に戻らないと、遅かった事で怒られてしまうと急いで部屋へと引き返していった。けれども、俺が部屋に着くとほぼ同時くらいに彼女たちも部屋前にたどり着いたようで。そういえば、女は風呂と化粧と準備に時間がかかるものなんだという事を思い出していた。
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