第2話
人は暇になると些細な事でもしたくなるというのは、本当の事である。
例えば鉛筆を指で振ってみたり、或いは教科書に落書きをしたり、指先のささくれが気になっていじくったりと様々だ。
それに似たような感じで、自分は首から提げたドッグタグを手で弄りながら右手で銃をとりあえず様々な方向へ、そして徐々にその狙いを遠くのものへといかに向けられるかで時間を費やしていた。
そうしているうちに、一つだけ分かった事がある。酒の影響が無くなったからか、或いは異世界というものに興奮や期待をしているからかは分からないけれども、視野が幾らか広がったような気がした。
例えば出会った当初のあの女神、アーニャだけれども。可愛かった、おしまい――と言うところで思考が終わらないでくれるようになった。可愛いけど、どこが良いのだろうと細かく相手を見ようと思えた、いいことなんだと思う。
冷静に考えてみれば実際に誰かと会って話しをするなんて事が久しぶりすぎて、相手と向かってどういう風に相手を見たらいいのか忘れてしまっていたのか、或いは他人への興味が薄れていたのかもしれない。
だから――嫌な考えがなくなったわけじゃないが――あの子が傍に居てくれたら楽しいだろうなと、考えていた。当然あちらはあの世で、自分は異世界とはいえこの世に居るのだから会うことは到底叶いっこないだろうが。
「しかし、暇だ……」
死亡時に身に着けていた物はそのまま持ち込めたらしく、腕時計を見ると30分ほど時間が経過していた。30分もあったならゲームでクエストの一つや二つ回せるだろ! と思う自分は既に過去だ、そもそもゲームが無いのだから。じゃあ携帯電話のアプリでも遊ぶか? とか考えてみたけれども、そもそも充電の当てが無いので却下だ。ポケットに入っていたウォークマンだってバッテリーが切れればおしまいなのだから。
「……携帯とウォークマンの充電の仕方は確保しておけばよかったかな」
だが、その為に願いを一つ消費するのはばかげている。電波があるわけでもなく、出来る事といったら写真を撮り、映像を残し、メモを書きとめ、それらを見ることくらいだ。どうあがいても、いつしか電源が入らなくなる事を理解していて、それでも手放す事無く手元に残しておくことにした。
前の自分との繋がりの証明でもあるし、少なくとも――忘れちゃいけないことを留めて置く事くらいは出来るはずだと考える事にした。また、同じような惨めな引きこもったままの人生を歩まない為にも、戒めとして。
そんな事を考えていると、腹が鳴って空腹を訴えてくる。そうか、よくよく考えたら何も食べてないんだ……。死ぬ直前にしたって、冷蔵庫が空になってしまったから買出しに出たわけで、そのまま何も口にしてない訳だ。これから何が起きるにしても空腹は軽視出来ないのだが、貰った物品の中に携行食のようなものが無いのは辛い。
携行食まで考えて、そういえばこの世界の食生活に関して全く見てこなかったのを悔やんだ。家に居る間、暇だからと自分なりに料理をしていたのだから、それを活かせる世界であって欲しいと切に願う。足の生えた魚とか、空を飛ぶ野菜とか、そう言った俺の常識の通じない世界であって欲しくない。
嫌な事を考えてしまうと、あれやこれやと気になってしまうのは性分だろう。少なくとも、昔はこうじゃなかったはずなのになと頭を振った。何があって自分がこうなったのかなんて分かっては居ても、いつからこうなったのかなんて分かっていない。まるで遅効性の毒のように自分をダメにしたからこそ、変化に気付けず何もかも手放してしまったのだろう。
携帯電話を取り出し、家族から送られてきた写真を眺めた。その中には生前の両親も居るし、今や家を出て行った弟や妹の近況報告のような写真だって入っている。就職してから先輩や同期と仲良くしている弟が、ついこの前新しく入ってきた後輩たちともうまくやっていて全員で酒を飲んでいる写真がある。妹は確りとした相手と結婚し、第一子がこのまえ小学校に入り第二子が産まれたと写真を送ってきた。白髪の目立ち始めた両親が一緒に写っている、自分に孫が出来たからと有給を使って妹の所に行ったんだっけな……。
そこまで考えて、久しく使われてなかった涙腺が緩んだ。けれども、顔を抑えて携帯電話の電源を切る。そうでなければ、過去に沈んでしまう。その結果があの家であり、閉鎖空間の中で時を止めたまま年をとって行く自分と言う存在だったのだから。
「あら、目が覚めたのね」
一人考え事の海に沈みこんでいると、部屋の戸を開いて一人の少女が現れた。背丈は小さい、身なりは偉そうと言うか上等そうに見える。可愛い気もするのだが、強気そうな顔つきをしていて少しだけ気が引けた。外套を羽織って歩く人は大抵偉いもんだと相場も決まってるし。
誰だろう、何事だろうと彼女を見ていたらゆっくりと近寄ってきておでこに手を当ててきた。
「え、ちょ。何!?」
「……血だらけの割には元気そうね。傷は? どこか痛むとか」
「特に無いかな! 大丈夫かな!?」
女性免疫がさほど無いので、接触なんかされたら驚くのは当たり前だ。むしろ触ってきた、名にこの子、気が有るの? とか勝手に誤解してしまわなかっただけマシだと思う。
ただ、触られた時の手の感触とか、おでこに触れる為に近寄ってきた時に顔が近かった所とかを思い返して凄くドキドキする。ダメだ、このまま心臓発作でも起こして死ぬんじゃないかって位の驚きだった。
異常はないと伝えて少し距離をとる俺に、彼女は嘆息なのか安堵の息なのか分からないため息を漏らした。
「なら、そのベッドから降りてもらえる? 貸してはあげたけど、そこ私の寝床だから」
「あぃえぇっ!? えっと、ごめん! 直ぐにどく!」
しかも女性の寝床を借りて眠っていただなんて、悲鳴にも近い声を上げてベッドから退いた。血とか付いてないよな、弁償してくれとか言われたら値段なんて分からないぞ? そもそも通貨が分からない上に、仕事での稼ぎがどれくらいなのかも分からないから金銭的に追い詰められても死ねる。
だが幸いな事に、彼女は特に何かを言う事無く小さく頷いていた。先ほどの吐息やら頷きやらの意味が分からないけれども。なに、もしかしてイケメンになってるのだろうか? 鏡をまだ見てないから自分の容姿がどうなっているのかなんて分からないし、とりあえずイケメンなら女の子にチヤホヤされんじゃね? 位の安易な考えだったりもする。
「あなた、外で倒れていたのよ。血だらけで、意識が無かったからここまで連れて来たけど。まるでモンスターに襲われた後みたいになってたし、あのままだったら食べられてたかも」
「あ、えっと。その。有難う、ございます」
まさか一旦そこで死んでましたなんて言えないし、既に食べ散らかされた後でしたなんて誰が思うだろうか。今でこそ血だらけで無傷だけれども、実際は手足もげたりしてたかも知れないし頭だってなくなってたと思う。
「運が良かったわね、私が通りがかって。たまたま私が使い魔召喚の為に出かけてなければ会わなかった訳だし」
「――使い魔?」
「ええ、そうよ。もう学園に入って四年目だし、なんか今日がその召喚の日のような気がしたのよね」
どうやら彼女は学園なるものに通っているらしい。四年目とか言っていたけれども、何年あるうちの四年目なのかも幾らか気になった。
「その、悪いん――ですけど。使い魔とか、学園とか分からない事だらけで。もし宜しければ教えて頂きたいのですが……」
「え、使い魔も学園も知らないの? あなた、どこから来たのよ」
「それが、その。自分の名前も分からなくて、先ほどこれからどうしようと顔を覆っていたんです」
「……ふ~ん?」
なんだか信じてもらえていないようで。当たり前か、血だらけって言うだけでも怪しいのに、都合良く自分の名前すら分からないだなんて言って、信じる人はそうそう居ないだろう。自分だって「いや~、記憶が無くて~」なんて言われたら「はったおすぞ」と答えていたかもしれない。
しかし、気は強そうだけれども善意でここまで運んでくれたと言う相手を逃して、何も分からないまま外に放り出されるのだけは逃れたい。彼女の目線を真っ向から受け止め、ごくりと唾を飲み下した。
「ま、良いわ。私はミラノ。ミラノ・ダーク・フォン・デルブルグって言うから、脳の隅っこにでも覚えておきなさい」
「了解」
ミラノと言う名前なのか、覚えておこう。分かったと返事をしたはずなのに、何故かそう答えた俺が異常であるかのように数秒の沈黙が降りたのは何故なのだろうか?
それでも彼女は少しばかり目線を彷徨わせた後でこちらを見る。
「――今居る国とか、場所とかから分からないのかしら」
「全くもって」
「今居るのはヴィスコンティという国の、首都から少し離れた場所よ。オリジンと言う偉大な魔法使いが、後世の魔法使いの学び舎として建てた学園の寮。
沢山の人が六年と言う時間をかけて様々な事を学んで、そして自分の地に帰っていくの。自分の国の為に、自分の家族の為に、自分の領土の為に、自分の領民の為に役立てるようにね」
「……魔法使いって、なんと言うか、その――。今の言い方からすると地位の高い人しか居ない感じ?」
「ほんと、何も知らないのね? 魔法使いって言ったらそれは貴族の事よ。モンスターを統べる魔界の王が人類を滅ぼそうとして、それを見かねた神様が魔法という奇跡を与えてくださったの。
その時の子孫が貴族として、代々受け継がれているの。それ以外でもたま~に魔法が使える貴族階級じゃないのも居るけど、そう言うのはあまり気にしなくて良いわ」
なにその、貴族の隠し子が母親もろとも捨てられたみたいな感じ。貴族の血を受け継いではいるものの、一夜の過ちとして放り出されてそのまま育ったから貴族じゃない魔法使いが居ると言うことなのだろうか。先ほどの口ぶりだと、神から与えられた奇跡を持つものが子をなした時にその子も魔法使いになるみたいな感じだったし、あまり変に踏み込まない方がいいかもしれない。
その内この世界の歴史とかも学んだり聞いたりする機会もあるだろうし、貴族じゃない魔砲使いだとか、神の奇跡だとかはNGワードにしておいた方が良さそうだ。
「それで、魔界の王に立ち向かう人類に神は僕を与えてくれたの。それは人それぞれ、様々な生き物だったと言い伝えられているわ。その中でもかつて歴史に名を馳せる勇者や英雄を呼び出して戦い抜いたと言う話もあるの。それが使い魔ね」
「――……、」
突っ込まないぞ。英霊召喚じゃないかなとか、絶対に突っ込まないからな?
それにしても、様々な生き物を呼び出せて、しかもそれを付き従えると言うのはアーニャのところで想像していた使い魔に近い気がしないでもない。こう、対人関係で障害を抱えたとしても、とりあえず使い魔が居れば寂しくも無ければ心の支えにもなってくれそうだというアイディアで使い魔を求めたのだが。
そういや、俺の使い魔はいつ来るのだろうか……。
「とりあえず、基本的に学園から殆ど出ることも無いからこれくらい伝えておけばいいかしらね。
どう、なにか自分の記憶に引っかかるものはある?」
「いんや、全然。むしろ何も分からないんだなあってことが分かったよ。
それにしても寮にまでよく入れたなあ……」
「あなたとその荷物を浮かせて来たのよ。こう見えても魔法使いとしては優秀なの」
「そうじゃなくて、俺部外者でしょ? なのに、よくここに入れたなあと」
魔法使いが通う学園、それはすなわち貴族だらけの学園と言うことになる。そんな場所に素性の知れない、しかも行き倒れていた血だらけの男を誰も見咎めなかったのだろうか?
先ほどまで俺が眠っていたベッドが彼女のベッドだとして、この部屋だって彼女の部屋なのだろう。女が? 男を部屋に? 連れ込む? なにそのアダルトイベント。負傷してるかもと言うことを考えたら普通に考えて医療系の部屋に運ばれるのが当たり前だと思うんだが。
そんな事を考えていると、彼女はいい笑顔を浮かべて俺を見た。
「それは当然よ。だって、あなたは私の使い魔だもの」
「あぁ、なるほどね。俺が君の使い魔なら入れてとうぜ――なにいっーー!?」
「だって、私が使い魔召喚した近場に居たんだし」
「なんだそりゃ!?」
訳の分からない展開に頭を抱えていると、頭の中に聞きなれた声が聞こえてくる。
『あの、もしもし!?』
「アーニャ、アーニャさん!? なんか俺、使い魔扱いされてるんですけど!?」
『すみません。先ほどこちらから戻られる際に、私が送り返す前に貴方様が居なくなられてまして……』
「あの徒歩ゲートは別もんかよ、ちくしょう!」
「何一人で騒いでるのよ……。とにかく、ちゃんと貴方と契約したって言う証だって在るんだから。
『契約の下に、我にその証を示せ……』」
彼女の言葉に対して、俺にはなんら変化を感じ取れない。なんだろうかと彼女を見つめていると、スカートのポケットからなにやら探り出している。そしてそのコンパクトミラーを「はい、これ」と渡されてそこで初めて自分の顔を見た。
――顔つきは、まあ普通だろうなと思う。けれども、それよりも気になるのは左の頬にほんのりと浮かび上がる変な紋章、それと右目が左目とは全く違う色になっていたうえにまるで眼球の奥底から光が出ているかのように怪しく光っていた。
左目は生まれつきのブラウンで良い、変更がなければだが。しかし、右目だけが赤くなっているのはどう考えたって生まれつきでもなんでもないだろうし、まさかアーニャが好き好んで「片目だけ別の色にしておきました」とかお茶目なことをするわけが無い。
「なにこれ! 中二すぎて表歩けないじゃないか、戻してくれ!」
「はいはい。『在るべきものを、在るべき姿に』」
そしてその言葉と共に右目の色と左の頬に浮かんでいた紋章は薄れて行き、すっかり消えてなくなってくれた。
良かった……、これからあの紋章と右目で外を歩いて誰かと関わって生きて行かなきゃならないのかと考えたらぞっとした。とはいえ、どっちにしろ使い魔だと言う証拠を突きつけられてしまったのだが。
「俺、これからどうしたら良いんですかね。奴隷ですか? それとも人権すらないんでしょうかね……」
「ジンケンって何? とにかく、折角召喚した相手を無碍にしたりしたら名に傷が付くから苛めたりはしないわよ。魔法使いにとって、使い魔を大事にしなくて死なせたり、言う事を聞いてくれない、強制送還して召喚し直すって言うのはとても恥ずかしい事なの。
だから、あなたが変な事をしなければ別に”調教”したりはしないわ」
「それ調教っていうより”指導”とか”教育”って意味だよな……」
階級社会で、階級を持たない俺は平民みたいな扱いだろうと思っていたけれども、平民気分を味わうよりも先に自分が使い魔にされてしまった。しかも俺には使い魔は居ないし、コレ実はアーニャが『使い魔が欲しい』を『使い魔になりたい』に間違えたとかそう言うミスでおきた展開じゃないのかと疑いたくなる。
けれども脳内アーニャはあれから口を噤んでいるし、俺の方から話しかければ答えてくれるとも限らないわけでして。さっき独り言扱いされたから、聞こえてないんだろう。
「それで、何かしら出来ることはある? 運が良いとか」
「気を失ってる間に使い魔にされた俺が運が良さそうに見えるかい?」
「じゃあ、遠くを見通す千里眼とか」
「悪いけど、視力は2.0だ」
「……武に秀でてるとか」
「魔法とか魔法を知らなかった俺が、この世界の基準で強い弱いを判断できるわけが無い」
「――……、」
「……――」
嫌な沈黙が場を支配した。暫くしてニッコリと彼女は微笑んだ、それに釣られて引きつった笑みを浮かべるしかない俺は空気を読まない空腹の音に救われる事になった。
「そういや、何も食べてないんだった……」
「あら、お腹がすいてるの。けど食事いはまだ時間がかかるわよ」
「どゆこと」
「食事は朝、昼、夕の三回。あとは小腹を満たす為のティータイムが一回かしらね。
けど、残念。さっきちょうどティータイムが終わったばかりなの」
「……いい、空腹を我慢するのは慣れてる。丸一日食べなくても、何とかなる」
「それはダメよ。使い魔が不自由してるだなんて知られたら、私どころか家の品格まで疑われるわ。
――仕方ないわね、ちょっと待ってなさい」
そういって彼女は部屋を出て行く。彼女を見送った俺はべっどに近寄る気にはならず、暖炉傍の椅子へと腰掛けた。今思えば、暖炉前のこの椅子たちはお茶とお菓子で談笑する為にあるのだろう。となれば、そんな裕福な事が出来るのは部屋の広さなどから考えてみて貴族様しか居ないと気付くべきだった。
紋章とか、右眼とかの件がある。多分逃げ出しても魔法的に察知されるだろう。諦めて自分の荷物を手繰り寄せた。実弾、医療品、投擲系の副装くらいしかない。寮だとか言っていた上に学園ときたもんだ、部屋からどう逃げようが第三者に見つかる可能性は高いし、しかも居るのは貴族ばかりだ。
「やっべ、詰んだ……」
少なくとも、行動範囲があのミラノと言う子を中心としたものになるのは確定したわけだ。使い魔になったら制約や制限がかけられるのかもしれない、下手したら一定距離はなれると痛い目にあうとかそう言う孫悟空の輪システムだってあるかもしれない。
ただ、デメリットばかりに目が行きがちだが、メリットはある。とりあえず、嫌われたり捨てられなければ衣食住は確保されたと言うこと。コレに関しては使い魔であると言う事実が、彼女の庇護下にあることを示すので――情けないはなしだが――金銭的なものや、立場や身分的な物は保障されているといっても過言じゃない。
あとは彼女が何を俺に求めるかにかかってくるが、それを今考えても悪いことばかりが浮かんできそうなので思考を打ち切った。
しかし、待ってなさいといわれてどれくらい待てばいいのかが分からないと暇になる。左手でドッグタグを弄る。室内に時計のような物は見当たらないが、正確な時間を知る手段が無い為にルーズだったとしたら大分待たされることになるだろう。
ただ幸いな事に、今回はさほど待たずに済んだ。扉の向こうで話し声が聞こえてきたと思うと、直ぐに扉が開かれたからだ。ミラノと、ミラノに良く似た子が一緒だ。ただ、身体つきは違うし、こちらは表情が穏やかだ。
とりあえず会釈だけをしておく。目前に近寄ってきたミラノを無視して声をかければ悪い展開になるかもしれないと、慎重に考えた。
「ほら、お菓子だけどコレでも良いでしょ? 食べなさいよ」
「……あざます!」
差し出されたのは、布に包まれたクッキーだった。感謝しながらそのクッキーを掴んで一口頬張ると、そのクッキーが作られて間もない事を食感から悟った。しっとりしている、時間経過で水分を失ったり市販用の不自然な感じではない、手作りの……!
「え、ちょ。美味しいんですけど!」
「そりゃそうよ。ここの料理人はね、すべての国を渡り歩いて全ての食べ物を網羅してきたと言われる、名高い人がトップに居るの。そんな彼に教わりながら数多くの人が毎日食事を作ってくれるのだから、お菓子ぐらいなんてこと無いわよ」
「良かったね、姉さん」
そして、自分から尋ねるのもどうかと思って会釈のみに留めたミラノの同行者が今しがたミラノのことを『姉さん』と言った。なるほど、髪の色は似ているし姉妹でかなりそっくりだ。
ミラノがサイドロングで後ろ側をショートにしているのに対して、妹さんの方はサイドを三つ編みにして頭の後ろ側に持っていってロングヘアーだけれども大人しめの雰囲気だ。――ただ、姉に比べて妹の方が肉付きはいい。どこが、とは言わないが、言ったら殴られる事間違いないだろう。そこまで空気が読めないわけじゃない。
「初めまして、妹のアリアです。姉の召喚に付き合ってくれて有難う。
これからよろしくお願いします」
「あ、いや。こっちこそ――名乗る名前を考えてなくて申し訳なく。この度は姉に助けてもらって感謝してます、これからよろしくお願いします」
「と言っても。こいつ記憶が無くて、右も左も分からない役立たずみたいだけど」
「ひっでぇ!?」
少なくとも出会って数時間のうちに役立たずと言われるとは思っても見なかった。ネットのような辛辣さをリアルで体験して悲鳴を上げると、妹がくすくすと笑う。
「大丈夫ですよ。本当に嫌っていたら、その事すら言いませんから」
「はぁ……、何が悲しくて使い魔に教育をしなきゃいけないのかしら。
今日の夕方まではとりあえず休んでもらって、授業が終わったら改めてね」
「いや、申し訳ない」
適宜クッキーを食べながら応答しているが、そのクッキーを包んでいた布地に文字らしきものが刺繍してあるのに全くもって読めない。よくよく考えてみたら言葉が通じるようになる事ばかり気にしていて、言葉が通じれば文字も読めるとは誰も言ってなかった。ちょっと優しくない。
「――助けてもらって、重ね重ね申し訳ないが何から何まで教えてくれ。字も読めなくて、困ってる。それどころか貴族とか分からないし、魔法もどういうものなのか想像もつかない」
「ねえ、図書館に行けば文字の勉強に使えそうな本ってあるかしら」
「どうかなあ……、その前に文字を一つ一つ教えていく方が早いんじゃないかな?」
「手間や世話がかかるのは仕方がないとしても、せめて闘いとか何かしらで役に立って欲しいわね」
本当に情けない限りだった。頭の中でアーニャに話しかけても返事はないし、いよいよもって使い魔として生きていくしかない。
そもそも、使い魔って何をしたらいいのかが分かってないけどな!
クッキーを食べていたらのどが幾らか渇いてきた。流石にお茶までは出ないかと思っていたけれども、流石にそれを言い出すのも気が引けた。
「姉さん。お茶の準備をしなくて良いのかな?」
「あ、そうだったわね」
「え、あ、や。そこまでしてくれるの?」
「とりあえず簡易セットは持ってきてあるから、それで作りましょ」
――簡易セット、なにそれ? ティーパックの事だろうかと考えていると、科学の授業で使うような三脚台が出てきた。そしてガラスポットを上に置くと『ウォーター』とアリアが唱える。するとポットに水が満たされた。
……これ、まさか。
「あの、もしかして魔法で水とか火とか出して飲み物を作る気?」
「そうよ。自分でどこでもお茶を作れるって言う点で人気だけど、味とか香りとかは普通に作るのに比べて劣るのよね」
「火力の調整、水の質とかも魔法使いの力量に依ると言われてますから」
……魔法って、攻撃とか補助とか回復とか。そう言うものだと想像していたけれども、どうやら生活にも使おうと思えば使えるようだ。魔法でお湯が沸かされ、別の容器に茶葉を漉す準備をしていた。
しかし、庶民過ぎる俺には魔法で作ったお茶とプロの作る美味しい茶の違いを知るわけが無かった。それもまた、これからは気にしていかないといけない事柄なのかもしれない。
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