一章 元自衛官、異世界に赴任する
第1話
過去が無いって言うのは、どんなものなんだろう。
記憶喪失か、或いは健忘症じゃなければ分からない事かもしれないと思い勝ちかもしれないが、人は厳しい負荷を与えられまくれば重要じゃない情報から徐々に欠落していくのだという。酷い人になると数日前の食事のメニューどころか、先日の事でさえ忘れてしまうのだとか。
けれども、俺はそうでなくとも自分が今しがたどこら辺に居るのかなんて全く分からなかった。
「……どこだ、ここ」
首から提げた個人認番や名前、血液型の刻まれたタグを癖で弄んだ。金で造られた、支給された物じゃない安い代物だ。
今の自分が居るのはだだっ広い平原で、背後を見れば幾らか行けば森があると言うくらいの情報しか分からない。これがもしゲームであったとしたなら、イベントが発生してくれなければどこにでも行けてしまう。どこに行けばストーリーが進むのか分からないプレイヤーの幾らかは攻略サイトや情報を待ち、そして更に一握りの人であればプレイを放棄してしまうだろう。
けれども、ここはゲームではなく現実なのだと……自分の周囲に吐き散らかされた『祝福の品々』を見て理解をした。ここは間違いなく現実であり、自分はやり直す機会を与えられたのだと笑みが浮かんだ。そして、暫く前のことを思い返す……。
俺は三十路へのカウントダウンがゼロに近づく、悲しい無職だった。両親を亡くし、その遺産で引きこもりをしていたら――気がつけば、就職するには手遅れな空白期間と年齢を抱えてしまっていた。それでも、少しずつ食いつぶしていく遺産を眺めながら何かを感じたり思ったりはしなかった。残された一戸建てが自分の城で、外の世界から自分を守ってくれる堅牢な壁だった。
それでも食事は勝手に出てきてくれる訳でもなく、食材が勝手に補充されるわけでもない。だから気分転換含めて買い物に行き、買い足した材料で独自に料理を想像と経験だけで試行錯誤して作って生きていた。
しかし、そんな俺にも終に天罰でも下ったか……、或いは家の中での無茶が祟ったのかも知れない。胸を締め付ける激しい痛みに呼吸困難に陥り、そのまま地上で窒息死すると言う結末を迎え入れたのであった。
きっとこれから自分は地獄に行くのだろう、あの世と言うものがあるのかは分からないけれども両親に会うという事は無理に違いないと自分の生き様を振り返った。少なくとも死んだ親に顔向けできる生き方はしてこなかったし、三十路間近で無職を何年も経験していると言うことが社会的敗者の証だろう。そして弟と妹の事を思い返したが、自分と違って順風満帆な人生を歩んでいた事を最近聞いているので心配は要らないかと苦笑した。
弟と妹に比べて、自分の人生はどうか。かつて筋肉質だった体は、脂肪で肥大してしまった。友人との連絡も億劫になり、知り合いはネットを経由した人しか居なくなった。特技と呼べる者はなんら役に立たないものだと自嘲出来るものばかりで、他人に胸を張って言えるようなものは無い。
出来れば、幸せな人生を歩みたかった。せめて人並みに仕事をして、人並みに気の置けない仲の友人をつくり――そして女性と仲良くなり、進んだ関係になってみたかったなとか考えていると――
「いらっしゃいませ、迷える御霊様。人生、お疲れ様でした」
その時になって、自分が無の存在ではなく、まだ実体を有する存在だったのだと気付かされた。椅子に座り、言葉と同時に上から光を当てられる。そして椅子に座っている自分の目の前には一人の女性が居た。服装から、シスターのように見える。
ブロンドヘアーを長く伸ばしていて、露出の少ない服装と相まって”らしく”見える。それでも背丈は自分よりも幾らか低いくらいだろうか、彼女の頭が自分の肩くらいに来るのだろう。ただ、若くて可愛い子といえば大体男が付き物で苦手意識が働いてしまうのは非モテ男だからだろう。
もし自分が学生だったとして、彼女のような人物が身近にいたら気になって仕方が無かっただろうと思えるほどには――可愛い。
「俺、いや――自分は死んだのか」
「はい。お酒の飲みすぎから来る、心臓の発作で倒れて。その最期を看取られる事なく」
そう言った彼女の言葉は、不思議すんなり受け入れられた。そうなる要因に心当たりがあり過ぎる、そして季節は1月だ、室内の温度と外の気温とで差がありすぎて体が耐えられなかったのだろう。夕暮れ過ぎの買い物帰りに、発作を起こして誰にも気付かれることなくヒッソリと死んだのだ。
あまりにも寂し過ぎる最期だと考えていると、目の前の彼女は思いついたように手を叩いた。
「あ、申し遅れました。私、本日貴方様の転生・転移を担当させていただきます”アーニャ”と申します。
これから貴方様には、これからについてを説明受けをしていただいた後にどうするかを選んでいただきたいと思います」
「転生転移……これから?」
おかしな話だ。死んだら最期だというのに、転生・転移担当という不思議ワードを聞いてしまうと、何故か”これから”があるかのように聞こえて仕方が無い。不思議そうな声を上げた自分に、彼女は手を合わせたままに女神のような笑みを浮かべていた。
「はい。未練の強い魂の皆様には、記憶や知識などを保有したままに第二の人生を歩む権利が与えられます。もちろん、強制ではありませんので、記憶等を一切放棄して貴方様の人生をスッパリ終えていただいても構いません。そして転生をするのか、それとも異世界に行って新しい可能性にトライして頂くと言うことも可能です」
「へえ、未練が強いとある程度好きに出来るんだな」
「実は魂の浄化システムと人口とがあまりにも釣り合わなくて、記憶を引き継いだ新生児や悪人が生まれてきてしまうと言う不具合が生じておりまして……。
それで、一時的にではありますが魂に不浄を多く抱える人の中から悪しき人を除いて、二度目の人生を歩んでいただくと言う事で猶予と余裕を作っている状態なんです」
どうやら、あの世と言うのも忙しいものらしい。死んだ人の魂を綺麗にして再利用するにしても、それに対処が追いついてないとか――お役所のようなものなのだろうかと考えてしまう。そもそも彼女を含めたあの世の人は給料や休暇と言う物は在るのだろうかとか考えてしまった。
「それで、貴方様には生前行われた”善行のみ”から、特別に特典を数点ご利用できます」
「それは記憶を放棄する、しないに関わらず利用可能なのか?」
「はい。貴方様がここで全てを放棄しましても、その魂を元に新たに生まれてくる子供に特典が利用されるようになります。当然、記憶などを引き継いだままに転生されても可能です」
「じゃあ、俺は転生をしたい」
「はい、承りました。それでは、転生先はどこにしますか? これから開示するリストの中からお選びください」
彼女がそう言うと、何も無い空間にまるでたくさんのディスプレイが存在するかのように沢山の項目が現れた。その中、アーニャと自分を挟んだ場所に一つの項目が浮かんでいるのに気がつく。
「この項目は何でここにあるんだ?」
「あ、それは私が転生先を担当している場所で、まだ誰もそちらに行ってない場所なんです」
「ヴィスコンティ……そんな国、あったか?」
「説明がまだでしたね。転生や転移先には、貴方様の生きていた世界だけではなく、全く違う世界に行く事も出来るのです。たとえば魔王が存在する剣と魔法の世界、たとえば科学と荒廃の世界、たとえば戦争と傭兵の世界、たとえば騎士と忠義の世界。
自分に合いそうな世界を選んでいただくことが可能なんです」
じゃあ、彼女が今回自分を担当してくれているわけだし、その世界に行けば何かと都合が良さそうだ。そう考えて彼女のそばに浮いていたその転生先へと手を伸ばす。
宙に浮いている癖に触れられる、それを手繰り寄せてタッチパネルのように操作して大体の世界観は読み取れた。
剣と魔法の世界、魔王が倒れて間もない時期。国同士の争いは今のところ見られないが、魔王の残党とされるモンスターなどによる危険性はあり。ギルド性あり、モンスターを倒したり依頼をこなす事で生計を立てる事も出来る。身分制度あり、奴隷に平民。貴族に王族や騎士など。経済は安定している、平民や奴隷階級の者もとりあえず仕事をして食事にはありつける。担当者”アーニャ”が姿を変えて転生者が行き着いてちゃんと生きていけるように見えないところでサポートしてくれている。etc, etc.
なるほどと閉じるボタンを押して詳細情報を消して転生先の名称と担当者の名前のみにして、それをアーニャへと差し出した。彼女はそれを受け取るが、少しばかり不安そうな顔を見せた。
「では、この世界で宜しいでしょうか?」
「あぁ、よろしく頼むよ」
「分かりました。実は女神になり立てで、仕事もコレが初めてなんですけど――が、頑張りますね」
「って、おい! 不安になる事言うな!」
「だ、大丈夫です。私のサポートが不甲斐無くとも、特典自体はちゃんと利用できますから!
はい、何でも出来ますから!」
「何でも? たとえば――剣と魔法の世界だから弾無制限の魔銃とか?」
「はい、可能です!」
「使い魔が欲しいっていったら」
「出来ます!」
「赤ん坊からじゃなくて、17~20歳くらいの若さにしてくれとかは」
「もちろん! その場合誰かの家庭に生まれるわけじゃないので、幾らか資金等を提供させていただきます」
「他人に好かれやすい性質には?」
「えっと、それは貴方様の性格や性質、話し方や思考とかに左右はされますが――親しまれやすくしたり、好かれやすくしたりすることは可能です!」
「なるほど、特典を選ぶ為に時間を少し貰ってもいいだろうか?」
「はい! えっと、貴方様は七つの特典を利用できますから。今全部選んでいただいても、幾つかは残しておいて困った時に利用する事もできますよ」
ちょっと待ってくれ、七つ? 善行のみで特典を複数利用できると言っていたが。自分の生前の行いを思い返しても、良い事をした記憶が全く思い出せない。むしろ親泣かせな生活しかしてきて無いんだが……。
「基本的に普通の方でも三点は特典を利用出来ますから、その倍くらいは利用できる訳ですね」
「その理由は、ちなみに聞いても?」
「その、すみません。貴方様の個人情報を読む暇なくこちらに来てしまったので、何をしたから特典が増えているのかとかはちょっとわからないです……。けれども、多い人だと二桁とかも行くので、あまり気にしなくても良いと思います」
そう言ってから「お役に立てず、すみません」と頭を下げたアーニャに「いや、大丈夫」と言って特典に思考を切り替えた。七つある得点、全部使用しなくても後で使えると言うことは今ここである程度大まかに決めて、困った事態になってから「特殊能力開眼っ!」という展開にも出来ると言うわけだ。
ならそう難しく考える必要はないかもしれない。とりあえず若い身体にして、武器は欲しい、それと独り身だろうからサポート役に使い魔が居てくれれば心強いし、好かれやすいとかは……ちょっと欲しいけどそれは最後の手段にしよう。ギルドがあるといっていたからとりあえず生計は立てられそうだが当初の生活費はどうにかしなければ困ったことになる。フム……
「そういえば、言語とかは大丈夫なのか?」
「はい! 言語は互いに問題なしです。なので意思疎通が出来ないとか、言葉が分からなくて話が出来ないとかいった問題はありません」
「なら、幾つかまとまって決まった。一つ、17歳くらいの若さにして欲しい」
「はい、かしこまりました。テストで実際にその若さの体になってみますか?」
「そこまで親切なのか」
「転生して直ぐに絶望して『こんなはずじゃなかった』と命を投げ捨てられても困りますから。
では、失礼して――」
アーニャは両手をこちらに翳し、小声で何かを呟いている。ほのかな光が足元から上がりだして、蛍幻想のように彼女の周りを漂っている。そして両手の先に魔法陣が自然と描き出され、細かく緻密に完成していっているのだろう。十秒程度の詠唱を終えた彼女が「えいっ!」と言って目を見開くと同時に光の奔流が俺を襲った。あまりの眩しさに目を見開くこともできずに居ると、暫くして光が過ぎ去ったのを目蓋の裏から感じ取った。
恐る恐る、視界を潰されては敵わないと目を開けていくと最初に違和感に気付いた。鏡が無いのでどうなっているのか分からないけれども、腹回りの脂肪が綺麗さっぱり無くなっているのに気がついた。ゆっくりと椅子から立ち上がると、膝が痛まないという事にも気がつく。若返らせたのか、それとも単純に『17歳ってこんな感じ!』という型に嵌めて健康体なのかは分からないが――それでも、すこぶる調子が良いのは理解できた。
「どう、ですかね? 魔法が使える体にしておきましたので、習得をしたなら扱えるようになりますが」
「はは……、調子が良いや。身体は軽いし、どこも痛まないし、頭も――なんか、思考がすっきりした気分だ」
「見た目は要望どおりに、身体の方は今まで生きてきた中で一番良い状態を引用してますから。スポーツを良くしていた学生みたいですね」
「――まあ、似たようなもんかな」
生きてきた中でベストの肉体状態を引用といわれて、少しだけ苦い記憶が脳裏を掠める。しかし、それは昔の事だとかなぐり捨てた。
「身体はこれでいいや。それと、可変式銃器のセットが欲しい」
「では、想像してください。貴方様の記憶通りのものを今から具現化します。あいまいな箇所は全て神の威光によってどうにかなります」
「お、おぅ――了解」
目蓋を閉ざし、目蓋の裏には視覚的情報を、脳の中にはそれがどういうものかを描いていく。拳銃の形をした自分だけの武器、それが持ち主の……俺の意志で変形して他の銃へと形を変える。それは拳銃で、それはアサルトライフルで、それはスナイパーライフルで、それはショットガンで、それはマシンガンで、それはサブマシンガンで……。実弾をこめられるマガジン、マガジンに魔力をこめればそれが手榴弾や煙幕、閃光手榴弾の役割を果たしてくれる。それと実弾、救急セット……見慣れたものを思い浮かべる。
そこまで想像して、自分が使用しているところを想像していると自分の目前で淡く光が出現した。けれども目蓋を開ければそこで想像が終わってしまいそうで、怖くて。目蓋を閉ざして想像を強固にしようとした。
「――こういうもので、良いのでしょうか?」
その一言を投げかけられるまで、ずっと俺は目を閉ざしていたのだろう。両の目を開いた先に想像したに近いものが浮かんでいるのを見つける。それをそっと手にし、自分好みの重量感を感じさせてくれた。片手で適当な方角に向け、それを直ぐに別方向へと向けて両手で構える。構えを解除してアサルトライフルになってくれと念じるとその通りの形へと変形して完成する。二脚付きのアサルトライフルに笑みを浮かべ、斜に構えてみたり正面に構えてみたりとしてみた。そしてそれぞれの形にしてみてからとりあえず満足すると拳銃に戻して、いつの間にか装備しているレッグホルスターにソイツを納める。
とりあえず魔法はどういうものかわからないにしても、相手も自分と同じように生き物であり実体があれば遠くからでも倒せるだろうという安易な考えである。銃が可変式であるメリットは、用途に応じて使い分けたくてもガチャガチャと沢山の銃器を持ち歩くわけには行かないし、それでマガジンやら弾やらを持ち歩く事を考えたら重量で死ねる。間違った選択ではないはずだ……
「狙いもよし、重さもそれっぽい。良いね」
「そうですか、役に立てたのなら幸いです」
「んじゃ、後は……。使い魔が欲しいのと、人一番身体能力を高くして欲しい、あとは――」
様々な注文をつけて、結果として四つの特典を利用して残り三つは取って置く事にした。最初から転移先の事情も分からずに使い切って困るのだけは嫌だったし、保険と言うものはとっておきたいからだ。だから特典を全て受け取るとアーニャが「これで宜しいでしょうか?」と言ったのに、とりあえず満足げに頷いた。
それでは、ようやく転生ならぬ異世界への旅立ちの時が来た。使い魔は向こうに行ってから手に入るとの事。となると、今の自分が手にできているのは若さと肉体的強さ、武器のセットくらいだ。可変武器とそれらに付属する道具達。
「それでは、場所は出来る限り首都の近場にします」
「首都の内部には移転できないのか」
「いきなり人が現れたら、最悪危険人物認定されて捕まってしまいますよ? 大丈夫です、失敗なんてしませんから」
「ちょっと待ってくれ、不安になることを言わないで欲しいんだけが!?」
「では行きますよ! これからの路に神の祝福が在らん事を……」
そもそもどの宗教の神様なのか、そいつは俺のことをちゃんと見てるんだろうなとか。様々な見当違いな事を考えているうちに足元の床が消えうせて落下している事に気がついた。
「これはっ、失敗だろぉぉおおっ!!!!?」
どうせなら扉とかゲートに歩きながら潜り抜けていくタイプにして欲しかったが、その注文をつけるよりも先に自分の身体は速度を増して落ちていく。周囲には特典で貰ったモノが同じように落下している。そして落下速度が意識の限界を超えた時に気を喪った。
そして――気がつけば平原に居た。周囲に散らかった自分の貰い物を、そういえばどうやって持ち運ぼうかと考えた時には幾らか遅すぎな気もした。箱詰めのアイテムたちとはいえ、その重量はしっかりとある。持ち運びしようとしたら走ったり回避行動も出来ない上に片手が塞がる、道具を沢山しまい込める魔法の道具袋みたいなものを貰えば良かったと考えないでもないが、町が遠めに見えているのに気付いて往復して持ち出せばいいかと、問題を先送りにした。
貰ったセットの中にベルトがあったので、それを取り出して更に携帯型シャベルもつける。水筒もつけて若干ミリタリーチックになったのを見て微笑んだ。更に弾嚢を三つずつとマガジンをつける、コレで簡易的な戦闘くらいは出来るようになった。
じゃあ持ち運べない分はどうしようかと考え、シャベルで木の根元に半ばまとめて埋めこみ、目印を木につけておけば良いだろうと一息ついた。穴を一つ掘って物を入れてまた埋める、この作業だけで30分はかかった、それでも穴を掘るのは散々やったから経験が生きてくれてよかったと思う。
シャベルを近くに落ちていた枝や引きちぎった一握りの草などで綺麗にして腰ベルトの覆いに納めると、今回持っていく箱の取っ手を掴んだ。十数キロはある重みに辟易としそうだったが、それでも少しばかり優遇されたこの体のおかげか負担は少なかった。あとは何事も起こらずに済めば良いなと考えながら、直ぐに拳銃だけは抜けるようにと意識だけはしておく。
――しかし、箱を持ちながら平原を歩いているだけだというのに気分は晴れやかだ。日本のコンクリートジャングル、蜘蛛の巣のように張り巡らされた電線もなければ空を隠してしまう雑多なビルも無い。忙しげに行き交う人たちも居ないし、騒音のように聞こえる電車や車の音だってしない。
良いなと思って目蓋を閉ざしてみれば、そこにあるのは家の中の光景だった。見慣れすぎた、全てから遮断された空間。車の音や電車の音も関係ない、そもそも行き交う人を見ることもなければ――空を見る事だって無い。
そこまで考えて、吐き気がしてきた。実は勝手に盛り上がっているだけで、この目蓋を開けばパソコンモニターを目の前に居眠りをしていた現実に帰ってしまうのではないかと。そう考えてしまうと、今手にしている得点といった全てが喪われてしまう事実が恐ろしくなる。失うことが、怖くなる……。
だが、そんなことはなかった。左手に持っている荷物の重さや腰周りにつけた装備の重量、右手で腿を触れば拳銃の納められたホルスターの感触はあるし、生暖かい風だって――
「は、生暖かい風?」
違和感に気付いて目を開くと目の前に居るのは……なんだ、ライオンか? 良く分からないけれども、間近でこちらを見ているのに気がついた。立ち止まり、首だけでその生物の側面を見ようと動かせば相手もこちらの目を見るかのように首を動かした。右、左、上から、下から。どう見てもライオンに見える。
もしかすると、コレが俺の使い魔なのだろうか? 喜びが胸を占めるが、直ぐに町中とか人気のあるところを連れて歩けないじゃんと頭を抱えた。
「――そうか、もしかすると人に化ける事が出来る使い魔なんじゃないか?」
その場でしゃがみこんで頭を抱えていた俺は、その可能性に行き着いて顔を上げた。そして――その視界が全て真っ暗になった上に意識が途絶えるのも感じた。
――☆――
「あの、流石に一時間以内で死なれるって言うのは予想外でした……」
「いや、良いんですけどね? むしろ浮かれてて緊張感なかったです」
どうやら最速で死んだと言う事で無かった事にしてくれるらしい。俺はあのモンスターに頭から齧られて死んだとの事、死に様を見たいですかとアーニャに尋ねられたが、流石に幾らか食われているであろう人の体を見る勇気は流石に無かった。
「使い魔かな~とか、考えちゃったんですよ。ほら、向こうに着いたら与えられるって話でしたし」
「一応今のところ探してはいるのですが、まだかかりそうですねえ。使い魔が与えられる時になったらファンファーレと貴方様にだけ聞こえる音声でも流しましょうか?」
「いや、音声だけにしてくれ。寝てるときとか、空気を読まずにファンファーレが鳴り響かれたら嫌だし……」
「えぇ~……、折角天使のラッパ隊に作ってもらったので一度は聞いてみてくださいよ。はい、流しますよ~」
否応無しにファンファーレがどういうものかを聴かされることになった。仕方が無いなと思って流れてくるであろう音を待っていたが――聞こえてきたのは衝撃や物質に近い音で、一秒と持たずに意識が吹っ飛んでいく。あの世でも死ぬことになるとは流石に予想しておらず、魂の修復が行われた俺はちょっと悲しくなった。
「あの、えっと。俺、そんなに悪いことしましたかね!? 発作で死んだのは、まあいいです。頭から食べられたのも自分のミスとして受け入れられます。けど……なんで、ファンファーレで死ななきゃいけないんですかね!?」
「そ、そのっ! すみません!? 音量調整をすっかり忘れて……」
「と言うか音量調整ってまず最初にやりません!?」
「いえ、その。神々の大半がお年を召されてまして。耳が遠いし、存在がでかいしでこれくらいの音量じゃないと聞こえないって言うんです」
なんて神だ! と言うか、存在がでかくて耳が遠いって事はどんなに神頼みや祈りを捧げてる人が居ても、全く聞こえてないから救われる人が居ないって事じゃないか! そりゃ中世に比べて信仰も薄れていくし、神は死んだと科学が台頭するわけだ。
なんだか死ぬと言うことに慣れてしまいそうな自分が怖くて情けない気持ちになっていると、アーニャが本当に困った顔でワタワタしている。
「こ、今度こそ良い人生を送れますように祈ってます! 肉体の修復は済みましたし、このゲートを通っていただければ目覚めと同じように戻れますから!」
「なんか、出鼻を挫かれた気持ちだよ……」
また直ぐに死んだら特典の一つを消費して運が良くなるようにしようと誓い、アーニャのそばに出たゲートをくぐって今度こそはと意識を引き締めることにした。
肉体に戻り目を覚ましたら直ぐに周囲を警戒する、そして町に到達したら警備の兵士やギルドとかで情報を仕入れよう。何をしたらいいか、分からないなりに考え込んでいた俺だが――目を覚ました俺が目にしたのは青空ではなく、どこかの屋根のようであった。嫌な予感がした、自分の家でベッドに横になってるんじゃないかと言う想像が脳をよぎる。
持ち上げて落とす、期待を裏切られる――そう言うのが大嫌いだ。けれども頭を動かせば視界に写る光景は全く見知らぬ場所で、そもそも室内の空気の匂いがそもそも違うことに気がつかされた。場所が違う……どこだか分からない場所から、分からないけれども室内へと移動した。こう、見知らない上に世界観を体験していないから、展開が速すぎると不安が幾らか胸中をよぎる。
今まで変化の乏しい生活をしてきた、だから急な変化に戸惑いを覚えてしまうのは仕方が無い。しかも建物の内部と言うことは、誰かによって連れてこられたと言うことでもある。その人物の意図がなんであれ、善意であれば嬉しい限りだし展望が開けるが、悪意を持って連れて来たのであればまず状況を打破しなければ未来も閉ざされてしまう。
長い引きこもり生活で、生きていくうちに培われるはずの”危機意識”と言うのが大分鈍っているに違いない。もし悪人が出てきて、不都合な事を言われるのであれば逃げた方がいいだろう。
しかし、豪華そうなベッドから起き上がって室内をぐるりと見回してみると……何と言うか、いい暮らしをしている人の家みたいだという印象を受けた。室内に暖炉がある、そして暖炉の前には丸机と椅子が置かれている。大きな窓は手入れが大変だろうなと思いはするが、それが一般であるかのように幾つか部屋にあつらえてある。
ベッドは――なんと言うのだろうか。三人くらい眠れそうだし、キングサイズと言う奴なのだろうか? しかもカーテンまでついているし、どれだけ寝床に金をかけているのだろうかと思わないでもない。
そして起き上がってから気付く、持ち運んできていた箱がある。留め具を外して中身を確認すると、特に持ち出された物は無さそうだし、医療品キットの中身も抜き取られても居なさそうだ。外されたベルトと装具もとられた形跡はなし、武器もちゃんとある。異世界から持ち込んだ品々だから使い道が分からなくて放置したのか、或いは本当に善意で助けてくれたのかだ。――考えたくない選択肢として、これからこれらの使い道を吐かせるつもりで置いているのかだ。
とにかく、相手の出方を見るとして室内を調べて回ることにした。建物は二階建てで、カーテンを縛って脱出しても良いし、空挺部隊のように飛び出して着地の衝撃を逃しても構わない。幸いと言っていいのは荷物が少ないことと、例え窓から放り出しても壊れる恐れの少ないものばかりだということだ。
とりあえず窓から脱出できると言うことは分かった、では暖炉からはどうかと考えたが屋根の上に出たところで今度は飛び降りて無事で居られる確証は無いし、その為に追い詰められて試したところで足腰駄目にしてしまったら元も子もないのでアイディアから外す。
じゃあ廊下に飛び出すか? それはきっとリスクはでかい最後の手段だと思われる。どれくらいの人がこの中に居て、その人たちの戦闘員の割合が分からない。剣と魔法の世界で階級制度があると言うことも引っかかる。魔法がどのようなものかは分からない以上、自分に向けて攻撃的に振舞われるのだけは避けたいところだ。それに階級的に睨まれてお尋ね者になってしまえばこれから先やり難くなることは間違いないだろう。
……やはり、待つしかないのだろうか。そう考えながら荷物だけは直ぐに窓から放り出せるようにまとめて近くにおいておく事にした。願うならこれから来る人物が善い人でありますように……。
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