第5話

……私 倒れてない?

ゆっくりと電車が速度を落とし、

車両の扉が開いた

声の主は私を抱えるように

支えながら電車を降りた

ふらつく足でなんとか歩き、

ホームのベンチに腰掛けると

「大丈夫ですか?」

と声がした

「……大丈夫です」

私は答えた

実際は頭は痛いし身体は重いし熱のせいか手が震えて凄く寒い

全然大丈夫じゃないのだが

こういう時なぜ大丈夫だなんて言ってしまうのだろうか

「大丈夫じゃなさそうですよ」

そうでしょうね

当然か と思ったら可笑しかった

「もし薬とかお持ちなら、飲んだ方がいいんじゃないですか?」

何かの発作だと思われたのかな

「水買って来ますから、そのまま待ってて下さいね」

なんだこの人

たまたま居合わせた他人の私に

どうしてここまでしてくれるのか

顔を上げるとその人は自販機で水を買い、

こちらに戻って来るところだった

「どうぞ 飲めますか?」

私の正面にしゃがんで、水の入ったペットボトルを差し出し

心配そうに私の顔を覗き込んでいる

その時初めて声の主の顔を見た

もしかしたら知り合いなのかもしれないと思い、

私もその人の顔を見ながら記憶を探った

何にも出てこない

やっぱり知らない人?

「フタ、開けますね」

ペットボトルを私に握らせ、彼はフタを開けた

恐る恐るひとくち飲むと、

歪んでいた視界がだんだん元に戻ってきた

「水分は、しっかり取っといた方がいいですよ」

彼はまだ私の前にしゃがんでいる

「……ありがとうございます」

お礼を言うと、私の言葉を聞いて 目の前の人はふわっと笑った

「今日はちょっと顔色悪いかなーって思ってたんですよ」

「あの……、どこかでお会いしましたっけ?」

私が聞くと、彼は少し躊躇ったように笑って

「僕も毎日あの車両乗ってるんです」

「あ……そうだったんですか…全然気付かなかった ごめんなさい」

「いえ、大丈夫です

あの時間ですからね、だいたい毎日同じ人が乗ってるんですよ

で、みんな同じ場所に座るでしょ?

だから、なんとなく覚えてただけです」

驚いた

私はそんなこと微塵も気にした事なかった

私が毎日同じ場所に乗るんだから、

考えて見れば当然有りうる事か

私は毎日同じ人たちとあの車両に乗っていたのか

耳にはイヤフォン 目は窓の外だった

電車はただの移動ツールで

車内に興味なんか持った事なかった

「あの、貴方だけ特別意識して見てたとか、

そんな変な感じじゃないんで、ほんとに」

私が驚いて黙っていたせいか、彼はバツが悪そうに謝った

「違う、違います

私、車内なんか気にした事なかったんで、あの……」

変な勘違いをしていると思われたくない

私を助けてくれた人ではないか

「窓の外しか見てなかったんです

ただそれだけで、別に変な感じとか思ってませんから」

自分でも変な日本語だと思う言い方で、

よくわからない言い訳を並べた

すると彼は少し驚いた顔をして

「そうですか」

と言って、またふわっと笑った

彼の笑顔を見て、私はほっとした


「あの、時間、大丈夫ですか?」

時計の針はもうすぐ9時を指そうとしていた

私が聞くと彼は

「あー、はい、大丈夫です、多分」

ハハッと笑って

「次の電車で行きます……もう大丈夫ですよね?」

と言った

「大丈夫です だいぶ落ち着きました」

私は少しだけ笑顔を作りそう答えた

彼は安心したように頷き

「無理しちゃダメですよ」

と言い、電車に乗った



奇妙な感覚だった

言い訳?

取り繕い?

相手の反応を見てほっとするなど

私が常日頃から嫌悪している「建前」ではないのか?

だが、彼に言った事の内容は嘘ではない

ザワザワとするものを胸に抱えたまま、会社に欠勤の連絡をした

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