レイン対トーリス

「私の考えが愚か……?どうして?」


 最期の勇者にして最後の人間であるトーリス・キルメンの放った痛烈な批判に対し、レイン・シュドーはきょとんとした顔で反応を示した。この世界に愚かで醜い人間など要らない、レインという存在だけが世界にいればそれで良い――その考えに対し、彼は少しも理解を示さず、まるで条件反射の如くいきなり全否定の意思を示したのである。

 だが、それは『普通の人間』にとっては当たり前の考えである、とトーリスは更に追い打ちをかけるかの如くレインに告げた。


「君が今まで続けてきたのは、この世界に息づく命を殺める事だ。平和とは真逆の行為に過ぎない」

「そうかな?私は誰も消し去っていないわ。むしろ増やした、と言っても良いかな?」

「やっぱりそうか……所詮君は、そうなんだね……」


 そんな彼の言葉に対してもどこか飄々とした態度を崩さないレインの言葉に、トーリスはようやくある確信を抱くことができた。かれが暮らせる場所を日々奪い、この世界を次々に切り取り続けたあの漆黒の半球の中にいるのは、この場にいる彼女とは別のレイン・シュドー、それも自分たち人間では到底数えきれないほどのものである、と。そして、それらは全て――。



「……人間たちは、皆『レイン』になった。合ってるかな?」

「ご名答よ、トーリス。素晴らしい光景じゃない?」

「ああ、素晴らしすぎて目が今にも破裂しそうだよ……」


 そして、改めてトーリスはレインに『言葉』という名の剣を突き付けた。彼女が行っている事は平和でも何でもなく、ただの虐殺に過ぎない、と。個性溢れる人間たちが次々と滅び、全く均一の存在に代わるというのは、普通の人間の心で考えると明らかに変であり、敵意を抱かざるを得ないし、何より同じものが並んでいるのは気持ち悪い――冷静な口調を何とか維持しつつも、彼は心の中に溜めていた思いを次々に吐き続けた。


「はっきりいって、君の考えは異常だよ。なんて、勇者どころか人間の風下にも置けない、気味の悪い思考だ」

「そうかしら?」

「そうに決まっているよ。僕たち人間の、一般常識じゃないか」


 同じものばかり取り揃えるという事は、この世界を構成するうえで欠かせない『個性』と言う要素を全否定する事に等しい、と彼は続けた。あらゆるものが全て統一された存在で覆われた世界は、何もかもが全く同じように進み、全員とも同じ考えしか持たないと言う、普通の人間の視点で考えれば恐怖そのものでしかない、と。過去にそのような人間の常識を超えた異常事態に勇者として挑み続けた言うレインの過去に向けて攻撃するかの如く、トーリスは得意と自負していた口八丁を駆使し、を加えたのである。


 だが、彼は全く気付いていなかった。そのような言葉を並べて攻め続けるという事は、自分の墓穴を掘り続ける事に等しいという事実を。同じものが並ぶと言う状況に対しての不気味さ、異常さを訴え続けているトーリス自身が、そのへの愛着を長い間示し続けた事を、レインは既に把握していたのである。


「……そう、トーリス。そこまで言うのね……」

「まあね。君はずっと、僕に苦しめられてきた。そう言いたいんだろ?」

「何でもわかるのね」

「その通りさ。そして僕も君に苦しめられ、日々攻撃を受けてきた。だからさ、これくらい言っても……」



 良いに決まっている、それがこの世界のルールだ、と自分自身を正当化しようとしたトーリスの言葉は、直後にこの戦いに現れたもう1人の存在――レイン・シュドーと全く同じ姿かたちを模していながらも、その瞳に光を見いだせない女性、『ダミーレイン』の出現によって中断させられた。そして彼女がレインに寄り添った瞬間、トーリスの肌はあっという間に悪寒に包まれた。当然だろう、彼がダミーレインを愛し続けた要因は、単に本物のレインよりも強いと言う戦力的な理由だけではなかったからだ。



『トーリス様……トーリス様は、私を愛していなかったのですか?』

「そうらしいわね、ダミー……」


 だからこそ、ダミーレインを傍らに寄せ、まるで甘えあうような姿勢を見せる2人の純白のビキニ衣装の美女に、トーリスは途轍もない嫌悪感を覚えたのである。

 

「……レイン……何を吹き込んだ?」

「何を、って決まってるでしょ?貴方たちが消し去っていた『心』よ」

『ええ、私はレインのお陰で『心』を知りました』


 悪を憎む正義の心も、美しいものを慈しむ優しさも、そして弱き者を助けるという人間たちが呼ぶも知った――そう告げるダミーであったが、はっきりとした抑揚を示すその声を聞いたトーリスは、先程までの威勢が萎み始めてしまった。確かに、彼は過去にこのダミーレインを思う存分愛で続け、当時住んでいた会議場の一室を無数の彼女=寸分違わぬ同一の存在で覆い尽くし、更に世界中の町や村へ向けて彼女を無尽蔵に送り込んだ経歴があった。だが、それは全く同じ存在が無数に並ぶという事に対して美しさや安心感を見出したからではなかった。自分自身を長年苦しめ、『勇者』の地位すら危うくさせたレイン・シュドーと同じ存在が、自分に抵抗せずどんな事でも従うと言う最高の快楽が楽しめる、と言う喜びや復讐心が最大の理由だったのである。


 だが、それは脆くも崩れ去ろうとしていた。今のトーリスは、間違いなくダミーレインを愛せなかった。人形に心など要らないからだ。



「……余計なことをしてくれたね、レイン・シュドー。ダミー、恨むならレインを恨んで欲しい。今の君を、僕は受け入れられない」

「……だそうよ、ダミー」

『そうですか……ならば、私はダミーで居続けることをやめます』


「……?」


 そして、訣別の言葉を告げた直後、ダミーレインの瞳に光が灯り、その体の張りやつやも今までより一回り美しい物へと変わった。

 それは、トーリスに対して真実を突き付ける行為でもあった。全てのダミーレインは、最早トーリス・キルメンにも誰にも従わず、レイン・シュドーと言う全く同じ心、統一された体、そして同一のサイズの胸を揺らすビキニ衣装の美女の中に溶け込む存在に成り果てたのである。

 目の前にレイン・シュドーが2人も並び、ただトーリスを眺め続ける状況になる中、彼の論調が少しづつ変わり始めた。



「……そうかそうか……レイン、君は何でも僕から奪い取ろうとするんだね……」

「「当然よ、貴方は私からなんでも奪い取った。これくらいして、当然でしょ?」」


 全く同じ響きのどこか明るそう声に相反するかのように、トーリスは次第に諦め交じりの言葉を漏らし始めた。結局そうだ、レイン・シュドーと言う存在は自分たち『か弱き者』からあらゆる事柄を奪い取り、無限に成長を重ねる存在だ、と。それは彼が何度も味わってきた屈辱を示すかのような言葉だった。魔物に連戦連敗を繰り返す中で人々がレイン・シュドーをまるで神様のように崇め始めた時、本物のレインを待ち望む声を耳にした時、そしてトーリスたちの力では魔物は倒せない、と突き付けられた時――それらの感情がふつふつと蘇り、言葉となって放たれていったのである。


 だが、それはレインにとってはむしろ彼女の真意をついたそのものであった。トーリス自身が罵詈雑言だと考えて口に出した様々な思いに対し、彼女はよりうれしそうな笑みを見せながら、感謝の言葉を述べたのだ。か弱く哀れで愚かな者たちからあらゆるものを奪い取るのは当然のこと、そうでもしないとこの醜い世界で生き続けることはできない、彼らを自分と同じレイン・シュドーに変える事こそが、世界の唯一にして最大の幸福である――彼女の考えは、一切揺らぐことはなかったのである。



「それに、私はこれからもずっと強くなり続けるんだから」

「だって、まだまだんだもん。私が強くなるっていう未来を」

「「ねー♪」」



「……なんだよ、レイン……本当に、なんだよ……」


 何だよと言われても困る、とレインはトーリスがこね始めた駄々に返答した。その勢いを保ちつつ、2人の彼女は先程彼が勢いのあまり口に出した思い――『同じ』ものだけが存在するのは気持ち悪い、と言う言葉に対しての反論を言い始めた。同じものを嫌うというのが一般常識と言うのなら、それは明らかに滅茶苦茶極まりない常識である、と。当然だろう、全く同じものが作り出される事が非常識かつ気色悪いと一刀両断するならば、人間たちは同じような椅子や机を並べないし、似たような構造の家を建てることなど無いだろうし、何より同じ思い――トーリスと言う存在を勇者として崇め続けると言う統一された意思を外部に示すことはあり得ないのだから。



「それに、私は何度も市場を見学したことがあったわ……」

「そこに並んでたのは、みんなような形の野菜や果物ばっかり」

「……当たり前だよ……毎回違った味だと可笑しいだろ……?」

「「あれ、どうして?全く同じものを、人間は嫌うはずなんでしょ?」」

「……!」


 トーリスの出まかせの口八丁は、確実にレイン・シュドーが並べる多種多様な実例の前に、劣勢を余儀なくされていた。

 それでもレインはその手を緩ませる事なく、更に自らの考えを述べ続けた。そうやって事を嫌い続けていたというトーリスでも、誰もがだったら良い、と考えたことは一度でもあるはずだ、と。


「「皆が同じ考えを持っていたら、私に尊敬の念を向ける人が1人もいなくなるのに……ってね?」」


「……そうだよ、考えたよ……とても気持ち悪い考えさ……悪いか?」


「ううん、私はとっても素晴らしい考えだと思う」

「皆全く同じ考えを持ってたら、喧嘩も起きないし、議論も無駄なく進むし……」


 何より、同じ意思で統一された世界は、まるで全く同じ花が咲き誇り続ける草原のように非常に美しい光景だ――2人のレインはうっとりしたような笑顔で、まるで励ますかのようにトーリスへ向けて語りかけた。彼が否定的に考え、邪な思いであると見做してきたその感情を、レインは全く逆の視点から見つめ続けていたのかもしれない。

 そして、唖然とした表情を隠せないようになってきた彼に対し、レインはさらに追い打ちをかけた。そのような何もかも全く同じ存在が数限りなく増え続け、世界を覆いつくしてもなお増殖をやめないと言う判断こそが、世界全てに永遠の平和をもたらす、と。そして――。



「「……こんな風に、ね♪」」」」

「……ひ、ひ、ひいいいいいあああああ!!」



 ――両隣に新たに現れ、トーリスの耳元に全く同じ美しさと可愛らしさを併せ持つ声を響かせたレインは、とうとう彼の余裕を完全に崩させる事に成功したのである。

 何もかもが自分になれば良いと考える異常ぶりと、長年苦しめられてきた復讐が成し遂げられると言う快楽が笑顔から滲み続けている事を嫌でも察知せざるを得なかったトーリスは、腰を抜かしながらも何とかこの場から逃げようとうごめき続けた。だが、最早彼には一寸の逃げ場も残されていなかった。右に動こうが左に動こうが後ろに退こうが、そこには必ず純白のビキニ衣装の美女が待ち構え、トーリスに満面の笑みと柔らかな胸や太ももの感触を味合わせたのである。しかも、レインとレインの間に空いた隙間もまた一瞬のうちに新たなレインによって埋まり続けた。気づけばトーリスの周りは、何十人もの彼女がずらりと囲み、楽しそうな表情を見せる場へと変貌してしまったのだ。


「トーリス♪」トーリス♪」トーリス♪」トーリス♪」トーリス♪」トーリス♪」トーリス♪」トーリス♪」トーリス♪」トーリス♪」トーリス♪」トーリス♪」トーリス♪」トーリス♪」トーリス♪」トーリス♪」トーリス♪」トーリス♪」トーリス♪」トーリス♪」トーリス♪」トーリス♪」トーリス♪」トーリス♪」トーリス♪」…



「レイン……レインレインレインレイン!!!ああああああああ!!!」



 そして、とうとうビキニ衣装の美女の中央で、惨めな男はあらん限りの叫び声をあげた。その直後、彼はそのまま横たわりながら首を乱暴に左右に動かし、すべてのレインに告げた。こうなれば、煮るなり焼くなり好きにしろ、と。



「「「「「「「「……トーリス?」」」」」」」」

「……どうした、レイン!?やらないのか!?僕は敗北者だぞ、愚かな人間だぞ!!」


  

 その叫びは、確かに愚かで醜い男の悪あがきでもあったが、同時に勇者トーリス・キルメンの放つ最後にして最大の攻撃でもあった。そこまで他人をレイン・シュドーに変えるのを望んでいるのなら、いっそ自分から彼女になるよう望んでやる――文字通りやけくそになって言い放ったその言葉に対し、先程までの愉快なやり取りはどこへやら、唖然として見守り始めた何十人ものレインの様子を見て、トーリスは少しづつ士気が高揚してきた。今の自分をレインに変えるという事は、すなわち彼女が一番に組む相手の願いを叶えてしまうと言う事にもなるからだ。



「ははは、どうしたんだよ!!さっさとやれよ、なあ!!世界を平和にしたいんだろ!!」

「「「「……」」」」


  

 僕の勝ちだ、憎き存在の思いをそのまま受け入れざるを得ない様子を見ながら最期を迎えるなんて自分はなんて幸せ者なんだ――とどめと言わんばかりに勝利宣言を言い放ち、気がおかしくなったかのような高笑いを上げ続けたトーリスは、周りのレインが動揺でも憤怒でもなく、哀れみの目で見つめている事など全く気付かなかった。

 しばし無言のまま別の自分を見つめあったレインは、そっと中央で喚き続ける男に向けて右手をかざし始めた。彼女の思い通りの姿=レイン・シュドーに自分自身を変える準備である、と思い込んだトーリスは告げた。さあやれ、一思いにやれ、と。そして、全てのレインの掌に、漆黒のオーラが現れ始めた、その瞬間だった。



「待て」



 とても短いその響きがあたりを包み込んだ瞬間、トーリスには一切見せることがなかった驚愕の表情をレインたちは一斉に見せ始め、その言葉に従うかの如く漆黒のオーラを引っ込めてしまった。勿論中央で寝転がっていたトーリスも異変に気付いたものの、何が起きたんだ、早くやれ、とレインを急かし続けた。だがその直後、彼の視界に飛び込んできたのは、純白のビキニ衣装の美女とは外見も雰囲気も全く異なる、一言で言ってしまえば『異質』極まりない存在だった。



「……ほう、貴様がか」



 その言葉は、人間とは全く異なる心の底から凍えるほどの冷たい響きを持っていた。

 その衣装は、夜よりも暗い漆黒で包まれ、表情は無機質な銀色の仮面によって一切把握出来なかった。

 そして、その名前を聞いた時、トーリス・キルメンは今まで経験してきたどんな恐怖よりも恐ろしい心地を味わった。それも当然だろう、まさかよりによってこの存在が何の前触れもなく現れるなど、予想もできなかったからだ。

 

 だが、彼以上に驚いていたのは、周りを囲んでいた数十人のレイン・シュドーたちであった。



「「「「「「「ま……魔王……!?」」」」」」」



 長い間ずっと行方をくらまし、どれだけ彼女が懸命に探そうとも痕跡一つ掴めなかった存在が、何の前触れもなくこの場に現れたのだから……。

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