トーリスと魔王

「「「ま……!!」」」

「「「「魔王……!!」」」」


 無限に沸き上がり続けたダミーレインの大群を生産施設ごと一撃で亡き者にし、レインの心に指示を残したのを最後に、長い間『魔王』はその行方を晦まし続けていた。レインたちが何度探しても、あの特徴的などす黒いオーラを必死に感知しようとしても、魔王は全くその痕跡を見せぬまま、レインは勿論世界のどこにもその存在すら見せなくなっていたのである。だが、レインはその中でも魔王がいつその姿を見せるか、いくつかの予想を立て、それに備えるべく鍛錬を続けていた。その成果は、この場ですぐに発揮されることとなった。中央で横たわりながら顔を青ざめるだけの『勇者』トーリス・キルメンとは対照的に、その周りを魔王ごと取り囲む数十人のレインは驚きの表情をすぐに変え、いつでも戦いを始められる意思を示すかの如く剣を構えることができたのである。


 とは言え、唐突に現れた漆黒の存在に対してレインができることはまだ限られていた。恐らくここで戦うとなれば体に傷を負わないようにするだけで精一杯になるだろう、いやそれすら難しいかもしれない。一体どうすれば――思考を巡らせつつ、魔王をじっと睨みつけていた彼女だったが、そこに飛び込んできたのは意外な言葉であった。


「……構える必要はない。貴様と戦うつもりはないからな」


 何度もレインを騙し、嘘偽りも述べ続けていた魔王であったが、それでも彼女たちは従わざるを得なかった。当然だろう、ここで魔王の言うことを聞かずに暴れる方が身の程知らずなのだから。そして同時に、レインたちは魔王が今から何をしようとするか、大まかに察することができた。今、漆黒の衣装を身にまとう存在の真下にいるのは、まさに魔王を倒そうと日々努力を重ねていたはずの存在――『勇者』なのだから。



「……さて……」

「……うわあああああ!!!あああああああ!!!」


 

 だが、既に勇者と魔王の戦いの決着はついたも同然の有様になっていた。無表情の仮面を少し下に向け、トーリスの顔と重ねるようにしただけで、彼は赤ん坊のような絶叫をあげながら逃げようと転がり始めたのである。体中に汚れが付くのも厭わず、立ち上がろうともせずにただ魔王から離れようと転がるその姿を、魔王はそのまま眺め続けていた。地面から突き出た石に体がもろにあたり、トーリスの体に激痛が走る様子も含めて。



「うううう……あああああああ!!!なんでだよおおおお!!!なんでこうなるんだあああああ!!!」 



 そして、ひ弱で愚か、情けなく怠惰な存在は、とうとう涙まで流し始めながら悔しさを露にし始めた。あまりにも無様な様子に、無言で見つめ続ける魔王はもちろん、その周りをじっと取り囲み続けていたレインたちも敵意や嘲笑ではなく、哀れみや呆れの表情を見せ始めてしまった。このような形で勝敗が決することになるなど、かつて『勇者』だった頃には思いもしなかった。魔王に手や足を出すどころか、立ち上がりもせずに逃げ惑った挙句、子供のように大泣きするような存在が、最後まで勇者であり続けるなんて、誰が予想できるだろうか。


 しかしその情けない醜態は、魔王に胸ぐらを掴まれたトーリスが無理やり立たされた所で終わりを迎えた。指先まで影のごとく真っ黒な魔王の手を下に見ながら、相変わらず泣き叫び続ける彼であったが――。


「……ふん……っ!」

「ぐああああああああああ!!!!」


 ――魔王が放った雷のような何かが全身を走り、今までにないほどの痛みからくる絶叫を上げたのを最後に、その涙は止まった。

 一体何をしたのか、と周りから一斉に訪ねたレインに対し、魔王はその答えを彼女の代わりに目の前で唖然とした表情を見せる『勇者』へと返した。オーラの雷の力で気力を取り戻したトーリスの精神は、もう先程のように崩壊する事はない、と。その言葉が正しいということは、魔王の言葉をしっかりと聞き、愕然とした彼の表情からもよく分かった。



「な……なんで……そんな事を……」

「決まっているだろう。貴様が最後に残されただからだ。それに……」


 まだ彼との『決戦』は終わっていない――その言葉を聞いた途端、トーリスの全身から血の気が引いた。

 魔王の力で強制的に精神が正常に維持され続けていた彼は、どれほど心に衝撃を受けても物理的にも精神的にも逃げる事はできなかった。仲間たちと共謀してレイン・シュドーを見限り、彼女に魔王を退治するという自分たちの使命の全てを押し付けた挙句、勝手に彼女が真央を倒したと思い込んでその手柄をほしいままにした自分の過去を、魔王は完全に知り尽くしている――その事実をも、彼の心は勝手に推理してしまったのである。そしてそれは、全て真実であった。


「さて……遅くなったが、お初にお目にかかるな、トーリス・キルメン」

「ぐっ……ま……魔王っ……!!」


 このまま放置しておけば世界があっという間に魔物に乗っ取られてしまう、そんな状態を止めるにはこの自分自身=魔王を倒すしかない、『勇者』はどう挑むつもりなのか――無機質な響きながらも、魔王の口調には明らかに楽しさの感情がたっぷりと詰まっていた。トーリスの体と命は文字通り魔王の指先一つによって左右される格好になっていたからだ。もしここで胸ぐらを掴み続ける手の位置が変わるか、空いているもう一方の手が動けば、あっという間に魔王は勝利を掴むことが出来るだろう。だが、そんな世界の危機に対し、かつて多くの人々の支持を集めていた『勇者』トーリス・キルメンが出来る事といえば――。



「……な、なぁ……何とかしてくれよ、レイン……!!君だって魔王を倒したいんだろ……!!」



 ――自分が裏切り、つい先程まで罵倒の言葉を並べ続けたかつての仲間に、必死に助けを求めるという事ぐらいであった。とはいえ、正気を保ち続けていたトーリスは、どのような反応を返されるかの予想をある程度つけていた。所詮自分は裏切り者、きっと周りから一斉に飛び込んでくるのはレインたちの罵倒や嘲笑に違いない、と。だが、どれほど正気を保とうとも彼の過去の栄光や英知、そして口八丁は戻ってこなかった。周りを囲む純白のビキニ衣装の美女が示した反応は――。



「「「「残念だけどトーリス、私は魔王に勝てないの」」」」

「え、え……!?」

「「「「貴方の仲間、ゴンノーに言われたの。私は決して勝てないって」」そうよね、レイン?」そうよ、レイン」


 

 ――どうせ自分は無理だから見ている事だけしかできない、と言う、諦め交じりの『拒否』だった。

 そして、頑張って欲しいという応援まで貰ってしまったトーリスは、正気を保とうが精神が正常の状態であろうが絶句せざるを得なかった。人間も消え、ダミーレインも裏切り、そしてレインからも哀れみの顔から放たれた優しい励ましという形で見放されてしまったのだから。彼は改めて、この広い世界にひとりぼっちであるという自分の立場を嫌というほど認識させられた。だが、そのような事態に追い詰められた彼がとった行動は――。



「……そうかそうか……じゃあもういいよ魔王、僕の負けだ。一思いに殺せ」



 ――先程レインに対して行ったものと全く同じものであった。諦めの表情を見せて自暴自棄になり、自分の命を奪えとあえて望む事で、相手が自身を絶命させるのと同時に勝利を収めるという、姑息な戦法である。だが、もうトーリスにはこれしか思い浮かばなかった。剣も振れず、魔法も操れず、人脈も一切役に立たない今、これが彼に残された最後の攻撃だったのである。

 そんな懸命の努力をしばし見続けた魔王は、何かを伝えるかの如く周りのレインたちをじっと見渡した。それに呼応して頷く彼女たちを含め、トーリスには何が起こっているのか全く理解することができなかった。何をしているのか、恐る恐る尋ねようとした、その時だった。彼の体が魔王の腕により高く持ち上げられ、その足が地面と離されたのである。困惑のあまり何も言葉が話せず、ただ慌てふためく表情を見せる事しかできないままだった彼に向け、魔王は心の底から凍り付きそうな低い声で静かに告げた。



「安心しろ、貴様は死ぬ事はない。この先ずっとな」

「な、な……な……なっ……!!」



 そして、この世界最後の勇者、この世界最後の人間、そしてこの世界で最後の愚かで虚しく、哀れな存在は――。




「……さらばだ」

「……!!!」



 ――悲鳴も上げる事ができないまま、一瞬でこの世界から永遠に姿を消したのである……。

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