旅人と最後の村

 小高い山と小さな池に挟まれたその小さな村を、レイン・シュドーが最後まで残していた事には特に深い理由は無かった。魔王を除いて歯向かうものが誰一人としていなくなり、自らの思い通りに人間たちを正しい道へ歩ませることが出来るようになった彼女たちにとって、征服する順序に関してそこまでこだわりを持っていなかったのである。

 とは言え、その村を優先的に制圧する、という事もまた、レインは考えていなかった。じわじわと人間たちの住む場所を減らす中で、その村が彼女たちにとって重要な場所で無かったというのも理由であった。他の町や村よりも一回り小さな場所で、他所とは異なり少数の人々が互いに協力し合い、寄り添って暮らし続ける――レインという存在を犯すことも汚すことも無く、静かに生きる人たちが息づく場所、それがこの世界で最後に残された人間たちの住む空間だったのである。


 だが、その場所にも終わりを告げる使者が訪れた。


「こんにちはー……誰かいませんかー……?」


 破れた跡を直した部分があちこちにみられる古い服を身に纏い、健康的な肌と自身の正体をその中に隠す『旅人』の姿に変身したレイン・シュドーは、村の中にある比較的大きな家の扉を何度か叩いた。すると、その音に反応するかのように静かに戸が開き、そこから1人の中年の女性が顔を見せた。意外にも、その表情には突然の来客に対する嫌悪感――今まで何度も『旅人』として彼女が味わってきた人間の愚かさ丸出しの感情は見えず、むしろ彼女を歓迎するかのような思いが溢れていた。


「あら珍しい、旅の人ですか?」

「はい、そうですが……」


「まあ、それはようこそいらっしゃいました!」



 そして、この女性は旅人=レインを優しく家の中に招き入れ、そしてそこでゆっくりして構わない、と告げた。この言葉に甘えさせてもらったレインが、古ぼけてはいたがしっかりと掃除やお洒落が施されている家の中を眺めていると、にわかに玄関先が騒がしくなり始めた。先ほどの女性が、この村に住む住民――畑仕事に勤しんだり近くの森で遊んだりしていたすべての人々を、この家に呼んだのである。何が起こったのか、勿論レインは皆の心を読むことで察知していたが、確認も兼ね改めてその女性に自らの口で尋ねた。



「あの……これは?」

「あぁすいません、わたくしこの村の長の妻でして……」

「へい、そしてあっしがその旦那でございます……いやぁ、こんなど田舎の村にようこそ……」


「あんた!その挨拶する前に先に手を洗いな!旅人さんに失礼じゃないか!」


 そんな事言ったって、と不平不満を告げながらも、まるで妻に尻を叩かれたかの如く慌てて水道へ向かう村長を、卑下も蔑みもせずいつも通りの光景だと笑いながら見守る人々――そんな様子を、レインは『旅人』の視線からにこやかに眺めた。そして同時に、この場所に今までにないような感触を覚え始めた。これまで彼女が潜入し、その様子を観察してきた町や村のほとんどは、ダミーレインが敗北したと言う事実が広まる中で絶望感に包まれ、明日の気力をなくしたまま配給物資――レインが漆黒のオーラから作り出した代物を糧に日々だらだらと過ごす、怠惰極まりない命に変わり果ててしまっていた。だが、この村はそれとは真逆の明るさや元気、そして前向きな心に満ち溢れていたのである。それも、決して世界が滅びに向かうことから生まれたヤケクソの心ではないという事を、彼女はその日の宴会――旅人がこの場所にやってきたことを村人全員で祝福する賑やかな祝いの席で堪能することとなった。



「ささ、どうぞ食ってくださいな!俺の畑でとれた野菜ですよー」

「なーに、こっちのお肉!とっても美味いですよー!」

「あたしだってこの果物!すごい甘いんですから!!」


「あ、あははは……あとでじっくり頂きます……」


 他所の町や村とは全く異なり、この村では今もなお人々が精力的に動き、働き続けていた。子供たちも含め、皆それぞれ様々な農作物を育てたり家畜を飼育したりしながら日々生き続け、その中で様々な喜びを見出すという、人間として当たり前の行動をとり続けていた。それだけでも、レインにとっては少しだけ驚くべき事だった。皆がど田舎だと卑下し続けるこの村にも、間違いなく世界各地で魔物による被害が起き続けている、と言う噂が届いているはずである。そもそもレインがあちこちにその噂をわざと流布し、人々をさらに絶望へ追いやろうとしていたのだから。にも拘らず、なぜここの人たちは普段通り――ダミーレインによって人々の怠惰ぶりが浮き彫りになる前の暮らしを、維持し続けることが出来たのだろうか。いや、そもそも――。


「そういえば……この村に、ダミーレインは来たのですか?」

「へ、ダミー……?」

「あんた、あの時鼻の下伸ばしてたじゃないか!もう忘れたのかい?」

「……あぁ、あのレインさんそっくりの美人さん!あの人たちですかい、残念ながら……」



 ――少々のゴタゴタを経て、レインの質問に戻ってきたのは、意外な答えだった。

 確かに、あの時ダミーレインを導入する事に対して最後まで反発の意思を見せていた町や村がほんの僅かながら存在していた。だが、それらのほとんどはダミーレインの魅力に囚われたより大きな町や村の代表者たちの圧力に呑み込まれ、更に裏で糸を引いていた魔物軍師たちの暗躍により、その存在自体が消されてしまっていた。その中でも、この村の人々は最後までダミーレインを導入することなく終わっていたのである。その理由は、非常に単純なものだった。


 ダミーレインが必要になるほど、この村に力は無い。それが、村長たちの結論だったのである。


「え……?」

「いやぁ、ここは見ての通り名物も何もない田舎です……ダミーさんたちがわざわざ来てくれるなんて、逆に申し訳ないですよー」

「でも、ダミーがいれば更に村が栄える、なんて……」

「そんな、オラたちには恐れ多いですし……」


「恐れ多い……ですか……」


 ダミーレインという新たな活力を得て前に進むのを敢えて拒む――悪く言えば、自分たちの変化を怖がり、どこまでも頑固に現状維持にこだわった古臭く意地っ張りな人たちかもしれない、とレインは感じた。だがその一方で、今までの人間たちとはどこか違う、不思議な魅力を持っているようにも思えてきた。日々進歩を求め、新たな刺激や上達を得るべく努力をし続けている自分たちともまた異なる、あまり触れたことのない考えである。

 これが『謙虚』と言うものである、と彼女が気づくまで、若干の時間を費やしてしまった。その時には既に、謙虚さと真逆の賑やかな一面を見せる村人たちの賑わいの中に、レインも巻き込まれていた。どこからか持ってきた箱を叩いたり食器を打ち鳴らしたり、思い思いの音楽を奏でながら、人々は日が暮れることも全く気にせず、旅人を歓迎し続けていたのである。そして、レイン=旅人もそっと立ち上がり、その音楽にのせて簡単な歌を口ずさんだ。あまりそう言ったものに対して興味が薄かった彼女も、これだけ盛り上がると加わったほうがより心が弾むと判断したのかもしれない。


 そして、世界最後の村の宴は、どこまでも明るく楽しく過ぎていった。



~~~~~~~~~~~~


「今日はありがとうございました……」

「いやいや、ついあたし達もはしゃぎ過ぎちゃって……大丈夫ですか、疲れてないですか?」

「いえ、ご心配なく……」



 宿泊専用の施設もないほどのど田舎だったその村で、旅人=レインは村長夫婦の好意の元、彼らの家に泊めてもらうこととなった。

 後片付けも終わり、様々なことを語らいながら帰る人々を見送ったのち、レインは村長の妻の寝室にお邪魔した。あのスケベな旦那がどんな不祥事をするか分からない、と嫌みのような言葉を言う彼女であったが、その口調には一切の怒りも憎しみもなく、むしろ仲の良さを示すような思いすら受け取ることが出来た。

 愚かで哀れな人々が次々と滅びに抗いながら脆くも消え去り、最後まで残ったのが彼女たちのような純真な人たちであったというのは面白いものだ、とレインは心の中でそっと笑った。上から目線になってしまうのはどうしても否めなかったが、少なくともこの村の人たちは決して愚かな心は持っていない、という事を実感した、その時だった。レインの耳に、村長の妻が放った気になる言葉が響いたのである。


「あ、あの……」


 どうして、今日も悔いなく終わった、と彼女は静かに独り言を呟いたのだろうか。

 その疑問を投げかけると、村長の妻はうっかり聞かれてしまったことを恥ずかしがりつつ、その心の中に秘めた思いを教えてくれた。


「正直、こんなど田舎の村に住むあたしでも知ってますよ。人間たちが、どんどん魔物に襲われてるって」

「そうですよね……」

「ここだって、いつ襲われるかなんて分かりませんし……でも、あたしたちは別にそれでもいいんです」

「えっ……?」


 その『襲う』当事者であるレインが驚きの声を上げたのも無理はない。彼女をはじめとするこの村の人たちは、自分たちがいつ倒れても滅んでも良いように、覚悟のようなものを決めていたのだから。

 それは魔物に立ち向かわずそのまま命を絶つことと同じ、最後まで抵抗するという手段を捨てたという事なのか――そう反論したレインであったが、同時にその自分の思い描いた考え、そして今までに出会った愚かで哀れな人間たちの心と、目の前にいる村人の代表者の思いは明らかに異なっていることに気づいていた。彼女たちは決して諦めているわけではない、むしろ自分たちが消える運命すらもごく当たり前のとして受け入れようとしているのかもしれない、と。


 そして、その推理は正しかった。


「……ま、確かにそうかもしれないですね。でも、あたしたちはそれでいいんです。今日は今日、明日は明日……」


 今日が楽しければ、自分たちはそれで満足。それ以上、求めるものはない――自分らしくない格好つけた言葉を言ってしまった、と照れながら笑ってしまった村長の妻であったが、レインには一切彼女を責めるつもりはなかった。

 勿論、その考えの反論は思い描けば幾らでも作り出すことが出来た。どうして他の人たちを助けに行くという選択肢を取らなかったのか、今日が良ければそれでよいというのはあまりにも利己的ではないか、そしてこの村は一切進歩がないまま滅んでしまうのか――それらの思いをまとめた結論として、レインはこの女性、そしてこの村全体を包み込む安楽的な考えそのものに完全に賛成する事はできなかった。だが、彼女たちが抱く思いには、敬意を払う必要がある、とレインは感じたのである。


「素敵な考えですね……」

「えへへ……まぁ、一種の行き当たりばったりですよ。上手く行ったら明日も同じ事をやってみる、無理だったら止める……」


 あまり深く考えず、その日暮らしで呑気に生きるのがこの村で生きるのにはぴったりだ、と村長の妻は笑顔で話した。勿論、なるべくなら明日をもっと楽しく生きたいので様々な努力は重ねるが、でも時には無理をせずダラダラしたり、時には何も考えずに色々な事に挑戦したりするのが、この村の日常光景である、と。



「私、そのような事、考えたこともありませんでした……」


 レインが呟いたその言葉は、『旅人』と言う変装で隠されない、心に秘めた真実の思いだった。そして、彼女は自分たちとはまた異なる、良い意味でのな生き方を教えてくれた素敵な女性にもう一度お礼を言った後――。


「……ん、んっ……」

「あ、すいません……眠いのにお話に付き合ってもらっちゃって……」

「え、あ、あぁ……いやぁ、さっきからあたし照れてばっかですねー♪」


 ――それもまた貴方らしくて素敵だ、とレインは彼女へ向けて最大の、そして最後の敬意の心を送ったのである。



 ちょうどこの部屋にあるベッドは、2人の人物が一緒に並んで眠る事の出来るサイズであった。寝る準備を整え、布団の中に潜り込む2人は、明日には全く同一の存在になっている事だろう。でも、そこにいるのはきっと今日までの『レイン・シュドー』ではない、とレインは思った。今日は今日、明日は明日。深く考えずに物事に挑むと言う、真面目さとは真逆だが決して愚かではない、新たな生き方を身につけながら。



 そして、最後の人間たちが暮らす村は、全ての命をレイン・シュドーに変える、滅亡と創造、相反する2つの意味を持つ暖かな雨に包まれ始めた……。

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