ダミー、帰還

 海沿いにあった大きな町が魔物に襲われ、僅か一夜にして壊滅したらしい――その情報が壁に囲まれた大きな町にもたらしたのは、飲食物や日用品を人々にもたらす配給担当の者だった。今のところ噂に過ぎないし、ただ単に連絡が滞っているだけかもしれない、とその担当者は宥めるように告げ、この町は大丈夫だから安心して欲しい、と連絡したものの、住民の不安は更に高まった。


 そもそも、この町の防衛や日常生活の補助、そしてありとあらゆる仕事を全てこなしていた、純白のビキニ衣装の勇者を模した存在・ダミーレインがいつまで経っても魔王との戦いから戻ってこないと言う時点で、人々は毎日底知れぬ不安と恐怖に苛まれ続けていた。それまで人々がいやいやこなし続けていた様々な雑務を文句1つも言わずこなし、人間の命令に一切逆らうことなく従い、おまけに誰もが憧れ羨む勇者と全く同じ姿かたちをしている美女たちに町の住民たちはすっかり魅了され、次々に彼女を増やしては町の様々な仕事を彼女たちに任せ、怠惰な暮らしを送るようになっていたのだ。そして、一度そういった暮らしの良さを心の芯まで感じてしまった人々に、この大きな町を支えるだけの勤勉さや聡明さは戻ってこなかった。


 それでも、人々は自分たちまで怖い魔物に襲われたくない、何としても生き続けたいという執念で、嫌々ながらも家事や仕事をこなし、数日おきにどこからかもたらされる飲食物や日用品を糧にこの大きな町を維持し続けていた。だが、一度体に染みついた怠惰な精神はなかなか取れず、建物を作っていた材料が劣化しても、洗濯物が雨に濡れ始めても、建物に大きなひびが目立つようになったり洗濯物がずぶ濡れになったりしてからようやく動くほどにまで人々は落ちぶれていた。

 そんな大人と同様に、子供たちもまた勉強もせずに遊びまわったり、集団の中で弱い者を徹底的に痛めつけたり、か弱い動植物を皆で潰しあったり、心の中で高まっていた苛立ちを晴らし続けていた。結局はその場しのぎに過ぎないという事など、誰にもわからないまま。


 そして夜になると、多くの人々はゴミが目立つようになった酒場に入り浸り、配給された酒をがぶ飲みする毎日を過ごしていた。この酒がどこから持ち込まれ、どうやって鋳造されているのかは誰も知らず、本当にこのまま飲んでもよいのか怪しい代物であったが、人々は最早そのようなことを気にしてはいられなかった。いつ魔物がこの町に襲撃してくるのか、いつこの町が崩壊してしまうのか、そしていつダミーレインは自分たちの元へと帰ってくるのか――毎日そのような不安に包まれていた人々にとって、日々の暮らしに疑問を持つという事は抱え込んできた苛立ちを爆発させる針のようなものだったのである。そして、その爆発の痕跡、すなわちこの酒場周辺をも巻き込んだ大喧嘩の爪痕は誰にも消されることなく、みすぼらしい机や椅子、割れた容器、そして壁に残された染みとして酒場の壁に残されていた。


 もう誰も、この町に希望を持つ者はいなかった。



 そんな、ある日のことだった。何もする事がなく、ただ町の外を何の気なしに覗いたと言う男が、突然興奮して街の中を走り出したのは。当然ながらその奇行は町に住む多くの人々の関心と苛立ちを集め、あちこちから罵声が飛び交い始めた。喧しく鬱陶しい大声だったこともあるが、それ以上に彼らは男の言った内容に対して怒りを募らせたのである。


 いつまで経っても魔王の元から戻って来ることなく、行方も知らないダミーレインが、今になって町に戻ってきた?

 こんなに自分たちが落ちぶれているのに、そんな分かりやすい嘘をついて安い慰めをもたらしたいのか?


 いくら男が必死になって、自分が見たという光景を訴えても、長い月日の中で精神が疲弊した町の住民は誰もその言葉を信じることなく、挙句男に向けて様々なものを投げつけたりし始めたのである。ダミーレインという存在を見たという良い気分になったという事実そのものが気に入らなかった者たちも、少なからずいたのかもしれない。

 だが、それでも懸命に訴え続ける男に苛立ちが限界に達した町中の男性たちが詰め寄り、彼の体を散々に痛めつけようとした、その時だった。



「ただいま戻りました」



 その声は、空耳でも何でもなく、周辺の人々の耳に間違いなく届いた、真実の響きだった。そして、その方向を見た町の住民の瞳に『光』が戻り始めた。

 1つに結った長い黒髪、きりりとした目つきに逞しい手足、歴戦の勇者と同様の健康的な肌、背中に背負った無名の剣、そして何よりも大事な、あの勇者たちのリーダー、レイン・シュドーと寸分違わぬ純白のビキニ衣装――冤罪を着せられかけた男を救うかのように表れたその姿は、間違いなく長い間人々がその帰還を待ち望んでいた存在、ダミーレインだったのである。


 ほれ見ろ、やっぱりダミーは帰ってきたんだ――そう歓喜する男への懺悔や謝罪よりも、人々の関心はついに帰ってきた美しき『奴隷』へと集中していた。誰も男の傷をいやすことがないまま、皆はダミーレインの元へと駆け寄り、よく戻ってくれた、ずっと待っていた、と涙を流しながら喜び合ったのである。勿論、ダミーはそれに対して苛立ちも怒りも見せることなく、かつて指示された通り人々からかけられた言葉に対し、自分を待ってくれたことへの感謝を述べた。どさくさ紛れに近くの人々からその大きな胸を触られたり尻を撫でられたりしても、ダミーは一切怒りを覚える素振りを見せなかった。


 そして、戻ってきたダミーレインは、彼女1人ではなかった。そもそも、この町の住民たちはダミーの魅力に憑りつかれたかのように過剰なほどの彼女を次々に導入し、最終的には町の至るところに純白のビキニ衣装の美女が並び、街を歩く者たちの大半もダミーに置き換わるという事態にまで至っていた。そのため、彼らはダミーは1人だけでは物足りない、むしろ大量にいてこそその真の美しさが光る、とも考えていたのである。だからこそ――。


「ただいま戻りました」

「ただいま戻りました」

「ただいま戻りました」

「ただいま戻りました」

「ただいま戻りました」

「ただいま戻りました」…


 ――彼女を皮切りに次々と町に現れ始めたダミーレインに対し、歓迎の意思を示し続けたのである。


 そして、ダミーが戻ってきたのはこの場所だけではなかった。ひびが目立ち始めた壁の傍にも、子供たちが暇と苛立ちを紛らわす小さな広場にも、そしてあの酒場にも、次々に純白のビキニ衣装の美女が唐突にその姿を現し始めたのだ。


「ただいま戻りました」

「ただいま戻りました」

「ただいま戻りました」

「ただいま戻りました」

「ただいま戻りました」

「ただいま戻りました」…


 当然、どこでもダミーは人々から祝福を受けた。その帰りを自分たちはいつまでも待っていた、と。だが、その祝福の中に宿る真意は、これまで自分たちがいやいや行ってきた様々な労働や勉強、そして家事などを再びダミーレインに押し付け、すっかり体に染みついてしまった怠惰な暮らしを楽しむという事にあった。大人は勿論、子供たちもダミーの胸に触ったりビキニ衣装を引っ張ったりしながら、良い『遊ばれ相手』――自分たちに逆らうことなく従う下僕が戻ってきた事を喜んでいたのである。

 そして、そのような存在が次々に帰還し、街に賑わいが戻り始めたことを、人々は大いに喜んだ。今日は久しぶりに思いっきり心ゆくまで幸福を味わえる、と誰もが歓迎していた。


「ただいま戻りました」「ただいま戻りました」

「ただいま戻りました」「ただいま戻りました」

「ただいま戻りました」「ただいま戻りました」

「ただいま戻りました」「ただいま戻りました」

「ただいま戻りました」「ただいま戻りました」

「ただいま戻りました」「ただいま戻りました」…



 その帰還し続けるダミーレインの数が、元々この町が導入していたダミーの数よりも多くなっている事など、誰も気づくことはなかった。



「……ふふ♪」



 誰からも無視され、路地裏で痛みをこらえていたをしていた男――いや、わざと誰からも憎まれるような風貌と声色になりすまし、人々の持つ本性をさらけ出すことに成功した純白のビキニ衣装の美女と、彼女の笑い声に反応するかのように、この町の住民には決して聞き取る事のできない笑い声を響かせ始めた『ダミーレイン』本人を除いては……。


「ふふふ…♪」ふふふ…♪」ふふふ…♪」ふふふ…♪」ふふふ…♪」ふふふ…♪」ふふふ…♪」ふふふ…♪」ふふふ…♪」ふふふ…♪」ふふふ…♪」ふふふ…♪」ふふふ…♪」ふふふ…♪」ふふふ…♪」ふふふ…♪」ふふふ…♪」ふふふ…♪」ふふふ…♪」ふふふ…♪」ふふふ…♪」ふふふ…♪」ふふふ…♪」ふふふ…♪」ふふふ…♪」ふふふ…♪」ふふふ…♪」ふふふ…♪」ふふふ…♪」ふふふ…♪」ふふふ…♪」ふふふ…♪」ふふふ…♪」ふふふ…♪」ふふふ…♪」ふふふ…♪」ふふふ…♪」ふふふ…♪」ふふふ…♪」ふふふ…♪」ふふふ…♪」ふふふ…♪」ふふふ…♪」ふふふ…♪」ふふふ…♪」ふふふ…♪」ふふふ…♪」ふふふ…♪」ふふふ…♪」ふふふ…♪」ふふふ…♪」ふふふ…♪」ふふふ…♪」ふふふ…♪」ふふふ…♪」ふふふ…♪」ふふふ…♪」ふふふ…♪」ふふふ…♪」ふふふ…♪」ふふふ…♪」ふふふ…♪」ふふふ…♪」ふふふ…♪」ふふふ…♪」ふふふ…♪」ふふふ…♪」ふふふ…♪」ふふふ…♪」ふふふ…♪」ふふふ…♪」ふふふ…♪」ふふふ…♪」ふふふ…♪」ふふふ…♪」ふふふ…♪」ふふふ…♪」ふふふ…♪」ふふふ…♪」ふふふ…♪」ふふふ…♪」ふふふ…♪」ふふふ…♪」ふふふ…♪」ふふふ…♪」ふふふ…♪」ふふふ…♪」ふふふ…♪」…

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