　あちこちにひびが入り、頑丈さが日々失われ続けていた壁の中で恐怖と絶望、そして怠惰な時間を享楽できないことへの不満を募らせていた人々は、彼らを心行くまで怠けさせてくれるダミーレインの帰還を心から歓迎した。歩く度に揺れるたわわな胸も、それらを包むビキニ衣装も、人々にとっては平和と快楽の象徴であった。大人は勿論、子供たちも人間の命令に一切逆らう事がなく、しかも強くて美人な存在が再びこの町を楽園に変えてくれるという未来を大いに歓迎していた。

　だが、そんな人々の意識は、ほんの僅かな時間の中であっという間に崩れてしまった。

　確かに、一切の音沙汰が無かったダミーレインは次々にこの町に戻り、人々に無事帰還したことへの挨拶を告げ続けていた。だが、その数は人々が知っていた数よりも、明らかに多くなり始めたのである。

「ただいま戻りました」ただいま戻りました」ただいま戻りました」ただいま戻りました」ただいま戻りました」ただいま戻りました」ただいま戻りました」ただいま戻りました」ただいま戻りました」…

　道という道に現れ続けるダミーたちは、笑顔を見せながら全く同じ言葉を述べ、次々に同じ方向へと歩き始めた。何かがおかしいことを察知し、少しづつ恐怖に襲われ始めた人々を追い回すかのように。ダミーレインが何人いても困らないと豪語していた彼らでも、道をぎっしりと埋め尽くしながら動き続ける彼女たちの大軍を目の当たりにしてしまうと、異常さしか感じられなかったのである。だが、その事態をダミーたちに教え、何とかしてほしいと訴えても――。

「何も心配はいりません。『私』はまだまだ戻ってきますから」

「何も心配はいりません。『私』はまだまだ戻ってきますから」…

　――どのダミーたちも皆、まったく同じ返事をするばかりであった。

　そして、同じような事態はこの一角ばかりではなく、町のあちこちで起き始めていた。

　先程までダミーの帰還に喜び、破廉恥な本能を爆発させてそのビキニ衣装を引っ張って中身を見ようとしたり胸を触りまくろうとした子供たちは、逆にダミーたちの大軍に泣き叫ぶ側に変わり果ててしまった。当然だろう

、彼らが視線を変える度にどんどん新しいダミーが笑顔で子供たちの周りに現れ続けた結果、純白のビキニ衣装の美女は子供たちの逃げ場を完全に封じ、何重にも囲みながまったく同じ言葉を浴びせ続けるようになってしまったのだから。

「ただいま戻りました」ただいま戻りました」ただいま戻りました」ただいま戻りました」ただいま戻りました」ただいま戻りました」ただいま戻りました」ただいま戻りました」ただいま戻りました」ただいま戻りました」ただいま戻りました」ただいま戻りました」ただいま戻りました」ただいま戻りました」…

　当然、戻ってこない子供たちや外の異常事態に震え上がった親たちは、慌てて家を飛び出し子供たちを助けようと動き出した。だが、彼らもまた次々に帰還するダミーたちの前に逃げ場を失っていた。何せ扉を開いた途端、待ち構えていたかのように大量のダミーたちが一斉に家に押しかけ、あっという間に家にある空間を覆いつくしてしまったのだから。

　中には恐怖に怯え、家に直結していた大きな倉庫や地下室へ逃げようとした者たちもいたが、既にそこにもダミーレインは次々に『帰還』し続けていた。

　泉から延々と湧き出る水のように無限に溢れ続ける純白のビキニ衣装の美女たちによって、この町の建物の内部はあっという間に埋め尽くされ、人々は完全に逃げる術を失ってしまったのである。勿論それは家屋ばかりではなく、酒場や集会場などありとあらゆる建物に及んだのは言うまでもないだろう。

　そして逃げ遅れた人々は目にダミーの美貌を嫌というほど焼き付け続け、肌にはその柔らかさと逞しさが合わさったダミーの美肌の感触に包まれ、耳にはダミーの挨拶が無限に入り、鼻も口もダミーレインによって覆いつくされる中、少しづつその意識を遠のかせていった。

～～～～～～～～～～

　一方、外で恐怖のあまり逃げ出し続ける者たちもまた、ダミーレインの恐怖に晒され続けていた。彼らの中にあった一抹の希望――これはきっと夢、魔物か何かが見せた幻覚に過ぎず、本物のダミーがきっと退治してくれるに違いないと言う儚い願望は、整備を怠り劣化し始めた道で転んだ痛みや、自分勝手に生き残ろうとする他の者たちに押された衝撃を全身で感じてしまった事であっという間に消えてしまった。もはや町の人々はダミーに対しての嬉しさや羨望、そして破廉恥な思いを抱かず、ただ恐怖のみを抱くようになってしまったのである。

　そして彼らに追い打ちをかけるように、ダミーたちは人々に優しい言葉をかけ続けた。群衆に巻き込まれ倒れてしまった可哀そうな女性に対しても、ダミーは昔と変わらずその場に立ち止まり、気遣いの言葉を放ったのである。だが、ダミーに声をかけられた彼女の心には、氷水よりも冷たい恐怖しか宿らなかった。当然だろう、声をかけたダミーレインの数は――。

「大丈夫ですか？」大丈夫ですか？」大丈夫ですか？」大丈夫ですか？」大丈夫ですか？」大丈夫ですか？」大丈夫ですか？」大丈夫ですか？」大丈夫ですか？」大丈夫ですか？」大丈夫ですか？」大丈夫ですか？」大丈夫ですか？」大丈夫ですか？」大丈夫ですか？」大丈夫ですか？」大丈夫ですか？」大丈夫ですか？」大丈夫ですか？」大丈夫ですか？」大丈夫ですか？」大丈夫ですか？」大丈夫ですか？」大丈夫ですか？」大丈夫ですか？」大丈夫ですか？」大丈夫ですか？」大丈夫ですか？」大丈夫ですか？」大丈夫ですか？」大丈夫ですか？」大丈夫ですか？」大丈夫ですか？」大丈夫ですか？」大丈夫ですか？」大丈夫ですか？」大丈夫ですか？」大丈夫ですか？」大丈夫ですか？」大丈夫ですか？」大丈夫ですか？」大丈夫ですか？」大丈夫ですか？」大丈夫ですか？」大丈夫ですか？」大丈夫ですか？」大丈夫ですか？」大丈夫ですか？」大丈夫ですか？」大丈夫ですか？」大丈夫ですか？」大丈夫ですか？」大丈夫ですか？」大丈夫ですか？」大丈夫ですか？」…

　――1人の人間に対する量に比べて、明らかに過剰だったのだから。

　だが、どれだけ悲鳴を上げ、この場から急いで走り去ろうとしても、高い建物の壁や大量のダミーレインによる肉の壁に阻まれた彼女には一切の逃げ場はなかった。しかも、彼女の目の前で更に信じがたい事態が起きた。突然肩に触れた柔らかく温かい感触に一瞬だけ恐怖が和らいでしまった彼女が振り向いた先には――。

「安心してください」安心してください」安心してください」安心してください」安心してください」安心してください」安心してください」安心してください」安心してください」安心してください」安心してください」安心してください」安心してください」安心してください」安心してください」安心してください」安心してください」安心してください」安心してください」安心してください」安心してください」安心してください」安心してください」安心してください」安心してください」安心してください」安心してください」安心してください」安心してください」安心してください」安心してください」安心してください」安心してください」安心してください」安心してください」安心してください」安心してください」安心してください」安心してください」安心してください」安心してください」安心してください」安心してください」安心してください」安心してください」安心してください」安心してください」…

　――先程まであったはずの大きなレンガ造りの建物ではなく、数えきれないほどのダミーレインが笑顔で佇んでいたのである。

　そして、彼女が生涯の中で出したであろう最も大きな悲鳴は、無限のダミーレインによる笑い声の前に消えていった。

　1人、また1人と町の住民たちがダミーレインに呑み込まれていく中、残された者たちは必死の形相で逃げ惑い続けていた。緊急事態とは言え、久しぶりに走った彼らの体はあっという間に疲れに満ちていった。中には最早碌に走れず、懸命に歩き続けるだけでも精いっぱいという男も存在した。ダミーレインがやってくる前は屈強な肉体を持っていた事など信じられないほど、彼の筋肉は贅肉に置き換わってしまったのである。

　しかし、ダミーたちはそんな彼らとはお構いましに次々に帰還を果たしていた。大きな胸を揺らし、長い髪をたなびかせながら彼女たちは笑顔を人々に見せ続けたのだ。そして、彼女が現れる場所は最早地上だけに留まらず――。

　――町の上空、人々が一切手の届かない場所にも及び始めた。

　次々に青い空が健康的な肌の色で覆いつくされていく様子に対し、住民はただ悲鳴を上げて泣き叫ぶ他無かったのである。

　だが、それ以前にはある致命的なミスを犯してしまっていた。愚かな彼らは何も考えもせず、ただ迫りくるダミーレインの大軍から逃げ延びるために走り続けていた。そのせいで、自分たちがこの町から脱出できるであろう『壁』の方向ではなく、一番逃げるのが困難な街の中心部にある広場に向かっている事に全く気づかなかったのである。彼らがその事実にようやく直面し、絶望のあまりその場に崩れ落ちたり諦め交じりの笑い声を響かせたりし始めたのは、その広場にたどり着いた人々が、自分たちの逃げ道がすべて純白のビキニ衣装の美女に覆われていると言う光景を目の当たりにした時だった。

　俺たちが何をやったというんだ。

　どうして魔物に襲われ続ける私たちがあなたたちに恐怖を見せつけられないといけないのか。

　ここにきて、ようやく人々はダミーレインに対し不平不満、そして怒りの声を上げ始めた。だが、ダミーたちが一斉に返した言葉は、何も心配はいらない、と言う定型文だけだった。当然だろう、どれだけ人々に責められいじめられ、こき使われようともダミーレインには人々の批判に対して反論する余地は一切与えられていない。どれだけ町の住民が恐怖を訴えても、ダミーにその疑問に答える権限は元々与えられていなかったのだ。

　そして、広場付近の一番高い場所に避難していた者たちは、この町の終焉を告げる光景を目の当たりにした。整備を怠り、ひびが入る場所が次々に増えながらも何とか町を守り続けてきた巨大な壁が、崩壊を始めたのである。いや、正確に言えば『崩壊』ではなかった。壁を構成するレンガなど様々な物資、それが割れるときに当たりに飛び散る欠片、それら全てが次々に全く別の形に変わり始めたのである。

　あまりにも遠くにあるせいで誰もその詳細を掴むことはできなかったが、明らかにそれは壁でもレンガでもない異質なものだった。白と黒、そして健康的な肌色に包まれ、壁の代わりに町を覆いつくし始めたその小さな粒1つ1つは、間違いなくこの町を包み続けるあの純白のビキニ衣装の美女と同じものである、という事に、人々は気づかざるを得なかった。

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　そして、ダミーレインは最後に残された人々を自分たちの体で包み始めた。広場に怒涛の如く押し寄せた彼女たちは、その滑らかかつ柔らかな、そして程よく筋肉に満ちた肉体をありとあらゆる人々に当て、上下左右前後全ての方向から全く同じ言葉を投げかけた。人々が挙げた悲鳴はあっという間にダミーレインの放つ声の中に埋もれ、彼女たちを振り払ったり蹴落とそうとした手足は、無限に加わり続ける新たなダミーによって塞がれた。そして彼らが放つ悲鳴もまた、ダミーの唇や体によって完全に封鎖されてしまったのである。

　やがて町の住民たちはその心に最大級の恐怖や絶望に加え、ほぼ同時に湧き始めた途轍もない快楽や幸福という矛盾した感情の前に苦しめられながら、意識を失っていった。彼らが住み続けていた怠惰の象徴であった建物もまた、その欠片1つ残す事無く新たな命へと変えられていった。

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　ずっと隠し続けた感情を露わにしたダミーレイン、いやレイン・シュドーたちの大群だけが、人間たちに最後まで残されていた大きな町の最期の光景を、嬉しさとともにしっかりと目や心に焼き付けていた……。