レイン、帰港

 昨日まで、その町の人々は絶望と悲しみの中にいた。


 例え無謀そうな夢であっても諦めず、恐ろしい魔物が現れようとも挫けない根性や気合は、その後再び現れた『魔物』による侵略や、それに対抗すべく無尽蔵に表れた魅惑の存在によって根こそぎ奪われ、人々はただ夢に浸り、その日を楽しく生きることだけを考える堕落した存在になり果ててしまった。魔物の勢いが留まることを知らず、世界各地の都市との繋がりも失われ、挙句人間たちに残された最後の海沿いの町になっても、人々は最早どうすることも出来なかったのである。


 そして、追い詰められた者たちが取ったのは、苦渋の決断であった。大勢の住民――家族、親族、友人、恋人などを魔物の脅威がいつ襲うかも知れない町に放置し、無作為に選ばれたという僅かな者たちだけが、超巨大な『箱舟』に詰め込まれ、海の果てで待っているかもしれない新天地へ向けて脱出する、というものである。

 勿論、残された人々と同様、どこまでも続く青い世界に旅立つことになった者たちにも希望はなかった。本当にそこに自分たちが目指す楽園があるのか、それ以前に船に詰め込まれた食料がどれほど持つのか、だれも知らなかったのである。しかも、彼らの心境を示すかのように、出向した直後、『箱舟』は大粒の雨に襲われた。地上では恵みの水滴が奏でるであろうそれらの音は、海の上では彼らの希望を沈めてしまいかねない、恐ろしい響きだったのである。

 一方、地上に残された住民たちのもとにも、同じように漆黒の雲から沢山の雨が降り注いだ。体に触れると仄かな温かさを感じる事が出来る不思議な雨であったが、絶望のどん底に陥った人々は、だれもその心地よさに酔いしれることは無かった。明日から何を頼りに生きればよいのか、どうして自分たちは生き続けるのだろうか――陸でも海でも、この町には最早生きる価値、生きる意味は残されていなかったのかもしれない。




 だが、一夜明け、雲一つない晴れ渡った空が覆い始めた『町』の様子は、それとは正反対の様相を見せていた――。



「「「おはよう、レイン♪」」」

「「「「あ、おはようレイン♪」」」」」



 ――この町を一夜にして征服し、全ての命を統一された存在へと変貌させた『魔物』=レイン・シュドーの手によって。

 昨日まで笑顔を完全に失っていた町の住民たちは、皆明るい笑顔にたわわな胸を揺らし、純白のビキニ衣装から健康的な肌を露にする美女へと変わった。同時に彼らが住んでいた家々――木材やレンガなど様々な物資が使われ、大小様々な個性を見せ、この町が活気あふれる場所であったという証拠を最後まで残していた物体たちもまた、全く同一の形を持つ家々へと変貌し、空間が歪められた通りに何処までも続く光景を露にしていた。


 そんな家々から次々に現れ、通りを埋め尽くしながら歩いたり飛んだりし続けるレインたちが向かったのは、昨日絶望と悲しみの船出を迎えたこの町最大の港であった。レインがやって来た時、既にそこには何千何万、いや何億ものレイン・シュドーがぎっしりと埋め尽くす空間になっていた。中には嬉しさのあまり、その場で自分の数を増やし続けるレインまでいるほどである。


「「「「レイン、おはよう!」」」」

「「「「あ、レイン♪」」」」

「「「「ふふ、慌てなくても大丈夫みたいよ♪」」」」

「「「「それは良かった♪」」」」


 昨日の何千何万倍にも面積が膨れ上がり、空中の空間までビキニ衣装の美女に覆われた港は、昨日の光景とは打って変わって期待と喜びに満ち溢れていた。どのレインも皆これから訪れる光景を待ち遠しく感じ、周りにいる他のレインたちと楽しく語り合っていた。もうすぐこの場所に、新たなレイン・シュドーが遠い海の向こうから戻ってくるからだ。

 あちらでどのようなが加えられたのか、敢えてレインたちは連絡を取らないままこの場所に集まってきた。とてもドキドキはするが自分同士でのサプライズと言うのも楽しいものだ、と語り合いつつ、どんどん詰めていく自分の肉体が四方八方からあたりあう感触をたっぷり楽しんでいた時、彼女の躍る心の中に全く別の方角――海の方から、別のレインの声が届いた。予定より少し時間がかかったけれど、もう間もなくこちらへ到着するというのだ。そしてその直後、海の方向に目を向けた大量のレインたちの瞳に、まるで巨大な建物のような物体――昨日まで『箱舟』と呼ばれていた、超巨大な船舶が見え始めたのである。

 

「「「来たわね、レイン……!」」」

「「「「楽しみね、レイン……」」」」


 世界の果ての新天地へ辿り着くことなく、再びその巨体をこの町に見せつける事となった『箱舟』は、その様相を一変させていた。

 乗り込んでいた人々の心境を示すように濃く暗い茶色や冷たそうな灰色でおおわれていた外見は、レイン・シュドーの健康さを大胆に露出したかのようなへと変わっていた。無機質に聳え立つだけだった昨日までの船とは異なり、その灰色の地肌のような外見は、まるで命を持つかのように火照り、そして脈打つように動き続けていたのである。まさにそれは、レインを乗せた『箱舟』に等しい外見だった。


 そして――。


「「「おーい!」」」

「「「「あ、レイン!」」」」


 ――ついに船は町へ戻ってきた。


「おーい!」おーい!」おーい!」おーい!」おーい!」おーい!」おーい!」おーい!」おーい!」おーい!」おーい!」おーい!」おーい!」おーい!」おーい!」おーい!」おーい!」おーい!」おーい!」おーい!」おーい!」おーい!」おーい!」おーい!」おーい!」おーい!」おーい!」おーい!」おーい!」おーい!」おーい!」おーい!」おーい!」おーい!」おーい!」おーい!」おーい!」おーい!」おーい!」おーい!」おーい!」おーい!」おーい!」おーい!」おーい!」おーい!」おーい!」おーい!」おーい!」おーい!」おーい!」おーい!」おーい!」おーい!」おーい!」おーい!」おーい!」おーい!」おーい!」おーい!」おーい!」おーい!」おーい!」おーい!」おーい!」おーい!」おーい!」おーい!」おーい!」おーい!」おーい!」おーい!」おーい!」おーい!」おーい!」おーい!」おーい!」おーい!」おーい!」おーい!」おーい!」おーい!」おーい!」おーい!」おーい!」おーい!」おーい!」おーい!」おーい!」おーい!」おーい!」おーい!」おーい!」おーい!」おーい!」おーい!」おーい!」おーい!」…



 その中に、ぎっしりと新たなレイン・シュドーを何億人も詰め込みながら。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


「「「「「ただいまー、レイン♪」」」」」

「「「「「「おかえりー、レイン♪」」」」」」


 辺り一面を白や黒、肌色で埋め尽くしつつ、海の果てから帰還、そして誕生した新たなレイン・シュドーの存在や感触を抱擁で確かめつつ、レインたちは互いに記憶を共有して昨晩から今日にかけて双方の間で何が起こったのか確認しあった。残された者たちも、海の向こうで大粒の雨に打たれた人間たちも、同じように絶望の極致にいた、という事を含めて。



「「でも、そっちの方が酷かったかも知れないわね……」」

「「「そうね、雨に打たれる以前から泣いてた人がいたし……」」」


 昨日、多くの人間の不安と絶望を乗せて船出をしてしまった『箱舟』に、レインはこっそり別のレインを乗り込ませ、町の一部として自分たちのものにすべく行動をしていた。再び自分自身以外には感知できないよう自らの体を透明にさせ、内部に潜入した彼女が見たものは、泣き叫ぶ人々、それを鎮めようと怒るもの、そしてそれに突っかかった結果喧嘩を勃発してしまう者たちの姿であった。新天地へ向かう、という夢のあるような響きの中に隠されていた恐怖を、もう誰も我慢できなかったのである。そんな彼らを見て、レイン・シュドーは考えた。『箱舟』なんて作るんじゃなかった、こんな船なんて沈没すれば良い――そこまで言ってしまう者たちに船の舵を任されてしまっては可哀想、なおさら自分たちが何とかしなければならない、と。


 

「「「そっか、それで『船』そのものも……」」」

「「「「そういう事よ、レイン♪」」」」



 それに、元々この『箱舟』を作ったのは町の人たちではなく、彼らが無尽蔵に導入し、仕事の全てを任せきったダミーレインたちである。自分たちが創ったものをただ取り戻しただけだ、というレインの言葉に、ほかのレインも笑顔で頷いた。そして、船を造った部品のほとんどは、自分たちの漆黒のオーラで創り出した代物であるという事が、より『箱舟』を自分好みの姿に変えるという行為をしやすくしたのかもしれない、という言葉にも大いに納得した。頬を摺り寄せればレイン同様の温かさを感じ、触ってもレインの持つ滑らかさや柔らかさを堪能できる――まさにレイン・シュドーにとっては最高の船であった。


 だが、一夜にして変貌した『箱舟』に備わっている機能はこれだけではなかった。そもそも、この場所へ戻るまでレインたち――この船の中でどんどん増え、空間を歪ませつつ自分でぎっしり覆われるという快感を味わい尽くした者たちは、だれもこの船を操縦せずこの場所へ戻ってくることができた。レインと同じ肌を持つこの箱舟、いや『レイン・シップ』自体が、自らの意志で大海原を渡り、あっという間に港へ帰って来たのである。そして、一度戻ってきた以上、今の所この巨大な船には使い道はなかった。必要となればまた新たに無から創り出せばよいのだ。そこで彼女たちは、船にある細工を施していた。



「「「それじゃ、そろそろ良いかしら?」」」

「「「「そうね、レイン♪」」」」


 その声が響いた直後、船は再び大きく姿を変え始めた。滑らかな『肌』が包んでいたはずの外装に無数の丸い突起が現れ始めたのだ。やがてそれらは複雑な形をとり、色にも幾つもの濃淡が生まれ、より外へと飛び出していき、そして――。



「「「ふふふ♪」」」


 ――純白のビキニ衣装にたわわな胸や魅惑の腰を包む、新たなレイン・シュドーとして生を成したのである。それも数十、数百の規模ではなく、数万、数億単位で。

 そして、まるで千切れるかのようにレインたちが一斉に飛び立ち、町の空に浮き始めた直後、その場所から再び新たなレイン・シュドーが生え始めた。それと同時に、『レイン・シップ』の大きさが若干小さくなり始めていた。そう、この巨大な船は単にレインを乗せ、内部でレインを増やし続けるのみならず、『船』自身もまた何兆人ものレイン・シュドーとなって分離する事が出来るようになったのである。


「「「「あぁん……船がどんどんレインになっていく……♪」」」」

「「「「「なんて美しい光景なの……♪」」」」」


 まるで雲が無数の雨粒に変貌するかのように、人間たちに奪われていた『レイン・シップ』が無数の最高の存在へと姿を変える――港に佇むレインたちは、その光景に光悦の表情を浮かべた。

 やがて、役目を終えた『レイン・シップ』が港から跡形もなく姿を消した時、町の空は一面、何兆人もの純白のビキニ衣装の美女とそこから響く可愛らしくも美しい笑い声で満ち溢れていた……。



「あはははは♪」あはははは♪」あはははは♪」あはははは♪」あはははは♪」あはははは♪」あはははは♪」あはははは♪」あはははは♪」あはははは♪」あはははは♪」あはははは♪」あはははは♪」あはははは♪」あはははは♪」あはははは♪」あはははは♪」あはははは♪」あはははは♪」あはははは♪」あはははは♪」あはははは♪」あはははは♪」あはははは♪」あはははは♪」あはははは♪」あはははは♪」あはははは♪」あはははは♪」あはははは♪」あはははは♪」あはははは♪」あはははは♪」あはははは♪」あはははは♪」あはははは♪」あはははは♪」あはははは♪」あはははは♪」あはははは♪」あはははは♪」あはははは♪」あはははは♪」あはははは♪」あはははは♪」あはははは♪」あはははは♪」あはははは♪」あはははは♪」あはははは♪」あはははは♪」あはははは♪」あはははは♪」あはははは♪」あはははは♪」あはははは♪」あはははは♪」あはははは♪」あはははは♪」あはははは♪」あはははは♪」あはははは♪」あはははは♪」あはははは♪」あはははは♪」あはははは♪」あはははは♪」あはははは♪」あはははは♪」あはははは♪」あはははは♪」あはははは♪」あはははは♪」あはははは♪」あはははは♪」あはははは♪」あはははは♪」あはははは♪」あはははは♪」あはははは♪」あはははは♪」あはははは♪」あはははは♪」あはははは♪」あはははは♪」あはははは♪」あはははは♪」あはははは♪」あはははは♪」あはははは♪」あはははは♪」あはははは♪」あはははは♪」あはははは♪」あはははは♪」あはははは♪」あはははは♪」あはははは♪」あはははは♪」あはははは♪」あはははは♪」あはははは♪」…

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