レイン、船出

 かつて、レイン・シュドーが仲間たちのどす黒い裏側に気付く事無く『勇者』として日々戦い続けていた頃、多くの人々は恐ろしい魔物の恐怖の前に何も出来ずにいた。自分たちが余計な事をすれば、目の前にある石や砂、ほんの僅かな埃までもが魔王の力であっという間に魔物に変わり、牙を向くかもしれない――魔物に出会ったと言う人々の話やあちこちから聞いた噂、そして彼らが出くわしてしまった魔物に対する恐怖が、人々を毎日震え上がらせ続け、まるで鎖のようにがんじがらめにしていたのである。

 だが、そんな中でも勇者たちに負けず劣らず、懸命に奮闘していた人々もいた。魔物を倒すためにレインたちに協力したり、共に戦うべく準備を重ねていたり、その勇気や知恵は様々な形で発揮されていた。その中でも、変わった形で明日への希望、これからの未来を懸命に追い続けていたのが、海岸沿いにある町や村の中で最も規模が大きく、大きなレンガ造りの建物や威勢の良い人々で満ち溢れていたこの町だった。

 彼らには、勇者たちと共にもう1つ、大きな心の支えがあったのだ。それが――。


(((……完成したんだ……これ……)))


 ――自らの体を魔術で透明にした上で、あの時とは悪い意味で様変わりした町の中に潜入した純白のビキニ衣装の美女たちの前でその全容を露にする、壁のように大きな一隻の船だった。


 かつて、レインがその船の事を初めて知った時、町の人々は自信を持って告げていた。魔物が現れる前から、自分たちはずっとこの巨大な『箱舟』を造り続けている、と。

 昔から、ここに住む人々はある大きな夢を抱き続けていた。どこまでも広く大きな世界には、あちこちに多種多様な町や村があり、数えきれないほどの営みがある。だが、それとは反対側の方角に広がる、どこまでも続く青い大海原の向こうに何が待っているのか、誰も知らないしそもそも向かった事も無いのだ。確かにこれまでも何度か挑戦しようとした人たちがいたようだが、精々陸地が見えなくなってから少し進んだ程度であり、そこから先――水平線の向こうにまで行った者は誰もおらず、いたとしても途中で消息を絶ち、永遠にその姿を見る事は出来なかったのである。


 だが、それでもなおこの町の人々は諦めず、どうにかして水平線の彼方へ行く方法を模索し続けていた。

 そして出た結果が、自分たちの持つ技術の粋を結集し、どんな建物よりも巨大な船――彼らが『箱舟』と呼ぶ建造物を作り、その中に沢山の人々や資材、食料を詰め込んで大海原へ飛び出し、何か月、いや何年かかっても世界の果てで待っている何かを探しに向かってやる、と言う野心的、無謀、だが非常に夢に溢れた結論であった。

 ただ、レインたちが勇者だった頃はまだそれは単なる『夢』に過ぎず、魔物対策を行う片手間でゆっくりと船を作るという形でしかなく、大海原どころかほんの少しでも波を受ければすぐ沈んでしまいそうな代物に過ぎなかった。それがどうして、あっという間に超巨大な箱舟へと仕上がったのか、その理由は現在の人々の雰囲気――夢を失い、目の前にある恐怖に怯え、そしてその思いが苛立ちに変わってしまい、刺々しい空気が流れる町の様子で彼女は察することが出来た。


 この世界のほとんどの町や村と同様、野心と活気に満ちていたこの町も――。


(……昔のダミーレインね……)

(……ある意味やるじゃない、ダミーたちも……)


 ――人々を堕落させ続けたダミーレインの持つ不思議な魅力の前に陥落してしまったのである。


 その証拠は、目の前にそびえたつ巨大な船にも宿っていた。意識をそっと船の壁に集中させたところ、そこからが持つオーラと似たような雰囲気を感じたのである。

 一時的に魔王の侵略が収まり、勇者トーリス・キルメンたちの嘘によって世界が平和になったとは言え、これだけ巨大なものを作り、しかも海に浮かばせるのは大量の資材や人々、そして高度な技術が必要となるはずであり、各地の町や村から職人をかき集める必要があった。だが、ダミーレイン――あらゆるものを無から創造する魔術を身に付けたレイン・シュドーと互角の力を持ち、尚且つ人間たちの命令に決して逆らわない存在がいれば、これくらいのものはあっという間に創り上げる事が出来るのだ。

 だが、皮肉な事にダミーレインをこき使って長年の夢であった『箱舟』を完成させた時、既にこの町の人々には水平線の向こうにある世界の果てへと向かう気力は残されていなかった。かつてダミーと敵対していた頃のレインが、町の代表者たちが集まる会議や様々な話し合いの場所へ潜入した時も、この船の話題は一度も出なかったほどである。きっと人々は、その『世界の果てへ冒険の旅に出る』と言う行為自体も、ダミーたちに任せるつもりだったのだろう、とレインは考えた。


 しかし、皮肉な事態は再び訪れた。

 ダミーが消え、魔物=レインの勢いがだれにも止められない事態に陥った時、人々は最後の手段としてこの『箱舟』に乗り込み、この町を捨てて世界の果てへと逃げ出すという決断をしたのである。



(……で、『代表者』を選んで、大海原へ旅立つことになったのね……)

(見て、あそこの人たちなんて凄い大泣きしてる……きっと生き別れになるのね、あの親子……♪)

(ふふ、あっちの人たちったら喧嘩始めちゃった♪)

(俺が選ばれなかったのは不公平だー、だって、あはは♪)



 当然ながら、どれだけ大きな『箱舟』でもこの町の人々を全員乗せる事は不可能だった。以前、レインが偵察に訪れた際にもこの町を包んでいた殺気に満ちた空気の正体は、この決断に対する人々の苦しさや辛さが転じたものだったのである。そして、あの時よりも更にこの街の空気が悪く、そして絶望に満ちたものになった有様を見て、レイン・シュドーはこの代表者を選ぶ過程で幾多もの揉め事や悲劇が起きた事を察し、そしてそのような結末を迎えてしまった人々を嘲り笑った。純白のビキニ衣装と健康的な肌でどこまでも統一された自分たちとは違い、憎しみや怒りなど理解しがたい個性をも内包してしまった人間が、哀れさを通り越して滑稽に見えてしまったからである。


 だが、そんな状況の中、レインたちの耳に意外な、しかし胸糞悪い響きが飛び込んできた。


 確かに『勇者』だった頃、レインは他の仲間と共にこの町の人々――まだ活気と威勢、そして冒険心に満ち溢れていた明るく楽しい者たちを激励し、いつかその夢が叶う事を応援したのは間違いない。だが、世界の果てに向かう事を決めたのは彼ら自身のはずである。なのに――。


(((え……何?)))

((((レインが言ってた……世界の果ての……希望……いやいやいや!!))))


 ――何故その決意が、このレイン・シュドーが言ったものだという偽りの真実にすり替えられているのだろうか。

 しかもそれを大声で叫び、人々を鎮めさせたのはこの町で最も偉い代表者、そして『箱舟』の船長だったのである。


 きっと単なる出まかせだ、暴れ始めてしまった個性豊かな人々を抑えるための方便に違いない、と考えたレインたちだったが、怒りが収まり、受け入れるしかない現実を目の当たりにした町の人々は、勇者レインが言った事なら仕方ない、と言い始めたのである。絶望に満ちた世界の果てへの船旅の責任を、彼らは今は亡き純白のビキニ衣装の勇者へ押し付けようとしたのである。

 

 まだ見ぬ世界へと送り出す声援の代わりに、二度と会えない悲しさを示す絶叫が響く中、ついに港を後にし永遠の旅路へと出かけてしまった『箱舟』を、レインたちはじっと眺め続けた。その瞳には、どれだけ予想してもそれを軽々と超える愚かさを見せ続ける人間たちへの憎しみや呆れ、そして憐みがにじみ出ていた。

 そして、彼女たちはある決意を固めた。自分たちを散々利用した挙句、苦しみの責任まで押し付けようとする者たちの本性を見抜けず、応援できなかった自分たちもまた哀れである。一度それを反省できた以上、もう同じ過ちは繰り返さない、と。


 絶対にあの船を、世界の果てへは行かさない――互いの思いを頷きと思念で確認し合ったレインたちは、そっと片腕を高く点に上げ、その上に大きな雲を作り始めた。勿論、その目的はあの巨大な箱舟の上に大粒の雨を降らせ、彼らの愚かさを船ごと洗い流すためである。だが、彼女たちは人間とは異なり、憎きあの物体を大海原のど真ん中で沈めると言う考えは持っていなかった。自分たちにとっては忌まわしき形で作られた代物とは言え、海の藻屑にしてしまうのはもったいない、と考えたからだ。


((どうする、レイン?念のためにあの船へ向かってみる?))

(((……そうね、が見れそうだし♪)))


 ずっと昔、魔王もそう言って人々の醜態を何度も見せてくれた。今度は自分たちがのんびり楽しむ番だ――そう結論付けたレインは、風もないのに少しづつ海へ向かい始めた雲にこっそりと細工を加え、自動的に新たな自分が創り出されるようにしておいた。

 明日に起きる事への期待でつい笑顔が漏れてしまったレインたちの一方、彼女たちの姿が全く見えず触れる事も出来ない残された町の人々は、悲しみに打ちひしがれていた。涙も出ず、ただじっと道端にうずくまったり壁に寄りかかったり、それぞれ思い思いの形で絶望と言う心を露わにしていたのである。母親は子供が泣き叫んでも何もせずに見ているだけであり、レインの体をすり抜けた老人は、今にも倒れこみそうなほどに元気を無くしていた。そんな人々の様子を改めて見つめ直した彼女たちは、そっと町全体に漆黒のオーラを薄く広げ、ここに住む人々の中に宿った共通する思い――取り残された自分たちはこの場で死ねと言われているのと同じ状況、ならばいっそ――を感じることが出来た。


((勿体無いわねぇ、レイン♪))

((そうよねぇ、レイン。せっかく船出を見れたのにこんなに悲しんでるなんて……♪))


 どうやらこの町の征服は、普段にもまして意義があるものになりそうだ、とレインたちは一斉に思った。この場所に宿るすべての命を、全く同じ希望と夢に満ちた存在に変える事は、結果的にこの町の人々が完全に喪失した心を甦らせえる事にも繋がるのだから。

 そして、再び彼女たちは上空にゆっくりとどす黒い雲を創り始めた。絶望の心に終止符を打たせる、暖かな雨を降らせるために……。

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