レイン、緊張

 この世界に住む人間は、何かを心待ちにする場合ほど、時間は遅く感じてしまう事が多かった。嫌な事が迫ってくる時は非常に早く時間が過ぎ去るように思うのに、何かを楽しみにしているときに限って、いくら待ってもその時はなかなか訪れないものなのである。

 そして、それは勇者、そして『人間』の肩書きをもを捨てたレイン・シュドーもまた同様だった。


「「「「ふう……」」」」


 1対1、あらゆる手段を駆使して目の前の自分自身を蹴散らすという実戦形式の鍛錬を終えたレインたちは、体に溜まった心地良い疲れを払うかのごとく溜息をつきながら、周りに居る自分達に微笑んだ。純白のビキニ衣装から大胆に露出する健康的な肌からは、今日も彼女がまた一回り成長したことを示す汗の香りが漂い、それを鼻に入れたレイン・シュドーをさらに心地良い気分にさせた。


 濡れてしまったビキニ衣装を新しいものに着替えつつ、元のビキニ衣装から新たな自分を生み出したレインたちは、互いに肌を寄せ合い密集しながら、今日の鍛錬についての反省点を様々に語り合おうとした。だが、同じ考えを持つ彼女達が真っ先に口にしたのは、この日々が報われる時がいく来るのか、と言う話題だった。レイン・シュドーが真に戦うべき相手――キリカ・シューダリアが、彼女の願う場所にまだ到着していなかったのだ。



「「「……でも、ちゃんと予想通りの道筋を辿っているのよね……」」」

「「「「そうよねレイン、レインがちゃんと見ている訳だし……」」」」


 ターゲットとなるキリカたちの周りには、常に大量のレイン・シュドーが身を隠しながら追跡し、その動きを逐一観察し続けていた。別の自分の情報ならば絶対である、と言う意志が、レインの中に強く宿っていたのである。しかし、だからこそなのだろうか、彼女は自分たちがどこか焦っている事に気づいた。迫り来る決戦を待ち遠しく感じているのか、それとも緊張しているのか、どちらにしろ早くその時が訪れて欲しい、と無意識のうちに願っていたのだ。

 しかし、あいにく今のレインたちには、そのような『時間』を超越するような魔術を使うことは出来なかった。一応、以前彼女達は魔王によって別の時間へと送り込まれた事があったのだが、その際もどのような仕組みなのか一切理解することが出来ないまま、任務を遂行していたのである。


「「……ねえ、本当に世界からが全部消えた時……」」

「「「……そうねレイン、じっくりとその魔術を極めてみようか」」」


 幸いな事に、話題を別の事柄に逸らしたお陰で彼女の心の中にあった焦りはだいぶ和らぐことが出来た。一旦その場を離れる事で、冷静さを取り戻したのかもしれない。そして、全員無事新しいビキニ衣装に着替え終わり、ついでに新しいレインも思う存分生み出した頃合を見計らって、レイン・シュドーは一斉に更衣室、そして闘技場を後に地下空間へと抜け出した。



「あ、レインだ!」お疲れ、レイン♪」お疲れ♪」お疲れ♪」お疲れ♪」お疲れ♪」お疲れ♪」お疲れ♪」お疲れ♪」お疲れ♪」お疲れ♪」お疲れ♪」お疲れ♪」お疲れ♪」お疲れ♪」お疲れ♪」お疲れ♪」お疲れ♪」お疲れ♪」お疲れ♪」お疲れ♪」お疲れ♪」お疲れ♪」お疲れ♪」お疲れ♪」お疲れ♪」お疲れ♪」お疲れ♪」お疲れ♪」お疲れ♪」お疲れ♪」お疲れ♪」お疲れ♪」お疲れ♪」お疲れ♪」お疲れ♪」お疲れ♪」お疲れ♪」お疲れ♪」お疲れ♪」お疲れ♪」お疲れ♪」お疲れ♪」お疲れ♪」お疲れ♪」お疲れ♪」お疲れ♪」お疲れ♪」お疲れ♪」お疲れ♪」お疲れ♪」お疲れ♪」お疲れ♪」お疲れ♪」お疲れ♪」お疲れ♪」お疲れ♪」お疲れ♪」お疲れ♪」お疲れ♪」お疲れ♪」お疲れ♪」お疲れ♪」お疲れ♪」…



 彼女の行きつく先々で、前後左右、そして上に広がる巨大な空間からも、レイン・シュドーのにこやかな声が響き続けた。今日もこの地下空間の中は無数のビキニ衣装の美女でごった返しており、その混雑から生まれる様々な感触を彼女達全員で楽しんでいたのである。魔王に敗北し、初めてもう1人の自分と出会ってから、レインたちにとって周りに大量の自分がいることは日常であり、理想であり、そして平和の象徴であった。

 全員とも、心の中に一抹の焦りはあった。いつまで自分達は待てば良いのか、どこまで鍛錬を続けるべきなのか、つい答えを見つけたいと考えてしまう事もあった。だが、何もかも全く同じ自分自身とは異なり、彼女達の行動を決めるのはレイン・シュドーの考えに左右されずに動き続ける者たちであり、干渉し過ぎる訳にもいかなかった。今はごく普通の生活を維持し続けるのが先決であり、『真剣勝負』のためには欠かせない要素だ、と考えたのである。


 宙に浮かびながら近くの自分に擦り寄ったり、ビキニ衣装に包まれた大きな胸を揺らし合いながら独り言のように会話をしたり、彼女達は様々な方法で穏やかなひと時を過ごした。漆黒のオーラを利用して何も無い空間から飲み物や食べ物を出して腹を満たすのも、レインにとって良い暇つぶしの1つであった。今の彼女達にとって、飲食は生きるために絶対欠かせない要素から、彼女達が理性を保ち他の自分と親交を深めるための要素になろうとしていたのかもしれない。



 そして、あちこちから響く美しき声が一瞬静まった、その時であった。



「「「はぁ……はぁ……レイン……来た!!!」」」



 突然、大量の彼女達の一角に、興奮しきった新たなレインたち数十名が降り立った。最初に出た抽象的な言葉の意味をすぐに理解する事ができなかったレインたちであったが、彼女達から受け取った記憶によって、何が起こったのかをつぶさに知る事が出来た。その途端、この地下空間内にいたレイン・シュドーたちの顔は驚き、そして覚悟が入り混じった表情となった。


 決戦の日――キリカ・シューダリアの一行が、今は亡き勇者ライラ・ハリーナの故郷に辿り着く日が、明後日である事が確定したのである。

 彼女達があの場所に一番近く、レイン・シュドーたちがまだ人間達へ残している村で一泊した後、改めて向かうという情報を、レイン達がその目やその耳でしっかりと確かめたのだ。懸案事項であるダミーレインやゴンノー、そしてあり得ないかも知れないがトーリスの干渉がない事をしっかりと確認した上なのは言うまでも無い。


「「「……でも、あの村に着く直前まではしっかりと監視した方が良いわね」」」

「「「「そうよね。念には念を入れないと」」」」


 だが、その後は何万人もの監視役のレインは一斉にその場を去り、たった1人だけがキリカの前に現れ、そして決戦を申し込む――既にレインたちの中で、迫り来る時に向けた構想は固まっていた。そして、彼女に必ず勝つ、と言う自信もあった。ただ戦いに勝利するだけではなく、自らを裏切ったキリカ・シューダリアを完全に屈服させる事ができる、と言う算段付きで。


 ただ、それをすぐに実行に移すことは出来なかった。どれだけ準備をしたとしても、大量の彼女を従えた存在――魔王に止められてしまったら、一切の反撃が出来ないまま何もかもおじゃんになってしまうのだ。ここ最近は何を言っても勝手にしろ、好きにしろ、と突き放すような言葉ばかりを述べる魔王だが、今回ばかりはそのような言葉が出ようとも必ず報告しなければならない事態であった。しかし、地下空間を大量に埋め尽くし、床のみならず空中まで純白のビキニ衣装で覆うレイン・シュドーたち全員とも、朝起きてから今に至るまで誰も魔王の姿――銀色の無表情の仮面と漆黒の衣装に包まれた姿を見ていなかったのである。


「「「確か地上にもいなかったんだよね、レイン」」」

「「「「ええ、そこのレインの記憶にも、他の町のレインにも、魔王とあって話をしたって言うのはないわ……」」」」


「「「「「最近、魔王はすぐどこかへ消えちゃうよね……」」」」」

「「「「「「どこにいったんだろう、もう……」」」」」」


 もう一度あらゆる場所を探してみるしかない、と動き出そうとした、その時だった。

 


「……呼んだか、レイン・シュドー?」



 珍しく『貴様』呼ばわりではなく、はっきりとその名を呼んだ声の方向を、レインたちは一斉に振り向いた。

 そこには、彼女達がずっと行方を捜していた存在――魔王が、威圧感をまといながら静かに佇んでいた。そして、その畏れすら抱きそうな魔王の傍には、さらに別のレイン・シュドーが何千人も付き従っていた。

 何故レインと一緒に突然現れたのか、その理由はすぐにレイン本人の口から説明された。あらゆる場所から姿を晦ましていたはずの魔王が、何かを察知したかのように突然『レイン・ツリー』が生い茂る森に現れた、と言うのだ。毎日数万単位で新たなレイン・シュドーを実らせ続ける植物で覆われた場所で、生まれたばかりの彼女に全ての事情を説明した後、魔王はこの場に現れた、と言う訳である。つまり――。



「「「「……レインたちより先に、魔王から話は聞いてるわ。ついにその時が来た、ってね」」」」

「「「やっぱり魔王は知っていたのね……」」」

「当然だ。貴様らが『許可を貰う』などと言う面倒な行動をしようとした事もな」


 

 ――真剣な態度の現れである生真面目さを小馬鹿にするような発言に一瞬顔をしかめたレインだが、すぐその感情は捨て、改めて自らの目的をこなす事にした。当然、魔王からの言葉は予想通りのものであり、レインの思い通りに事を進める事が可能となったものの、事態が事態なのか、釘のような言葉を刺された。

 

 最後の最後まで、決して気を緩めるな――当たり前の言葉だが、絶対的な力を持つ魔王の仮面から放たれればそれは非常に重い意味を持つものに感じられた。一度でも隙を見せれば、レインの存在がこの世から消されるほどの深刻さも混ざるように聞こえるほどであった。

 そして、レインたちが静かに頷くと、『レイン・ツリー』から生み出された新たなレインを残し、また魔王はどこかへと姿を消した。



「「「……またどこかへ消えたのね……」」」

「「「「本当はどこへ行ったか知りたいけど、キリカの方が先ね、レイン」」」」


「「「「「ええ……さっきも言ったけど、以前から決めている作戦で行くわ」」」」」


 互いに記憶を共有し合い、全く同じ疑問点を全く同じ考えで納得したレインたちの会議はすぐに完了した。既に完成された内容を余計に膨らませると逆にややこしいことになってしまう事を、人間が行う醜さの一面だと解釈していたからかもしれない。そして、キリカ相手にどのレインが立ち向かうか、と言う内容も、あっさり決まった。全員とも全く同じ存在ならば、誰が挑もうとそれは全てのレイン・シュドーが一斉に挑むことと等しくなるのだ。

 ただ、理屈では分かっていても――。



「「「「「……やっぱり、私達から直接選ぶのは、気が引けるわよね」」」」」

「「「「「「「ここはやっぱり、新しいレインを作るのが一番よね」」」」」」」



 ――結局レイン達が選んだのは、彼女の欲望である『自分を増やしたい』と言う思いも込めた方法だった。ただし、今はそのレイン・シュドーを作らず、本番当日になった時に新しく創り上げる、と言う焦りを抑える形で。

 


 そして、改めて彼女達は揃って決意を固めた。

 例え絶対に勝てると分かっている戦いでも、決して手を緩ませる事無く、正々堂々真剣に戦う、と言う誓いを。


 それは、レイン・シュドーが否定したはずのの心そのものだった……。



 この時点で、既に自分達が別の存在の掌に置かれている事に、レイン・シュドーは全く気づいていなかった……。

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