キリカの別れ

 かつて、その場所には小さな村があった。

 人口は僅か数十名と世界の他の場所にある村や町と比べるとかなり小規模で、見所も名産品も無い非常に地味な場所であったが、そこに住む人々はそのような事など全く気にせず、日々慎ましくも暖かい日々を過ごしていた。その中で、ある親子は村人から尊敬され、また頼りにされていた。世界の中でも限られた人しか使えない不思議な力『魔術』を、自在に操る才能を持っていたからである。


 だが、その楽しかった日々はある日突然終わりを告げた。平和だった世界を脅かす邪悪なる存在・『魔物』が、突如として町や村を襲い始めたのだ。

 神出鬼没、どこを襲われるか分からない状況の中で、人々は不安に苛まれ続けた。中には魔物に襲われ、屍のみが残る町や村を狙って金銀財宝を狙う連中まで現れるほどだった。そんな状況でも、その村の人々は皆で一致団結し、心の中で高まり続ける恐怖と戦い続けた。不思議な魔術を使うことが出来る親子による励ましが、彼らに大きな力を与えたのだ。どんなに怖い存在でも、一致団結すれば必ず乗り越えられる――絶対的な力に裏打ちされた優しい言葉は、この村を支える大黒柱となった。


 しかし、その『大黒柱』も、やがて腐り始めた。この村のすぐ隣にある大きな町が、突如として魔物が沸いたために成す術も無く壊滅した、と言う情報が入ったからである。自分達の傍にまで、滅びが群れを成して襲い掛かろうとしていたのだ。

 このままこの村にいても危険だ、ここから離れるしかない――恐怖に支配された村人達は、親子が制止するのも聞かずに村から次々と離脱し、遥か遠くにある別の場所へと避難を始めてしまった。それどころか、彼らは不安の矛先を、ずっと尊敬し続けていたこの親子へと向けてしまったのである。どうせ貴方達は不思議な力があるから魔物に打ち勝てるだろうが、か弱い普通の人間にそのような事は出来ない、常識を押し付けられては困る、と。


 人々が離れる、と言う形で『村』が無くなったのは、それからすぐの事だった。

 そして、村から逃げた人々は、誰も戻ってくる事は無かったと言う――。



「……そうだったんですね、この場所は……」

「なんと無情な……」

「これが、私がライラ・ハリーナから聞いた全てだ……」



 ――少し顔を俯かせながら、キリカ・シューダリアはずっと昔に起きたと言う思い出話を終わらせた。ここから先に何が起こったのかは、彼女の傍にいる2人の弟子も知っているからである。孤独に耐えながら過ごしていた親子の元にキリカたち勇者の一行が現れ、母親に励まされる形で娘のライラ・ハリーナが『浄化の勇者』として一行に加わった、と言う事を。


 彼女の母親もまた、高度な魔術を操ることが出来る存在だった事を、キリカも承知していた。この村にいればずっと安全である、とはっきり断言できたのも、彼女達親子は魔物を完全に消し去る『光のオーラ』を用いる事が出来たからである。だが、その力を正しい心を持って使用する存在は、どこにもいなかった。



「一体どこに消えてしまったんですかね、ライラさんのお母さんは……」

「ライラさんのお葬式の時に見たっきりですよね……」

「……そうだな」



 彼女達3人が、かつて『村』だったこの場所を訪れたとき、そこに残っていたのは今にも朽ち果てそうな家々と、それよりも長期に渡って使用されていたであろう小さな空き家、そしてその近くに聳え立つ、静かな土地に不似合いなほどに豪華な、浄化の勇者ライラ・ハリーナの墓標だった。物言わず生える草木以外、1つの命も感じられなかったのである。

 娘を失った事に衝撃を受けて命を絶ったか、もしくは別の場所へ放浪の旅に出かけたか――様々な憶測に夢中になりかけた弟子を、キリカは強い言葉で咎めた。勇者の生みの親をぞんざいに扱うな、と。そして、謝る彼らに背を向けながら、キリカはこの場所に似つかわしくないほど豪華で巨大な墓標を睨みつけた。愚かな人間への怒りや悲しみが込められているであろうその瞳を、決して弟子に見せないように細心の注意を払いながら。


 

「……あのー、キリカ様……?」

「……なんだ?」


 そんな彼女の気持ちを知ってか知らずか、弟子たちはキリカに疑問を投げかけた。確かに、この場所は絶対に訪れなければならない所である事は自分達も承知しているが、ならばこの先自分達はどこへ向かうのか、どうすれば良いのか、と。昨晩からずっと2人で考えていたが、どうしても良い答えが見つからなかった、と付け加えつつ、2人の男は不安の心を隠さず伝えた。


 だが、戻ってきたのは信じられない言葉だった。

 旅はここで終わる、これからは好きに生きろ――それが、キリカ・シューダリアの答えだった。



「……そ、そんな!キリカ様、まだ魔王の脅威が……!」

「そうですよ!ダミーレインも敵わない以上、キリカ様がいないと……!」


「……そうだろうな。私に頼ってばかりのなど、すぐに終わってしまうだろう」


 

 弟子達2人にとって、冷静沈着なキリカからそのような皮肉めいた、いや世界そのものを敵視するような発言を聞いたのは初めてだった。どんなに辛い目に遭っても、どれほど人々から裏切られようとも、懸命に様々な『悪意』に抗おうとしていた彼女の言葉に、明らかに弟子達は衝撃を受けたようだった。



「じゃ、じゃぁ……自分達は今までなんのためにキリカ様に!」

「そうですよ……私は、キリカ様のその凛々しい姿に憧れて……」

「じ、自分だって!キリカ様が皆のために戦う姿を見て、弟子になったんです!」


「……そう見えていたのか、私は。だが、すまない……」


 

 間もなく、2人が憧れ続けてきたキリカ・シューダリアと言う存在は、姿を消すだろう――寂しげな顔をしながらまるで遺書のような言葉を述べた、その直後だった。突然、彼女の背後の空間が文字通り歪み始めたのだ。決して気のせいでも目の錯覚でもない、山や木が見える背後の風景を切り裂くかのように大きな隙間が開いたのである。一瞬怯んだものの、その謎の隙間からキリカを救い出そうと男達はその手を掴もうとしたが、彼らの大きな掌は何も触れなかった。目の前にいるはずの『勇者』の姿が、まるで幻影のように薄れていったのだ。



「キリカ様!!」

「キリカさまああ!!」



「……さらばだ……」



 2人の名前を呼び終えた後、かつての魔術の勇者キリカ・シューダリアは、悲しげな笑顔を見せながら空間の「隙間」と共に、この世界から姿を消した。後に残されていたのは、何も出来ないまま師匠が去っていくのを見送る他無かった男たちだけだった。

 誰もいない場所で、2人は大粒の涙を流した。一体何が起きたのか、自分達の旅は何だったのか、何もかも分からないまま、ただ男達は大事な存在を失った悲しみに打ちひしがれるのみだった。とは言え、彼らとて勇者の心を受け継ぐべく懸命に努力を重ねた者たちである。ずっと悲しんでいるわけにもいかない、と言う思いもまた、2人の心に宿り始めたのだ。



「……これから、どうするか?」

「……さあな……とりあえず、今日はここで一泊するしかない……」


 

 こうなってしまった以上、世界を救う道を探すために自分達が旅を続けるしかない、と2人は考え始めていた。言葉にせずとも、長きに渡って寝食を共にしてきた仲間の思いは同じだったのかもしれない。だが、その旅を続けるための心の整理にはまだ時間が必要だった。もう少し時間を置いてから、この地を後にする事にしたのである。

 そして、ゆっくりと腰を下ろした2人は、改めて先程のものは何だったのか、語り始めた。あの空間の歪みから溢れ出たオーラは間違いなく『漆黒のオーラ』――世界を脅かす魔物が放つ、禍々しい感触そのものであった。だが、その強さはこれまでと比較にならないほどだった。彼らが怯んでしまったのも、全てを圧倒するかのような力が理由だったのである。


 もしかして、あれが『魔王』だったのか、それとも魔王に従う何者かの力なのか――。





『……その答え、教えてあげましょうかぁ?』



「「……!!」」



 ――2人の疑問に割り込んできたその声の主が、キリカ・シューダリアにとって最も憎む存在である事に、2人の弟子はすぐに気づいた。そして彼らはすぐに立ち上がってその方向を睨みつけ、いつでも攻撃が出来るよう準備をした。



 勇者の心を受け継いだ勇敢な2人の男が、この世界から永遠に姿を消したのは、それからほんの僅か後の出来事であった……。

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