トーリスの仮病

「ふう、全く……」


 面倒くさい事になった、と愚痴を言いながら、軍師ゴンノーは会議場から伸びる長い廊下を歩いていた。

 どこまでも続く廊下の左右には普段通り大量のダミーレインが並び、純白のビキニ衣装に包まれた大きな胸を揺らしながらゴンノーに向けて挨拶をしようとしていた。だがゴンノーは左手を上げてそれを止めさせ、無数のダミーが無言で見守る中、今回の会議に風邪――いや、風邪と言う名目で欠席した『勇者』トーリス・キルメンがいるはずの部屋の前に到着した。


 閉じていた扉を叩くと、それに反応するかのように新たなダミーレインが、周りの存在と同じような無表情で姿を現した。


『何かご用ですか?』

『いやぁ、トーリス殿にお会いしたくてねぇ……入れるかなぁ?』

『了解しました、少々お待ちください』


 今までならいちいちこのようにダミーを介して扉を開く許可を得る必要などなかったはず。それなのに、ここまでして部屋の中に籠りたがっている理由は、ゴンノーにとっては既に明白であった。この軍師――いや、軍師の地位と姿を模した上級の魔物は、このダミーたちが魔物=本物のレイン・シュドーの前に敗北を重ね始めている事をはっきりとトーリスに伝えてしまったからである。その時の彼は普段通り余裕そうな表情を見せていたのだが、心の中ではどのように感じていたか、仮病まで使う様相からもバレバレだったのである。


 そしてしばらく経った後、内部からトーリスの部屋の扉が開かれた。

 一礼をした後、しずしずと部屋の中に足を踏み入れたゴンノーは――。


『ほほぉ……』


 ――少し驚いたような声を上げた。

 以前からトーリスは憎き存在レイン・シュドーと同じ姿形をしたダミーレインを大量に侍らせ、まるで彼女たちを恋人や従者のように扱っていた。だが、その時以上に部屋の中には大量のダミーレインがぎっしりと敷き詰められていたのだ。ビキニ衣装に包まれた胸が歪みそうなほどの密度になりながらじっと立ち続けているダミーは、床一面のみならずその上にも何重に渡って空中に浮きながらじっと立ち続けていた。その様子は、まるでダミーレインが煉瓦の代わりになっているようであった。


 そして、そのような空間の奥にあるベッドに、1人の男が座り込んでいた。

 

『トーリス殿……』

「や、やあ、よく来てくれたねゴンノー……」


 大量のダミーレインの視線が注がれる中、トーリスは静かに口を開いた。

 ダミーが敗北したことを伝えた日以来、久しぶりにゴンノーが見たその姿は、意外にもそこまでやせ細っていたり落ち込んでいるようには見えず、むしろ今までよりもどこか健康的なようにも見えた。周りにいるダミーレインが過剰なほど献身的に彼の面倒を見てきた事がその理由である、とゴンノーはすぐに察した。今の彼は、ここにいる大量のダミーたちによって体も精神も維持されている状況なのだ。

 だからこそ、ずっとこの場に引きこもり続け、外部からの批判を避けようとしていたのだろう――そう突っ込もうとしたゴンノーであったが、それを口に出す事は無かった。


「会議の方はどうだった……?」

『お察しの通りです、ゴンノー殿。人間たちは焦燥しきっていましたよぉ』

「そうか……そうだろうな……」


 もはや勇者と言う肩書のみを持つような哀れな男の前でそのような事を言ってしまえば、自分自身が敵視されてしまう可能性があったからである。それに加え、自分自身が魔物であることもばらされる危険性を考慮する必要もあった。にかられて動いてしまえば、全てがめちゃくちゃになってしまう危険性もあるからだ。

 ただ、それ以上に――。


「なあゴンノー……これからどうすれば良いんだ?」


 ――この男の哀れさや情けなさに、突っ込む事すら忘れてしまった事が大きかった。


「ダミーレインが敗れたんだろ?このままは各地の町や村を奪還し続ける……やがてこの場にも確実に訪れる……あぁ、もう破滅だ!何もかも終わりなんだ!!どうしようもできない!!でも何とかしないと……あぁぁぁぁぁぁ!!」


 一体どうすれば良い、この場を解決する方法はないのか――悲鳴のような声を上げながら、老婆の姿を維持し続けていたゴンノーに、トーリスはせがむように近づいた。勇者ともあろう存在が、目の前に迫る脅威に押し潰されようとしているのだ。

 そんな彼をじっと眺めながら、ゴンノーはそっと肩に手をやった。そして、まるで彼をあやし、慰めるかのように優しげな声で語りかけた。そこまで嘆き悲しむ必要はない、ダミーとはいえ彼女たちもまた『勇者』レイン・シュドーなのだから、と。相手が光のオーラですら通用しなくなったなら、こちらもそれを超える力を身に付けさせれば良い、何せ彼女たちこそ、人類の平和を守る『勇者』なのだから――その言葉に織り交ぜた、トーリス・キルメンと言う存在への呆れと哀れみに、トーリス本人は全く気付いていない様子であった。


「ありがとう、ゴンノー……」

『いえいえぇ。それでは、この辺で失礼しますよぉ……あまり長居しても、ねぇ?』



 君とダミーレインだけが、一番頼りある存在だ。その言葉を残し、トーリスはベッドの中に潜り込んだ。まるで現実の辛い事から逃げるかのように。

 そして、彼の心を代理するかのように――。


『ありがとうございました、ゴンノー様』ありがとうございました、ゴンノー様』ありがとうございました、ゴンノー様』ありがとうございました、ゴンノー様』ありがとうございました、ゴンノー様』ありがとうございました、ゴンノー様』ありがとうございました、ゴンノー様』ありがとうございました、ゴンノー様』ありがとうございました、ゴンノー様』ありがとうございました、ゴンノー様』ありがとうございました、ゴンノー様』ありがとうございました、ゴンノー様』ありがとうございました、ゴンノー様』ありがとうございました、ゴンノー様』ありがとうございました、ゴンノー様』ありがとうございました、ゴンノー様』ありがとうございました、ゴンノー様』ありがとうございました、ゴンノー様』ありがとうございました、ゴンノー様』ありがとうございました、ゴンノー様』ありがとうございました、ゴンノー様』ありがとうございました、ゴンノー様』ありがとうございました、ゴンノー様』ありがとうございました、ゴンノー様』ありがとうございました、ゴンノー様』ありがとうございました、ゴンノー様』ありがとうございました、ゴンノー様』ありがとうございました、ゴンノー様』ありがとうございました、ゴンノー様』ありがとうございました、ゴンノー様』ありがとうございました、ゴンノー様』ありがとうございました、ゴンノー様』ありがとうございました、ゴンノー様』ありがとうございました、ゴンノー様』ありがとうございました、ゴンノー様』ありがとうございました、ゴンノー様』ありがとうございました、ゴンノー様』ありがとうございました、ゴンノー様』ありがとうございました、ゴンノー様』ありがとうございました、ゴンノー様』ありがとうございました、ゴンノー様』ありがとうございました、ゴンノー様』ありがとうございました、ゴンノー様』ありがとうございました、ゴンノー様』ありがとうございました、ゴンノー様』ありがとうございました、ゴンノー様』…


 ――ぎゅう詰めになった部屋の四方八方から、大量のビキニ衣装の美女の声が響き渡った。



 今後もしばらく、トーリスは仮病を使いながらダミーに溺れる日々を続けるだろう、とゴンノーは確信していた。そして、その状態をしばらく維持させておいた方が、こちらとしてもありがたい、と考え始めた。

 自室へ向かい、再び廊下を歩き続ける中、ゴンノーはある策略を練り始めたのだ。ただし、それは人間のために動く軍師としてではなく、上級の魔物、そして魔王と敵対する存在としてのものであった。今でこそ魔王は人類への被害をわざと抑える動きを取っているが、やがてそれも限界が来る。そうなれば、ダミーレインとレインとの全面対決となってしまうのは確実だ。せめて、こちらから先制攻撃をかける事が出来れば――。


『……そうかぁ……そういう事ですかぁ、ふふふぅ♪』


 ――その時、ゴンノーにある作戦が浮かんだ。

 自分の力だけで達成するのは難しいが、間違いなくレイン・シュドーと魔王に挑戦状をたたきつけるには最高の方法だ。


 

 会議で溜まった重い気持ちがあっという間に消えたゴンノーは、左右にずらりと並ぶダミーに挨拶を再開する許可を下した。

 夕陽の光が薄らと差し込む廊下を、再び感情が読み取れない同一の声が包み始めた……。


『こんばんは、ゴンノー様』こんばんは、ゴンノー様』こんばんは、ゴンノー様』こんばんは、ゴンノー様』こんばんは、ゴンノー様』こんばんは、ゴンノー様』こんばんは、ゴンノー様』こんばんは、ゴンノー様』こんばんは、ゴンノー様』こんばんは、ゴンノー様』こんばんは、ゴンノー様』こんばんは、ゴンノー様』こんばんは、ゴンノー様』こんばんは、ゴンノー様』こんばんは、ゴンノー様』こんばんは、ゴンノー様』こんばんは、ゴンノー様』こんばんは、ゴンノー様』こんばんは、ゴンノー様』こんばんは、ゴンノー様』こんばんは、ゴンノー様』こんばんは、ゴンノー様』こんばんは、ゴンノー様』こんばんは、ゴンノー様』こんばんは、ゴンノー様』こんばんは、ゴンノー様』こんばんは、ゴンノー様』こんばんは、ゴンノー様』こんばんは、ゴンノー様』こんばんは、ゴンノー様』こんばんは、ゴンノー様』こんばんは、ゴンノー様』こんばんは、ゴンノー様』こんばんは、ゴンノー様』こんばんは、ゴンノー様』こんばんは、ゴンノー様』こんばんは、ゴンノー様』こんばんは、ゴンノー様』こんばんは、ゴンノー様』こんばんは、ゴンノー様』こんばんは、ゴンノー様』こんばんは、ゴンノー様』こんばんは、ゴンノー様』こんばんは、ゴンノー様』こんばんは、ゴンノー様』こんばんは、ゴンノー様』こんばんは、ゴンノー様』こんばんは、ゴンノー様』こんばんは、ゴンノー様』こんばんは、ゴンノー様』こんばんは、ゴンノー様』こんばんは、ゴンノー様』こんばんは、ゴンノー様』こんばんは、ゴンノー様』こんばんは、ゴンノー様』こんばんは、ゴンノー様』こんばんは、ゴンノー様』こんばんは、ゴンノー様』こんばんは、ゴンノー様』こんばんは、ゴンノー様』こんばんは、ゴンノー様』こんばんは、ゴンノー様』こんばんは、ゴンノー様』こんばんは、ゴンノー様』こんばんは、ゴンノー様』こんばんは、ゴンノー様』こんばんは、ゴンノー様』…

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