男勇者の悪寒

 一度は勇者たちによって殲滅させられたはずの魔物が再び蘇り、各地の村や町を襲い始めている――そんな悪夢のような状況の中で、人々の『勇者』に対する信頼の心は日を追うごとに薄れ続けていた。

 世界の様々な場所に駆けつけては、5人の勇者は暴れまわっていた魔物を次々に倒し、人々の平和な暮らしを取り戻してくれたのは間違いないし、世界の多くの人は実際にそれを目撃し、彼らに感謝していた。そして、多大な犠牲を払いながらも彼らが魔王を倒したと言う話もまた、人々は真実として受け止めていた。現にその報告があって以降、ずっと世界に魔物の気配は現れなかったからだ。


 だからこそ、なのかもしれない。


「……な、何だよこれ……」


 町の警備に出かけた、勇者の生き残りであるトーリス・キルメンが、愕然とした表情をになるまでの状況に至ったのは。


 彼が数名の従者を引き連れてやって来たのは、彼らに協力をする軍師によって次に魔王が狙うであろうと予告された町であった。交通の要所となっているここを攻め落とせば、近辺の町や村へ行き来はし易くなるだろう、と読んだのだ。勇者たちの通じて既にその報告は町に届き、人々の行き来は制限されて警備も強化されているのだが、それでも魔王の侵攻は恐ろしい規模で進んでいる事は、町の人たちは嫌でも承知していた。


 しかし同時に町の人たちは、自分たちが非常に弱い事も理解していた。例え警備を強くしたとしても、魔物の前には勇者でなければ手も足も出なかったと言う過去を、彼らは忘れていなかったのだ。

 それ故に彼らは勇者を崇め、自分たちを護ってくれるように崇めていたのだ。


「そう言うことですじゃ、トーリス殿」


 ただし、その対象となる勇者は、トーリス・キルメンでは無かった。

 


「分かった。理解しよう。しかし、何故町の至る所に『ビキニアーマー』がぶら下がっているんだ?」



 トーリスや従者が一斉に驚く様子からも分かるとおり、傍から見ればそれはあまりにも異様な光景であった。町のあらゆる場所――家の軒先や看板の近く、果ては各地の物干し竿にまで、一寸の曇りもない純白の衣装、俗に『ビキニアーマー』と呼ばれる大胆かつ破廉恥な衣装が飾られていたのだから。しかもそれは女性の家ばかりではなく、男性だけが住む家でも全く同じ状況だった。

 決して変態と言うわけではない。必死に『勇者』に助けを求め続けていたのだ。かつて魔王と戦った末、自分の命を犠牲に世界を護ったと言う、純白のビキニ衣装のみを纏った凄腕の女剣士にして勇者たちのリーダー『レイン・シュドー』へと。


 町にはレインの着ていた衣装を模したビキニが大量にぶら下がり続けるのと同様、商店にもレイン・シュドーを模したらしい純白のビキニ衣装の木彫りの人形が置いてあった――正直全然似ていないが。さらには、無造作に置かれた純白のビキニ衣装に向けて、様々なお供え物が置いてある家まであった。


 その様子を見て、トーリスはまるで肝を潰したかのような冷たい感触を覚えた。


「な、なあ……つかぬ事を聞いてしまうが……」


 彼は怖さや苛立ちなどの感情を何とか押さえ、この町の実力者である中年の男に尋ねた。何故今も勇者として現役の自分たちではなく、よりによって今は亡き者になってしまったレイン・シュドーを皆で崇めているのか、と。

 その言葉を聞いた途端、実力者の顔が複雑な表情になった。まるでトーリスと同様、自分の感情を抑えるかのように。そして、あちこちに純白のビキニ衣装がぶら下がる町を歩きながら彼は言った。


「……あの時、我らを救ってくれた一番の勇者は、彼女だった」

「そ、それは……そうだな、彼女は僕たちのリーダーだった。勇敢だった」

「そして、魔王との一騎打ちの末、自分の身を犠牲に世界を救った。

 レインは平和になった世界を見る事無く、命を落としたのだよ。その事も分からないのかね、トーリス君」


 当然、その言葉にトーリスは真っ向から反論した。レインの尊い犠牲があったのは認めるが、だからと言って何故彼女ばかりこの町では持て囃されるのか、と。

 だがその途端、彼は町の実力者や周りの町民たちから、厳しい視線を向けられてしまった。その意味を、トーリスは嫌と言うほど理解してしまった。この町に居る者たちにとって、今生き残った勇者たちよりも、自らの命を投げ打った――実際にはトーリスたちが見放しそのまま魔王退治に向かわせたはずのレイン・シュドーの方がより崇高で格好良く、尊敬すべき存在になっていたのである。

 それは彼女が『犠牲になった』からか、と皮肉を投げかけたトーリスだが、返ってきたのはそれを素直に認める内容の言葉だった。近くにぶら下がっていた純白のビキニ衣装を撫でるように触る町の実力者は下手すると変態にしか見えないが、彼もまた真剣にこの場にいないレイン・シュドーへ助けを求めようとしていたのだ。

 そして、実力者は、非常に失礼な言葉だ、自分の立場も弁えない発言だろう、と様々な前置きを据えながら、トーリスに向けてはっきりと告げた。


「魔王による世界征服を止められない君たちより、私を含めたこの町の人々はレイン……いや、レイン様を信頼するだろう」


 その言葉を聞いた時、従者たちが厳しい表情に変貌するのとは裏腹に、意外とトーリスに怒りの感情が沸き起こる事はなかった。むしろ、はっきりとそのように言ってくれた事がありがたいと思ったほどである。言葉を濁され、『レイン・シュドー』でまみれたこの町の様相を説明されないまま終わるよりはましだろう、と彼は考えていたのだ。


 ただ、このような悪夢の光景はもう見たくない、と言う思いが高まらない訳はなかった。

 どこを見てもレインの純白のビキニ衣装が風に吹かれてたなびき、レインを模した下手な木彫り細工が大量に並び、レインを描いたであろう純白のビキニ衣装の女剣士を描いた壁画まで現れている。そして人々はそれらの衣装を触ったり見つめたりして、苦しみからの救いを求めている。

 ある意味、この町は自ら『レイン・シュドー』に占領される道を選んだようにも見えたのである。


 そして、自分たちに声をかけた女性たちの姿を見て、鎧の下にあるトーリスの体にずっと我慢していた悪寒が走った。


「「「「「「こんにちは、勇者様」」」」」」


 棒読み気味に声を揃えて言った若い女性たちは、姿も形も胸の大きさも違うが、髪型や衣装は全員ともレイン・シュドーと同じもの――1つに結った長い髪に、一寸の曇りもない純白のビキニ衣装だったのである。

 彼女たちは自らこの姿になりたいと願ってきた、と実力者は告げた。決して誰かから強制された訳ではなく、『世界で一番強い女性』への憧れを胸に、自らレイン・シュドーと同じ姿になろうとしていたのだ。


 

 あまりの光景に、トーリスの頭は混乱の極致にあった。こんな恐ろしい場所にいたら、自分自身もあの忌まわしいレイン・シュドーに呑み込まれてしまう、と。

 彼は得意の言い訳を利用して何とか上手く誤魔化し、町の監視や見回りなどを従者に託して本拠地である城へと逃げ出す事にした。皮肉な事に、あまり彼が信用されていないが故に、意外にあっさりと町の実力者も町民も彼の要望を受け入れてしまった。

 明らかに、世界は狂っている。このままいけば、自分たちの『真相』がばれる前に、狂った世界そのものによって自分たち2人の勇者が命を奪われてしまうかもしれない。しかし、それを止める方法は、勇者であると言う名誉や信頼だけで成り立っていた今のトーリスには無かった。『死人』であるレインにまで、彼は敗北を喫しようとしていたのだ。

 一体どうすれば良いのか、誰にも見られないように苦悶の表情を浮かべながら、トーリス・キルメンは仲間の勇者の魔術によってこの町を去っていった。



ただ、彼が去る決意をした事はある意味正解だったかもしれない。

 その夜、従者たちが彼の指示の元、元から居た警備兵たちと共に町を守り続ける中、一番大きな集会所の中で――。


「レイン・シュドーこそ、我らを守る唯一の存在!皆、彼女を崇めようぞ!」

「レイン!」レイン!」レイン!」レイン!」レイン!」レイン!」レイン!」レイン!」レイン!」レイン!」レイン!」レイン!」レイン!」レイン!」レイン!」レイン!」レイン!」レイン!」レイン!」レイン!」レイン!」レイン!」レイン!」レイン!」レイン!」レイン!」レイン!」レイン!」レイン!」レイン!」レイン!」レイン!」レイン!」レイン!」レイン!」レイン!」レイン!」レイン!」レイン!」レイン!」レイン!」レイン!」レイン!」レイン!」レイン!」レイン!」レイン!」レイン!」レイン!」…


 ――純白のビキニ衣装に着替えた少女たちを含めた多くの町の人たちが、一斉にレイン・シュドーを祭り上げていたのだから……。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る