5

 『えへへー、ごめんお兄ちゃん! 道分かんなくなっちゃった!』 

 と電話をよこしてきたのにはびっくりした。どうやら、打ち上げが楽しみすぎて、試験が終わるなり、試験会場を飛び出してしまったらしい。そして、奴の特殊能力のせいで、案の定道に迷った。司法試験を受けるような奴が、いったい何でそんな衝動的なことを……と、世間の人は笑うだろう。けれど、これがこのシスターの個性。天才と間抜けが、頭の中に同居しているのだ。

 「おい、そこから動くなよ! 今、どういう場所にいるんだお前?!」

 『うーんとねー、ビルがいっぱいある!』 

 「東京なんだから、ビルだらけなのはどこも一緒だろ」

 『えー? じゃあ……空と地面があるかなー』

 「なんか壮大なこと言ってるが、なお分かんねーよ! 地球上の陸地はぜんぶそうじゃねーか!」

 要領を得ない説明を、理解するのは諦めた。けっきょく、GPSという文明の利器を使うことにする。

 律花のやつは、ビルの植えこみのところに一人で腰かけていた。しかし寂しそうでもない。独りで肩をルンルン動かしている。

 ちょっと、頭の出来が心配である。もっとも、最近、特別うれしいことがあったのだ。おおめに見よう。 

 「おい、律花! 大丈夫だったか?!」

 「あーっ! お兄ちゃん! よかったー、ありがとー!」

 俺様を見つけるなり、タタタッと走りよる。そして、思い切り抱きついてきた。一瞬、肺がつぶれて「ごふっ!?」とか言ってしまった。律花は、恥も外聞もなく、えへへ、と笑いながら身体を押し付け、顔に顔をこすりつけてくる。相変わらずのブラコンぶりだ。

 「あらためて、ディベートお疲れさま! やっぱり、お兄ちゃんはすごいやっ!」

 「おう、お前も試験よく頑張ったな! お疲れ!」

 キャラメルヘアをくしゃくしゃっ、と撫でてやる。と、律花は満足げに、言葉になってない言葉で鳴いた。嬉しすぎるのか、ちょっと涙さえ出ている。

 律花にとっては、司法試験など楽勝の部類に入る。なのに泣いているのはなんでだか、分からないほど鈍感じゃない。俺様は、シスターを思いっきり可愛がってやった。

 「あぁん、もうっ、髪乱れちゃう~!」

 「お前がひっついてくるからだろーが、この、このこのっ!」

 今日ばかりは、団藤先輩や、新堂でさえ、その美しい兄妹愛の光景に苦笑いしていた。

 

 法律研究会あらため、「法律研究部・B班」による、「ディベート終了記念パーティ」兼「律花、司法試験おつかれさま会」は、とあるカラオケ店の一室で幕を開けた。

 法律研究部は、例の多数決を受けて変わった。俺様たちを含め、合計約30人が、だいたい5~6人の部員で構成される「班」ごとに別れ、活動することになったのだ。

 俺様、律花、団藤先輩、新堂は、「B班」を構成している。俺様たちは、以前のような人間関係を、「法律研究部」の中に潜り込むことで、保存することに成功した。というわけ。これからは、この法律研究部の中でハーレム道を歩むとしよう!

 今日のパーティのメンバーは、まずその4人。それから、顧問に就任した穂積先生。

 ちょっと、新鮮である。何が新鮮って、みんなの服装が新鮮だ。学校外だから、当然私服。このメンツとは、学校で、制服を着て顔を合わせたことしかない。どっかに遊びに行こうといっても、断られたこともあったっけ。

 ところが今は、純粋に遊びで集まっているのだから不思議なものだ。

 「みんな……今日は来てくれてありがとな! なんかコミュ障のやつしかいねーし、断られるかと思ったわ! なんなら、連絡先は教えてるのに、連絡さえもらえずドタキャンされるかと思ってたわ!」

 「二言余計よ。……まぁ、今日だけよ。そなたたち兄妹の働きに、敬意を投げ渡してやろうと考えただけだわ」

 と、団藤先輩。敬意って、投げ渡すものだったのか……? むしろ害意じゃねぇかと思う。

 「……うん」と言う新堂。

こいつ、今ぜったい人の話を聞いてなかっただろ。あわてて、顔こっち向けてたし。たぶん、挨拶する雰囲気だったから、適当に「うん」って言っただけ。話聞いてなかったなら、せめて聞き返せよな……。お前も、俺様に害意を投げ渡しに来たみたいじゃん。

 まぁ……でも、こいつらが友達どうしの集まりに参加するって、奇跡だよな。

 いや、こいつらだけではない。俺様だって、こういうのはほとんど初めてなんだ。

 「いや、でもマジサンキューな。なんか、こういうの……仲間でお祝いするとか、いいよな。あ、っていうか、お前らをもう仲間とか言っちゃってるけど……いいよな?」

 「ふん! ……共に、あれほど死力を尽くして戦ったのよ。戦友くらいには、思ってやっても構わないわ」

 いきる団藤先輩だが、それほど嫌がっている風ではなかった。新堂も新堂で、めずらしいことに俺様のほうを見て、こくんと頷く。わずかに、笑っているように見えた。

 「お、お前ら……!」

 ちょっと感動しちまったじゃねえか。と思ったら、さっそくその雰囲気に水がさされる。

 「ふふっ、僕はもとから参加して当然だよ。君の女なんだから、もう犬みたいにどこにでも呼びつけてくれて結構だよ? 一人焼肉も、一人遊園地もさせないからね?」

 と、左右の二の腕で胸を強調しながら言う穂積先生。いや、俺様が生まれる前に流行った、アイドルのポーズなんかやられても困るんだが……。

「いや……別にそこまでしなくていいよ。っていうか先生なんだから、仕事忙しいだろ?」

 「悲しいかな、平日は忙しいけど、休日はなんにもすることがないんだよね。彼氏もいないし、独身だし……もう頼みの綱は君しか」

 「よーし、じゃあパーティだ! さっさと始めよう!」

 ……おっと。もう一人いることを忘れていた。

 「ハ~イ! 法律研究部・A班の、恵美里・ヨクスオールでーす。今日はみんなのパーティにお邪魔するわね!」

 なぜか、ディベートで争った「敵」であるところの、三年女子までもがやって来ていた。

 先輩は、名前どおりハーフなのか、すこし顔の彫りが深い。そんなはっきりした目鼻立ちで、屈託のない笑みを浮かべられると、強く出られなくなってしまうところがある。それから、やたらに声が綺麗で通るので、みんなその外様の女に視線を向けてしまっていた。

 ……まぁ、美人の女子であることには違いない。俺様としては、帰れという気はないのだが。

 「なんなんだよアンタ……旧・『法律研究会』のメンツしかいねーのに、よく来れたな。神経が図太いっつーか、なんつーか……さすが、半分外国人って感じだよ」

 「え? あ、私、育ちはずっと日本だからあんまり関係ないよ、それ。あと、さっき『ハ~イ!』って言ったのも、単なるハーフキャラとしてのキャラ作りだからね」

 「キャラ作りとか言うな! いたいけな少年の夢が壊れるわ!」

 「そなた……何故、のこのこと妾たちの集まりへ顔を出したの。そなたには、縁もゆかりもないことでしょうに……」

 カラオケボックスの、こちら側の席には、律花、俺様、穂積先生、恵美里先輩の順に腰かけている。それでいっぱいなため、向かいの席には、新堂と団藤先輩がいた。団藤先輩は、恵美里先輩を微妙な表情で見つめ、ため息をついている。

 「あれ? 先輩たちって面識あんの? ……あぁ、団藤先輩って、まえ『部』に入ってたんだっけか」

 「そうそう。私、部活に入ってきた子には、みんな仲良くしてあげてるんだけど。でも、ミヤビだけは全然打ち解けてくれなくってね。そのうち退部しちゃって、寂しかったなー」

 恵美里先輩は、人好きのする顔をずいっと俺様に押し付けてくる。うわぁ……なんだ、このグイグイ寄ってくる感! 団藤先輩がいなくなって寂しかったのに、なぜ俺様のほうに接近してくる!? しかも、仲良くして「あげてる」って。リア充特有の対人距離&上から目線である。けれど、甘えるような声が近くに迫ると、ちょっと心拍数が高まった。俺様もたいがい現金だ。

 「そなたなどに、下の名前で呼ばれる筋合いはない! そう呼んでいいのは、妾の両親だけだわ!」

 「えぇ、いいじゃない? そんなの古くない? 私は、はじめての人でもファーストネームで呼ぶわ? ねー、ノ・リ・ト?」

 「は、はぁっ!?」

 恵美里先輩は、俺様の前でしゃがんだ。そして、太ももにねっとりと手を伸ばし、スルスルとさすってくる。ちょ、ちょっと……手つきがやらしくない?

 「ノリトってすごいんだね。ただのディベートだと思ったら、あんな罠をしかけてるなんて。機転が効くのね? あんまり鮮やかで、堂々としてて、先輩しびれちゃった。それに近くで見たら顔もカッコイイし。ノリトのこと、気に入っちゃったよ。だから――」

 カラオケ内の薄暗さの中、恵美里先輩は目をつぶった。微妙にくちびるを突き出しつつ、ゆっくりと俺様の顔に近づける。ちょっと内巻きになった髪の毛の先が、誘うようにぴょんぴょん揺れていた。だ、「だから」、なんですかー!?

 童貞特有のびびりを見せ、顔を精いっぱいそらす俺様。助け舟(?)を出したのは、隣の穂積先生だった。恵美里先輩の首根っこをつかみ、ちょっと後退させる。

 「ちょ、ちょっと君! 何カラオケボックスで盛ってんのさ! そのTPOのなさ、先生としては見過ごせないな!」

学校で男子生徒を漁る先生のほうが、よっぽどTPOがないと思うんだが……。

「だっ……だいたい何だよ。ポッと出の小娘が、我が物顔で最初に迫っちゃってさ! 法人くんは、僕の夫になってくれるかもしれない子なんだ! みすみす渡しはしないからね!」

 穂積先生は俺様の手をつかんだ。そして二の腕が先生の胸に押し付けられる。ぐにゅ、という生々しい感触が伝わった。先生は大人だけあって、この場でいちばんグラマラスな体型をしている。たぶん、視覚的にも、ものすごいことになっているのだろう。が、直視する勇気が出ない。ヘタレで悪かったな! 俺様は、あごと目線を微妙に上へ逃がした。

 「ふふふふっ、いつもはあんなに勇ましいのに、ちょっと身体をくっつけられるとすぐこれだからね」

 「当たり前だろ! 俺様はまだ高校1年生だ、そんなもんに慣れてたら怖いわ!」

 「もう、僕は褒めてるんだよ? 可愛いところもあるんだねー、って。5年後も楽しみと思っていたけど、今も捨てがたいね!」

 と好き勝手に論評してくる先生。そして、ずり、ずり、と押し付けた身体を動かしつつ、俺様のあごをつかんだ。むりやりに先生のほうを向かせられる。先生は丸いメガネをかけている。光が反射して、目の付近はよく窺えない。が、なにか宇宙人に迫られているようで、不気味だった。

「えぇ!? ミス・ホヅミとノリトってそういう関係だったの!? 先生と生徒なのに!」

 「そうだよ! 学校側にはナイショだよ? 先生は、法人くんのハーレ――」

 「ううん、穂積先生は第二号さんだよ! あくまで私が、お兄ちゃんのハーレ――」

「だぁぁっ! うるさいっ! 今日は親睦会だぞ、変な話をするな!」

 大声で、むりやり二人の会話を制止する。まったくもう……二号さんなんて言葉、どこで覚えてきたんだ。

 テーブル上には、全員にドリンクがいきわたっている。俺様は自分のをとった。

 「じゃ、じゃあ……乾杯、とかするか? パーティの主催とかはじめてだし、ノリがよく分からん……正直、参加するのもはじめてなんだけど、俺様なんか変なことしてないよな?」

 「大丈夫だよ、お兄ちゃん。乾杯も、楽しそうだからやろうよ。……私も、あんまりわかんないけど」

 「妾は……こ、このような集まりには、出席しないことにしているの。時間の無駄よ」

 「……俺は……誘われないし……ていうか……話し、かけられないし」

 「うーん、街コンとか、大学時代の飲み会では乾杯してたよ。したらいいんじゃないかな? ……うちの先生たちは飲み会あまりやらないみたいで、最近やってないんだけどね」

 それはひょっとして、言動がアレな穂積先生がハブられているだけじゃないか? という気がしたが黙っておいた。だって、「言動がアレでハブられてる」のは俺様も、律花も、団藤先輩も、新堂も、程度の差こそあれ同じだから……。

 その5人が、一様に下を向いて押し黙る。残りの1人、リアルが友達との予定で充実しまくっている、年中パリピの代表格であろう恵美里先輩は、そのお通夜ムードにとても耐えられないようだった。下まぶたがヒクついている。

 「え……な、なに、みんなちょっと暗いよー!? もっと楽しくやろうって! 乾杯くらい、したらいいじゃない! ほ、ほら、ディベートすごかったよ? リッカだって、司法試験頑張ったんでしょ!? お祝いしなきゃ! ほらノリト、君が音頭をとってあげて!」

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