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ディベートなんて余裕で勝てる。と思っていたが、それはあくまで、律花が参加するという前提での話だ。なにしろ、律花の知識に穴というものはない。相手をいいくるめるのも大得意なわけで。
でも律花が抜けることになると、とたんに相手と対等――いや、それ以下のところに引き摺り下ろされることになる。なにしろ、相手のほうが格段に人数が多い。それはつまり、もってる知識の量が逆転してしまうということだ。俺様は、冷や汗をかいた。
「もし、ダメなら……まぁ、あの同好会のことは、最悪あきらめるさ。そんなのより、お前の身体が一番大事だ。ハーレム建設は、またどっかでうまく――」
「ダメだよ、そんなの!」
律花は上半身だけ起した。熱っぽく、真っ赤になった顔は迫力がある。
「お兄ちゃんが行かなきゃ負けちゃうよ。同好会がなくなっちゃう! そんなのいやっ!」
「我がまま言うな! 同好会なんて、また適当になにかでっち上げりゃいいだろ? 会員だって、新しい奴募集すれば済むじゃん。それより、お前は一人じゃ家ん中だって迷ったりするだろーが。お前を独りにしとけるかよ。大人しく看病されてろ!」
「やだ! やだやだやだよっ!」
「うるせぇ、黙れ!」
「黙んない! やだって言ってるじゃん、お兄ちゃんのバカ!」
さっき、ひたいにのっけてやった濡れ布きんを、律花は俺様に投げつけた。思いきり顔面にヒットする。痛くはないが、一瞬、口に張り付いて息が止まった。
「おぶっ!?」
「……お兄ちゃん!」
律花が、俺様の手を握るのがわかった。手を触っただけで、かなりの高熱だと分かる。融けそうなくらい熱い。
「私のことが、す……好き、なんでしょ?」
「そりゃ、もちろん」
「い、妹のことが好きで好きで、大好きで、毎日ずっと妹のことばっかり考えちゃうんでしょ? 妹のはだか見て恥ずかしくなっちゃう、シスコンさんの、変態さんなんでしょ? じゃあ……私のお願い聞いてよ……お願い、お願いだから!」
「ま、間違っちゃねぇけど。でも、なんでそこまで、同好会にこだわってんだ」
「だって、あの同好会で、お兄ちゃんやっと、友達っぽい人が2人もできたじゃん!」
「……なんだ。そんなことか? どうでもいいよ。俺様は、お前だけいれば――」
「よくない! お兄ちゃんは、世界でいちばんすごくって、頭がよくって、かっこいい男の子なんだよ!? 自分でわかってるの? だから、友達とか……ちょっと悔しいけど、彼女さんとか、作らなきゃだめなんだよ! でも、あの2人はまだ、同好会を通じてつながってるだけだもん。同好会がなくなったら、きっとすぐ疎遠になっちゃう……」
う。それは、俺様もそう思う。ぐうの音もでない。だって、全方位に喧嘩売る女。それと、全方位を無視する男。そんな、とんでもねー奴らだもん。
律花はキレていたのに、ちょっと声がぐらついて聞こえた。何事かと思ったら、なんと、ボロボロ涙をこぼしていた。すげぇ……涙って、こんなに一杯でるもんなのか。胸が強烈に締め付けられる。
「お兄ちゃんが、お母さんと喧嘩して……別のとこで暮らすことになって……私、すごく悔しかった。お兄ちゃんのいい所、分かってるのは私だけなんだって……だから、私だけはお兄ちゃんの味方だからっ」
「り、律花?」
「でも、クラスでは、私がいるせいで友達とかができないんでしょ? それに、私じゃ結婚してあげられないもん。ちゃんと、お友達とか、彼女さんとか作って欲しいの! だから……せっかく作った同好会を、なくしちゃうなんてダメ! 行ってよ! 行って、ディベートしてよ! 妹めいれいっ!」
言葉を進めるたびに、律花は興奮していった。最後の「めいれいっ!」は、ほとんど絶叫に近い。泣きながら目をぎゅっとつぶり、こぶしを握り締めている律花。
律花。お前は……そんな風に考えてたのか?
正直、俺様はいままで、団藤先輩や新堂のことを、取りかえの効く部品みたいに思ってるふしもあった。俺様がしたいことをするための、道具的な感じで。もちろん、それが百パーダメだとは思わない。したいことをするのが、悪いとは思わない。けど……。
律花は、俺様よりも、俺様のことを考えてくれた。そしてあいつらのことも、考えてやっていたんだな。
俺様は、か細い律花の身体を、強く抱きしめる。発熱の限りをつくし、律花の体は燃えるようだった。しかし、俺様だって負けてはいない。
「ふっ……いいか。俺様はシスコンなんだ。これにかけちゃぁ、誰にも負けねぇ。妹のためならな、お兄ちゃんは無敵なんだぜ?」
欲求が、欲望が、くすぶっている。
妹のお願いに応えたい。妹に、もっと褒めて欲しい。妹に、もっと好かれたい――
「妹」の部分を好きな少女にでもおき変えれば、きっと、世の全ての少年が持ち合わせているだろう。そういうたぐいの、欲望だった。
「その代わり。ぜんぶ上手く行ったら、結婚……は無理だけど、お前には、ずっと俺様のそばにいてもらうぞ? 一生だぞ? 覚悟はいいんだろうな」
「……うん。いいよ。お兄ちゃんっ」
その瞬間、俺様は大汗をかく。服を脱ぎ捨てたいほどの熱に襲われた。律花の優しく甘美な言葉は、俺様の欲望を、マグマのように熱く燃え上がらせていた。
「それでは、法律研究部、と法律研究会のディベートを始めます。議題は『日本は、直接民主制を導入すべきか否か』です。それでは、否定派の『部』のほうから、立論をお願いします。時間は3分です。……どうぞ」
ついに、ディベートが始まった。
教卓付近の机に、教頭の錦田先生。それから、ジャッジ役をしてくれる弁護士の大宮先生。30歳くらいの男性だ。ついでに、穂積先生が、不安そうにそわそわしていた。
『部』のほうは、ほぼフルメンバーで23名が参加している。教卓からみて右側の机に、部長の和南城翔太、それから六反田拓海と恵美里・ヨクスオールが腰掛ける。その後ろに、頭のよさそうなのがずらっと控えていた。
対する、俺様たちの『会』は、たったの3名だけ。
真ん中に俺様。左に団藤先輩、右に新堂。
さすがの新堂も、やや青い顔をしている。
団藤先輩はむしろ、怒りと闘争心で顔を紅潮させていた。律花を連れて来なかったことで、先ほど少しなじられた。が……それでも、先輩の闘志に変わりはないらしい。『部』の面々を、さきほどからにらみつけていた。いや、こんなやばい状況だからこそ、そこまで過剰に反応しているともいえる。
そうだ。不利なのは、誰の目にも明らか。
けれど、俺様はこいつらの会長だ。こいつらは俺様の会員だ。代わりなどいない。
だから、ぶっ潰す。
ディベートというのは、まず「立論」をする。そのあと、敵対チームによる「質疑応答」に入る。この過程を、逆の立場でもう一度繰り返す。
それから、両チームが「最終弁論」を行う。という手はずだそうだ。
まず、口を開いたのは、向こう側の絵美里・ヨクスオール先輩だった。
「日本は、国会議員を選ぶ『間接民主制』を採用しています。これは、憲法43条1項より明らかです……その理由は、まずひとつ。国民が直接投票して、国を運営する『直接民主制』は、手間も時間もかかりすぎます。1億人以上国民がいるのに、いちいち話し合いとか、集計なんてしていられません」
実に気さくで、優しそうで、幻惑的な美人の絵美里先輩。しかし口を開けば、彼女はこっちをガン見し、そらさない。目の合わせ方がシャープである。
「――理由のふたつめ。なんでも国民投票していたら、人気とりが上手いだけの人間が、国をのっとってしまいます。あのヒトラーも、その例です。『プレビシットの危険』って言われていますね。立論は以上です」
ふん。堂々とはしてるが……優しい声がその態度にあってない。どうせ、普段から友達の機嫌をとってばかりだから、そんな声になるんだろう。ディベートなんか止めて、萌えアニメのアフレコでもしていろ。
こっちチームによる、質疑応答。
俺様が手を上げる。
と思ったら、団藤先輩が俺様よりわずかに早く手を上げ、勝手に発言をはじめていた。おい、自分から計画を崩してんじゃねぇよ!
「近年は、パソコンにネット、情報通信技術の発達が著しい。これらを活用すれば、集計の手間も時間も、さほどかからないのではないかしら?」
「ネットがあれば、なんでも解決というほど甘くありません。不正防止のシステムを組むのは、それなりの手間がかかりますよ。しかも、憲法15条4項の『秘密選挙』の原則を守るためには、システムチェックをする人間にさえも、誰が誰に投票したかは知られちゃいけないんですよ? これを実現するのは、大変です」
「馬鹿馬鹿しい。不可能なわけがないわ。お金や物の取引も、暗号化によって日々無数に、それなりに安全に行われている時代なのだから」
「……私的な取引と、公的な選挙では、求められる安全水準は違うんじゃないですか? 本当に安全にできるのなら、とっくにネット投票が解禁されていると思いますけど」
「それは政府が愚図でノロマなだけよ! もう解禁している外国もあるでしょう!」
「部」のほうは答えに窮したか、誰も答えない。ざまあみろ。でも、もはや質疑応答を逸脱していた。もう言い争いだな、これは。
「あーあーあー! 質問質問! 投票する国民のほうがちゃんとしときゃ、人気取りが上手いだけのカスなんかに投票しないんじゃねえか?」
「……理想論、ですね。現実には、2001年から2006年までの古泉内閣は、人気取り優先で票を集めたって言われてます。多くの国民は、政治にあまり関心がないようですし」
もっと、色々質問しようとした。が、そこで、あえなく時間終了となってしまった。
こちらのツッコミは、悪くなかったな。ちょっと時間押してたけど……。
計画を練る段階では、律花にも参加してもらっていた。いまの俺様たちは、それなりに知識豊富になっているのだ。これなら、「部」の連中とも渡り合えそうだ。
次は、こちらの「立論」だ。新堂が原稿を読む。頼むぞ。
「……直接民主制は、国民全員の意見が、ちょくせつ……国政に、反映されることになります。……これは、古代ギリシャでも、採用されていた、形態で……18世紀のルソーも……これこそ、真の民主主義、と言っています。……したがって、高い正統性がある……直接民主主義。こそが、ふさわしい形……だと、考えます」
だから、変なとこで言葉を切るな。肺でも撃たれたのか?
その立論に対し、相手方は六反田拓海が口を開いた。
「古代ギリシャというのは? 具体的にどこ?」
「アテネとか。……そういう、都市国家です」
「今の議題は、あくまで現代日本の話ですが? そんな古代の、しかも外国の話が何故あてはまるんですか?」
「……えぇと……まぁ……政治は政治、ですし」
なんだか、分かったような分からんような答えだった。
「現代日本は、そのアテネよりはるかに人口も多いでしょう。やはり、全国民が直接話し合って決めるなんて、無理じゃないですか?」
「……それは、無理ですけど……まぁ、さっきみたいに……ネット、使ったりとか」
「いくらネット使ったって、1億人がいっせいに会議できますか? ありえないでしょ」
六反田先輩の言い方は、嫌みったらしい。彼は横柄にも、片腕を机についていた。メガネはやたら角ばって、きつい印象だし。
普段、仲間とつるんでる奴に限って、赤の他人にはやたら冷たいもんだ。やつにとっては、「友達にあらずんば人にあらず」なんだろう。何様のつもりだ、このクソメガネが。
新堂は少しのあいだ沈黙していた。時間は限られてるんだ。なんでもいいから言え! と、新堂の膝をつついて催促する。
「……別に、国民全員、で集まる……必要はないです。市町村とか……小さい規模で集まれば……いいかな、って。スイスみたいに……」
「ふーん……でも普通の国民は、やっぱり政治に興味が薄そうだけどね。その辺のおじちゃんおばちゃんが集まったって、誰も発言しないんじゃないですか?」
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