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「そう。妾のお姉さまは弁護士なのよ。妾の目標は、検察となって、あの女を裁判で叩き潰し、引導を渡すことなの」
台所に出たゴキブリを叩き潰す、みたいに平然と言ってのける。先輩は、なんでもない風に、細長い脚を組みかえた。
「おい、今パンツ見えたぞ。いっとくが、あんたがはりきって脚上げすぎただけで、俺様は悪くないからな?」
「ふん……相変わらず、猿なみの性欲ね。妾は、容姿でも他の女に負けるわけにはいかない。ミニのスカート丈にするのは当然だわ。それと、喜びなさい。今そなたが垣間見たのは、神聖なる神々の園。そなたの生涯の中で、唯一価値のある恩寵となるでしょうね」
この女、すごい自信だ……。ちなみに、白だった。
「それにしても、姉とも勝負かよ……好きだなぁあんたも」
「当然よ。この現世は、勝者と敗者を分ける一振りの剣なのだから。けれど、相手は姉さまだけではないの。我妻妹……妾はそなたも標的の一人として見定めたのよ」
「えっ、私!?」
「だから、妹じゃなくてシスターだっつーの」
「どちらでもいい! ……我妻さん。そなたの知識は認めるわ。えぇ、一年次であれほどとは、大したものよ。けれど、だからといって、妾に勝てるなどとは露ほども考えないことね」
「え? 勝つとか、なんかよくわかんないですけど……裁判なんて勝つことも負けることもあるだろうし。そんなんで勝負してもしょうがないですよ。まぁ個人の自由だし、好きに考えたらいいんじゃないですか? 私はお兄ちゃんにしか興味ないので、変につっかかってこないでくださいねー」
「ふんっ。その余裕がいつまで続くかしらね。これは良い見せものだわ」
また空気が悪くなってきたぞ! この部室は工業地帯かなんかか。
「それから、法学部を出たら、法科大学院に進もうと考えているわ。あの、穂積教諭と同様にね」
「え? 司法試験はうけねーの?」
「……そなたはもの知らずね。司法試験の受験資格として、法科大学院の卒業が必要なのよ。でないと、司法試験もなにもないわ」
「へー。そういうことか」
「まぁ、もっとも。他の道程がないわけではないのよ」
先輩が冷たい顔で「道程」とか言うと、ゾクっとする……。録画しとけばよかった。
「『予備試験』という制度がある。こちらを合格すれば、大学院にかける費用も時間も必要なく、司法試験の受験資格を得ることができるわ。もっとも、司法試験そのものより難しいと言われているから、単純ではない。合格率は……ほんの1、2パーセントだったかしら。無論、妾も挑戦しようと考えているわ。時間もお金も、節約するに越したことはないもの」
「あー、知ってるぞ。それって、年齢関係なく受けれるんだよな」
「制度上はね。けれど難関よ。どんなに早く受かるとしても、せいぜい大学2、3年次といったところかしら」
そこまで話したとき、部室のドアが開いた。見ればのっそりした男が入ってくる。
「よう、新堂か」
「……」
新堂は黙ったまま、ちょっと頭を下げた。彼は、一瞬そこで立ち止まる。どの席に座ったものか、困ったのだろう。ぴったりくっついている俺様と律花。ちょっと離れて、団藤先輩。微妙な距離感である。これから裁判でも始まりそうだ。新堂は、どっちからも距離をとって座った。
「あ、そーだ。お前まだ入会届け書いてないだろ。一応入れてやらんでもないから、とりあえず書けよな」
「……あぁ」
ちなみに今の「あぁ」は、「うん」「はい」みたいな肯定の返事ではない。こいつは、そんなハードボイルドな返事ができるタイプじゃない。「あっ、そうだ」というときの「あっ」と同じだ。こんな風に、俺様がいちいち描写してやるのも面倒くさいな。できれば、もうちょっと文字数多めでしゃべって欲しい。まぁ無理だろうけど。
「あっ、そうだ。先輩は、ちょっと顔を見たくらいで、ほとんど知らないよな。こいつ、一年の新堂諒だ。なんか俺様たちと同じクラスらしいぜ」
「『らしい』とは、何なの」
「こいつ影薄いからな。存在に気づかなかったんだ。まぁ俺様が、男の同級生に関心なかっただけなんだけどな」
「……ふむ」
団藤先輩は、興味なさげに鼻を鳴らした。
「で、新堂。この美人の3年は団藤みやび先輩だ。俺様が目をつけてるから手を出さないよーに」
「……あ、はい」
場をなごませる冗談(本気だけど)を言ってやった。だというのに、新堂は先輩のほうを、見もしなかった。
うーん……。新堂が来たせいで、妙に会話がしづらい。すでに、多少打ち解けたはずの団藤先輩にさえ、話しづらくなってしまう。俺様たちが直列回路だとしたら、新堂はそこに埋め込まれた絶縁体のようなものだった。自分がしゃべらないだけでなく、他人の会話さえ強制停止させるとは。こいつの一本筋の通ったぼっち度は、半端ではない。
「……あー。今さー、進路とかの話してたんだけど。そういえばお前ってどういうのを考えてんだ?」
「理系で……できれば……ここの……大学、じゃなくて……外部に……」
「だから一々沈黙を挟むな! あぁ、でもそっか。理系のいい大学狙ってんだったか。ま、よく知らねーが頑張れよ。化学者になったら、重力波でも観測してくれよな!」
「お兄ちゃん、それもうこないだ観測されてたじゃん!」
「あ、そうだっけ?」
「そもそも、重力云々は物理学の範疇でしょう。化学とは違うわ」
「……あ、そうだっけ?」
自分の脳力のていどを、自分から暴露してしまった……。話題を変えるか。
「……あれ? でもさ……そしたら、新堂なんでうちの同好会なんか来たの? ここ、法律系だぜ」
新堂のペンの動きが、一時停止した。
「俺、話すの苦手で……将来、困りそうで。だから……しゃべる練習を」
「あー……そういうことか。まぁ見るからに口下手だもんな、お前。なんだ。けっこう真面目に考えてんだな。あれ、でも……お前さ、法律研究『部』って知ってるか? そっちのほうは、行ってみたか? 20人くらいいる、でかい部なんだけど」
今からでも、そっちに行ってくれたら助かるんだが。
「……行った。けど……人多くて……。発言……できなかったし……」
……やっぱりか。あの部活、一部の部員の独演会っぽくなってたもんな。
ん? そういえば……団藤先輩にも同じこと聞いて、投げっぱなしになってたような。
「なぁ、先輩。ひょっとして、あんたも部のほうに入ってたんじゃないか? あんたの場合は……そうだな。入ったはいいものの、他の部員に勝負ふっかけて、ウザがられ、いづらくなって退部――という線だと思うんだけど。違う?」
「なッ!? ……そなた、妾をストーキングしていたのかしら!?」
「いやいや、違うっ! 椅子を持ち上げて投擲準備しつつ、110番を押すなんていう器用な真似はやめてくれ! ……先輩の性格からしたら、そんなところかなって」
「……そなたのように、勘のいい畜生はきらい。えぇ、そうよ。かの法律研究部の者どもは、妾に恐れをなしてしまっていた。一言さえ、妾に話しかけることもできなくなっていたわ。あれでは議論にならない。仕方なしに、椅子を蹴って飛び出してやったのよ」
翻訳すると。もう誰も話しかけてくれなくなり。議論に参加できなくなって。喧嘩別れした。ってことか。
「へ、へぇー……」
律花が、とぼけた相槌をうった。さすがに、皮肉とかは言ってない。
先輩の過去、悲しすぎるんだが。もう、この話題やめよう。団藤先輩はおろか、俺様や新堂のトラウマまでえぐられそうだ。だってここぼっちしかいないし。
「で、あと、新堂さ。お前、週に五日も塾だっけ? 同好会に、来てる暇あるのか?」
「『週いつか』!? ……これから行くってこと?」
ん? という風に、律花は人さし指を自分のあごにあてる。首をかしげた。
俺様の心拍数が、一気に跳ねあがる。
「その可愛い仕草やめてくれ、胸のトキメキが止まらん。あと、『何時か』じゃねぇよ。『五日』だよ」
「じゃあお兄ちゃんは生きるのやめてくれないと、私のトキメキは止まらないよ? でもやめなくていいよ? ……でもすごいね。新堂くんって、そんなに塾行ってるんだぁ」
「……うん。……まぁ、来れる時に……来る」
「ふーん。別にいいぞ。無理しなくても。あ、なんなら辞めてもいいぞ! でも、お姉さんか妹さんがいたら、代わりにおいてってくれよな!」
「相変わらず下種な男ね……悪党ここに極まれりだわ」
「いや、冗談だよ冗談」
本来なら、男が入るほうが冗談じゃないんだぞ。お情けで入れてやってるだけだぞ!
こいつの連絡先を聞いておこう。ふと、そう思った。が、友達のいない新堂が、PINEtalkのアプリなんか絶対入れてるわけがない。
「なぁ。いちいちメールするのめんどいから、先輩と新堂、PINEtalkやんないか?」
「嫌だわ。なぜそなた達とやり取りするのに、スマホのメモリを無駄に消費しなければならないのかしら」
「そんな大した容量くわねーだろ! 128GBのご立派なスマホつかっといて!」
「それに……そのアプリ。メッセージの既読未読が相手に伝わるというのも、気に食わないわ。相手のメッセージに、そのつど監視、拘束されるようなものではないの」
「んー……ま、気持ちは分かるが。じゃあ、どうだ? syabetterはやってないのか?」
「そちらに関しては、閲覧用のアカウントを所持しているわね」
「……俺も」
「ふーん。じゃ、2人ともsyabetterはやってんだな。ま、ちょっと考えとくよ」
話すこともなくなったので、そこで部活は終了した。
「……ふん」
団藤先輩は、ちょっと俺様のほうを見た。が、さよならも言わずに立ちさる。
「……じゃ」
新堂はそう言った。が、俺様のほうを見もしないで立ちさった。
「うぅーん……あいつらマジで重症だな。ま、いいや。帰ろうぜ」
「ねぇ今日、ちょっと時間つぶしてから帰ろ? 満員電車で、お兄ちゃんに堂々と抱きつきながら帰りたいし!」
俺様と律花は、手と手、指と指をからめながら仲良く帰った。全員、重症である。
《2016年5月2日 月曜日》
「重婚だ」
「重婚だよ……」
「重婚ね」
「……」
ゴールデンウィーク半ばの登校日。
ゲーム機を前に、会員みんなが口々に言った。
なぜこんな不穏な単語を口にするかというと、今日はそれが同好会の議題だったからだ。
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